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東京都大田区蒲田。ここで生活していても、出向くのに二の足を踏むのが銚子電鉄でした。早朝5時前起床。朝の6時代に東京駅地下ホームを発車する特急「しおさい」に乗車しても、銚子到着は午前9時頃となってしまいます。
3畳1間で下宿生活の頃、隣りの部屋には、同じ学校へ通う先輩が間借りしていました。ある時、「ドライブに出掛けるから、一緒に行かないか」と誘われ、車に便乗することにしました。銚子へ向ったのは、私の希望であったものと思います。夜中に便乗した車、先輩の友人も同伴。観光を兼ねてのドライブと思っていたところ、一般道・農道を100km/h走行。そこで2人が走りのマニアであることに気付きました。乗車中は生きた心地がしませんでした。未明の銚子に降ろされた時、「ほっ」としたものです。
朝の6時頃から、銚子電鉄を撮影したのは、この時が最初で最後です。電機を含めて集電装置はビューゲル使用で、電機は黒、電車は旧京成塗色の時代でした。
写真1枚目、外川を発車して犬吠駅到着間近、デハ301〔元鶴見臨港鉄道〕後追いカット。車掌氏、運転台の窓を開いて喫煙乗務中。電車の車内で一服。タバコの吸殻は床に落として履物の裏で消す。電車内床には吸殻が散らばっている。そんな時代でした。犬吠駅の表記が無ければ、農業倉庫と間違えてしまいそうな駅舎です。No.245−5・昭和45〔1970〕年11月22日(11:09)撮影。
写真2枚目、外川駅に留置されていたハフ2。写真の後はハフ1。小さな2軸の客車です。No.245−3・昭和45〔1970〕年11月22日(10:45)撮影。
写真3枚目、線路内に放置されたトタンの波板。トタン板の上を何度も電車が走行した痕跡が残っています。運転に支障が無いため、のんびり走行する電車を停車させ、排除することもなかったようです。笠上黒生〔かさがみくろはえ〕〜本銚子間にて。写真後方に本銚子駅ホームが見えます。白黒No.274−29・昭和45〔1970〕年11月22日(7:40)撮影。
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