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戦後間も無い、昭和23〔1948〕年4月10日、高岡駅前−伏木間7.2kmが富山地方鉄道高伏軌道線として全線単線で開業。昭和25〔1950〕年10月、富山地方鉄道から分離され、加越能鉄道高岡軌道線に名称変更。その後、昭和26〔1951〕年4月1日、米島−新湊間3.7kmが開通することで、当時の富山地方鉄道射水線新湊−新富山間に接続され、新富山−高岡駅前間に直通電車が運転されたと記されています。この際には、広小路−米島口間2.8kmの複線化も完成。
しかし、昭和43〔1968〕年には富山新港の完成により射水線は分断され、新港東口−新富山間14.4kmのみの運転となってしまいます。そして、昭和55〔1980〕年3月31日限りで射水線は全線廃線。
加越能鉄道高岡軌道線は、全線が富山地方鉄道により開業したものと思っていたのは勘違いでした。米島−新湊間3.7kmの区間は、加越能鉄道時代の開業でした。
加越能鉄道高岡軌道線を初めて訪ねたのは、昭和46〔1971〕年5月3日。射水線が分断され新湊−越ノ潟間を加越能鉄道が引継いだ3年後になります。加越能鉄道高岡軌道線→現万葉線の歴史は、今日まで64年ということになりますから、41年前に撮影した写真と現在風景では、かなり状況も異なっております。少々スキャンした写真をスタートに、折りを見て別の写真も取り込んでみようと考えております。
写真1枚目、加越能軌道線は、沿線風景がバラエティーに富み興味深い路線でありました。その一つが新高岡から暫らくの間は単線区間であることです。途中区間のみが複線といった路線は、他都市には無かったはずです。当時、国鉄高岡駅前から単線軌道沿いを歩き、右折した場所に位置する最初の電停が片原町。列車交換可能な電停なのですが、安全地帯はありません。現万葉線でも同じです。写真は、伏木港よりやって来た5021号の新高岡行。連結器を装着しています。昭和44年発刊の鉄道ピクトリアル誌223号によれば、5010形式は、5021〜5026が在籍。P誌発刊時点でも、あまり走行することのなかった車両のようです。富山地鉄600Vの標準車デ5000系の一統とありますが、地鉄車両とは排障器が異なります。白黒No.423−34(10)・昭和46〔1971〕年5月3日(10:00)撮影。
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