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ウィキペディア記述一部を拝借致します。
北陸鉄道加南〔かなん〕線は、次の5路線で構成されていたようです。山中線:〔大聖寺―河南―山中〕。連絡線:〔河南―宇和野―粟津温泉〕。動橋線:〔宇和野−新動橋〕。粟津線:〔粟津温泉−新粟津〕。国鉄動橋駅を境にして動橋線の反対側に存在したのが、片山津線〔動橋−片山津〕。
略年表では
昭和37年〔1962年〕
● 7月7日:くたに号運転開始
● 11月23日:粟津線全線廃止、連絡線一部廃止〔宇和野−粟津温泉間〕
昭和38年〔1963年〕
● 7月13日:アルミニウムカーしらさぎ号運転開始
● 7月13日:動橋線と連絡線の残存区間〔河南−宇和野間〕と統合して山代線に改称
昭和40年〔1965年〕
● 9月24日:片山津線全線廃止
昭和46年〔1971年〕
● 7月11日:山中線、山代線全線廃止
粟津線全線廃止や片山津線全線廃止のことは、鉄道ファン誌で知ったものと思います。廃止された粟津線の写真を眺め「中々、好ましい路線であった」と思ったものです。
私が北陸鉄道加南線沿線を歩いたのは、昭和46〔1971〕年5月1日。粟津線、片山津線は既に廃線で存在せず。残された山中線、山代線も全線廃止まで残り2ヶ月程の時期でありました。雨の中、大聖寺から山中線沿線を河南まで歩き、河南から山代線全線を歩いて新動橋〔しんいぶりはし〕に到着。13:19、新動橋駅での撮影を終えると福井へ移動。残念ながら山中線の河南−山中間を歩くことはありませんでした。日本各地の私鉄路線や路面電車が次々と廃止される時代でした。
写真1枚目、山代線を走って河南到着間近モハ1811。サボの表記は山代温泉・河南行。写真右手のダイハツオート三輪をもう少々撮影しておけばよかったと後悔しております。白黒No.416−13(37)・昭和46〔1971〕年5月1日(9:17)撮影。
写真2枚目、1枚目写真の後追いカット。河南駅へ進入するモハ1811。後部サボの表記は新動橋行。白黒No.416−14(36)・昭和46〔1971〕年5月1日(9:17)撮影。
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