連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

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 富山市五福のYさんご主人が、小学生の娘“ひーちゃん”を連れて我が家へ遊びに来たのは、私が中学生の時でした。この時、父親が撮影したYさん親子の写真が残っております。しかし、暫くしてYさんご主人は、“ひーちゃん”連れて旅行中、旅先の旅館で突然他界されてしまいました。その後、“ひーちゃん”が1人で我が家へ遊びに来たこともあります。ハーフ版カメラで撮影したカラースライドが残っておりますので、私が高校生の時と思います。
 
 Yさんご主人と私の父親は趣味を通じて知り合ったようです。父親もYさん宅へはお邪魔していたようで、Yさん宅前には電車が走っていると話します。Yさん宅へ出向くという父親に「電車の写真を撮ってきて」と注文すると、Yさん宅をバックにネガカラーで富山市内線の写真1枚を撮ってきてくれました。
 
 学生時代、東京の下宿から北陸へ向かい、初めて五福Yさん宅を訪ねました。私がお邪魔することは、事前に父親が連絡してくれたものと思います。Yさん宅の住所は知りませんでした。「父親が撮影してくれた富山市内線のカラー写真は、単線区間で撮影したものだから、沿線を1km程歩けば、Yさん宅は直ぐに分かるであろう」。昼間、鉄道写真を撮影してYさん宅へは夕方到着。初めてYさん宅をお邪魔した日に、早速泊めて貰いました。“ひーちゃん”のお母さんに会うのも初めてでした。
 
 以来、北陸周遊に出向くと、必ず富山市五福のYさん宅へ押し掛けております。何度も泊めて頂き、撮影拠点とさせて貰いました。これは学生時代の話でして、図面屋家業に就いてからは富山へ出向く機会も少なくなっております。
 
 加越能鉄道高岡軌道線が廃線になるかも?。それとばかりワゴン車を走らせ家族連れで高岡を目指します。昼頃、新湊周辺で宿泊先を探すのですが、何処も満室で撮影どころではありません。咄嗟に思い付いたのが“鯰温泉”でした。何とか“鯰温泉”で1泊。ヤレヤレ。翌日、少々Yさん宅へ立ち寄っています。Yさん宅で撮影した我が家の4人と“ひーちゃん”母娘の姿をネガカラーに残しました。
 
 徐々に縁遠くなってしまった感のある富山市五福でしたが、まさか息子が富山市五福で生活するようになるとは…。再び、富山市五福を訪ねるチャンスが巡ってきました。今度は息子+“ひーちゃん”母娘のお顔を拝見するために出向きます。
 


 “ひーちゃん”が初めて我が家へやって来てから50年が経過しました。“ひーちゃん”のお母さんも他界されてしまいました。現在、息子は金沢在住。富山市五福は、思い出が残るだけの町になってしまいました。気ままに五福へ出向いていた時代が懐かしい。現在の生活は虚しい限りです。

 
 
 
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 写真1枚目、大学前電停から撮影した4系統デ7011。循環系統が存在した時代です。当時の市内線車両にはクーラーは備えられておりませんでした。電停時刻表上部に表記された路線図には、不二越駅前に向かう路線や射水線の一部も描かれております。白黒No.4192723)・昭和461971〕年52日(1034)撮影。
 
 
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 写真2枚目、1枚目写真に近い形で撮影したカット。大学前へ到着するデ8001。写真後方の黄色ビルは、1枚目写真にも写っております。電停の時刻表、バックミラーは、やや大ぶりになったようです。ND100No.27231・平成212009〕年88日(832)撮影。
 
 
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 写真3枚目、大学前から新富山寄りへ移動して撮影。大学前へ向かう3系統デ7013。複線のように見えますが、架線が示す通り単線区間です。白黒No.4192822)・昭和461971〕年52日(1038)撮影。
 
 
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 写真4枚目、大学前を発車したデ7020後追いカット。ND100No.27248・平成212009〕年88日(850)撮影。
 
 
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 写真5枚目、大学前電停の3系統デ7013。鉄道ピクトリアル223号〔臨時増刊 全日本路面電車現勢:昭和44410日発行〕に記載された路線図では、大学前−新富山間に野球場前、工業高校前と2つの電停が表記されています。大学前・野球場前・工業高校前の3つの電停を統合して、新たな大学前電停が写真の位置に設置されたものと思われます。この写真には富山大学正門近くまで軌道が存在した時代の名残が残っております。画像を取り込んで初めて気付きました。白黒No.4192921)・昭和461971〕年52日(1039)撮影。
 
 
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 写真6枚目、大学前電停のデ7020。歩道橋は5枚目写真当時のままなのでしょう。富山大学までの路線延伸計画が再び持ち上がっているようです。ND100No.27245・平成212009〕年88日(849)撮影。
 
 
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 写真7枚目、同じく大学前電停のデ7020。クーラーを隠すような大きな屋上行灯、スポンサーが見付かりませんか?。ND100No.27247・平成212009〕年88日(850)撮影。
 
 
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 写真8枚目、お元気だった頃の“フェニックスみつい”さん91歳。ND100No.27253・平成212009〕年88日(937)撮影。
 雨の中でも市内線を撮影する知人さん、デジカメを濡らさないよう加工した防水布で覆って撮影しています。「確かに、これは得策。私も真似してみましょう」。
 
 豊橋ハーフマラソン開催日は雨になることが多いです。傘を差して土砂降りの中で撮影したこともあります。「今年のハーフマラソン開催日までにはデジカメ雨具を完成させましょう」。
 
 平成282016〕年29日〔火〕、曇り空の下、1029、スクーターで我が家を出発。デジカメは首からぶら下げて向かう先は豊川の日本車輌専用線佐奈川橋梁。目的は中国向けディーゼル機関車の甲種輸送を追い掛けることでした。佐奈川近くにたどり着いた時、雨が降り出しました。堤防道路を走って佐奈川橋梁到着は1058。傘を差してデジカメをタオルで覆って中国向けDLの出場を待ちます。時々、機関車の汽笛が聞こえました。でも、中国向けDLの日車出場はありませんでした。今回も外れでしたか。デジカメを濡らしただけで、これでは何をしに来たのか分かりません。「海外向けはスカが多い!!」。
 
 デジカメを首からぶら下げてスクーターで走行する時、雨の中でもデジカメを濡らさない構造の雨具を作りましょう。
 
 
 
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 写真1枚目、デジカメ雨具の材料は、2mm厚のアクリル板と木製の角材。接着後、2mmのビスで固定しています。デジカメ本体に取り付ける3パーツが完成。ズームレンズを覆う構造をどうしたものか思案中。結局、ペットボトルの切断加工では細工し辛いため断念しております。NV1No.6387・平成282016〕年226日(1916)撮影。
 
 
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 写真2枚目、購入したものの使用することのなかった塩ビ管〔75VU〕を2パーツに切断。塩ビ管に2本の木製丸棒を固定してデジカメ本体側3つめのパーツが完成。もう1つの塩ビ管はズームレンズフードに固定しています。この状態で、ズームレンズを広角側にすると、飛び出した木製丸棒先端が写ってしまいます。木製丸棒は半分程の長さに切断。ズームレンズフードに固定する塩ビ管には真鍮製丸パイプを接着しました。NV1No.6403・平成282016〕年39日(2050)撮影。
 
 
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 写真3枚目、製作した4つのパーツを組み立てビス止めすると、この様な感じです。塩ビ管やアクリル板にマジックテープを接着。カメラを覆う布にもマジックテープを取り付け。NV1No.6427・平成282016〕年320日(1040)撮影。
 
 
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 写真4枚目、雨が降りそうな時、出発前に分解してある雨具を取付け。雨が降らなければ、この状態で使用します。雨が降り出したら現場で布を被せます。一度、この撮影機材でテスト撮影してみましょう。NV1No.6424・平成282016〕年320日(1038)撮影。
 
 
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 写真5枚目、デジカメを布で覆った状態。布の端に挟んだダブルクリックは錘代わり。ズームレンズの操作は可能です。NV1No.6461・平成282016〕年415日(928)撮影。
 
 
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 写真6枚目、雨具背面。撮影時は布をよけておきます。スクーターで走行する時には、アクリル板を布で包んでしまいます。見てくれは悪いですが、一度雨の中で撮影。何とかなりました。NV1No.6462・平成282016〕年415日(928)撮影。
 肺の腫瘍は癌の疑いありということで、事務所社長は手術することになりました。手術前に社長が決起したことは事務所の整理。死を覚悟していたものと思います。京急蒲田駅に程近い、今は無きエンゼルハイム4階に事務所を構えていた時代の話です。
 手術直後の社長は咳き込むことが多く、苦しそうな姿を眺めております。背中には230cm程のメスの跡。
 先日、久々に社長に電話しました。手術当時、社長は55歳であったそうで、以来27年が経過しております。現在でもろっ骨は痛い。抗癌剤は気持ち悪くなってしまうので、直ぐに止めたと話します。腺癌であったそうです。私も手術した結果、発生率0.1%の多形癌であったことを初めて伝えました。
 
 表でお袋が倒れていると早朝に我が家へ知らせに来てくれた近在の男性も肺癌摘出手術を受けています。豊橋市民病院では手術出来ないと言われ、名古屋の病院で手術したそうです。当初は命危ないと思っていたようですが、手術後8年が経過して現在も元気に生活されています。抗癌剤を飲むと痛いと話します。
 
 普段お世話になっている理髪店の奥さんも腺癌だったそうです。内視鏡で腫瘍組織を取ったものの癌細胞は見付からず。手術で肺を摘出した結果腺癌だったそうです。理髪店奥さんの話を聞いたことで、私も手術することを決断しました。
 
 肺摘出手術から間も無く2ヶ月になります。食欲がない。缶ビール1本がすんなりと呑めない。動けばろっ骨がズキズキ痛みます。お袋のために動いた後は、暫し仰向けになって小休止。
 
 手術後、豊橋市民病院へは3度出向きました。3度共、最初に採血。その後、レントゲン撮影。採血の結果が判明するまで1時間程掛かるそうで、診察までの待ち時間は、市民病院のレストラン等で時間を潰しております。
 
 平成282016〕年728日〔木〕、手術後3度目の豊橋市民病院でした。若い呼吸器外科先生に初めて我が家の実情を伝えました。認知症の母親の面倒を見なければならない事。怒られることを覚悟で、手術後もタバコを吸っていることも話しました。タバコに関して先生は何も言いませんでした。先生の話では、多形癌は進行が早く、手術しなければ余命は2年であったそうです。「へぇー、本当に…?」。採血の結果、高かった白血球の値は下がっておりました。肺も綺麗になっているそうで、溜まっていた水も無くなったようです。ろっ骨の痛みは相変わらずなので、今回は薬を出して貰いました。リリカカプセル→『中枢神経系に作用して痛みをやわらげる薬。眠気、めまいなどが起こるので自動車の運転はしないように』。
 
 リリカカプセルを初めて服用。これまでは1時間毎に目覚めてトイレへ行っていたのですが、リリカカプセルのお陰でぐっすり眠ることが出来ました。ろっ骨の痛みは、ズキズキから少々まろやかになったような気がします。それ以上に体の動きが軽くなった感じ。未だに撮影出来ない“豊橋鉄道市内線の納涼ビール電車2016”。9月までには何とか撮影しなくっちゃ。リリカカプセル服用結果は、1週間後、呼吸器外科先生に報告することになっております。次回は採血もレントゲン撮影もありません。
 
 手術前に更新したブログの続きです。豊橋鉄道市内線モ3803に乗車して競輪場前−駅前間を1往復乗車。前回は、競輪場前→東八町間でした。今回の写真で駅前に到着します。
 
 
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 写真1枚目、モ3803運転台より撮影。西八町交差点ですれ違ったのは、車掌さん乗務のモ3102赤岩口行。競輪場前−駅前間を1往復乗車して赤岩口系統の電車を撮影したのは、この1度だけでした。当時、赤岩口−駅前間の運転本数は少なかったようです。資生堂のビルがありましたか。全く覚えておりません。写真左下、路上の円弧は、ロータリーが存在した時の名残と思われます。歩道橋もありませんでした。白黒No.4461719)・以下全て、昭和461971〕年730日撮影。
 
 
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 写真2枚目、モ3803運転台より撮影。新川交差点ですれ違ったモ3301競輪場前行。まだ柳生橋支線は健在です。白黒No.4461818)。
 
 
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 写真3枚目、モ3803運転台より撮影。駅前電停到着間近。移設された駅前電停は「こんな場所だった?」。既存レール上に俄拵えの安全地帯を造ってしまった感じです。写真後方の豊橋ステーションビルは、開業から1年が経過しております。市民病院前までのレールは、まだ残っていたようです。白黒No.4461917)。
 
 
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 写真4枚目、乗車したモ3803を駅前電停で下車して撮影。安全地帯手前、お下げ髪のお嬢ちゃんは赤岩口行を待っているのでしょうか?。「暫く来ませんよ」。丸栄デパート〔現:ほの国百貨店〕建設前の時代です。白黒No.4462016)。
 中古で購入したディスプレー、眺める角度により色の濃淡が異なってしまいます。「この濃さで良いであろう」と思って、いざブログへ掲載してみたら、予想以上に暗い画像になってしまったということは、ままあります。
 
 羽後交通横荘線の続きです。前回紹介した画像を改めて眺めると、少々暗かった感がしないでもありません。今回は気持ち明るくしたつもりです。
 
 
 
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 写真1枚目、樋の口−横手間を走行するホハフ6牽引の湘南顔気動車キハ3横手行。横手から沼館へ向かい、沼館からミニ客車ホハフ6を連結して戻ってまいりました。ホハフ6のみを連結した2両編成を撮影したのは、この時だけであったと思います。撮影場所は、前回写真より少々樋の口側へ歩いた所。No.29019・昭和461971〕年325日(908)撮影。
 
 
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 写真2枚目、1枚目写真の後追いカット。後部に連結されたホハフ6は都電を譲り受けた車両です。前歴を確認しようと思い「羽後交通横荘線」に関するウィキペディアを眺めたのですが、車両に関する記述が全くありませんでした。古い鉄道ファン誌であったと思います。都電車両が羽後交通横荘線に譲渡なる記事・写真を眺めた記憶はあります。ネコ社のRMライブラリー「羽後交通横荘線」を開けば、ホハフ6の素性もはっきりするものと思います。手術後のろっ骨痛みは、最近の方がシンドイです。調べる気力も起こりません。何れにせよ、ホハフ6、横荘線での活躍は、それ程長い期間ではなかったと思っております。No.29020・昭和461971〕年325日(908)撮影。
 平成2841日〔金〕、「国鉄奈良線、稲荷付近にて」で国鉄奈良線の白黒写真2カットを掲載しました。今回は、その続編2カットです。当日、国鉄奈良線を撮影した写真は、これで全てです。前回の写真は、疎水上に架設された橋〔京都市電稲荷電停横〕から撮影。今回の写真は奈良線線路に近い場所で撮影しております。単線から分岐する貨物側線が存在し、低いプラットホームの上に立ち撮影しておりました。現在は電化された複線区間に様変わりしておりますので、当時の面影はありません。
 
 
 
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 写真1枚目、稲荷−東福寺間。稲荷駅を発車して京都駅へ向かうキハ17 1634連を撮影したのは、1127。京都駅から再び同じ列車が戻って来ましたので、1155に撮影しております。この間の時間差は28分間。疎水上、稲荷終点の京都市電や、平行する京阪電車を撮影していれば、充分時間を潰すことは可能であったと思います。DC列車の写真左手、京都駅前の京都タワーが確認出来ます。白黒No.1102929)・昭和451970〕年314日(1155)撮影。
 
 
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 写真2枚目、1枚目写真のDC列車と稲荷駅で列車交換したものと思います。京都駅へ向かうC58 191牽引荷物列車。C58蒸機後方の陰になっている場所が、京都市電の稲荷電停終点。白黒No.1103030)・昭和451970〕年314日(1157)撮影。

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