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東京急行電鉄玉川線の二子玉川園から分岐していたのが砧線でした。砧線は、二子玉川園−砧本村間2.2km。専用軌道全線単線の長閑な路線でした。昭和44〔1969〕年5月10日の運転を最後に、玉川線と同じ日に廃線と化しています。急ぎ足で沿線を1往復歩いたのみですから、撮影したカットもあまり残っていません。時々、廃線跡の映像がテレビ番組で紹介されますが、浦島太郎気分で眺める結果となってしまいます。「ここが、砧線の存在した場所?」。今では、すっかり都会の道路となってしまったようです。
二子玉川園〜中耕地間0.5km。中耕地〜吉沢間0.6km。吉沢〜砧本村間1.1km。廃線間近の頃には、途中駅が2駅のみ。中間の吉沢駅が撮影してありませんので、列車交換が可能であったものかは判断出来ません。駅だけでも撮影しておけば良かったと後悔しています。発表された玉川線の写真は、折に触れ眺めることもありますが、砧線の写真は紹介されることが少ないです。
写真1枚目、きついカーブを曲るデハ60形63号の砧本村行。当時の地図を眺める、このカーブを過ぎると、間も無く吉沢電停です。吉沢電停を発車すると鉄橋で川を越えていました。かつて購入した趣味誌の廃線跡写真には、この鉄橋が紹介されたと記憶しています。鉄橋だけでも撮影しておけば良かったと思ったものでした。撮影場所としては、吉沢〜中耕地間になります。No.77−3・昭和44〔1969〕年4月28日(16:24)撮影。
写真2枚目、終点の砧本村〔きぬたほんむらと読んだと思います〕のデハ60形63号。1枚目写真の次に撮影したカットです。「1枚目写真を撮影後、終点まで歩いて撮影?。となれば、砧線の運転間隔は30分に1本?」。砧線で撮影した車両は63号のみでした。村を使用した電停名は思い当たりません。現在は、東京都世田谷区鎌田2丁目に砧本村の地名も残っているようです。写真右手に少々趣きの異なる建物が確認出来ます。東京都水道局砧下浄水場の建物と思われます。No.77−4・昭和44〔1969〕年4月28日(16:48)撮影。
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