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昭和55〔1980〕年10月12日、熊本電気鉄道の北熊本車庫で撮影したモハ71白黒写真を並べてみます。改めてネガを眺めたところ、様々な方向から撮影した上、台車・床下機器等も撮影してありました。模型化したいとの思いで撮影したものと思います。当時、既に営業運転から退いていたのでは…?。藤崎宮前〜菊池間23.23kmの路線が健在であった時代です。昭和61〔1986〕年2月15日を限りに、御代志〜菊池間が廃線。現在は、藤崎宮前〜御代志間9.68kmと、上熊本〜北熊本間3.46kmの路線で運転されています。
初めて熊本電鉄を訪ねたのは、昭和45〔1970〕年8月16〜17日でした。この時は、上熊本〜北熊本間をモハ71が行き来していました。モハ72とモハ73は車庫留め置き状態です。モハ73は、既にパンタグラフが外され、他2両の車両に挟まれる形で留置されていました。
モハ71形71〜73号、最大長さは11,849mで、ボギー路面電車程度の全長です。一時、国鉄電車の履歴が残っています。広浜鉄道の前身、広島電気時代に誕生した電車のようです。大日本軌道株式会社が、横川〜可部間を762mmの蒸機軌道として開業させたのが、広浜鉄道の原点。その後、可部軌道、広島電気と社名が変わり、昭和3〔1928〕年、広島電気時代に1067mmゲージに改軌され電気鉄道に生まれ変わっています。昭和6年〔1931〕年7月1日、広浜鉄道へ譲渡。昭和11〔1936〕年9月1日、買収され、広浜鉄道は国鉄可部線へ。昭和18年頃、多くの私鉄電気鉄道が戦時体制下の国策により強制買収されたのとは、少々、買収理由は異なっているようです。
広浜鉄道デハ8→国鉄〔可部線〕モハ90005〔モハ90形90005号〕→熊本電気鉄道モハ71。国電モハ90005と聞いても、およそ、ピンとこないスタイルです。私鉄買収国電 佐竹保雄/佐竹 晁著に掲載された可部線横川駅でのモハ90005写真と見比べても、スタイルに大きな変化は見当りません。屋上のランボードとガラベンが無くなっている程度です。
ウィキペディアでは、『モハ71は車籍はないが北熊本工場の入換用として使用されている。「被爆電車」と呼ばれることが多いが、71は広島市への原子爆弾投下の時点では下関市にある幡生工場に入場しており、実際には被爆していない(被爆したのは現存しない72である)。なお、足回りだけでなく外観にもきちんと修繕の手が加えられており、今後もできる限り使用されるものと思われる。』と表記されています。
写真1枚目、上熊本寄り運転台側を撮影。白黒No.1792−(23)・
写真2枚目、北熊本寄り運転台側を撮影。白黒No.1792−(29)・
写真3枚目、北熊本寄り運転台側を撮影。写真後方は、元南武鉄道〔→現在のJR南武線〕のモハ122。こちらも元買収国電ですが、現存はしません。写真を眺めて、今頃気付いたことがあります。木製架線柱に渡されたビーム、ホームセンターで販売しているような角材でした。架線柱は木製でも、ビームはSS製形鋼〔アングル〕を使用することが多いと思います。木製ビームの私鉄が他に存在したものか?。以降、気にしておきます。白黒No.1792−(30)・
写真4枚目、北熊本寄りモハ71正面。写真左手が北熊本駅舎。白黒No.1792−(34)・
写真5枚目、モハ71サイドビュー。写真左手が上熊本方向です。塗色は腰回りが赤色〔エンジ〕で金太郎腹掛け塗装。窓周りは白に近いクリーム色です。3枚目写真にチラリと見えるモハ122の腰回りは、濃いピンク色です。白黒No.1792−(2)・
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