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初めて茨城交通湊線を訪ね、阿字ヶ浦まで乗車したのは、昭和48〔1973〕年2月20日。茨城交通→ひたちなか海浜鉄道と社名は変わり、36年ぶりに阿字ヶ浦駅へ降り立ちました。36年も経過していたのにも関わらず、阿字ヶ浦駅の雰囲気に変化がないことに驚いたのは以前記述した通りです。
今回は湊線、阿字ヶ浦−磯崎間で撮影した画像を並べてみます。
写真1枚目、茨城交通湊線阿字ヶ浦駅を発車するステンレス気動車ケハ601後追いカット。白黒No.799−22(27)・昭和48〔1973〕年2月20日(10:10)撮影。
写真2枚目、茨城交通湊線磯崎駅を発車して阿字ヶ浦へ向かうキハ2005。写真に写る駅舎は建替えられたこともあり現存しません。白黒No.799−24(29)・昭和48〔1973〕年2月20日撮影。
写真3枚目、2枚目写真の後追いカット。白黒No.800−19(41)・昭和48〔1973〕年2月20日撮影。
写真4枚目、ひたちなか海浜鉄道キハ2005阿字ヶ浦行。36年ぶりに阿字ヶ浦−磯崎間で撮影した気動車は意外にも昔と同じ車両でした。今になって初めて気付きました。ND100No.470−65・平成22〔2010〕年12月24日(12:26)撮影。
写真5枚目、4枚目写真の後追いカット。踏切を過ぎれば阿字ヶ浦駅構内です。ND100No.470−67・平成22〔2010〕年12月24日(12:27)撮影。
写真6枚目、阿字ヶ浦から磯崎駅に戻って来た、ひたちなか海浜鉄道キハ2005勝田行。ND100No.470−73・平成22〔2010〕年12月24日(12:41)撮影。
ウィキペディアの一文を拝借します。
キハ2000形(2004,2005)→キハ2004は留萌鉄道の廃線に伴い1970年に同鉄道から湊線に移籍、キハ2005は1969年に同じく同鉄道から移籍した。国鉄キハ22形の類似車。キハ2005は1966年に東急車輛製造にて製造された車両で、ベンチレーターの形状がキハ2004と異なっている。途色はキハ2004が国鉄準急色の淡黄色地に赤帯、キハ2005は茨城交通色だったが、帯の配置が他車と違っていた(キハ3710形に近い)。キハ2005は2010年に国鉄急行色の肌色地に窓周りスカーレットの2色塗りに変更され、2013年に島原鉄道塗装(三本ヒゲ)となったが、水漏れのため運用から外れていた。また、キハ2004は前述のキハ11形(2代)導入に伴い2015年12月25日を最後に運用を外れていた。その後2両とも2015年限りで正式に引退となったが、キハ2004は平成筑豊鉄道での動態保存のため、2016年10月13日に那珂湊駅から搬出、10月17日に金田駅に搬入された。
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茨城交通湊線は母と勝田に行った時、金上→勝田乗りました
その後、友達の仕事を手伝ってた時に宇都宮工業団地まで納品に行った帰り
鹿島灘方面から帰ろうと言う話になり水戸に抜けてひたち海浜公園に寄った後
海岸線に出て阿字ヶ浦〜那珂湊まで線路と並走する道を通りました
2017/1/15(日) 午後 2:25
> 茶美王様。阿字ヶ浦駅周辺の景観は、昔とほとんど変わっていませんね。農地が宅地化されてしまう昨今ですが、湊線沿線の農地は昔と変わらず顕在です。
珍品であったステンレス気動車ケハ601は廃車になってしまいました。キハ2005も現在は廃車になってしまったようですが、道産子の中古気動車が40年近く活躍していたことは驚きですね。
2017/1/15(日) 午後 5:13 [ hideki_kobyakawa ]