連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

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 豊橋鉄道市内線モ3803に乗車して競輪場前−駅前間を1往復乗車した時の続きです。最初のブログで競輪場前→東八町間を紹介。2度目は西八町交差点→駅前間を紹介しました。3度目の今回は、駅前から再びモ3803に乗車して競輪場前まで戻ります。モ3803の後を走っていたであろうモ3804は撮影してありませんでした。結果、駅前から競輪場前までの間、すれ違った車両を撮影したのは3カットのみ。競輪場前−駅前間を1往復してモ3102〔赤岩口系統〕を撮影したのは1度だけでした。当時、赤岩口−駅前間を走行する電車の本数は、実に少なかったということのようです。
 
 
 
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 写真1枚目、モ3803運転台より撮影。国道1号線の体育館前〔現:豊橋公園前〕でモ3302駅前行とすれ違い。交差点南東角に存在した“富士火災海上ビル”。「こんなに小さかった?」。センターポール化される前の景観も懐かしいです。白黒No.4462115)・以下全て、昭和461971〕年730日撮影。
 
 
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 写真2枚目、前畑−東田坂上間、モ3803運転台より撮影。坂を下るモ3601駅前行とすれ違い。車両後部に立つ車掌さんの姿がシルエットで確認出来ます。白黒No.4462214)。
 
 
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 写真3枚目、競輪場前到着間近のモ3803運転台より撮影。競輪場前を発車したモ3301駅前行。車掌さんは中間扉横に立っています。駅前へ向かう時、モ3102はモ3601の後、モ3301の前を走っておりました。この時点でモ3102は、まだ赤岩口電停?。競輪場前−駅前間を走行していたのは、モ3803・モ3804・モ3302・モ3601・モ33015両。それに対して、赤岩口−駅前間を走行していたのは、モ31021両のみであったようです。白黒No.4462313)。
 
 
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 写真4枚目、競輪場前電停で下車して撮影した乗車モ3803とモ3804。競輪場前電停に数両の電車が停車していた光景も今となっては懐かしいです。白黒No.4462511)。
 
 
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 写真5枚目、同じく、競輪場前電停のモ3804とモ3803。電停横に食堂がありましたか。利用したことがありませんので覚えておりません。モ3804の腰板広告、左右でスポンサーが異なっていたとは…。白黒No.4462610)。
 久々に衣装缶を開け、昭和451970〕年に広島で撮影したカラースライドを引っ張り出しました。カラーフィルムを眺め凹みました。カビが酷いです。カビの発生場所はコマ毎にマチマチです。フィルム端にカビが発生しているケースが多いのですが、フィルム全面などといったコマも数カット存在します。まずは堀内カラーのフィルムクリーナーでカビの除去。乾燥させてから空拭き。そして、やっとスキャン。午後の時間を使っても5カット程処理出来るだけです。
 
 忘れ掛けていた久々のカビ落としで失敗したカラースライドを紹介します。自ら決起して初めて訪ねた広島電鉄を撮影した写真です。最初の1枚は、広島駅前で撮影した宮島直通の連接車でした。レンズクリーナーを併用してしまったことで、より酷く変色させてしまいました。カビ発生場所はフィルム下部の中央と左側。車両本体箇所にカビはありませんでした。レタッチ作業で近い色をコピーして変色した箇所を修正する作業の繰り返し。結果的には、ポイント周辺の石畳形状を変えてしまったものと思います。
 
 
 
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 写真1枚目、鉄道線に乗入れ宮島まで直通するピンクの連接車は、お洒落な電車と思ったものです。異色であったのが、写真の2511+2512連接車でした。25112514は、元大阪市電1601形を改造した車両とあります。このタイプの連接車は2編成存在したようです。何としても眺められるようレタッチ作業で悪戦苦闘したカットです。No.17623・以下全て、昭和451970〕年321日撮影。1345撮影。
 
 
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 写真2枚目、1枚目写真はアサヒペンタクスSP(スーパータクマー50mmF1.4装着)にフジカラーR100を充填して撮影したカット。ペンタクスSPの上に載せていたのがコニカC35(ヘキサノン38mmF1.8)。50mm標準レンズを覗いて白黒写真も同時撮影。結果、ペンタクスSP撮影画像に比べてコニカC35では広い範囲が写し込まれてしまいます。コニカC35の使用は半年程で断念してキャノネットQL17に載せ換えましたが結果は同じでした。1眼レフ2段重ねが完成するまでには2年近くを要しております。白黒No.1333736)・1345撮影。
 
 
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 写真3枚目、1枚目写真に近付けるよう2枚目写真をトリミング。
 
 
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 写真4枚目、広島駅前で撮影した2枚目写真は、広島駅前を発車した2系統754号己斐行後追いカット。同時撮影に失敗したようで、白黒写真だけが残っております。この車両も元大阪市電1601形とあります。この手の2車両を連結改造したのが、1枚目写真のピンクの電車ということなのでしょう。白黒No.13411)・1346撮影。
 
ウィキペディアの記述を添付しておきます。
元大阪市電1601形⇒1928年から1929年にかけて製造された。ウィンドウシル、ヘッダー、1段下降窓を持つ古めかしい形態が特徴である。広電には14両譲渡され、そのうちの10両が751760となった。老朽化や、700形に機器を提供するために廃車となるなどした結果、本グループは現存しないが、花電車用に改造された1両が貨50形になって残っている。また、広電に譲渡された元1601形の残り4両は250025112514号に改装された。
 
 
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 写真5枚目、広島駅前を発車した2系統754号己斐行後追いカット。信号待ちで停車している車両を追い掛けたようです。こちらも同時撮影に失敗。カラーフィルムだけが残るカットです。No.176241346撮影。
 ブログタイトル、「北陸鉄道加南線、河南にて」として、前回2カットの白黒画像を紹介しました。その後、白黒フィルムを物色しておりましたところ、望遠レンズで同じ場所から撮影したカットもありましたので、今回は望遠レンズで撮影した白黒画像2カットを追加しておきます。4カット纏めて並べておけば分かり易かったと思います。投稿済ブログを修正して画像を追加する手法を用いると、目に触れるチャンスも少ないでしょうから、新規追加という形にさせて貰います。
 
 山代線を走った電車が、どのように河南駅へ進入するものかは前回の画像では、はっきりしません。今回の写真ならば分かり易いと思います。
 
 
 
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 写真1枚目、少々長い鉄橋を渡り、短い鉄橋も過ぎて築堤を下るモハ1811河南行。踏切を通過してカーブに差し掛かった辺りで撮影したものが前回紹介したカットです。白黒No.4171738)・昭和461971〕年51日(917)撮影。
 
 
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 写真2枚目、1枚目写真の後追いカット。山中線の線路を横切り河南駅ホーム中央に進入するモハ1811。白黒No.4171837)・昭和461971〕年51日(917)撮影。
 カラースライドを詰め込んだ衣装缶を久々に開け、46年前に撮影したカラースライド2本を引っ張り出しました。退色しているのは当然で、どのコマにもカビが発生しております。乳剤面に発生したカビですから始末悪いこと。堀内カラーのフィルムクリーナーで乳剤面を何度も擦るのですが、しつこいカビは中々落とせません。結果、変色させてしまうことに…。
 
 カビが少なかった画像の中から国鉄飯田線を撮影した2カットを紹介します。雑多な旧型国電が活躍していた時代です。改めて見返したものの、何処で撮影したものかが分かりません。昔は線路脇に立てば、何処ででも撮影可能であったと思います。現在は家屋が建て込んでしまったこともあり撮影場所を探すのに苦労します。「昔は良かった。車両も楽しかった」。
 
 
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 写真1枚目、国鉄飯田線牛久保−豊川間にて撮影。豊橋行4640M。豊橋側先頭車両は画像を眺めた時、クモハ43と思いましたが、記録したノートにはクモハ53001と表記してありました。「クモハ53など存在した?」。線路脇に立ち、通過する列車を何も考えずに撮影しただけで、元々車両形式には疎かったです。No.18821・昭和451970〕年528日(946)撮影。
 
ウィキペディアの記述を拝借します。
 
 国鉄モハ53形電車は、かつて日本国有鉄道(国鉄)が保有した直流用旧形電車である。1953年(昭和28年)61日に施行された車両形式称号規定改正に伴って、モハ43形の電動機(MT15/定格出力100kw)をMT30またはMT40(低格出力128kw)に交換した出力増強車(9両)を区別して新形式を付与したものである。
 元となったモハ43形には、一般の42系に属し東京地区(横須賀線)で出力増強改造を受けたもの(モハ43800番台〔初代〕)と、大阪地区で改造を受けた52系に属する急行用電車(第3次急電)の2種がある。詳細については、下記のリンク先を参照されたい。
 
      5300053006:国鉄42系電車3#電動機出力の増強・国鉄42系電車#モハ43形(800番台)をモハ53形に変更
      5300753008:国鉄52系電車 
 
 1959年(昭和34年)61日の車両形式称号規定改正では、運転台付きの制御電動車であることから、クモハ53形に改称された。また、1963年(昭和38年)には、横須賀線で使用されていた5両の車体中央部に扉を増設して、クモハ50形となっている。晩年には、鶴見事故で大破し、廃車となった1両を除く8両が飯田線に転属し、一部は1983年(昭和58年)まで使用された。
 
 
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 写真2枚目、1枚目写真の4連電車後部車両です。チョコレート色のクハ68100。クハ55改造車(半流形)だそうです。No.18822・昭和451970〕年528日(946)撮影。
 京都市電伏見線、神戸市電が廃線になってしまうこともあり、昭和451970〕年3月は、山陽路の撮影を目指しておりました。国鉄呉線の蒸機列車も撮影目的の1つでした。道中途中で立ち寄ったのが岡山電気軌道の路面電車です。
 
 岡山には下宿している同級生がいたため、彼の下宿へ泊めて貰うのが目的で岡山へ降り立っています。岡山城をバックに彼と記念撮影したカットも残っております。しかし、彼の下宿先が何処に存在したかまでは覚えておりません。岡山電軌を最初に写したカットは上之町電停に立って撮影しておりましたので、泊めて貰った下宿は上之町電停から程近い場所であったと思います。
 
 昭和411966〕年10月まで、岡山電軌は単車ばかりで運転されていたそうです。その後、廃線となった元秋田市電・元呉市電・元東武鉄道日光軌道線のボギー車が増備されることになります。初めて岡山電軌を撮影した時、運行車両の主体は既にボギー車の時代へと移っておりました。それでもラッシュ時には単車が出庫して何とか単車の活躍も撮影が叶いました。車掌さん乗務車両とワンマンカーが混在する時代で、しかも数少なくなった単車も在籍した時代を撮影出来たことは、今になって思えばラッキーでした。同級生の存在あればこそです。今回はピクトリアル誌223号参照させて貰います。
 
 
 
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 写真1枚目、上之町〔現:城下〕電停安全地帯より撮影。2両在籍した25002501号。元呉市電700形。2501は大阪車両工業でワンマン化改造された車両で窓枠もアルミサッシに変更され新車同様の雰囲気を保持していた車両のようです。ワンマンカーには窓下に15cm幅の紺色帯が巻かれておりました。車掌さん乗務で走っていた2502〔後日〕とは見栄えが異なります。白黒No.1193133)・以下全て、昭和451970〕年317日撮影。1231撮影。
 
 
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 写真2枚目、上之町電停より撮影。1両のみの26002601号。元呉市電701の台車に608の車体を載せたもの。白黒No.1193234)・1234撮影。
 
 
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 写真3枚目、上之町電停より撮影。元東武鉄道日光軌道線100形を譲り受けた30003002号〔旧105号〕。日光軌道線時代の100形は10両が在籍。10両全てが岡山電軌へ譲渡されております。中学校修学旅行の時、観光バスの窓から半身乗り出して撮影した東武日光軌道線の車両1カットは、103号と109号の列車交換シーンでした。第3次導入車であった101103109300830093010となったようです。白黒No.1193335)・1234撮影。
 
 
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 写真4枚目、上之町電停より撮影。元東武鉄道日光軌道線の30003004号〔旧107号〕。白黒No.1193536B)・1235撮影。

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