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関門海峡を隔てた下関、門司。かつては、双方の街にも路面電車が健在でした。
下関の街に敷設された山陽電気軌道は、一時17.7kmの路線を保有していました。昭和44〔1969〕年10月30日、下関駅前〜彦島口間1.4kmと、唐戸〜長府駅間9.6kmが廃線。残っていた下関駅〜唐戸〜東下関〜幡生間6.7kmも、昭和46〔1971〕年2月7日に廃線となり、全線廃止となっています。
山陽電軌を訪れたのは、昭和45〔1970〕年8月12日のことです。既に、一部区間の廃線後の時期になります。九州周遊券を購入して、第1日目は京阪京津線を撮影。夜行列車を乗り継いで、第2日目が山陽電軌でした。幡生駅ホームに降り立つと、蒸気機関車の姿も見受けられました。15日分の撮影フィルム・着替え・寝袋?等を詰め込んだ、肩幅倍程の大きなリュックサックとカメラバックを担いでいました。駅構内地下道の階段を上がった辺りで、けつまづいて前へバタリと転倒。リュックで頭を抑え付けられる結果となりました。一瞬、何が起こったものか判断付かないまま、手足をバタバタさせていたものと思います。駅員さんが飛んで来て、「大丈夫ですか?」 バツの悪い思い出が残る国鉄幡生駅のホームです。
必要な物以外は、コインロッカーへ預け入れ、幡生駅から山陽電軌沿線を歩きます。専用軌道であった、大坪八幡〜こんぴら間の大坪八幡側を歩いている時のことです。アサヒペンタックスは三脚にセット。更に、アサヒペンタックスのシャッターボタンには、レリーズを取り付けてありました。三脚・カメラを肩にして前進していると、線路脇の松の枝にレリーズが引っ掛かってしまったようで、そのまま、三脚を引いてしまったため、ペンタックスのシャッターボタンが、レリーズと一緒にポロリ。「参ったなー。九州を目前にしてカメラ使用不能?」 車庫が存在した東下関駅を過ぎると、併用軌道区間に変わります。軌道沿いの金物屋さんで、ヤットコ・針金・2液式エポキシ接着剤を購入。夏の日差しを避けるため、歩道橋下でシャッターボタンの修理にトライ。この時、ペンタックス上段の白黒用カメラは、キャノネットQL17が務めていました。外れてしまったシャッターボタンをセットしない限り、連写2眼が成り立ちませんので、悪戦苦闘を繰り返す結果となりました。以降、九州内での撮影も目的達成していますので、応急処置ながら、ペンタックスのシャッターボタンは、接着剤と針金で持ち応えたことになります。タイムロスの2時間程が痛かったです。
写真1枚目、幡生機関区ヤード越しに撮影した山陽電軌。写真後方、804号が国鉄線をオーバークロスして行きます。国鉄ヤード内には、EF65 38他にも、EF30型の姿も確認出来ます。写真右端に保存された橋梁も見えます。こんぴら〜大坪八幡間にて。No.201−34・昭和45〔1970〕年8月12日(10:32)撮影。
写真2枚目、橋梁を渡る804号。大坪八幡〜こんぴら間にて。電車が走行している橋梁は、外国製であったと思います。廃線後も、長きに渡り架設されたままの状態で残され、比較的近年、撤去保存されたという記事を鉄道趣味誌で眺めています。写真のワンマン電車は、土佐電気鉄道へ譲り渡されています。No.201−35・昭和45〔1970〕年8月12日(10:42)撮影。
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