平成26〔2014〕年2月15日〔土〕、ネコ・パブリッシング社の名取編集局長氏より封書を頂き、平成26〔2014〕年5月20日〔火〕、刷り上ったRM LIBRARY 178号 花巻電鉄(下)巻を「ゆうパック」で受取ることになりました。しかも、著者である湯口 徹様からお礼のメールまで頂きました。普段とは異なり、やや緊張していた3ヶ月間は何とか終了しました。
後日、白黒画像10カットを配した版下が届きました。6ページを割り当てて頂けるようです。しかも1カットは2ページ見開きです。白黒画像は、ページの隅にでも小さく載せて貰えるものと思っておりましたので、これは予想外です。文字の入る箇所は●●●の羅列になっており字数は2500程。この様な形で原稿作成依頼を受ける結果となってしまいました。2500字ですとA4サイズで1ページ程度です。「軌道線、鉄道線の最終列車運転時刻と編成が分かれば良いのかなー」と判断して原稿作成にトライ。文章は極力短くするよう心掛けましたが、2500字はチト厳しいです。結果、3000字程になってしまいました。校正するのにはワード文面の方がベターと考え「ワード原稿」をネコ社へメール。
花巻電鉄軌道線の廃止は、当時の鉄道ピクトリアル誌or鉄道ファン誌の小さな記事で知りました。それ故、軌道線最後を見届けるマニアの数もチラホラ。ところが、鉄道線の廃止を伝える記事は掲載されませんでした。思い立つまま花巻へ向い、現地で5日後廃線の事実を知ることに…。鉄道線最終日、マニアらしき人物の姿を眺めた記憶はございません。「著名なマニア氏が来ないのであれば、鉄道ファン誌へ投稿してみよう」。結果、採用されました。改めて、鉄道ファン誌を見直し。「この様な事を書いていましたか!!」。既に忘れております。この記事を大御所・湯口 徹氏が参考にしていたと知り恥ずかしい限りです。
写真1枚目、カラーポジフィルムでの撮影もそろそろ50年。日の目を見たカラー画像は、豊橋鉄道田口線の2カットのみ。今回、花巻電鉄のカラー画像が3カット採用されました。しかも表紙で…。素直に嬉しいです。177号の表紙カットは初めて紹介する画像です。特に入れ込んで補正し直したのですが、結果は赤を強めてしまったようです。逆に178号のカットは予想以上の仕上がりだと思っています。中々侭ならず難しい。でも、我が人生にあっては良い経験をさせて頂きました。現物は書店で眺めるなり購入するなりして下さい。7DNo.360−209・
写真2枚目。花巻電鉄軌道線は連写2眼1号機で撮影。白黒写真は自ら分解修理をしたハーフ判カメラで撮影しています。軌道線撮影途中からカメラレンズを締めていたネジが緩んでしまったようで、ボケた画像が残ってしまいました。この画像辺りから徐々に怪しくなっております。後日、送ってあげようと思って撮影しましたが、使い物にはなりませんでした。デジタル化したことで、少々眺められるかも。軌道線最終日の前日、才の神電停にて撮影。座っている僕は平賀勝仁君。当時8歳の小学2年生。後方に立つ女の子、道路側は平賀伸子ちゃん。当時11歳の小学5年生。電停待合室側は藤原美弥子ちゃん。当時11歳の小学5年生。撮影からそろそろ45年が経過します。彼、彼女達は大きくなったのでしょうね。白黒No.46−37(25A)・昭和44〔1969〕年8月30日(14:20)撮影。
写真3枚目。同じく花巻電鉄軌道線、才の神電停にて。ナロー軌道の線路内で撮影した藤原美弥子ちゃん。写真右手後方に4kmポストが立っております。国鉄キロポストの倍以上の高さでは…?。写真奥が終点方向。白黒No.46−40(27)・昭和44〔1969〕年8月30日(14:23)撮影。
写真4枚目、才の神電停にて。藤原美弥子ちゃんが撮影してくれたものと思います。平賀勝仁君の肩に手を掛けている19歳の青年は誰?。首からぶら下がっている1眼レフで撮影した画像が1枚目写真の表紙カラーです。写真後方の民家2軒、道路に対して斜めに建っております。白黒No.46−41(27A)・昭和44〔1969〕年8月30日(14:25)撮影。
写真5枚目、才の神電停にて。藤原美弥子ちゃん撮影。平賀勝仁君のお姉ちゃんが平賀伸子ちゃんなのでしょう。平賀伸子ちゃんと藤原美弥子ちゃんは同級生であったようです。住所等を控えたであろうミニノートの所在が分かりません。何故か、電停待合室も軌道に対して斜めに建っております。白黒No.46−43(28A)・昭和44〔1969〕年8月30日(14:30)撮影。
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