連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全142ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

山形交通尾花沢線−4

 スキャナーで取り込んだ画像は、今でもMOに残しています。図面屋家業で作図したデータや初めて購入したデジカメデータも全てMOに保存したものです。パソコン本体のハードディスクにデータを残すことはしませんでした。
 
 ところが、重宝していたMOは店頭から消滅。MOドライブも同様に市場から消えてしまいました。使用している外付けMOドライブが故障してしまえば、MOに残したデータを開くことは出来ません。止む無く、パソコン用外付けHDを購入。MOデータをCD−Rや外付けHDに移すことにしたのですが、この作業がバカになりませんでした。
 
 データを移したことで、空になったMOが増えてしまいましたので、スキャン画像は取り合えずMOに保存。画像を取り込んでレタッチするのには、やはりMOが好都合です。レタッチ作業が終了した画像はPC外付けHDでバックアップ。ブログに掲載する画像は今でもMOデータから選んでいます。
 
 小腸腫瘍切除手術以降は、琴電画像をスキャンしました。琴電での記憶は、「種々雑多な電車が走っていた」。白黒フィルム3本分をスキャン・レタッチ。撮影当時の状況が少々見えてきました。そろそろ一部画像をブログに掲載しようと思っていた矢先、MOデータが突然消滅。バックアップしてありませんでしたので、これはショックです。MOに残したデータの多くが瞬時で消滅してしまったのは初めてです。一部画像は残っていますが、琴電に関しては、スキャンからやり直し。デジタルデータの保存は常に頭痛の種です。
 
 11カットのみ記録した山形交通尾花沢線の画像2枚を掲載しておきます。残り2枚〔レタッチ前、大石田での画像〕を掲載すれば、尾花沢線画像は全て掲載することになります。レタッチ済画像データが消滅しないよう尾花沢線等のフォルダも取り合えず外付けHDへ保存し直しておきましょう。
 
 
 イメージ 1
 写真1枚目、尾花沢駅に留置されていたトラ9058は大石田駅へ移動、切り離し。大石田から尾花沢へ向かうDB152+ハフ4+ハフ3+ワフ1の編成。撮影場所は、何処で撮影しても尾花沢−大石田。3度撮影した走行写真、最後の2カットです。No.9310・昭和441969〕年624日(1722)撮影。
 
 イメージ 2
 写真2枚目、1枚目写真の後追いカット。車掌さんはワフ1に乗務しているようです。No.9311・昭和441969〕年624日(1722)撮影。

開く コメント(10)

 またまた1年ぶりにになってしまいました。土佐電気鉄道の画像を添付します。撮影場所の記録は“学校前”と書き残しています。日本の路面電車ハンドブックの路線図では“伊野商業前”と記されています。
 ウィキペディアによれば『当停留場は1907年(明治40年)、伊野線の枝川−伊野間の開通に合わせて狭間橋停留場の名で開業した。伊野商業前に改称するのは、高知県立伊野商業高等学校が開校した1963年(昭和38年)のことである』と表記されています。
 
 伊野線沿線を歩いていて“伊野商業前”と表記されている電停名を“学校前”と記録することはないと思います。“学校前”なる電停名が実在したか否かは確定出来ませんでしたが、撮影場所の表記は前回ならえで“学校前”としておきます。
 
 
 イメージ 1
 写真1枚目、学校前電停越しに撮影した国鉄土讃線のDF50牽引客車列車。高知へ向かっています。この辺りでは、にわか雨に見舞われました。白黒No.8951719)・以下全て、昭和481973〕年731日撮影。840?撮影。
 
 イメージ 2
 画像2枚目、学校前電停の608号知寄町行。電車と手摺の間に乗客が電車から降車出来る余裕があるのでしょうか?。線路脇から電停だけでも撮影しておけば良かったと後悔しております。白黒No.8951820)・843撮影。
 
 イメージ 3
 写真3枚目、学校前電停を発車した608号知寄町行。写真左手の戸梶食堂さん、まだ周辺に住宅が少なかった当時、電車の乗客や伊野商業高等学校の生徒さん等が立ち寄った店と勝手に判断しました。手動絞り機が備えられた洗濯機は懐かしいです。ストリートビューで現状を眺めてみましたが、現存しないようです。白黒No.8951921)・843撮影。
 
 イメージ 4
 画像4枚目、枝川−学校前〔付近〕を走行する215号伊野行。白黒No.8952022)・845撮影。

開く コメント(0)

 昭和451970〕年、広島で撮影したカラースライドはカビが酷いです。レタッチ作業途中でメゲてしまい画像処理は遅々として進みません。何とか処理した広電広島駅前で撮影した600形電車の画像を載せることにします。
 
 画像をスキャンした時、600形電車は「大阪市電のお古?」と思ったものです。調べてみると意外にも広島電鉄オリジナル車両で3両在籍した被爆電車とありました。
 
 ウィキペディアの一文を拝借します。
『広島電鉄600形電車は、1942年に広島電鉄で登場、以前在籍していた路面電車車両である。現在活躍中の600形については広島電鉄600形電車・(2代)を参照のこと。広島市への原子爆弾投下で被災したことより被爆電車でもある』。
1942年に加藤車両で3両製造された。650形に次ぐ、広島電鉄の新製ボギー車になった。高床の3戸車で、中央戸は片開きになっている。1945年の原爆投下で、広電宮島口駅(当時の駅名は「電車宮島駅」)にあった、601を除く2両が被害を受けたが、194611月までに全て復旧された。650形の様に低床化されずに、1972年に廃車された』。194212月竣工。1972331日廃車。
 
 改めて画像を眺めると一味違うスタイルであったと思います。運転台窓が側窓と比べて小さいのですが、両サイド窓上部の小窓は何のための窓なのでしょう?。救助網も独特の物が装着されています。方向幕周りとオデコの前照灯を1枚の平鋼で固定してあるのもユニークです。ビューゲルも他では見ないような代物です。撮影から2年後には廃車になってしまったようです。
 
 
 イメージ 1
 写真1枚目、広島駅前を発車する5系統601号宇品行後追いカット。No.17628・以下全て、昭和451970〕年321日撮影。1355撮影。
 
 イメージ 2
 写真2枚目、1枚目写真と同時撮影したコニカC35白黒画像(タイミングが合っていません)。白黒No.13344)・1355撮影。
 
 イメージ 3
 写真3枚目、広島駅前に到着する5系統602号。江波近辺で被爆大破した車両とあります。No.176371407撮影。

開く コメント(2)

 モヤモヤした気分のまま、平成292017〕年84日〔金〕、豊橋市民病院へ行ってまいりました。
 
 長いお付き合いの友人に再度同伴をお願いし、彼のマイカーで市民病院まで1往復して貰いました。
 
 「抗癌剤治療をどうするか?」の結論を出さなければなりません。予想される副作用の項目には、「治療による死亡」なる項目も記されております。結果、家族に代わって友人にお付き合い頂くことになりました。
 
 受け取った“化学療法に対する説明と同意文書”には、『肺多形癌に対する標準的に確立された治療法はなく非小細胞肺癌に準じて抗癌剤治療を行うのが一般的である』とあります。
 
 肺多形癌が小腸転移。消化器内科先生から、再発した場合には、数ヶ月で命を落とす危険性がある。その場合の治療法は手術ではなく抗癌剤治療とも言われました。体の中に多形癌細胞が残っている可能性があるそうです。2度の手術で腫瘍を摘出してヤレヤレと思ったのは糠喜びでした。再発したら数ヶ月で絶命と言われたら、抗癌剤治療を受けるしかありません。抗癌剤治療の初回コースでは、2週間以上の入院になるそうで、抗癌剤治療云々より2週間以上の入院が頭痛の種なのです。9日間の入院までは、何とか対処しましたが…。
 
 認知症の母親は、脱水症状で熱中症と掛かり付け医院の先生に言われました。食欲が全くありません。食べ物をテーブルに並べても見向きもしません。寝ているばかりです。先生が勧めてくれた大塚製薬の経口補水液(OS−1)を何とか飲ませようとするのですが、必要容量の半分も飲みません。体重は落とすばかりです。
 
 2週間以上も入院することになったら、認知症の母親・飼い猫・亀をどうする?。抗癌剤治療に関する返答は保留としました。次回の市民病院予約は、平成292017〕年829日〔火〕→CT検査。平成292017〕年95日〔火〕→採血・レントゲン撮影・診察となっております。95日には、抗癌剤治療の入院予定日が確定することになるのでしょう。現在は豊橋市民病院の蟻地獄に落ち込んだ気分です。



 京都市電稲荷線との平面交差部で撮影した京阪電鉄鉄道線の残り画像を並べておきます。前回同様、メモ書き内容を記載するのみと致します。
 
 イメージ 1
 写真1枚目、伏見稲荷駅到着間近1006他三条行後追いカット。画像を取り込み、「あったねー。京阪にも流電」。カラースライドを確認してみたいです。白黒No.1102323)・以下全て、昭和451970〕年314日撮影。1140撮影。
 
 イメージ 2
 写真2枚目、伏見稲荷駅を発車した640他各駅停車宇治行。白黒No.1102424)・1143撮影。
 
 イメージ 3
 写真3枚目、京都市電との平面交差部を通過する1902他特急淀屋橋行。伏見稲荷駅に特急が停車したかは知りません。白黒No.1102525)・1146撮影。
 
 イメージ 4
 写真4枚目、伏見稲荷駅到着間近22714連三条行後追いカット。白黒No.1102626)・1148撮影。
 
 イメージ 5
 写真5枚目、2042他急行淀屋橋行。白黒No.1102727)・1150撮影。

開く コメント(6)

 今回も通院記録です。
 
 平成292017〕年629日〔金〕、小腸腫瘍切除手術も終わって何とか退院。9日間の入院は長かったです。
 
 平成292017〕年74日〔火〕、予約してあるので、1039母親をワゴン車に乗せ掛かり付け医院へ。自宅戻りは1157。母親をベッドに寝かせ、1253今度は我1人で豊橋市民病院へ。肺癌その後の検診ということで、既に3ヶ月前に予約が確定しておりました。この日は採血・レントゲン撮影を済ますと市民病院の予定は終了です。
 
 平成292017〕年76日〔木〕、1009ワゴン車で市民病院へ。74日の検査結果を確認しつつ呼吸器外科女医さんによる診察。こちらも3ヶ月前に予約が確定しておりました。レントゲン画像を眺め、肺が小さくなっているので気胸〔ききょう〕?と言われました。初めて聞く言葉です。肺の漏れが酷くなると肺を膨らます対策を施すことになるそうです。結局、再度レントゲン撮影。この日のレントゲン撮影結果から問題はなかったようで、この後、抗癌剤治療をどうするかという話になりました。呼吸器外科の女医さんから呼吸器内科先生への紹介状を受け取ることに。次回の予約は呼吸器内科先生による診察で、728日〔金〕、1100と確定しております。自宅戻りは13291649ワゴン車で今度は向山クリニックへ。リハビリ終えて自宅戻りは1743
 
 平成292017〕年77日〔金〕、838ワゴン車で市民病院へ。小腸腫瘍切除手術後、一般外科の若い先生による診察です。摘出した小腸のカラー画像を見せて貰いました。全長15cmを切除。腫瘍で黒く変色している箇所は5cm位でした。リンパに癌細胞はなかったそうです。これで一般外科先生による診察は終了。次回の予約はありませんでした。自宅戻りは1037
 
 平成292017〕年713日〔木〕、1122母親をワゴン車に乗せ光生会病院へ。眼科の予約診察が目的でしたが、ラコールを出して貰うため内科先生の診察もお願いしました。ひたすら待たされるばかりで自宅戻りは1532。誰もいない薬局で処方箋手渡しラコール揃えて貰うだけで25分を要しました。
 
 平成292017〕年719日〔水〕、1021ワゴン車で三沢医院へ。睡眠薬のみ出して貰う。
 
 平成292017〕年720日〔木〕、1654スクーターで向山クリニックへ。リハビリ後診察。自宅戻りは1804
 
 平成292017〕年725日〔火〕、このところ母親は全く食欲なし。4日間、何も食べないに同じ。急遽、掛かり付け医院に電話。1501母親をワゴン車に乗せ平尾医院へ。脱水症を起こしているそうです。OS−11時間掛け1本飲ませるよう言われました。OS−1は点滴に匹敵するそうです。自宅戻りは1644
 
 平成292017〕年727日〔木〕、1745スクーターで向山クリニックへ。リハビリのみ。自宅戻りは1851
 
 平成292017〕年728日〔金〕、1036ワゴン車で市民病院へ。呼吸器内科先生による診察でした。昨年の3月、三沢医院で撮影したレントゲン写真を所持して市民病院へ向かった時、最初に応対してくれた先生です。1年以上が経過して再びお世話になることに。「少々、白髪増えましたか?」。原点に戻った感じです。抗癌剤をどうするかという話になりました。昨年、肺摘出手術直後、呼吸器外科の若い先生からも抗癌剤の話はありました。抗癌剤は1ヶ月35万円位掛かるそうで、「そんな高価な薬は使えない」と思い聞き流してしまいました。今回の呼吸器内科先生の話は別物でした。3週間毎、点滴で抗癌剤注入を4コース。最初の抗癌剤注入時には、最低でも2週間の入院が必要だそうです。副作用の影響を確認するため入院せよとのことです。その後も点滴時毎に入院。「抗癌剤治療とは、そういうものでしたか」。知りませんでした。
 
肺の多形癌が血液の流れにのって小腸へ転移しているから、抗癌剤治療は受けた方が良いと言われました。4回で終わるものであれば、抗癌剤治療を受けてもよいのですが、この間、母親と飼い猫をどうすればイイ?。入院2週間以上は長いです。次回予約の84日〔金〕までに結論を出さなければなりません。憂鬱な毎日です。



 辻町電停付近の歩道橋上から撮影した静岡鉄道清水市内線の画像を載せておきます。今回の4カットで国道1号線のレール全容がお分かり頂けるものと思います。
 
 
 イメージ 1
 写真1枚目、望遠レンズを使用して撮影。横砂からやって来て港橋へ向かうクモハ57。写真後方が秋葉道電停。更にその奥は西久保電停です。白黒No.64445)・以下全て、昭和471972〕年411日(951)撮影。
 
 イメージ 2
 写真2枚目、望遠レンズ用カメラから標準レンズ用カメラに持ち替えて撮影。辻町電停到着間近、クモハ57港橋行。白黒No.64545)。
 
 イメージ 3
 写真3枚目、乗客の姿なく辻町電停を通過するクモハ57港橋行。白ペンキで囲われた場所が電車の乗降場。電停専用の横断歩道も描かれております。白黒No.64556)。
 
 イメージ 4
 写真4枚目、3枚目写真の後追いカット。写真後方、ナショナル広告塔辺りが清水駅前。国道1号線は清水駅前で右方向へそれてしまいます。白黒No.64567)。

開く コメント(0)

全142ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事