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昨年12月23日の事務所忘年会、結果はシンドイです。自宅へ戻ったのは12月25日で、足腰ガタガタでした。何はさて置き、年賀状を仕上げなけれはなりません。年賀状を投函すると、東京へ出向いて撮影したデジカメ写真の後始末です。650カット程撮影してありました。これらの写真処理がまだ終りません。
使用しているデジカメは、5万円で購入した中古ニコンD100です。使用してそろそろ4年になると思います。デジカメなど使用する気持は無かったのですが、購入したものの使用することのなかったAF NIKKOR 35−135mm F3.5−4.5をニコンD100に装着して息子に手渡すつもりでした。少々撮影してみると、これは中々便利で、私が使用する結果となってしまいました。
昨年の11月12日、息子がやって来た際、日の出カメラにニコンD200が売りに出ている事を話したところ、気持が動いたようなので、二人で物を見に出ました。55−200mm?のレンズを付けて6万円だそうです。即決で購入。代金は立替払いとしました。4GBのメモリーカードはサービスしてくれました。悦に浸って富山へ戻った息子から暫らくして、「メモリーカードカバーを開閉するレバーを折ってしまい、メモリーカードが取り出せない。それ程撮影する訳ではないから、取り合えずは大丈夫」と連絡がありました。「もう壊してしまった」。
東京で撮影している時には支障がなかったニコンD100。豊橋へ戻った途端、液晶パネルが表示されなくなってしまいました。修理可能か否かを確認して貰っている状態です。
元日には、またまた突然、息子がやって来ました。ニコンD200を確認したところ、メモリーカードカバーを開け閉めするプラスティック部品が、車の振動で折れてしまったようです。1月3日、知人宅を訪ねニコンD200を見せて貰いました。プラスティックのレバーを回転させると、ロッドが動いてカバーのフックが外れる機構のようです。「これらのデジカメのカバーは手動で開閉可能なのに、ニコンD200の、このメカは余計なお世話だよね」と知人に話して戻って来ました。
ニコンD100とニコンD200を交互に修理に出すつもりです。へたすると4万円の出費を覚悟しなければなりません。この間の繋ぎ役として、中古ニコンD80を3万円で購入。少々撮影して結果を確認。ニコンD80のソフトをMeパソコンは受け付けてくれません。やむを得ず、XPパソコンにインストール。ニコンD80のソフトは実に使い勝手が悪いです。フォルダの名称を変更した途端、ソフトに表示されていた画像全てが消えてしまいました。古いニコンD100のソフトの方がはるかに使い易いです。同一メーカーソフトながら、2つのソフトは全くの別物でした。ニコンD80で撮影したデータをニコンD100のソフトは読み取ってくれません。結論として、この先、10年経過すれば、記録されたデジカメデータが開けるものかは疑問です。
Hi8のテープで撮影したビデオ映像、DVテープで撮影したビデオ映像、こちらもビデオカメラが故障すれば再生する術はありません。フィルムカメラの良さを再確認しました。
写真1枚目、京浜東北線が発着する合間に御徒町駅ホームから撮影した都電3176号。写真奥、バスが横切っているのは広小路電停が存在した場所。都電が平面交差する交差点です。写真左手が秋葉原。右手は上野です。カラー撮影はしてありませんでした。白黒写真ながら、撮影当時は夢がありました。白黒No.172−34(36)・昭和45〔1970〕年7月5日(9:37)撮影。
写真2枚目、1枚目写真撮影から40年が経過。写真奥、湯島天神付近の高層住宅は、当時のままのようです。松坂屋デパートは外装が様変わりしています。“ミツボシ”と表記された商店は、スリムなビルに建て替えられ“MITSUBOSHI”看板を掲げているようです。高層ビルが増えたことで、街が窮屈な印象を受けます。デジカメで撮影しましたが、何の感動もありません。DNo.456−74・平成22〔2010〕年12月23日(14:41)撮影。
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