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ある方のブログ写真を拝見していましたところ、北恵那鉄道廃線跡の写真に懐かしい1カットを見付けました。鉄道健在当時、誰も撮影していないであろうと思われる地点です。白黒写真ですが掲載してみようと思います。
ついでに、北恵那鉄道の起点駅であった中津町の写真も添付しておきます。撮影カットを撮影順に、じっくり調べれば、当時の撮影状況も判断可能と思いますが、断片的に取り込んだ写真のため、写真の説明は推測としておきます。
写真1枚目、貨車入換作業中のデキ251凸型電機。国鉄中津川駅を背にして撮影した北恵那鉄道中津町駅構内。写真右手が中津町駅舎兼プラットホーム。ホーム末端にモ563が停車中。写真奥、車庫付近に有蓋車2両を連結したデ2が留置されています。隣の線路をデキ251凸型電機から突き放されたのであろう無蓋車が走行中。中津町駅到着直後に撮影したカットです。カラーのカットが残るのみ。デキ251凸型電機は、丸山ダム建設工事線用として用意された日立製機関車。ダム完成後は、名鉄瀬戸線で活躍。昭和44〔1969〕年に北恵那鉄道に譲渡されています。北恵那鉄道では、中津町駅構内で眺めたのみでした。趣味誌で発表された写真でも、本線で貨車を牽引する光景を眺めた記憶は有りません。No.327−33・昭和46〔1971〕年8月17日(10:40)撮影。
写真2枚目、有蓋車2両を推進運転で国鉄中津川駅構内へ運ぶデ2。中津町から国鉄中津川駅構内までの連絡線、手動遮断機が開いていますし、運転士さんは、後部運転台から顔を出して貨車方向を眺めているようです。それで推進運転と判断しました。写真中央の架線柱右手にDD51の姿が、僅かながら確認出来ます。白黒No.462−7・昭和46〔1971〕年8月17日(10:45)撮影。
写真3枚目、貨車を国鉄ヤードまで運んだ後、中津町へ戻って来たデ2。モ563は乗客を乗せるためにプラットホーム所定位置へ移動したようです。写真奥、車庫付近に留置されているのはデ8〔元鶴見臨港鉄道車〕。白黒No.460−7・昭和46〔1971〕年8月17日(10:50)撮影。
写真4枚目、北恵那鉄道、山之田川〜恵那峡口間にて。薬剤散布の保線用トロッコであったと思います。写真左手に橋台が確認出来ます。レールを隔てた反対側には、橋脚遺構の様な物も確認出来ます。昔は、橋が渡されていたものと思います。廃線跡のブログ写真を拝見した感じは、鉄道施設を撤去して、線路跡が生活道路に変わっている印象でした。写真の橋台は、現在も当時のまま残っているようです。白黒No.461−24・昭和46〔1971〕年8月17日(13:56)撮影。
4枚目写真の現状が、MiG−29さんのブログで紹介されています。撮影方向は逆ですが、見比べてみて下さい。
記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/hmnftn/19452809.html
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