連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

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 平成282016〕年67日〔火〕、豊橋市民病院へ午前入院。平成282016〕年68日〔水〕、午前9時から手術開始。右の肺13を摘出した結果、肺癌との診断が下ってしまいました。この先5年間、豊橋市民病院へ通うことになるそうです。癌細胞は出ないであろうと高を括っておりましたので予想外の結末でした。
 
 「癌の疑いある腫瘍を取ってしまえば、スッキリする」。呼吸器内科先生の言い分です。「手術は寝ている間に終わってしまう。何度も検査受ける方が辛い」。掛かり付け女医さんに言われました。腹を固めて手術してスッキリしようと思っていましたが、現実は甘くはなかった。体にメスが入れば、それなりの結果が付きまとうことを思い知らされた感じです。
 
 認知症の母親を初めてショートステーさせるため、67日〔火〕、妹は母親をデーサービスへ送って行くとの事。「お兄ちゃん、市民病院へはタクシーで行って」と言われておりました。荷物抱えて市内電車・路線バスを乗り継いで市民病院へ向かう腹積もりでおりました。
 66日〔月〕、先日に続いて息子がやって来ました。明日は市民病院まで送ってくれるそうです。ヤレヤレ、助かりました。息子と“ナザレ”へ食事に出向いたのは1612。麺の量が多いため、生ビールは1杯で断念。郵便局の不在通知は何時届いた?。差出人を眺めてもピンときません。「ひょっとしたら台湾の冊子かも?」。再配達を依頼しようと思ったのですが、音声ガイダンスの声が聞き取れません。代わって息子がトライ。結果、台湾冊子は1936に届きました。ブログへコメント頂いた当初は半信半疑。「表紙として使用したいのであれば、このカットでしょう。お好きにどーぞ」と思い、色補正して印刷相当データを私の一存できおり氏にメールしております。予想以上に早く冊子は出版になったようです。きおり氏よりメールを頂いたのですが、市民病院での手術間近の頃で、返信メールを作成する気力も起こりません。台湾冊子を受け取ったのは、市民病院入院前日の夜。「私の写真もインターナショナルになってしまいましたかー!!」。台湾冊子を眺めながら息子と一緒に酒を呑んでおりましたが、少々呑み過ぎてしまいました。
 
 67日〔火〕、息子に送って貰い市民病院へは958到着。酒が抜けない状態で315号室へ入院。息子は昼、市民病院を後にしております。買い損なった入院中の必需品を市民病院内“ローソン”で買出し。出された食事で昼食。午後になると、女性看護師さんや担当の呼吸器外科先生等が説明・検査・挨拶に来てくれました。「左の肺に人口呼吸器を挿入すると喋れない。座った状態で背中を丸くして全身麻酔の注射針を差し込む」。この様な説明も聞いています。15231540の間は、シャワーを浴びることに。執刀する外科医師先生の話では、腫瘍部分のみ摘出するのは難しいので、右の肺の中間ブロック7cm位を取ることになるそうです。手術後は、入院病棟が変更になるので、手術当日は持参した荷物全てを家族が持ち帰って下さいと言われました。デジカメ・ミニノート・筆記用具・小銭・携帯電話は所持していたかったのですが、聞き入れて貰えませんでした。「コインロッカーでも備えてあれば良いのに…」。隣ベッドの男性、荷物が戻ってこないので歯磨きも出来ないと話していました。
 
 68日〔水〕、寝たのか寝ないのか分からない内に手術当日。手術は家族同伴が必須項目のようです。一人身に同じですから身内の付き添いなど考えもしませんでしたが、ここは止む無く妹に頼むしかありません。手術前に簡易再検査を済ませ薬2種を服用。衣類は全て市民病院が用意したものに着替えております。妹は何とか831に到着。荷物全てを妹に預け、900いよいよ手術室へ。天井ライトの数の多さに驚きました。部屋の雰囲気が異なっている分、少々緊張します。全身麻酔の注射針は、910頃右腕に差し込まれました。1分後には意識ありませんでした。
 手術に費やした時間は、900から1400までの5時間程であったようです。手術室から集中治療室(ICU)に移動しておりました。意識が戻ったのは1600頃。全身が金縛りにあったような感じ。体が苦しいので、膝・肘を動かそうと試みたのですが全く動きません。手術後、最もキツイ一時であったと思っております。酸素マスクをあてがわれていましたが、人口呼吸器の挿入はありませんでした。2時間毎の検査で寝たり起きたりの繰り返し。朦朧としながらも時間経過の長いこと。
 
 69日〔木〕、集中治療室(ICU)から320号室へ移動。意識ははっきりしてきましたが、背中が痛く長い1日でした。執刀された呼吸器外科先生が、交互に病室へ入って来ます。摘出した肺の中に癌細胞が見付かったと聞かされたのは、この日でした。体の随所にはチューブが接続された状態。気が付けば紙オムツを着用しておりました。気持ちが悪く、お茶1杯飲んでも直ぐに戻してしまいます。1830頃、妹が荷物を届けてくれました。デジカメで妹に背中の撮影依頼。これで手術後の体の状況が分かりました。摘出された肺は、ポピュラーなアンパン1つ程の大きさで、赤黒い色。固体を成さずダラダラの状態であったようです。反面、腫瘍は、しっかりした固体で、ややクリームかかった白色だったそうです。現物を見せられた妹の話から推測すると、このような事であったと思います。
 
 610日〔金〕、左腕に刺してあった痛み止めの点滴針が抜かれました。尿管も抜かれました。残るチューブは、体の廃液をドレーンする太いチューブのみ。320号病棟から313号病棟へ移動。以降、トイレへはチューブが接続された機械を転がして出向かなければなりません。
 
 611日〔土〕、午前、車椅子に乗せられレントゲン撮影へ。947、背中に繋がっていた太い透明チューブが抜かれました。これで少々楽になりました。月曜日の退院が決定。
 
 612日〔日〕、この日も救急外来でレントゲン撮影。自ら歩いて向かっております。若い呼吸器外科先生の話。「今回の手術で、癌と疑われる箇所は全て取りました。これから5年間、様子を見ます。もう1度体を開くことはありません」。この日、肋間神経痛なる言葉を聞かされました。「胸の痛みが治まるのは、1年先か5年先になるかは分からない」。13401400でシャワー浴びる。
 
 613日〔月〕、いよいよ退院当日に。呼吸器外科先生が、様子を見ながら挨拶に来てくれました。940、女性看護師2名が入って来て退院案内書を受け取り。ウソー!!。入院・手術費用の請求金額は、492290円也。2?万円〜3?万円位と想像しておりましたので、いささかびっくり。妹とは1010に会っていますが、持参した現金では、医療費の全額が支払えません。妹は市民病院を出て金策に向かいました。妹と一緒に市民病院を出たのは1045。自宅へ戻ったのは1123でした。門を開け、1週間ぶりに我が家へ踏み込んだ瞬間、市民病院の女性から電話。「薬渡すのを忘れました。来れませんか?」。「勘弁してよ」。「来週、どうせ検査だから、その時に受け取ります」と返答。1週間ぶりにデイサービスから戻った母親とも再会。母親曰く。「何か変わった事はなかったか。お前は誰だ」。私が入院・手術で1週間自宅を留守にしたことは、母親の頭には毛頭なし。
 
 東京大田区の糀谷で生活していた30歳代の頃、突然、胸が痛み出し呼吸も苦しい。「何だ、この痛みは?。このまま死んでしまうかも」。横川病院で診察受けた結果は、「肋間神経痛だ」。さらりと言われました。豊橋へ戻ってからも1度体験しています。自然に痛みが治まるのを待つしかありません。
 肋間神経痛(ろっかんしんけいつう)とは、ろっ骨に沿って走る神経が何らかの原因で痛む症状のこと。その原因は不明なものが多い。あくまで症状であり、病名ではない。
 
 市民病院を退院して1週間が経過しました。「胸が痛い。背中も腰も痛い」。動くとズキズキ痛みます。布団の上で仰向けに寝ていると少々楽なので、動いた後は、暫し休息の繰り返しです。最初は右の肺部分にプラスティックの箱が入っているような感覚と思っていましたが、最近は一寸違う。手術の際、ろっ骨の神経を刺激してしまったための肋間神経痛と思っております。右胸の肋骨(ろっこつ)が鉄板のような感じです。肋骨の痛みが治まらない限り、暫くは我慢の日々の連続と思っております。
 
 621日〔火〕、退院後としては初めて市民病院へ出向きました。ワゴン車のハンドル操作する時は肋骨が痛みます。採血・レントゲン撮影を済ませると呼吸器外科先生より説明がありました。私の癌は、発生率0.1%の“多形癌”だそうです。タチの悪い癌で再発すると余命5年。珍しい癌であるため治療実績がないと言われました。抗癌剤が良いのか、放射線治療が良いものか、先生自身が判断を迷うやっかいな癌のようです。「随時、様子を見ながら考えましょう」ということのようです。摘出された肺の画像も見せて貰いました。色合い形状から石焼芋といった感じでした。今後の検査結果は、“多形癌”の市民病院データとして記録されてゆくものと思います。我が身が実験体でも構いませんが、私本人は、これからも憂鬱な日々が延々と続くことになりそうです。
 
 
 
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 写真1枚目、台湾 新経典文化出版社発刊の「遇見老東京」。メールした画像はカバーとして印刷されております。内容は中国語で綴られておりますので理解出来ません。手術で気持ちがフラフラしていた時、微妙なタイミングで届いた冊子でした。この先、肺癌摘出手術=「遇見老東京」とセットで記憶に残ると思います。7DNo.57025・平成282016〕年66日(1958)撮影。
 
 
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 写真2枚目、息子運転のワゴン車が、いよいよ豊橋市民病院に到着。7DNo.57141・平成282016〕年67日(949)撮影。
 
 
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 写真3枚目、320号室。手術翌日の我が背中。このようにメスを入れ、右の肺中間部が摘出されました。医師の技量には恐れ入ります。7DNo.57318・平成282016〕年69日(1809)撮影。
 
 
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 写真4枚目、320号室。体に接続されていた別のチューブも撮影。7DNo.57424・平成282016〕年610日(910)撮影。
 
 
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 写真5枚目、313号室。豊橋市民病院退院の日。NHK連続テレビ小説“とと姉ちゃん”スタート直後のワンシーン。大井川鐵道、笹間渡の鉄橋。ロケでは、蒸気機関車ではなく、電気機関車が3両の旧型客車を牽引しておりました。ドラマとしては、昭和14年?。東海道本線大阪へ向かう下り列車。7DNo.57767・平成282016〕年613日(800)撮影。

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