連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

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 平成292017〕年324日〔金〕、CBCテレビ“イッポウ”で、田口線冊子が紹介されるようです。平成182006〕年12月吉日発行から既に11年目になります。酷使しているブルーレイレコーダー、故障することなく無難に番組を録画出来ると良いのですが…。
 


●平成282016〕年68日〔火〕、右の肺13摘出手術を受けた結果は、発生率0.1%の多形癌という結末でした。呼吸が苦しいということはありませんでしたが、ろっ骨の痛みには辛いものがありました。

 
●ろっ骨の痛みもリリカ錠剤のお陰で徐々に和らいでまいりました。肺癌摘出手術後の検査も3ヶ月に1度となり豊橋市民病院通いも少なくなってヤレヤレと思っていた矢先、平成282016〕年97日〔水〕、自宅玄関先でよろめいて尻餅をつき背骨を圧迫骨折。コルセットで体を固定しないと手術することにもなり兼ねないそうで、渋々、コルセットを55日間装着。
 
●平成282016〕年12月には、コルセットを外してよいとの診断が下りました。ところが、新年早々、平成292017〕年16日〔金〕には、声が出せなくなってしまいました。耳鼻咽喉科で診察を受けた結果は、「今から直ぐ、市民病院へ行って下さい」。同日、豊橋市民病院へ入院。入院5日目に退院しております。
 
●新年早々の入院で、血液の値に異常があると言われました。退院後の1月から2月の間は、豊橋市民病院の耳鼻咽喉科、血液内科、消火器内科と順ぐりに検査を受ける結果となってしまいました。豊橋市民病院での5回の予約を残し、血液検査の結果も確定していなかった、平成292017〕年32日〔木〕、今度はスクーターで転倒。左肩の肩甲骨複雑骨折。顔面左側は擦傷5箇所。左足膝も擦傷。左足ふくらはぎの傷は縫合。豊橋市民病院の予約は全てキャンセルして取り直し。転倒から2週間以上が経過しましたが、現在も肩の付け根が痛く左手は思うようには使えません。


 平成292017〕年315日〔火〕、突然、CBCテレビ、“イッポウ”のディレクター氏が我が家へやってまいりました。318日〔土〕、撮影に来るとも話します。掃き溜め屋敷のような作業場へ招き入れ1時間以上、会話しております。CBCテレビ“イッポウ”の「シリーズ廃線の旅」、10回は録画しているものと思います。「豊橋鉄道田口線」もありました。お顔を拝見した時、田口線に自ら出演されていたディレクター氏と直感しました。意外にも“イッポウ”「廃線の旅」は、全て、この方が担当されているそうです。スクーターでの転倒から12日目、鼻の下の大きなカサブタも取れましたので、やっと風呂に入り、髭を剃った翌日、ディレクター氏にお目に掛かることに…。「何で、こんな時に…」。
 
 平成292017〕年318日〔土〕、1112、“イッポウ”ディレクター氏が、スタッフ2名を引き連れ、再び、我が家へやってまいりました。母屋の居間へ案内しておりますが、左手が使えませんので、部屋を掃除することすら出来ません。ディレクター氏と私が会話しているシーンを若いカメラマンと音声担当の2方は、1時間以上撮影していたと思います。4人並んでの記念撮影は、折良く里帰りした息子に頼んでおります。12583方は帰りました。意外であったのは、オン・エアーは、平成292017〕年324日〔金〕だそうです。「そんなに早く?」。16501900の間の10分間程を予定しているようです。
 
 どのような内容が紹介されるものかは、全く想像出来ません。「結果は見てのお楽しみ」といったところです。ケチの連続でロクなことしかない昨今、田口線話で久々に体に熱い血が流れました。今回の田口線話が、厄払いになってくれるような気がします。テレビ番組云々よりも、現在の嫌な流れを、田口線がせき止めてくれたら、その方が嬉しいです。発行から10年以上、「困った時の田口線」は健在でした。
 
 
 
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 7DNo.20156
 平成292017〕年32日〔木〕、スクーターで向山クリニックへリハビリに向かう途中、転倒してしまいました。保険会社へ状況を説明しなければなりませんので、細かく当時のことを書き込みたいところなのですが、メガネを壊してしまったこともありPCディスプレーが良く見えません。
 
 黒に近いこげ茶色の軽乗用車の後を走っておりました。「アッ、危ない!!」と思う瞬間はありませんでした。30km/h位で走行していたと思います。前見て走行していて、次の瞬間には、道路アスファルト面に頬を付けていた感じでした。目の前に壊れて割れたメガネが散乱しておりました。何とか上半身を起こし、路上に座った状態。左肩は激痛で腕を動かすことも出来ません。右手だけでは左足に覆い被さっているスクーターも起こせません。通りすがり3名の方の力を借りて、何とか立ち上がれた次第です。
 
 運良く、この日、自宅にやって来た息子の運転で、再び向山クリニックへ向かい診察。左肩の肩甲骨骨折。顔面左側は数箇所の擦り傷。左足膝も擦りむいて出血。左足ふくらはぎにはスクーターの荷台金属丸棒〔φ8mm位?〕が刺さってしまいました。傷口がパックリ開いて肉が外へ飛び出していたと息子。メガネを壊してしまったので、私は傷口の状況は、はっきり見えませんでした。兎に角、11針縫うことに。
 
 左腕を少々動かすだけで、上半身に痛みが電気のように走ります。車の運転など、とても出来る状態ではありません。仰向けの状態から立ち上がるだけでも難儀しています。唯一の救いは、お袋がデイサービス・ショートステーで31日から6日の間、自宅に居ないことです。6日〔月〕までに、痛みが和らいでくれると助かるのですが…。
 自宅から最も近い鉄道が、豊橋鉄道市内線です。これまでに撮影した画像がどれ程の枚数になるものかは想像も出来ません。
 モ3100形が活躍する時代を撮影したカットが最も多いと思っております。見飽きた感のあるモ3100形の画像をスキャンしようという気持ちは中々起こりませんでした。思い切って、45年前、昭和475月撮影画像を取り込んでみました。車両云々と言うより、沿線風景が随分様変わりしていることに気付きました。「昔は、こんなだったんだー!?。覚えていない」。
 撮影画像をブログに掲載しても写真の説明書きが侭なりません。19歳から43歳の間は東京での生活で、豊橋鉄道市内線を撮影するのは、実家に帰省した時だけ。東京生活時代、豊橋鉄道市内線に関することは知らないことが多いのを思い知った次第です。
 モ3100形が活躍する時代を時折スキャンして、少しづつ紹介しながら昔を偲んでみたいと思います。
 
 豊橋の市内電車全車両がワンマン運行を開始したのは、昭和461971〕年828日とあります。昭和461971〕年915日、36002両〔1両は315日廃車〕、37002両、38005両、39001両〔1両は315日廃車〕が廃車。この時、まだ柳生橋支線は健在でした。結果、ワンマンカーとして活躍していたのは、モ31009両と柳生橋支線用のモ37002両。ワンマン化改造で生き残ったモ33002両とモ38001両が、この頃の市内線全車両になると思います。クーラー搭載や3200形、3500形がデビューするのは後の話です。
 
 
 
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 写真1枚目。赤岩口電停のモ3106。運転台中央窓がHゴム化されています。方向幕の表示は、「競輪場前−駅前」。赤岩口電停がまだ2線構造であったのは意外でした。モ3106右側のレールに電車が停車しているのを眺めたことはありません。終点赤岩口で電車2両が並ぶことはあったのでしょうか?。写真右手は“宝寿し”さん。現在の建物とは異なります。この時、“宝寿し”さんの東側に送電線高架鉄塔が存在します。現在は逆になって、送電線高架鉄塔の東側に“宝寿し”さん。逆になった理由も分かりません。赤岩口の2線構造が消滅したのは、何時のことなのでしょう?。白黒No.65834)・以下全て、昭和471972〕年56日撮影。1016撮影。
 
 
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 写真2枚目。井原−赤岩口間〔赤岩口西交差点〕を走るモ3101赤岩口行。この車両の方向幕表示も「競輪場前−駅前」となっております。白黒No.65845)・1030撮影。
 
 
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 写真3枚目。2枚写真の後追いカット。井原−赤岩口間、赤岩口西交差点を通過したモ3101。車両後部の方向幕表示は「赤岩口−駅前」。スーパー“ヤマナカ”や“赤岩ビル”はまだ建設以前の時期と思います。白黒No.65856)・1030撮影。
 
 
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 写真4枚目。井原−赤岩口間、赤岩口を発車して駅前へ向かうモ3101後追いカット。こんな所に昔は“東芝ストアー”がありましたか。白黒No.65867)・1035撮影。

国鉄広島機関区にて−1

 昭和451970〕年321日の午前中は、国鉄広島機関区を訪ねております。許可を貰えば構内での撮影が可能な良き時代でありました。間近で眺めたC62蒸機のバカでかさに驚いたものです。取り込んだカラースライドには多量のカビが発生しており、レタッチ作業は遅々として進みません。発色も芳しくありませんが、カビが少なかったカットの中から通過列車の画像を掲載することにします。
 
 山陽新幹線に関して、昭和471972〕年315日、新大阪駅−岡山駅間が開業、昭和501975〕年310日には岡山駅−博多駅間が開業することで、山陽新幹線は全線開業。
 
 広島機関区を訪ねたのは、山陽新幹線開業以前の時期でした。京都市電を撮影した後は、夜行列車に乗車。結果的には寝過ごして宇野まで行ってしまいました。山陽本線へ戻ると駅のホームベンチで寝袋に包まって寝ようと試みたのですが、寒くて寝られたものではありませんでした。待合室に移動して寝たものと思います。それが、広島駅であったような……?。
 
 
 
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 写真1枚目、広島機関区が、広島駅に対して、どちらの方向に存在したかも覚えておりません。改めて地図を眺めると広島駅の東側になりますね。このカット、クモハ47538他上り急行「玄海」です。当時の運転状況を確認しようとすると、予想以上に手間取ってしまいました。昭和431968〕年10月〔ヨン・サン・トオ〕の大規模ダイヤ改正で、山陽本線の新設列車として誕生したのが「玄海」とありました。「はやとも」を改称した475系電車による急行列車で、運転区間は名古屋駅−博多駅間。急行「玄海」は名古屋駅でも撮影したことがあります。山陽新幹線岡山開業時に、運転区間は岡山駅−博多駅、熊本駅間と短縮され、山陽新幹線全線開業時には廃止となってしまいました。No.17611・以下全て、昭和451970〕年321日撮影。1202撮影。
 
 
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 写真2枚目、EF66 3牽引下り貨物列車。写真左手後方で煙を上げているのはC62 23。EF66に関して、『1次車は、昭和431968〕年から昭和441669〕年までに20両(120号機)が製作された。2次車は、昭和481973〕年から昭和491974〕年までに35両(2155号機)が製作された。1次車と比較して多くの変更点がある』と記されています。撮影当時、EF66形電機は20両が存在したのみということになります。『第12回(1969年)鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。国鉄・私鉄の機関車でブルーリボン賞を受賞した車両は、平成292017〕年現在、本形式のみである』とも記されています。No.176121212撮影。
 
 
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 写真3枚目、クハネ58114他、上り特急「はと」。東海道新幹線の開業以前、東海道本線を走った「こだま」「つばめ」「はと」等の優等列車は撮影出来ませんでした。眺めた記憶も到って曖昧です。「はと」は豊橋駅に停車する特急でしたので、思いは別格です。山陽路とは言え、特急「はと」を撮影したのは、この1カットのみです。特急「つばめ」、名古屋駅で撮影していないかなー?。月光型電車もブルーリボン賞を受賞しています。
『昭和421967〕年に電動車が直流・交流60Hzに対応する581系が落成、翌、昭和431968〕年には電動車が直流・交流5060Hz対応k583系も落成。昭和431968〕年10月〔ヨン・サン・トオ〕の大規模ダイヤ改正時、夜行列車として、「月光」2往復(うち1往復は季節列車)、運転区間は新大阪駅−博多駅間・「明星」、運転区間は新大阪駅−熊本駅間・「金星」、運転区間は名古屋駅−博多駅間。昼行列車として、「つばめ」、運転区間は名古屋駅−熊本駅間・「はと」2往復(うち1往復は季節列車)、運転区間は新大阪駅−博多駅間』No.176141220撮影。
 新年早々、喉を腫らして豊橋市民病院に入院。腫れが治まったことで退院しましたが、以降はケチの連続で市民病院内をたらい回しされています。平成292017〕年117日、耳鼻咽喉科先生の診察は終了となったのですが、血液検査の結果に?と思った耳鼻咽喉科先生から血液内科の先生を紹介されました。白血球の値が高過ぎるということは、入院中にも言われておりました。同日、血液内科先生の診察も受けております。高価でよりシビアーな血液検査が必要だそうです。平成292017〕年27日、高度血液検査の結果に関して、血液内科の先生は「白血球の値が高い理由は分からない。貧血に関しては胃や腸から出血している可能性がある」だそうです。「血液内科の先生が分からないと言う白血球に関しては、どうすればイイ??」。今度は血液内科の先生から消化器内科の先生を紹介されることになりました。来週は胃カメラ飲んで、再来週は大腸にもカメラを挿入されることが確定。「1年も経たず、また消化器内科ですか。医療費の支払いで破滅します」。
 
 昨年、PET−CT検査の結果、小腸の一部が赤く表示されてしまいました。平成282016〕年4月は消化器内科先生〔女医さん〕による検査フルコースでした。胃カメラ、大腸カメラ、カプセル内視鏡、肛門からバリウムを注入されレントゲン撮影。大腸のポリープ1つを搾取した以外、癌の疑いはないでしょうというのが結論でした。「ポリープを取っているので、2年後にもう一度電話して下さい」と女医さんに言われておりました。その女医さんは移動してしまったそうです。昨年4月に支払った医療費だけで92868円。その後の6月、肺摘出手術を受けることを決断。昨年3月以降12月までの間、支払った医療費は80万円を越えるのでは…。


 

 旭川電気軌道の画像を前回紹介してから、そろそろ3年になりますか。
 
 平成262014〕年55日に購入した新しいスキャナーEPSON GT−X970で旭川電気軌道の画像を取り込んだのですが、今にして思えば失敗であったと思っています。3年ぶりに昨今のやり方で再トライしました。順次画像をスキャンするつもりです。取り合えずは処理が終了した画像から掲載しておきましょう。
 
 
 
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 写真1枚目。旭川四條(ASAHIKAWAYOJYO)駅のモハ1001とモハ501。連結されている訳ではありません。車両の説明は3年前に済ませておりますので、今回は割愛。旭川電気軌道を撮影したのは、昭和461971〕年9月でした。北海道、緑の大地を走るモスグリーン一色の電車は、風景にマッチした色合いであったと思っています。雪の季節は知りません。白黒No.506164)・昭和461971〕年922日(930頃?)撮影。
 
 
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 写真2枚目。旭川四條駅を発車したモハ501後追いカット。この写真では一寸見併用軌道で道路中央へ出て行きますが、この先進む道路中央軌道は半専用軌道のような様相です。白黒No.506182)・昭和461971〕年922日(930頃?)撮影。

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