写真1枚目。駅員さんに断って、旭川四条駅構内で撮影。写真左手は3両在籍したモハ100形のモハ103。写真中央奥、ホームに停車中の車両は、昭和30〔1955〕年日車製のモハ1001。写真右側、P誌223号によれば、『キハ051。昭和42〔1967〕年、国鉄キハ0516を譲り受け。気動車として使用する目的であったものの、エンジンの老朽化が著しく、付随車として使用したい旨で申請』といった表記がされています。結果、コハ051。モハ100形に牽引され走行するシーンも撮影しました。写真左手、駅名標が確認出来るホームが、国鉄宗谷本線の旭川四条駅。簡易乗降場のような駅でした。旭川四条駅を発車して東川、旭山公園へ向う電車は写真奥、バスが確認出来る道路中央へ躍り出ます。白黒No.506−12(8)・昭和46〔1971〕年9月22日(9:30頃?)撮影。
写真2枚目。1枚目写真より少々国鉄線路側へ移動してモハ103を撮影。モハ103の写真左側は、素性の判明しない木製プラットホーム。写真左手奥に国鉄宗谷本線の警報機が確認出来ますから、駅名標の無いホームにはレールは存在しないものと思います。写真左端にチラリと見える駅名標の立つプラットホームが宗谷本線の列車乗降場。カラー24ビットで取り込みましたので、完全なる白黒画像にはなりません。白黒No.506−14(6)・昭和46〔1971〕年9月22日(9:30頃?)撮影。
写真3枚目。2枚目写真を撮影した場所付近で振り返る形で撮影したカット。国鉄宗谷本線を走行するDD14 312単機回送。国鉄旭川四条駅を通過して何処へ向ったのでしょう。宗谷本線?。石北本線?。写真右手の集合住宅は装甲車のような造りです。白黒16ビットでも取り込み。1枚の写真を消去して白黒用無地画像として保存。そこへカラー24ビット画像を貼り付けると白黒画像へと変換。白黒No.506−13(7)・昭和46〔1971〕年9月22日(9:30頃?)撮影。
写真4枚目。旭川四条駅にモハ501が到着。これで当時の主力車両全形式が出揃いました。モハ501は、廃線となった定山渓鉄道モハ100形の車体を流用して、昭和31〔1956〕年、日本車輌で製造とあります。後方のモハ1001より後に誕生した車両なのですが、腰高でウインドーシルを備えていますので、ノーシル・ノーヘッダーのモハ1001より新しい車両といったイメージはありません。曲がったプラットホームに立つ駅名標には「旭川四條(ASAHIKAWAYOJYO)」と表記されています。隣駅を示す表記、写真奥に対して「旭川」。写真手前に対しては「旭川追分」。電車が乗客を乗せて旭川へ向うことはありませんが、電車が牽引して来た貨車は、国鉄旭川駅構内まで運んだものと思います。京都市電の感覚から、ここの駅名は「あさひかわしじょう」と思っておりました。「あさひかわよじょう」とは知りませんでした。現在のJR時刻表も確認。宗谷本線・石北本線共々、「旭川四条」→「あさひかわよじょう」と表記されております。白黒No.506−17(3)・昭和46〔1971〕年9月22日(9:30頃?)撮影。
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