連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

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 平成292017〕年525日〔木〕、豊橋市民病院へ診察に出向きました。

 
 入院は、平成292017〕年529日〔月〕。バルーン小腸内視鏡検査は、平成292017〕年530日〔火〕、1330と確定しました。
 
 金・土・日の3日間で準備をしなければなりません。これが中々シンドイです。入院中は、母親をデイサービス、ショートステーへお願いするしか策はありません。市民病院からデイサービスのケアマネージャーさんと電話でやり取り。ショートステーは、平成292017〕年529日〔月〕からと決まりました。午前、母親を送り出したら、即、市民病院へ向かい1300入院という形になります。マイカーであれば、自宅から市民病院までは20分程なのですが、入院中は市民病院駐車場にマイカーを留め置くことが出来ません。バス乗り継ぎとなると、1時間以上は掛かると思います。ここが頭痛の種です。もう一つ困るのが母親の飼い猫です。市民病院消化器内科の先生に確認したところ、入院途中で自宅へ戻ってもよいようなので、年明け入院時同様、猫の様子見に自宅へ戻ることになると思います。



 前回お見せしたナロー近鉄八王子線・伊勢八王子駅での写真、残りの別画像を掲載して伊勢八王子駅で撮影した全画像を紹介した形にしておきます。
 
 
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 写真1枚目、伊勢八王子駅舎。白黒No.468524)・以下全て、昭和461971〕年818日撮影。1348撮影。
 
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 写真2枚目、伊勢八王子駅で出発待ちのモニ214+131四日市行。白黒No.468821)・1400頃撮影。
 
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 写真3枚目、同じく、伊勢八王子駅で出発待ちのモニ214+131。白黒No.4681019)・1400頃撮影。
 北陸鉄道加南線の河南駅で撮影した画像は全て紹介済です。
 
 河南駅からは、やって来る電車を撮影しながら山代線沿線を歩き国鉄動橋駅を目指しました。記録したカット数は、それ程多くはありません。以降、撮影順に処理した画像を紹介しようと思います。
 
 取り合えず、河南駅の少々山代側、築堤で撮影したカットです。今回撮影車両の素性が分かりません。ストリートビューで廃線跡を確認したいと思ったのですが、廃線跡の場所も特定出来ませんでした。全ては分からず仕舞です。
 
 
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 写真1枚目、少々長い鉄橋を渡り〔写真右端辺り〕、更に短い鉄橋も渡り、河南駅到着間近のモハ3562河南行。鉄道が廃線となってしまえば、当然、レール・架線等は撤去されてしまいます。画像に写る築堤は…?。盛土も処分されてしまったと思われます。白黒No.4162129)・以下全て、昭和461971〕年51日撮影。942撮影。
 
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 写真2枚目、1枚目写真の後追いカット。写真後方の山裾に平行する形で山中線のレールが続いておりました。写真左手家屋の後方が河南駅になるハズです。白黒No.4162228)・942撮影。
 山形交通尾花沢線を撮影した翌日は盛岡駅へ移動しておりました。移動過程を記録したミニノートは所在不明です。当時の記憶も皆無のため、どのように行動したものかは思い起こせません。国鉄奥羽本線の大石田駅から山形駅まで乗車。国鉄仙山線を利用して仙台駅へ移動。仙台駅を深夜発車する夜行急行で盛岡駅へ向かったものと思います。盛岡駅から花輪線の龍ケ森駅を目指したのは、蒸機列車の撮影が目的でした。鉄道趣味誌に龍ケ森付近が好撮影地として紹介されていたからです。
 
 撮影した列車の詳細をウィキペディアで調べてみようと思いましたが、48年前の列車となると、さっぱり分かりません。ここは当時の時刻表を開いてみることにしましょう。参照したのは、『国鉄監修 交通公社の時刻表 11969』です。時刻表は504ページですから、ソコソコの厚みがあります。ちなみに価格は180円でした。
 
 
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 写真1枚目、盛岡駅を発車する20系寝台特急“ゆうづる2号”2023レ。最後尾の電源車は、カニ21 12と記録してありました。時刻表によれば、“ゆうづる2号”2023レは、上野2300発。常磐線を経由して仙台着発は418424。更に盛岡の着発時刻は642645となっております。終着駅の青森到着は9351000出航する青函連絡船に乗船すれば、函館には1350に到着します。当時、列車で北海道を目指すには、随分時間が掛かったものです。画像を取り込んだ時は、何とも不可解な感じがしました。「盛岡駅を発車した“ゆうづる”が、このような線路を走るかな?」。時刻表を調べたことで、少々気持ちがスッキリしました。No.9313・以下全て、昭和441969〕年625日撮影。648〔少々遅れていたのでしょう〕撮影。
 
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 写真2枚目、国鉄花輪線大更〔おおぶけ〕駅。乗車した列車内から身を乗り出し撮影。キハ26 21と記録してあります。乗車した列車は、盛岡710927D。大更発は757。終着駅の大館到着は1033となっておりました。すれ違ったキハ26 21他の列車は、陸中花輪6041924D。大更発は758。終着駅の盛岡到着は835となっております。国鉄花輪線は、当時、8620形蒸気機関車が活躍していた非電化路線です。何故か、大更駅には架線が張り巡らされています。理由は後日、別画像を紹介することにします。No.9314757撮影。
 
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 写真3枚目、国鉄花輪線龍ケ森駅。盛岡から乗車した927Dは、龍ケ森駅で下車。927Dの後部車両はキハ22 337でした。龍ケ森駅の発車は824です。写真右手に写るダブルルーフの客車は、宿泊施設として利用されていたものと思います。No.9315825撮影。
 
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 写真4枚目、記録のまま表記すれば、国鉄花輪線龍ケ森駅を通過する急行“みちのく”。当時の国鉄花輪線には、上下13本づつの列車が設定されておりました。内2本が急行です。調べてみると急行“みちのく”202Dの説明は少々厄介です。急行“みちのく”202Dは、弘前を840に発車する4連DC急行。一方、秋田を729に発車するのが3連急行“陸中”615D。大館駅で“みちのく”と“陸中”は連結され7連急行に。盛岡到着後は、再び切り離され3連急行“陸中”615Dは山田・釜石線経由で花巻へと向かう。花巻からは3連急行“くりこま2号”106Dと列車名を変更して仙台へ向かう。盛岡駅で4連に戻った急行“みちのく”は花巻駅で宮古発の5連急行“みちのく”2602Dと連結。更に小牛田駅では鳴子発の2連急行“みちのく”2202Dとも連結。11連DC急行となった“みちのく”は常磐線経由で上野到着2102を目指す。ということで、この写真は、花輪線内を7連で走行する急行“みちのく”+急行“陸中”ということになると思います。スキーシーズンの冬場限定で急行“みちのく”+急行“陸中”は龍ケ森駅にも停車。発車時刻は1140となっておりました。写真右手が龍ケ森スキー場。6月の撮影ですから7連急行は龍ケ森駅は通過してしまいました。No.93241139撮影。
 その1で記載したことを、追記含めて今回も以下に載せておきます。
 
 豊橋の市内電車全車両がワンマン運行を開始したのは、昭和461971〕年828日とあります。昭和461971〕年915日、36002両〔1両は315日廃車〕、37002両、38005両、39001両〔1両は315日廃車〕が廃車。この時、まだ柳生橋支線は健在でした。結果、ワンマンカーとして活躍していたのは、モ31009両と柳生橋支線用のモ37002両。ワンマン化改造で生き残ったモ33002両とモ38001両。計14両が、当時の市内線全車両になると思います。クーラー搭載やモ3200形、モ3500形がデビューするのは、後の話です。
 
 昭和511976〕年37日、柳生橋支線、新川−柳生橋間0.9km廃止。
 昭和571982〕年731日、井原−運動公園前間0.6kmが延伸開業。
 
 昭和47〔1972〕年5月6日撮影した車両は、モ3100形の他にモ3300形・モ3700形・モ3800形も記録してありました。画像処理が終了すれば、順次紹介する所存です。今回は、井原電停付近で撮影したモ3801の画像をお見せ致します。
 
イメージ 1
 写真1枚目。草っ原〔現在は、メガワールドさん建物在〕越しに撮影した井原電停のモ3801サイドビュー。ガソリンスタンド脇の電柱に“井原”と表示。写真右手、鯉のぼり後方の松の木が懐かしいです。「あったねー!!」。撮影は丁度45年前ということになります。白黒No.65889)・以下全て、昭和471972〕年56日撮影。1120撮影。
 
 イメージ 2
 写真2枚目。井原電停を発車して赤岩口へ向かうモ3801後追いカット。藤ノ花学寮も金光堂さんも健在です。白黒No.658910)・1120撮影。
 
 イメージ 3
 写真3枚目。赤岩口から戻って来たモ3801が井原電停到着間近。電柱脇に立っているのが乗客なのでしょう。白黒No.6581011)・1130撮影。
 
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 写真4枚目。井原電停を発車して井原交差点を横切るモ3801駅前行。運動公園前までのレールが写真手前道路に敷設されるのは、これから10年後ということになります。白黒No.6581112)・1130撮影。
 今回も豊橋市民病院への通院記録です。
 
 「ハァーア!!。ケチの連続は死ぬまで続きそうです」。
 
 平成292017〕年427日〔木〕、小腸(ゾンデ法)検査の結果を聞くため豊橋市民病院へ行ってきました。バリュームを注入した小腸レントゲン写真は、もくもく入道雲渦巻きのような感じです。もくもくを外れた場所に怪しい箇所が存在するようです。位置的には小腸入り口に近い場所だそうで、全身麻酔の上、2M程の小腸カメラを口から挿入して怪しい箇所の組織を取るそうです。
 
 昨年3月、光生会病院でのPET CT検査の結果は、肺と小腸辺りに癌の疑いあり。昨年5月、カプセルCT検査を含む消化器内科各種検査でも、今年の消化器内科の検査でも小腸の異常を指摘されることはありませんでした。小腸辺りの異常を指摘してくれたのは、呼吸器外科の女医先生でした。診察終了と思っていた消化器内科へ戻されたことで、小腸の異常を調べるための検査入院が必要という結末です。問題の箇所は、通常の検査では見付け辛い場所ということなのでしょう。
 
 入院中の妹が退院しない限り、検査入院日を何時にするかを確定することは出来ませんので、少々、余裕を持たせて、返答するタイムリミットは、平成292017〕年525日ということで市民病院を後にしております。
 
 小腸へ癌が転移したとは思えません。昨年のPET CT検査の結果が正解であったと思っております。



 京都市電稲荷線終点の撮影に向かったのですが、近くには国鉄奈良線と京阪電気鉄道鉄道線が疎水を隔てて平行する形で存在します。当時、蒸気機関車の走っていた国鉄奈良線の画像は既に紹介しましたので、今回は京阪鉄道線の画像を紹介することにします。
 
 京都の路面電車撮影に出向いたついでに写すのが京阪電鉄鉄道線でした。よって、京阪鉄道線の車両・運用はサッパリ分かりません。撮影画像を並べてメモ書き内容を記載するのみと致します。
 
 
 イメージ 1
 写真1枚目、伏見稲荷駅を発車〔通過の感じではありません〕する2272他急行淀屋橋行。白黒No.1101212)・以下全て、昭和451970〕年314日撮影。1111撮影。
 
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 写真2枚目、伏見稲荷駅に到着する1310他各駅停車三条後。「このような車両もありましたか」。京都市電同様、狭いスペースに備えられた脱線ポイントは特異なスタイルと思います。白黒No.1103131)・1200撮影。
 
 イメージ 3
 写真3枚目、伏見稲荷駅の少々南側で京都市電と平面交差します。丁度、平面交差箇所を通過する2048他各駅停車淀屋橋行。白黒No.1102020)・1134撮影。
 
 イメージ 4
 写真4枚目、3枚目写真同様、平面交差箇所を通過する1924他特急三条後。脱線ポイントのレールは京都市電のレール付近まで延びています。京都市電が廃線となれば、脱線ポイントも当然不要の代物になるハズです。白黒No.1102121)・1138撮影。

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