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岡山電軌番町線は撮影したかった路線です。昭和43〔1968〕年5月31日の運転を最後に廃線となっています。豊橋鉄道田口線の運転最終日が、昭和43〔1968〕年8月31日でしたから、ほぼ同年代に消えてしまった路線です。気持ちは田口線の方角を目指していましたし、浪人の身では岡山まで出向く余裕もありませんでした。
番町線を撮影したい理由は、至って単純です。豊橋鉄道市内線の柳生橋支線に似ていたからです。路線キロ程は0.9kmと全く同じ。途中にすれ違い施設のある単線運転も同じです。このミニ支線のために、3両の単車ワンマンカーが用意された点も同じでした。日本の路面電車の原点は2軸単車。日本各地に路面電車が誕生した時代には、多くの2軸単車が各地で活躍しています。でも、ワンマンカーに改造された2軸単車が活躍したのは、豊橋鉄道柳生橋支線用3両と岡山電軌番町線用の3両のみのはずです。
鉄道ピクトリアル 1962年8月号・臨時増刊 通巻135号〔私鉄車両めぐり 第3分冊〕の岡山電気軌道の記事を眺めてみます。文責は江本広一氏です。当時、100形単車は、101〜112の12両が在籍。この中の101〜103の3両が、比較的閑散な番町線に使用するためワンマンカーに改造されたと表記されています。ドアエンジン付引き戸。腰掛けて運転する。窓下に15cmの赤帯を入れ、白字で“ワンマンカー”“ONE MAN CAR”と表記。紹介されている岡山電軌在籍車両全てが2軸単車の写真ばかりです。東武鉄道日光軌道線のボギー車を譲り受けるのは、この後の話になります。番町線の運転状況は、廃線当時の趣味誌を調べないと分かりませんので、それは後日追記としておきます。
写真1枚目、初めて岡山電軌を訪ねた時、東山車庫内を撮影させて貰いました。100形102号。2軸単車のワンマンカーです。番町線で活躍した単車は健在でした。豊橋鉄道モ504〜506に比較しますと、より手が加えられている印象を受けます。運転台前面下部を確認するためのミラーも備えられています。方向幕が「東山|岡山駅」を表示していますので、本線でも活躍したものと思われます。この日、単車の走行シーンも撮影してありますが、単車ワンマンカーが走行する姿を眺めることはありませんでした。白黒No.122−5(4)・昭和45〔1970〕年3月17日(15:27)撮影。
写真2枚目、1枚目写真の100形102号を横気味に撮影。白黒No.122−19(18)・昭和45〔1970〕年3月17日(16:07)撮影。
写真3枚目、他の単車の間に収まっていた100形101号単車ワンマンカー。103号は撮影してありませんでした。既にボギー車が活躍していた時代ですから、廃車になってしまった?。白黒No.122−21(20)・昭和45〔1970〕年3月17日(16:10)撮影。
写真4枚目、意外にも番町線を撮影したカラースライドが1カットだけありました。高校の修学旅行の際、ハーフ判カメラで撮影した写真です。山口県の秋吉台・秋芳洞を見学した後、観光バスで岡山へ移動。観光バスを降りて後楽園へ向う時、偶然撮影出来た写真と思っています。撮影したことすら覚えていませんので、スライドを眺め感動したものです。フィルムスキャナー購入直後に取り込んだ失敗写真です。当時は、この1枚をA4サイズでプリントアウトするのに、3時間程を要しました。番町線後楽園前を発車して番町へ向う100形101号単車ワンマンカー後追いカット。写真奥に少々進んで左折した場所が終点の番町。No.19−13・昭和41〔1966〕年11月10日撮影。
平成22〔2010〕年10月25日、追記:岡山電軌4枚目写真の現在風景を、ジャンボフェニックスさんが撮影してくれました。リンクさせて頂きましたので、下記アドレスを開いて見比べて下さい。
記事のURL:http://blogs.yahoo.co.jp/ena197119711971/17556966.html
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