連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

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 静岡鉄道駿遠線は、大手―新藤枝―新袋井間、全長64.6kmの日本最長軽便鉄道であったのですが、撮影出来たのは、袋井側と藤枝側の僅かな区間のみでした。
 カラースライドにはカビが発生していたため、画像の処理に少々梃子摺ったカットを今回お見せ致します。廃線間近、駿遠線、朝の通勤・通学列車です。東京へ帰る途中に東海道本線藤枝駅で途中下車して撮影しておりますが、この時は大事でした。午前2時頃起きて、父親に豊橋駅まで送って貰い、未明の列車に乗車したものと思います。父親には、後日ブーブー言われることになってしまいました。
 
 撮影から4ヶ月程で静岡鉄道駿遠線は全線廃止。昭和401965〕年製、駿遠線最後の新製車両、BB型ディーゼル機関車DD501の活躍は5年足らずのことでした。
 
 
 
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 写真1枚目、新藤枝付近で撮影。新藤枝駅を発車して大井川駅へ向かう列車の後追いカット。キハD18が、ハ113+112を牽引しています。No.18121・以下全て、昭和451970〕年410日撮影。651撮影。
 
 
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 写真2枚目、この日の目的は、この列車。DD501がハ115+110+111+114の客車4両を牽引して新藤枝駅到着間近です。No.18122700撮影。
 
 
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 写真3枚目、新藤枝駅で機回しを済ませ、大井川へ向かうDD501+114+111+110+115。大井川駅から新藤枝駅に戻ったDD501は、この後、走行することはありませんでした。No.18123713撮影。
 
 
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 写真4枚目、新藤枝−高洲間にて。大井川から戻って来たキハD18+112+113。最後部客車に乗車した男性は、半身以上を車外へ出しています。No.18124723撮影。
 国鉄大聖寺駅から北陸鉄道山中線の河南駅まで歩き、その後は山代線沿線を歩いてしまいました。それ故、北陸鉄道加南線河南駅で撮影した画像、今回が最後です。これで、「しらさぎ」「くたに」は見納めなのですが、後に大井川鉄道で再び「しらさぎ」「くたに」を撮影。加南線撮影当時は想像もしなかったことです。何れも、随分昔の話になってしまいましたが…。
 
 北陸鉄道加南線、河南駅を同時発車するシーンをお見せ致します。
 
 
 
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 写真1枚目、河南駅で3列車並びのシーン。写真左はクハ1602+モハ3501急行山中行。中央がモハ1811。写真右はクモハ6011+クハ6061アルミカー「しらさぎ」大聖寺行。河南駅停車中のモハ1811は、両側の扉が開いたのでしょうか?。白黒No.4172035)・以下全て、昭和461971〕年51日撮影。919撮影。
 
 
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 写真2枚目、3列車は、ほぼ同時刻に河南駅を発車したようです。白黒No.4161832)・919撮影。
 
 
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 写真3枚目、河南駅を発車して大聖寺へ向かうクモハ6011+クハ6061アルミカー「しらさぎ」後追いカット。白黒No.4161931)・919撮影。
 ブログタイトルとして使用している“連写2眼”は、長年使用してきたカメラを私が勝手に命名したもので、世間で通用する言葉ではありません。お陰様で“連写2眼”をウェブ検索すると独壇場です。最近気付いたのは、“連写2眼の画像”も表示されることです。約642000件と表示されますが、現実には800件位で末端へ辿り着いてしまいます。Googleで検索しても似たように表示されますが、画像検索の結果は少々異なります。ブログを開設して、間も無く10年。“連写2眼の画像”を眺めて、「こんな写真も載せたのだー!!」。既に忘れておりました。今まで掲載した画像をプリントアウトしてアルバムで纏めたとしても結果的には場所を取るだけで邪魔にしかなりません。ブログは画像の保管庫として使用出来ますので、これは実に助かります。スタート時には、「ブログなど開設して何になる?」と思っていただけに。
 
 さて、国鉄飯田線を撮影したカットを今回も撮影順に並べます。No.188のカラースライドにはカビが発生しておりましてレタッチ作業は辛いです。フィルム周辺にカビが発生しているケースがほとんどなのですが、一部のフィルムは車両箇所にもカビが発生しておりました。何となく眺められるように補正はしてあります。
 
 
 
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 写真1枚目、国鉄飯田線牛久保−豊川間にて撮影。豊橋へと向かうED17 12牽引貨物列車。冷蔵車が連結されています。飯田線奥地の山間部に鮮魚でも運んだのでしょうか?。No.18827・以下全て、昭和451970〕年528日撮影。1011撮影。この日の撮影順に、クモハ53001・クハ68100・クハ68066・クハユニ5600?・クハ47107?・クモハ42011・そして、ED17 12貨物。
 
 
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 写真2枚目、この日、初めて撮影した流電クモハ52002他新城行4634M。2扉の狭窓車両で編成を組んでいます。No.188291051撮影。この日の撮影順に、クモハ53001・クハ68100・クハ68066・クハユニ5600?・クハ47107?・クモハ42011・ED17 12貨物・そして、クモハ52002〔流電〕。
 
 
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 写真3枚目、2枚目写真後追いカット。4連後部車両は、クモハ42013。No.188301051撮影。この日の撮影順に、クモハ53001・クハ68100・クハ68066・クハユニ5600?・クハ47107?・クモハ42011・ED17 12貨物・クモハ52002〔流電〕・そして、クモハ42013
 
 
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 写真4枚目、クハユニ56011他豊橋行41222M。この編成の後部車両は撮影してありませんでした。No.188311123撮影。この日の撮影順に、クモハ53001・クハ68100・クハ68066・クハユニ5600?・クハ47107?・クモハ42011・ED17 12貨物・クモハ52002〔流電〕・クモハ42013・そして、クハユニ56011
 ひたちなか海浜鉄道の全線乗車は、東日本大震災発生前の平成222010〕年1224日。既に6年前のことになってしまいました。
 
 初めて茨城交通湊線を訪ね、阿字ヶ浦まで乗車したのは、昭和481973〕年220日。茨城交通→ひたちなか海浜鉄道と社名は変わり、36年ぶりに阿字ヶ浦駅へ降り立ちました。36年も経過していたのにも関わらず、阿字ヶ浦駅の雰囲気に変化がないことに驚いたのは以前記述した通りです。
 
 今回は湊線、阿字ヶ浦−磯崎間で撮影した画像を並べてみます。
 
 
 
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 写真1枚目、茨城交通湊線阿字ヶ浦駅を発車するステンレス気動車ケハ601後追いカット。白黒No.7992227)・昭和481973〕年220日(1010)撮影。
 
 
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 写真2枚目、茨城交通湊線磯崎駅を発車して阿字ヶ浦へ向かうキハ2005。写真に写る駅舎は建替えられたこともあり現存しません。白黒No.7992429)・昭和481973〕年220日撮影。
 
 
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 写真3枚目、2枚目写真の後追いカット。白黒No.8001941)・昭和481973〕年220日撮影。
 
 
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 写真4枚目、ひたちなか海浜鉄道キハ2005阿字ヶ浦行。36年ぶりに阿字ヶ浦−磯崎間で撮影した気動車は意外にも昔と同じ車両でした。今になって初めて気付きました。ND100No.47065・平成222010〕年1224日(1226)撮影。
 
 
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 写真5枚目、4枚目写真の後追いカット。踏切を過ぎれば阿字ヶ浦駅構内です。ND100No.47067・平成222010〕年1224日(1227)撮影。
 
 
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 写真6枚目、阿字ヶ浦から磯崎駅に戻って来た、ひたちなか海浜鉄道キハ2005勝田行。ND100No.47073・平成222010〕年1224日(1241)撮影。
 
ウィキペディアの一文を拝借します。
キハ2000形(20042005)→キハ2004は留萌鉄道の廃線に伴い1970年に同鉄道から湊線に移籍、キハ20051969年に同じく同鉄道から移籍した。国鉄キハ22形の類似車。キハ20051966年に東急車輛製造にて製造された車両で、ベンチレーターの形状がキハ2004と異なっている。途色はキハ2004が国鉄準急色の淡黄色地に赤帯、キハ2005は茨城交通色だったが、帯の配置が他車と違っていた(キハ3710形に近い)。キハ20052010年に国鉄急行色の肌色地に窓周りスカーレットの2色塗りに変更され、2013年に島原鉄道塗装(三本ヒゲ)となったが、水漏れのため運用から外れていた。また、キハ2004は前述のキハ11形(2代)導入に伴い20151225日を最後に運用を外れていた。その後2両とも2015年限りで正式に引退となったが、キハ2004は平成筑豊鉄道での動態保存のため、20161013日に那珂湊駅から搬出、1017日に金田駅に搬入された。
 昨年末、喉が痛いのは風邪を引いたと思っておりました。正月開けには喋れなくなってしまいました。平成2916日〔金〕、医院が開くのを待って5年ぶりにスクーターで耳鼻咽喉科へ出向きました。診察の結果、「これは酷い。腫れが酷くなると呼吸困難になり喉に管を通すことにも成りかねないので、救急車で直ぐに市民病院へ行って下さい」と言われてしまいました。
 
 耳鼻咽喉科院長先生の紹介状作成の間、一旦自宅へ戻り、紹介状を改めて受け取ると、妹に車で市民病院まで送って貰い、何の準備も出来ないまま即入院。正月休みと連休の関係で病院が開いていないこともあり、止む無く入院を選択しました。新年早々、ロクなことはありません。
 
 入院3日目の診察で、腫れは少々治まったようで、何とか外出許可を頂き、片付けと必需品を揃えるために自宅へ戻ってまいりました。この後、再び市民病院へ帰ります。喉の腫れが治まれば、110日〔火〕には退院出来そうなのですが、定かではありません。ブログに頂いたコメントは確認しているのですが、返信コメントの余裕がありませんので、今暫くはゴメンナサイ。お袋の件、猫の件もあり、留守になっている自宅のことが気掛かりで、入院していても落着きません。

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