|
広島電鉄の車両を初めて眺めたのは、高校の修学旅行時でした。豊橋駅を夕刻に発車。修学旅行専用電車「わかあゆ号」処女列車は、闇夜の山陽本線もひた走り小郡で下車。その後は貸切バスでの移動でした。秋吉台の秋芳洞→岩国の錦帯橋→岡山の後楽園と巡って、宇高連絡船にも乗船。高松の栗林公園や屋島も訪ねております。所持したハーフ版カメラにカラーポジフィルムを充填して撮影しましたが、好結果は得られませんでした。錦帯橋から岡山へ向かう折に、バス車内から広島電鉄車両は眺めたハズです。同級生が撮影した広島電鉄単車白黒写真を1枚購入したことだけは覚えております。
広島電鉄撮影のため広島駅に降り立ったのは、昭和45〔1970〕年3月21日でした。広島駅前から紙屋町へ向かって沿線を歩き、少々の区間を撮影しただけでした。
自らの意思で押し掛けて、2年間通うことになってしまった客先会社。一時、親会社へ出向させられるハメとなってしまいました。この時、親会社の担当者殿と徳山の出光興産まで出張することに。東京駅からは寝台特急に乗車。広島駅が近くなった頃、担当者殿に「広島で途中下車します。徳山へは後から新幹線で向かいます」と話すと、担当者殿もアタフタして、「それなら、俺も降りるよ」。タクシーで担当者殿が向かった先は、紙屋町の親会社広島営業所でした。広島営業所はビルの4階。眼下を走り過ぎる広島電鉄の車両は眺めるのみ。「くそー、ここまで来て広島電鉄が撮影出来ない」。担当者殿をかわして広島電鉄の撮影を目論んだのですが、願い叶わず。
昭和54〔1979〕年4月29日〜5月2日の4日間、広島電鉄をメチャ撮りしています。ゴールデンウィーク最中のことでした。この時は、友人と一緒に出向いております。出張で撮影出来なかった憂さ晴らしでした。やって来る電車全てを撮影したと思います。友人は瀬野八へ行くと話しますので、予定になかった瀬野八へは彼にくっ付いていった感じです。この時、やっと広島電鉄をソコソコ撮影出来たと思っておりますが、既に37年前の事。以来、広島電鉄の撮影には出向いておりません。
取り敢えず、昭和54〔1979〕年4月30日に撮影した白黒画像の一部を載せておきましょう。
写真1枚目、広電宮島駅側線に留置されていた鉄道線専用の高床車両。1080形1082+1081〔元阪急電鉄210系〕と1070形1076+1075〔元阪急電鉄500形〕。1080形は2両編成が1本のみ。1070形は2両編成が4本在籍したようです。宮島駅構内を少々外れた場所に競艇場前臨時乗降場が存在します。写真右手にチラリと見える1054号は、競艇場前臨時乗降場に停車中?。白黒No.1571−2(20)・以下全て、昭和54〔1979〕年4月30日撮影。10:15頃?撮影。
写真2枚目、宮島駅に進入する高床1050形1051単行「貸切ボート」。1050形→1090形で1051+1052・1053+1054→1091+1092・1093+1094。履歴は元京阪神急行電鉄〔現阪急電鉄・京阪電気鉄道100形・200形。1954年に車体更新。1980年に連結車化。1982年に1090形に改形式〕とありますので、写真は連結化、改形式前の姿です。側線に留置されていた1080形1082+1081は宮島駅へ移動しています。1076号が搭載している集電装置は予備でビューゲル?。白黒No.1571−5(23)・10:30撮影。
写真3枚目、宮島駅に停車中の2000形2003+2002連結車広島駅前行。専用軌道の鉄道線と広島市内の併用軌道区間を走行して広島駅前まで走り通す電車です。2001・2002+2003・2004+2005・2006+2007・2008+2009と在籍。2両編成4本と1両の余剰車が存在したようです。写真左手は単行車両が入線する専用ホームと思います。高床車両は駅舎側、低床車両は手前で停車するものと判断しました。2000形連結車が停車中のホームは低床車両専用ホームなのでしょう。写真右手側が高床車両の専用ホーム。1080形1082+1081が停車中。高床車両専用ホームと低床車両専用ホームの間がスロープになっているのは意外でした。現在は、低床車両ホームで統一されているものと思われます。白黒No.1571−7(25)・10:33撮影。
写真4枚目、宮島駅高床車両専用ホームを発車した1080形1082+1081西広島行。白黒No.1571−10(28)・10:50撮影。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用



