豊橋鉄道渥美線高師車庫で撮影したモ38の写真が出てまいりました。眺めることのなかったカラーアルバムに収まっていました。緑とクリーム塗り分け時代の渥美線モ38です。カラーポジフィルムを充填したハーフ判カメラで撮影したもので、数少ないカット故、ダイレクトプリントしたものと思います。全ての事を忘れていました。画像の存在が分かっていれば、カラーフィルムをスキャンして冊子に小さく掲載したかった写真です。
ここで、もう一度おさらいしてみます。
モハ38が豊橋鉄道田口線に増備されたのは、田口鐵道が豊橋鉄道に合併した昭和31〔1956〕年。昭和39〔1964〕年7月22日の名称改正により、モハ38→モ38。田口線廃線前の昭和41〔1966〕年4月23日、モ38は田口線を旅立って渥美線に転属。昭和41〔1966〕年5月2日より渥美線での運用開始。田口線時代のモ38は、チョコレート色で活躍しておりました。渥美線転属に際して、田口線三河海老車庫で1500V→600Vへの降圧化、ヘッドライトをシールドビーム2灯化、モ36・37同様の緑とクリーム塗り分けに塗色変更されています。緑とクリーム塗色時代のモ38、田口線を自力走行することはありませんでしたし、渥美線での活躍も1年足らずであったと思います。後に黄色に太い赤帯塗装に塗り替え。昭和43〔1968〕年11月1日、モ38→モ1713に改番。更に方向転換してモ1713+ク2311〔元モ1302〕の2連固定化が成されています。
写真1枚目、黒柳嘉治氏より拝借したままのアルバムに収まっている豊橋鉄道田口線モハ38〔であろう〕。田口鐵道が日本車輌に発注した田口鉄道モハ100形〔後のモ36・37〕の竣工図では、屋上のランボードは長い状態で配置されています。写真のモハ38も同様のランボードです。3等車の表示も確認可能。国鉄飯田線電車と併結して豊橋まで走行するために密着式連結器も備えられています。田口線へ増備されて間も無い頃に撮影された画像と想像します。後方に変電所が写っていますので、撮影場所は三河海老。
写真2枚目、豊橋鉄道渥美線高師車庫で撮影したモ38。長い屋上ランボードは撤去。前照灯は2灯化。それ以外は1枚目写真と大きく変わらないものと思います。アンモナイトのような形状をした床下のコンプレッサーが印象的でした。高校時代3年間に撮影したカラースライドを確認しないと撮影日時は判断出来ませんが、おそらく、昭和41〔1966〕年の撮影では?。走行シーンでも撮影してあれば嬉しいのですが…。
画像3枚目、転校してしまった同級生を訪ねるために初めて田口線に乗車のは、昭和40〔1965〕年1月2日の事。中学3年生でした。豊橋駅から白熱灯の国鉄飯田線旧型国電に乗車。本長篠駅下車。乗り換えた田口線車両がモ38でした。外観は国鉄同様のチョコレート色なのですが、車内が明るく綺麗な事に感動しました。淡いピンク色にブルーのロングシート。明るく感じた要因は、室内灯に蛍光灯を採用していたからです。走り始めると直ぐにトンネルへ突入。その後もトンネルの連続で、同級生が戻った清崎の実家は随分遠い所と思ったものです。初めて乗車した豊橋鉄道田口線は感動のてんこ盛りでした。それ故、この図、「モ38を模型化したい」などと思って高校時代描いたのでしょう。
画像4枚目、図面家業のプライドを掛けて作図したのが、田口線車両の姿図でした。まずモ36を作図。その図をアレンジしてモ38の姿図も作成したかったのですが、写真1〜2枚目時代の床下機器の配置が分かりません。黄色に太い赤帯塗色時代のモ38は、床下機器の配置が異なっております。その頃の床下配置をそれっぽく表現したのが、この図であったと思います。高師車庫でモ1713の寸法スケッチも試みましたが、結局、時代を特定したモ38姿図は完成しないままです。2連固定化された後のモ1713は台車も履き替えています。複雑な遍歴を繰り返した車両がモ38でした。
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