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昭和62〔1987〕年3月31日の運転を最後に筑波鉄道は廃線。この日は、国鉄分割民営化により、日本国有鉄道として国鉄車両が走行する最後の日でもありました。
筑波鉄道は、常磐線の土浦駅と水戸線の岩瀬駅間を40.1kmで結んだ非電化私鉄線です。ローカル私鉄でキロ程40.1kmは長い部類の路線です。距離の長さから廃止になることの無い路線と思っていただけに、筑波鉄道の廃線はショックでした。
写真掲載に当たって、当時の事を思い起こしてみるのですが、どの様に行動したものかが思い出せません。撮影メモ帳に細かな記録を残していませんでした。筑波山をバックに、まだ1歳にならない息子を抱いているカミサンの姿を撮影してあります。息子を抱いて鉄道を利用?。車でも借用した?。それまで、筑波鉄道を撮影したのは、筑波駅までで、筑波駅以北は未知の区間でした。
3月1日、土浦から坂田まで乗車。区間距離は5.8kmで、運賃は210円。坂田〜常陸藤沢間1.8kmを歩いて撮影。常陸藤沢〜岩瀬間32.5kmを乗車。運賃は1030円。この時、初めて岩瀬駅を撮影しています。その後、岩瀬〜真壁間9.9kmを歩いて撮影。撮影を終えると、真壁から土浦間30.2kmを乗車。運賃は990円。これで大田区糀谷へ戻りました。
3月21日、土浦から真壁まで乗車。区間距離は30.2kmで、運賃は990円。真壁〜筑波間10.0kmを歩いて撮影。撮影後は、筑波から品川までの乗車券を購入。通し運賃は1940円で、JNR区間運賃は1220円であったようです。品川〜糀谷間、京浜急行の運賃は記載してありませんでした。
3月28日、息子まで抱えて、筑波鉄道の見納めに向っています。常陸小田駅周辺を撮影。「ホームの桜、満開になる前に、筑波鉄道は消滅する」などと思いつつ撮影した記憶が甦りました。この後、筑波山のケーブルカーにも乗車していました。
筑波鉄道の廃線に当たって、何とか未撮影区間の記録を目指していたようです。当時0歳の息子が、現在23歳ですから、それ程の年月が経過したことになります。
写真1枚目、アサヒペッタックス6×7で撮影したスライドです。デジタル化の感覚がまだつかめていません。走行するのは、キハ500形(キハ503)。日本車輌製造東京支店で、昭和34〔1959〕年に新製された片側片開き2ドア、両運転台の18m級気動車でセミクロスシート車両。それまで眺めたローカル非電化私鉄は、旧国鉄お古車両が走行する路線が多かったです。その分、キハ503は当時、モダンな印象のディーゼルカーでした。筑波鉄道は廃線にならないと思い込んでいたのは、この気動車の影響があるのかも…。紫尾〔しおい〕〜常陸桃山間にて。No.1290−4・昭和62〔1987〕年3月21日(10:37)撮影。
写真2枚目、キハ761〔元雄別鉄道〕+キハ821〔元国鉄キハ10形〕の2連。紫尾〔しおい〕〜酒寄間にて。筑波鉄道の沿線風景は実に単調で、何処で撮影しても変わり映えしない写真になってしまいました。筑波山が近いか遠い以外、ひたすら畑地の中にレールが続いた路線で、トンネル無し、勾配無し、長い橋梁も見なかったと思います。1枚目写真で3本の木が写っていますが、写真に変化を付けるには、この様な物しかありませんでした。背中を丸くして、一生懸命麦踏するお婆ちゃんの姿に感動したものです。No.1290−9・昭和62〔1987〕年3月21日(11:27)撮影。
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