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昭和48〔1973〕年2月20日に撮影した「茨城交通湊線勝田駅」の写真と、平成22〔2010〕年12月24日に撮影した「ひたちなか海浜鉄道勝田駅」の写真を並べて、37年以上に渡る時間差を比較してみようと思っておりました。予定タイトルは「湊線勝田駅、今昔」。
ところが、平成23〔2011〕年3月11日、東日本大震災が発生。その後、放映されるニュース映像には驚愕。「ひたちなか海浜鉄道も運行不能の模様。ひょっとしたら被災して、このまま廃線?」などと勝手な思い込みが続きます。当地で流れるニュースは、大津波で壊滅的な被害を被った沿岸部と、福島原発事故の映像ばかりです。陸前高田で、やっと見付けてお世話になった旅館が、大津波で消滅する瞬間のニュース映像はショックでした。おぼろげながら記憶に残る陸前高田駅前の光景は、震災翌日のニュース映像では激変しておりました。
ひたちなか海浜鉄道の実情が把握出来たのは、平成23〔2011〕年4月24日に購入した“鉄道ファン誌2011−6月号〔通巻602号〕”です。『ひたちなか海浜鉄道 「廃線にはできない」復旧へ社長ら意欲』なるタイトルで、「2008年、第三セクター鉄道〔茨城交通を引き継ぎ〕として再スタート。復旧には2億円の費用と3ヶ月がかかりそうだ」と、被災状況と厳しい実情が小さな記事で報告されています。
平成23〔2011〕年6月25日〔土〕、NHKニュース7で、ひたちなか海浜鉄道部分復旧のニュース映像が流れました。「震災からの復興への動き きょうも各地で → 3ヶ月半ぶりに3.4kmの一部区間で運行を開始。社長の吉田千秋さん自らの言葉で、7月下旬までには全線開業を目指す」といった内容でした。復旧を目指している現実を知ることになります。
平成23〔2011〕年7月31日に購入した“レイル・マガジン誌2011−9月号〔通巻336号〕”に、『頑張っています!! 第3セクター ひたちなか海浜鉄道 営業再開へ!!』のタイトルで近況が紹介されました。4ページの内容は、NHKニュース7で放映された当日の様子などです。「溜池」地点復旧の記録として、震災前、震災直後、復旧作業中、試運転列車の写真が1ページに15カットで紹介されています。鉄道ファン誌602号で、「線路脇の池が決壊、盛り土が流されて約50mにわたって線路がつり橋のように持ち上がった」と表記された箇所を平磯−磯崎間の築堤と勘違いしておりました。RM誌でも、「残る不通区間、平磯−阿字ヶ浦間は、同鉄道によれば7月下旬に運転を再開する予定とのこと」と記されています。ネット検索したところ、7月23日より全線運転再開とありました。関係者方々のご努力により、湊線が蘇ったことは喜ばしい限りです。
国鉄常磐線勝田駅に降り立ち、初めて茨城交通湊線の終点駅阿字ヶ浦まで全線乗車したのが、昭和48〔1973〕年2月20日。2度目の阿字ヶ浦訪問が、昨年の平成22〔2010〕年12月24日ということになります。昨年、キハ222に乗車して終点まで運転台越しの風景を眺めておりました。勝田から那珂湊までの風景は、昔とそれ程変わらない印象です。那珂湊−阿字ヶ浦間に関しては、昭和48年当時の光景が全く思い起こせません。終点でキハ222から下車し、「阿字ヶ浦は、この様な感じの駅なのだー」と思ったものです。そこで改めて、昭和48年の白黒写真を取り込み。驚いたのは、逆にこの時でした。阿字ヶ浦駅は昔とあまり変わっていませんでした。昔撮影した写真は、全くプリントしませんでした。幾枚かプリントして、時に写真を眺めていれば記憶が持続出来たと思います。当時のメモ帳を開いたことで、茨城交通湊線を訪ねた理由が少々理解出来ました。メモ帳を眺めながら昭和48年当時を振り返るつもりでおりましたところ、ひたちなか海浜鉄道を取り巻く状況が一変。止む無く断念する結果となってしまいました。昨年眺めた光景は、既に過去の風景となってしまったようです。
写真1枚目、JR常磐線勝田駅、ひたちなか海浜鉄道キハ222。茨城交通時代、元羽幌炭礦鉄道車のキハ22形3両〔キハ221、 222、 223〕が、昭和45〔1970〕年から昭和46〔1971〕年にかけて移籍とあります。キハ221とキハ223は、既に廃車となってしまいました。No.2412−28・平成22〔2010〕年12月24日(11:20)撮影。
写真2枚目、1枚目写真は腰を落として撮影。こちらは立って撮影。写真左手はJR常磐線の普通電車なのでしょう。発車時刻が迫っておりましたので、3カット撮影したのみで、ひたちなか海浜鉄道キハ222に乗車します。No.2412−29・平成22〔2010〕年12月24日(11:20)撮影。
写真3枚目、国鉄常磐線勝田駅の茨城交通湊線キハ221。キハ222とは同タイプですが、この車両は引退し、その後、阿字ヶ浦駅側線に留置されていたようです。2009年に撤去されたと記されています。改めて1〜2枚目写真と見比べますと、駅の構造が全く様変わりしています。木造待合室出入口扉の上部に掲げられているのは、当時の国鉄時刻表。後に貨物ヤードが消滅。プラットホームはフェンスで仕切られてしまいました。レールの位置は、当時も今も同じなのでしょうか?。白黒No.799−(16)・昭和48〔1973〕年2月20日(8:45頃)撮影。
写真4枚目、3枚目写真の位置より後ずさりして撮影したキハ221。リヤカーが置いてありましたか。白黒No.799−(17)・昭和48〔1973〕年2月20日(8:45頃)撮影。
写真5枚目、国鉄常磐線勝田駅の茨城交通湊線キハ221。上野方向を眺める形です。湊線の車両から下車してホームを横切れば、即、常磐線上野行列車に乗車可能でした。白黒No.799−(19)・昭和48〔1973〕年2月20日(8:45頃)撮影。
写真6枚目、6枚目写真より車両に近付いて撮影。雨が降っていました。こちら側の待合室出入口扉の上部に掲げられているのは、当時の湊線時刻表です。1日の運転本数は現在より少なかったようです。キハ221には「湊鉄道」、「宇都宮・富士重工・昭和35年」と表記された銘板が取り付けられています。白黒No.799−(22)・昭和48〔1973〕年2月20日(8:45頃)撮影。
写真7枚目、平成22〔2010〕年12月24日購入、湊線1日フリー切符。那珂湊駅のスタンプが押されていますが、勝田駅ホーム脇の小さな窓口で購入したものです。再び乗車する機会に恵まれるものであれば、No.005423の数値が大きくなっていることを望みます。
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