連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

豊橋鉄道市内線

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 またまた、豊橋市民病院への通院記録です。
 
 平成292017〕年62日〔金〕、5日間の検査入院から退院。小腸内視鏡の結果から、平成292017〕年621日〔水〕入院。623日〔金〕、手術予定日。退院は630日〔金〕位になるであろうということでした。
 
 平成292017〕年6月は、3日〔土〕から20日〔火〕の18日間以外は、市民病院へ入院していることになります。入院と入院の合間が予想以上に慌しいです。
 
 平成292017〕年68日〔木〕。長いお付き合いの友人に同伴をお願いして、豊橋市民病院へ手術前の診察に出向いたことは、前回表記した通りです。後は621日〔水〕の入院を待つだけと思っていましたところ、平成292017〕年69日〔金〕。938、豊橋市民病院より電話がありました。「612日〔月〕、レントゲン撮影に来て下さい」。
 
 平成292017〕年612日〔月〕、再び市民病院へ向かうことに。入院中は服用している薬剤を持参しなければなりませんので、先に掛かり付け医院へ出向いて血圧を下げる薬と睡眠薬を出して貰いました。その後で市民病院へ向かっております。レントゲン撮影はありませんでした。一般外科先生の診察のみでした。小腸内視鏡で取った組織の詳細を調べたところ、小腸腫瘍も肺の多形癌に同じであったそうです。『小腸腫瘍は肺癌が転移したもの。肺癌はステージ4』と言われました。別の臓器に転移している疑いがあるため、PET−CT検査を受けて下さいとも言われました。急遽、市民病院へ呼び出されたのは、「こういう事でしたか」。
 
 平成292017〕年615日〔木〕、まず母親の食べ物をテーブルに並べるのですが、余計なことをゴチャゴチャ言われ出遅れてしまいました。結局、ワゴン車で自宅を出発したは819。PET−CT検査のため市民病院へ向かいます。検査予約時刻は850。「予約時刻の15分前に31番アイソトープ検査室受付へお越しください。検査当日にキャンセルされる場合、薬品代(約46000円)を請求させて頂くことがあります」と検査説明書には記されています。これだけ早い時刻に市民病院へ向かうのは初めてです。国道1号線が進みません。気持ちは焦るばかりです。市民病院駐車場へ到着したのは846。駐車場からアイソトープ検査室受付までの距離が長いこと。病院内を歩いていた852、市民病院から電話がありました。「後1分位で到着します」と返答。遅刻でした。
豊橋市民病院のPET−CT検査機器は、昨年10月頃導入されたそうです。シーメンス社製とは意外でした。光生会病院でのPET−CT検査時は画像を見せて貰えたのですが、市民病院では見せて貰えませんでした。「診察の時」だそうです。検査代金26240円支払い。市民病院を出たのは1146。自宅へ戻っても何もする気起こらず。「疲れたー」。
 
 昨年は肺多形癌摘出手術。今年は間も無く、小腸腫瘍摘出手術。PET−CT検査結果の結果を知らない状態で入院することになりますので、615日以降は、落着かない毎日の繰り返しです。自宅に居る時は、横になって、ボオッーとテレビ眺めている時間が多いです。母親の食事準備等をする時だけ、渋々、体を動かしています。


 
 豊橋鉄道市内線の古い白黒画像を添付しておきます。その2で記載したことを、今回も以下に載せておきます。
 
 豊橋の市内電車全車両がワンマン運行を開始したのは、昭和461971〕年828日。昭和461971〕年915日、36002両〔1両は315日廃車〕、37002両、38005両、39001両〔1両は315日廃車〕が廃車。この時、まだ柳生橋支線は健在でした。結果、ワンマンカーとして活躍していたのは、モ31009両と柳生橋支線用のモ37002両。ワンマン化改造で生き残ったモ33002両とモ38001両が、この頃の市内線全車両になると思います。クーラー搭載やモ3200形、モ3500形がデビューするのは、後の話です。
 昭和511976〕年37日、柳生橋支線、新川−柳生橋間0.9km廃止。
 昭和571982〕年731日、井原−運動公園前間0.6kmが延伸開業。
 
 
 イメージ 1
 写真1枚目。競輪場前−井原間を走行するモ3109赤岩口行。後方で右折しようとしている軽トラックの後は“マルイスーパー”でしたか。写真右手のガソリンスタンドも現在とは雰囲気が異なります。白黒No.6581213)・以下全て、昭和471972〕年56日撮影。1139撮影。
 
 イメージ 2
 写真2枚目。競輪場前−井原間を走行するモ3109赤岩口行後追いカット。一寸見、街の雰囲気は、現在の景観に同じといったと感じです。白黒No.6581314)・1139撮影。
 
 イメージ 3
 写真3枚目。競輪場前電停。競輪場前折り返しのモ3101駅前行とモ3108赤岩口行。運転台中央窓の違いがお分かり頂けると思います。白黒No.6581920)・1157撮影。
 その1で記載したことを、追記含めて今回も以下に載せておきます。
 
 豊橋の市内電車全車両がワンマン運行を開始したのは、昭和461971〕年828日とあります。昭和461971〕年915日、36002両〔1両は315日廃車〕、37002両、38005両、39001両〔1両は315日廃車〕が廃車。この時、まだ柳生橋支線は健在でした。結果、ワンマンカーとして活躍していたのは、モ31009両と柳生橋支線用のモ37002両。ワンマン化改造で生き残ったモ33002両とモ38001両。計14両が、当時の市内線全車両になると思います。クーラー搭載やモ3200形、モ3500形がデビューするのは、後の話です。
 
 昭和511976〕年37日、柳生橋支線、新川−柳生橋間0.9km廃止。
 昭和571982〕年731日、井原−運動公園前間0.6kmが延伸開業。
 
 昭和47〔1972〕年5月6日撮影した車両は、モ3100形の他にモ3300形・モ3700形・モ3800形も記録してありました。画像処理が終了すれば、順次紹介する所存です。今回は、井原電停付近で撮影したモ3801の画像をお見せ致します。
 
イメージ 1
 写真1枚目。草っ原〔現在は、メガワールドさん建物在〕越しに撮影した井原電停のモ3801サイドビュー。ガソリンスタンド脇の電柱に“井原”と表示。写真右手、鯉のぼり後方の松の木が懐かしいです。「あったねー!!」。撮影は丁度45年前ということになります。白黒No.65889)・以下全て、昭和471972〕年56日撮影。1120撮影。
 
 イメージ 2
 写真2枚目。井原電停を発車して赤岩口へ向かうモ3801後追いカット。藤ノ花学寮も金光堂さんも健在です。白黒No.658910)・1120撮影。
 
 イメージ 3
 写真3枚目。赤岩口から戻って来たモ3801が井原電停到着間近。電柱脇に立っているのが乗客なのでしょう。白黒No.6581011)・1130撮影。
 
 イメージ 4
 写真4枚目。井原電停を発車して井原交差点を横切るモ3801駅前行。運動公園前までのレールが写真手前道路に敷設されるのは、これから10年後ということになります。白黒No.6581112)・1130撮影。
 自宅から最も近い鉄道が、豊橋鉄道市内線です。これまでに撮影した画像がどれ程の枚数になるものかは想像も出来ません。
 モ3100形が活躍する時代を撮影したカットが最も多いと思っております。見飽きた感のあるモ3100形の画像をスキャンしようという気持ちは中々起こりませんでした。思い切って、45年前、昭和475月撮影画像を取り込んでみました。車両云々と言うより、沿線風景が随分様変わりしていることに気付きました。「昔は、こんなだったんだー!?。覚えていない」。
 撮影画像をブログに掲載しても写真の説明書きが侭なりません。19歳から43歳の間は東京での生活で、豊橋鉄道市内線を撮影するのは、実家に帰省した時だけ。東京生活時代、豊橋鉄道市内線に関することは知らないことが多いのを思い知った次第です。
 モ3100形が活躍する時代を時折スキャンして、少しづつ紹介しながら昔を偲んでみたいと思います。
 
 豊橋の市内電車全車両がワンマン運行を開始したのは、昭和461971〕年828日とあります。昭和461971〕年915日、36002両〔1両は315日廃車〕、37002両、38005両、39001両〔1両は315日廃車〕が廃車。この時、まだ柳生橋支線は健在でした。結果、ワンマンカーとして活躍していたのは、モ31009両と柳生橋支線用のモ37002両。ワンマン化改造で生き残ったモ33002両とモ38001両が、この頃の市内線全車両になると思います。クーラー搭載や3200形、3500形がデビューするのは後の話です。
 
 
 
イメージ 1
 写真1枚目。赤岩口電停のモ3106。運転台中央窓がHゴム化されています。方向幕の表示は、「競輪場前−駅前」。赤岩口電停がまだ2線構造であったのは意外でした。モ3106右側のレールに電車が停車しているのを眺めたことはありません。終点赤岩口で電車2両が並ぶことはあったのでしょうか?。写真右手は“宝寿し”さん。現在の建物とは異なります。この時、“宝寿し”さんの東側に送電線高架鉄塔が存在します。現在は逆になって、送電線高架鉄塔の東側に“宝寿し”さん。逆になった理由も分かりません。赤岩口の2線構造が消滅したのは、何時のことなのでしょう?。白黒No.65834)・以下全て、昭和471972〕年56日撮影。1016撮影。
 
 
イメージ 2
 写真2枚目。井原−赤岩口間〔赤岩口西交差点〕を走るモ3101赤岩口行。この車両の方向幕表示も「競輪場前−駅前」となっております。白黒No.65845)・1030撮影。
 
 
イメージ 3
 写真3枚目。2枚写真の後追いカット。井原−赤岩口間、赤岩口西交差点を通過したモ3101。車両後部の方向幕表示は「赤岩口−駅前」。スーパー“ヤマナカ”や“赤岩ビル”はまだ建設以前の時期と思います。白黒No.65856)・1030撮影。
 
 
イメージ 4
 写真4枚目。井原−赤岩口間、赤岩口を発車して駅前へ向かうモ3101後追いカット。こんな所に昔は“東芝ストアー”がありましたか。白黒No.65867)・1035撮影。
 昭和461971〕年730日、豊橋鉄道市内線モ3803に乗車して競輪場前−駅前間を1往復乗車した時の白黒写真を3度に分けてブログに掲載しました。これらは、市内線電車のワンマン化が間も無く開始される時期の写真でした。この時より1年以上前に遡り、昭和451971〕年527日に撮影したカラー写真を紹介します。
 
 久々に衣装缶を開いて2本取り出したカラースライドの内の1本です。写っているものは豊橋鉄道市内線と国鉄飯田線の旧型国電。ほぼ全てのカットにカビが発生しておりました。フィルムクリーナーでカビを落としても悪質なカビの箇所は、どうしても変色してしまいます。結果的にはレタッチ作業で変色箇所を修正しております。これら画像の後始末には、白黒写真の10倍以上の手間が掛かります。比較的処理が楽であったカラー画像3カットで見切り発車です。「世間に画像をオープンするからには、元画像のイメージを壊さないよう、何とか見られる写真に補正しましょう」。
 
 
 
イメージ 1
 写真1枚目、東八町電停にて。東八町を発車したモ3302赤岩口行後追いカット。スタイル・途色に変化なくワンマン化改造されモ3301と共に生き残ることになった車両。46年前の撮影なのですが、現在、同じ場所に立っても一寸見の風景には変化がないような印象を受けます。安全地帯のコンクリートブロックに錆びた吸殻入りが備えられていますが、電車到着までの間吸っていたタバコは電停と軌道の間にポイ捨て。No.18810・以下全て、昭和451970〕年527日撮影。1402撮影。
 
 
イメージ 2
 写真2枚目、体育館前−東八町間の歩道橋上より撮影。国道1号線を走行するモ3701競輪場前行後追いカット。柳生橋支線用としてワンマン化改造されたモ37023704は、ワンマン運転開始後も生き残ることになりますが、写真のモ3701とモ3703はワンマン化されることなく廃車。写真後方、東八町交差点に歩道橋はまだありません。写真右方向に分岐するのが国道1号線。写真左手後方には桜丘病院の姿も確認出来ます。No.188161440撮影。
 
 
イメージ 3
 写真3枚目、体育館前−東八町間。国道1号線を走行するモ3901駅前行。6両在籍したモ3800形の1両のみがワンマン化改造され生き残ることになりますが、モ3800形より後に譲渡された2両のモ3900形はワンマン化されることなく廃車。小ぶりなモ3800形を1両残しモ3900形が廃車になってしまった理由は何であったのでしょう?。No.188181453撮影。
 豊橋鉄道市内線モ3803に乗車して競輪場前−駅前間を1往復乗車した時の続きです。最初のブログで競輪場前→東八町間を紹介。2度目は西八町交差点→駅前間を紹介しました。3度目の今回は、駅前から再びモ3803に乗車して競輪場前まで戻ります。モ3803の後を走っていたであろうモ3804は撮影してありませんでした。結果、駅前から競輪場前までの間、すれ違った車両を撮影したのは3カットのみ。競輪場前−駅前間を1往復してモ3102〔赤岩口系統〕を撮影したのは1度だけでした。当時、赤岩口−駅前間を走行する電車の本数は、実に少なかったということのようです。
 
 
 
イメージ 1
 写真1枚目、モ3803運転台より撮影。国道1号線の体育館前〔現:豊橋公園前〕でモ3302駅前行とすれ違い。交差点南東角に存在した“富士火災海上ビル”。「こんなに小さかった?」。センターポール化される前の景観も懐かしいです。白黒No.4462115)・以下全て、昭和461971〕年730日撮影。
 
 
イメージ 2
 写真2枚目、前畑−東田坂上間、モ3803運転台より撮影。坂を下るモ3601駅前行とすれ違い。車両後部に立つ車掌さんの姿がシルエットで確認出来ます。白黒No.4462214)。
 
 
イメージ 3
 写真3枚目、競輪場前到着間近のモ3803運転台より撮影。競輪場前を発車したモ3301駅前行。車掌さんは中間扉横に立っています。駅前へ向かう時、モ3102はモ3601の後、モ3301の前を走っておりました。この時点でモ3102は、まだ赤岩口電停?。競輪場前−駅前間を走行していたのは、モ3803・モ3804・モ3302・モ3601・モ33015両。それに対して、赤岩口−駅前間を走行していたのは、モ31021両のみであったようです。白黒No.4462313)。
 
 
イメージ 4
 写真4枚目、競輪場前電停で下車して撮影した乗車モ3803とモ3804。競輪場前電停に数両の電車が停車していた光景も今となっては懐かしいです。白黒No.4462511)。
 
 
イメージ 5
 写真5枚目、同じく、競輪場前電停のモ3804とモ3803。電停横に食堂がありましたか。利用したことがありませんので覚えておりません。モ3804の腰板広告、左右でスポンサーが異なっていたとは…。白黒No.4462610)。

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