|
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
こんにちは、ゲストさん
[ リスト | 詳細 ]
|
平成28年12月22日〔木〕、掛かり付け医院待合室のテレビで“糸魚川大規模火災”のニュース映像を初めて眺めました。ショッキングな出来事です。看護士さんに「酒田大火以来の火災では?。酒田大火は20歳代頃でしたが、知りません?」などと話しましたところ、「私、そんなに歳は取っていません」と言われてしまいました。
息子の仕事ぶりを眺めるため、初めて糸魚川を訪ねます。ワゴン車は、許可を頂き息子の寮駐車場へ留め置き。街を撮影しながら、歩いて糸魚川駅の回りをぐるりと散策しております。まだ、北陸新幹線開業前の時期でした。それなりの思い出が残る糸魚川の街となりました。
比較的近年に眺めた糸魚川の街並みが、広範囲に渡り消失。無残な姿と化してしまったニュース映像を眺めると、誠に虚しい限りです。寒空の下、被災された方々には、お見舞い申し上げます。
画像1枚目、平成28〔2016〕年12月24日〔土〕、中日新聞朝刊1面のカラー写真と記事。写真右下角から日本海方向に向かって歩きました。写真中央の広い道路〔雁木のあるバス通り〕を左折して、京屋〔焼けなかった黒い屋根の建物、屋根上には赤いロウソクの看板〕さんの前を過ぎ写真左下角へ向かいます。写真を外れた辺りで右折。日本海を眺めるため、国道8号線沿いの公民館まで歩きました。歩いた道を再びバス通りまで戻り、今度は、写真左下角から駅前道路〔消防車両が止まっている道路〕まで直進。写真中央の少々右、姿を留めている白い建物が北越銀行さん。北越銀行より写真上方に写る壁面チョコレート色の建物は東北電力糸魚川営業所ビル。駅前道路まで到達すると糸魚川駅〔仮駅舎〕へと向かっております。
写真2枚目、息子の寮〔糸魚川駅南東〕前の狭い道路を西へ向かうと糸魚川小学校に突き当たります。校庭に沿った道路を北方向へ向かうと大糸線・北陸本線の踏切。踏切を渡り少々進んだ所で撮影したのが、このカット。日本海側を眺めています。報道によれば、写真右手、黄色看板のラーメン店が糸魚川大火の火元。7DNo.144−399・平成24〔2012〕年9月29日(9:01)撮影。
写真3枚目、平成28〔2016〕年12月22日〔木〕のNHKニュース7の録画映像を停止させ撮影したと思います。2枚目写真の右半分を撮影している感じです。平成28〔2016〕年12月23日〔金〕、中日新聞朝刊の1面記事でも、同じ場所のカラー画像が掲載されています。7DNo.608−133。
写真4枚目、ガッチリ造られた雁木の下に立ち撮影。写真中央、2〜3階部分が道路側へせり出しているビル〔画像1枚目で確認可能〕以外は、雁木諸共消失してしまったようです。7DNo.144−413・平成24〔2012〕年9月29日(9:19)撮影。
写真5枚目、北越銀行さん両隣の木造家屋は、全てが焼け落ちてしまいました。北越銀行東隣の平安堂旅館さんは趣きのある建物でした。写真右手、雁木の名残と思われる屋根は焼けなかったようです。7DNo.144−417・平成24〔2012〕年9月29日(9:22)撮影。
画像6枚目、平成28〔2016〕年12月24日〔土〕、中日新聞25面カラー写真と記事。
|
|
写真1枚目、港橋からやって来て複線軌道から単線軌道へ入ったクモハ62横砂行。横砂から港橋へ向かうクモハ63とすれ違った直後。車掌さんも前方を眺めております。写真後方、“マルイ”の看板が見える場所が清水駅前。135mm望遠レンズで撮影。白黒No.648−5(5)・以下全て、昭和47〔1972〕年4月11日撮影。14:45撮影
写真2枚目、愛染町−西久保間、クモハ62横砂行。望遠レンズ用カメラから標準レンズ用カメラに持ち替えて撮影。電車乗場は白ペンキのラインで路上表示。歩道と電停の間は、専用の横断歩道が描かれております。電車後方が複線区間に存在した西久保電停。安全地帯がありませんので、電車到着までは歩道で待ったようです。白黒No.647−19(20AB)。14:45撮影。
写真3枚目、愛染町−西久保間、クモハ62横砂行後追いカット。静岡鉄道のバス車庫縁を巡るように併用軌道から専用軌道へと進入。白黒No.647−20(21AB)。14:45撮影。
写真4枚目、愛染町−西久保間、再び望遠レンズ用カメラに持ち替え更にクモハ62横砂行を深追い。写真後方、長い建物手前が東海道本線。白黒No.648−6(6)。14:45撮影。
|
|
山形交通尾花沢線を撮影したカラースライドは11カットのみ。3/11カットが尾花沢駅構内での撮影でした。今回は、この3カットを掲載します。
東北周遊券を使用した人生で初めての周遊撮影旅行で、昭和44年6月当時は19歳。寝袋や着替えを入れた大きなリュッサックを担いでおりました。所持したフィルムが少なくメチャ撮りは出来なかったと思います。撮影結果を記録するミニノートには、1・2・3……18・19・20といった具合に所持フィルム本数を書き込み。未撮影の残りフィルムの本数を気にしながら撮影していたと思います。僅かばかりの撮影枚数でも撮影出来ただけ良し。47年前のカラー画像取り込みは悲願でした。
写真1枚目、DB152が牽引して尾花沢へ向かったハフ4+ハフ3+ワフ1の3両が尾花沢駅ホームに停車中。尾花沢には車庫も存在したであろうと考えられますが、残念ながら撮影してありません。撮影場所の近くにポイントが見えますので、背中側が車庫であったのかも?。No.93−5・以下全て、昭和44〔1969〕年6月24日撮影。16:44撮影。
写真2枚目、DB152はトラ9058と連結。この後、ハフ4+ハフ3+ワフ1+トラ9058+DB152の編成で尾花沢を発車することになります。No.93−6・16:46撮影。
写真3枚目、1枚目写真より車両に近付いて撮影。駅舎も撮影しておきたかったです。No.93−7・16:47撮影。
|
|
「北陸鉄道加南線、河南にて」と、その後の「北陸鉄道加南線、河南にて−追加」では、河南駅到着間近の山代線走行モハ1811の4カットを掲載。今回は、大聖寺から山中線を走って河南駅に到着する2連急行の画像を紹介します。山中線を走る急行は、この時、一度撮影したのみです。急行が1日何本設定されていたか?。急行の停車駅がどの駅であったか?。駅の時刻表も撮影してありませんので、急行の実態は分からず仕舞いです。
モハ3500形・モハ3550形に関して、ウィキペディアの一文を添付させて貰います。
『1961年(昭和36年)7月にモハ3501が、翌1962年(昭和37年)6月にモハ3551が新製され、2両とも浅野川線に投入された。本グループはモハ3010形の設計をほぼ踏襲しているが、新製時より前後正面とも貫通構造とされた点が異なっている。2両ともほぼ同一の仕様とされた本グループであるが、運転席窓のワイパーの位置や屋根上ベンチレーターの配置など細部に相違点が見られる。また、モハ3501には車内放送装置が設置され、これは浅野川線所属車両では初採用の装備であった。モハ3501は1964年(昭和39年)にモハ3300形と同時に加南線に転属し、同線の全廃まで使用された後、1971年(昭和46年)に浅野川線に復帰している。モハ3551は終始浅野川線から転属することなく使用され、モハ3730形とともに線区間での転属の多い北鉄では異例の存在であった。』
ピノチオ製、京福電鉄デオ300形真鍮キットを購入しました。モダンなスタイルながらポール集電だったところが魅力でした。友人と一緒に北陸鉄道浅野川線を撮影したこともあります。「撮影したのは、モハ3501だったのかも?」。浅野川線を走る車両を眺めたことで、HO京福電鉄デオ300形途色は北陸鉄道カラーで仕上げてしまいました。その後、北鉄カラーの京福電鉄デオ300形モデルは、ピノチオ店内のショーケースに鎮座することに…。手元に戻ることはありませんでした。「あのデオ、どうしたのかなー?」。足繁く通って、徐々に足が遠退いたピノチオ模型でしたが、結局は閉店。無くなってしまうと懐かしいものです。
写真1枚目、クハ1602+モハ3501急行山中行遠視。モハ1811が河南駅に進入するため信号機手前で停車中と思います。ポイントが開いておりません。白黒No.417−19(36)・以下全て、昭和46〔1971〕年5月1日撮影・9:19撮影。
写真2枚目、クハ1602+モハ3501急行山中行が河南駅へ進入。白黒No.416−15(35)・9:19撮影。
写真3枚目、2枚目写真の後追いカット。モハ3501のスタイル、京福デオ300形に似ていませんか?。白黒No.416−16(34)・9:19撮影。
写真4枚目、河南駅での3列車横並び。クハ1602+モハ3501急行・モハ1811・モハ6011+クハ6061アルミカー「しらさぎ」。白黒No.416−17(33)・9:19撮影。
|
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | |||||
| 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
| 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
| 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
| 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
[PR]お得情報