連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

福島交通軌道線

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 平成282016〕年68日〔水〕、豊橋市民病院にて発生率0.1%の“多形癌”摘出手術。
 
 平成282016〕年97日〔水〕、自宅玄関先で尻餅付き背骨骨折。
 
 平成292017〕年16日〔金〕、喉を腫らして声が出せず。豊橋市民病院へ緊急入院。
 
 平成292017〕年32日〔木〕、午前、豊橋市民病院へ。午後スクーターで転倒して肩甲骨複雑骨折。
 
 平成292017〕年623日〔金〕、豊橋市民病院入院2回で小腸腫瘍切除手術。
 
 ケチの連続は現在も進行中です。疫病神に取り付かれた気分です。3ヶ月毎に不測の事態に見舞われております。体調がやや回復した時にケチが付く。昨今の方が状況は良くありません。この先、どうなることやら?。ケチ5件は全て別物です。5件共、些少ながら保険金は出るようですが、申請書類を揃えるのも楽ではありません。
 
 
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 写真1枚目。福島交通軌道線1112号福島駅前行。白黒No.2573434)・昭和451970〕年1030日(1258)撮影。
 
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 画像2枚目。ストリートビューの1シーンを拝借します。「これが昔の電車通りです」と表記しても信じ難いのでは…。近年の画像の方が道路より狭く感じます。画像左手、大谷石を積んだ塀なのでしょうか?。窓が設けられているのはユニークだと思います。塀は当時のままとお見受け致しました。
  新年明けましておめでとうございます。皆様方にとって幸多き1年であることをお祈り申し上げます。本年も宜しくお願い申し上げます。今年最初のブログ更新ですから、昨年のブログ原稿をまたまた少々アレンジ。
 
 本音………新年明けても何も嬉しくない。父親が他界した歳までは何とか生きてみたいと思っていますが、余命のカウントダウンは既に始まっております。年が替わった事で残りは2年ソコソコ。稼ぎ無い身の上では、「人様の幸せを云々言っている状況ではない。どうすりゃいいのさ、この1年」。
 
 
 昨年、豊橋市消防出初式の会場へ出向いて撮影したのが撮り初め。翌日、初めて岡崎市消防出初式にも出掛けました。運転免許更新のため2月には豊川へ出向き、その後、名鉄本線の撮影を試みております。ここまでは何でもなかったのです。
 
 生活が狂い出したのは3月以降です。3月から5月の間は豊橋市民病院で検査の繰り返し。癌の疑いありということで、市民病院からは開放して貰えません。腹をくくって肺摘出手術を受けることを決断。68日執刀。結果は、発生率0.1%の“多形癌”。治療方法が確立していない厄介な癌だそうです。大病も入院も経験無かった我が身が癌にむしばまれているとは想像もしませんでした。
 
 右の肺の中程13を取ってしまったのですが、呼吸が苦しいということはありません。右のろっ骨がズキズキ痛いのは結構辛かったです。胸に鉄板が入っているような感覚でした。リリカカプセル錠剤のお陰で、現在は痛みも和らいでおります。鉄板は、厚手のボール紙に変わったぞー!!。抗癌剤を服用することもなく、手術後の検査も3ヶ月に1度となりました。CT検査・採血・レントゲン撮影を繰り返すようです。肺も徐々に膨らんでいるそうで、手術前の体調に戻りつつあります。手術後5年間、市民病院へ通うとなれば、当面は余命のカウントダウンも必要なさそうです。平成332021〕年2月の運転免許更新を目指しましょう。
 
 
 
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 写真1枚目。福島交通軌道線1121号。No.2391・昭和451970〕年111日(1117)撮影。
 
 
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 画像2枚目。またまたストリートビューの1シーンを拝借します。画像右手の吉田米穀店、昔も今も変わっていないですね。塩看板の位置が微妙に変わった程度です。吉田米穀店向かい側のお屋敷、リニューアルされていますが、建物骨格は当時のままなのでしょう。1枚目写真の電車後方にチラリと見えるお堂も健在です。
 右の肺摘出手術から20日以上が経過しました。肋骨の痛みは治まる気配ありません。体を動かすとズキズキ痛みますので、1日の内、13程は仰向けで寝ていることが多いです。
 退院から1週間目、カメラバッグを担いで、岩田運動公園に近い歯科医院までスクーターで出向きました。車と違って、スクーターの振動は、そのまま肋骨に伝わります。止む無く、トロトロ走るしかありませんでした。手術前は何でもなかったカメラバッグを重く感じます。全行程2km強を走行しただけなのですが疲れました。結局、自宅へ戻った後は寝入ってしまいました。市内線電車をスクーターで追い回すことなど、当面出来そうもありません。
 
 福島交通軌道線の廃線跡など眺めたいとは思いませんでした。若い時に撮影した画像を眺めるだけで充分です。廃線跡を眺めてしまうと、軌道線健在当時の思い出が薄らいでしまいますから…。ところが、ストリートビューの存在を知って、結局、軌道線廃線跡を辿ってしまいました。結果は虚しい限りです。「当時の面影は何も無い」。それでも、記録した軌道線写真に写り、現在も当時の面影を留めている建物を数箇所見付けましたので、紹介してみようと思います。
 
 
 
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 写真1枚目。2022号掛田行後追いカット。白黒No.2503333)・昭和451970〕年1029日(745)撮影。
 
 
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 画像2枚目。またまたストリートビューの1シーンを拝借しました。広角気味に撮影されていますので、結構広い道路のような印象を受けてしまいます。
 新年明けましておめでとうございます。皆様方にとって幸多き1年であることをお祈り申し上げます。今年最初のブログ更新ですから、昨年のブログ原稿をまたまた少々アレンジ。本年も宜しくお願い申し上げます。
 
 本音………新年明けても何も嬉しくない。父親が他界した歳までは何とか生きてみたいと思っていますが、余命のカウントダウンは既に始まっております。年が替わった事で残りは3年ソコソコ。稼ぎ無い身の上では、「人様の幸せを云々言っている状況ではない。どうすりゃいいのさ、この1年」。基本的には昨年の年明けに同じ。切り崩す預金残高も先が見えてまいりましたので、昨年より更に悪い方向へ向かっているのが現実です。
 
 やっと年金が振り込まれるようになりました。振り込まれる金額は雀の涙ほど。イヤイヤ、孵化したばかりの小雀の涙ほど…。健康保険料や介護保険料を差し引かれた金額が年金として振り込まれるものとは知りませんでした。赤字となっている普通預金の残高、1年間の年金振込みでは黒字転換ならず。
 
 認知症の母親との2人暮らし。母親1人を自宅へ残して外泊することなど、とても無理。1日外出することも侭ならなくなってしまいました。現在は、私が管理している母親の貯金通帳、「我が年金では、とても食えない。どうせ分かりゃしないから、適時⇒これを今年は常時に変更して、お袋の年金をくすねましょう」。
 
 東京での下宿生活を開始した昭和441969〕年は、大阪市電、川崎市電が全廃。世田谷線を残して玉電も廃線。花巻電鉄軌道線も廃線。他にも廃止された路線はあると思いますが、咄嗟には思い浮かびません。鉄道趣味誌で○○線は、×月△日限り廃線の記事を眺めると、即、廃止予定の路線撮影に向かったものです。慌しかった19歳の1年間でした。
 
 若い時には、やりたい事し放題。撮影した路線の多くは過去帳入りしてしまいましたので、今となって悔いはありません。若い頃と比較すれば、現在の生活は虚しい限りです。毎日、お袋の食事を工面。暫くしてお袋棟を覗き、食い散らかしたテーブル上の後片付け。何の感情も持ち合わせていない野良猫にも餌を督促されますからたまりません。毎日が同じ事の繰り返しです。
 
 
 
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 写真1枚目。昭和441969〕年、初めて周遊券なるものを使用して東北地方を巡りました。上野駅から急行「まつしま」に乗車。最初に下車した国鉄駅が福島でした。昭和44615日の事です。感動のてんこ盛りであった福島交通軌道線でしたが、初訪問から2年弱で全線廃線となってしまいました。今回の写真は、廃線間近の頃撮影したカットです。撮影場所は、分かる人であれば直ぐ分かる場所。白黒No.389179)・昭和461971〕年326日(1719)撮影。
 
 
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 画像2枚目。またまたストリートビューの1シーンを拝借しました。1枚目写真より少々後ずさりした形になると思います。カーブに沿って並べられた“鴻野輪業”さんの自転車位置に、この画像では白の軽乗用車が置かれているものと思います。道路に設置された花壇を背にして、狭い道路を画像左方向へ進むと軌道線顕在当時の面影を垣間見ることが出来ました。
 ワゴン車で糸魚川を目指す。帰路、息子を乗せて自宅へ向かったのは、平成242012〕年101日のことでした。撮影しながらJR大糸線に沿って一般道を南下。松本ICからは高速道路を利用しています。中央自動車道の恵那山トンネル【約8.5km。昭和501975〕年開通当初は道路トンネルの中で日本一の長さを誇る】を走行中に思ったことは、「トンネルだけは、何とか無事抜けて欲しい。途中、エンジントラブルでワゴン車走行不能になってしまったら成す術無し」。2車線とは言え、道幅が狭く路肩がありませんので走行していて怖いと思ったものです。北陸自動車道の苦い経験が頭をよぎりました。
 
 2ヶ月後、平成242012〕年122日の衝撃ニュース映像は、多くの死傷者を出した笹子トンネル天井板落下事故。笹子トンネルは、約4.7kmの長さ。昭和521977〕年開通。2度は間違いなく通り抜けています。恵那山トンネルも同様の構造に改修されたようなのですが、天井板が落下することなど運転中は想像もしませんでした。笹子トンネル事故後の映像を眺めて、「天井板支える構造、実にお粗末」と思ったものです。
 
 平成252013〕年210日、浜松市天竜区水窪町の吊り橋が傾き、高校生がけがした旨のニュースが報道されました。当初、JR飯田線の水窪駅から水窪川対岸の市街地へ通じるための吊り橋と思い込んでしまいました。トロッコファミリー号へ乗車した後、子供達+あゆみちゃんを連れて一緒に渡った思い出ある吊り橋です。事故が発生した吊り橋は、渡った吊り橋ではなく、下流側に存在する水窪町奥領家の吊り橋(通称・第一弁天橋)でした。車運転中に第一弁天橋を眺めたことはあると思います。
 
 『平成272015〕年131日午後510分頃、浜松市天竜区佐久間町川合の国道473号の吊り橋「原田橋」付近で土砂崩れが発生し、天竜川に架かる同橋が川に崩れ落ちた。橋の上に車を止めて作業していた市天竜土木整備事務所職員の男性2人が崩落に巻き込まれた。2人は近くの市立佐久間病院に搬送されたが、約2時間後に死亡が確認された。』これも悲惨な事故でした。「原田橋」は何度も渡っております。飯田線奥地の撮影に出向く際には、必ず渡る吊り橋でした。
 
 最近のニュースで「インフラが危ない」と時に耳にします。「昔からの道路を走るのは、命懸けと思わなければ…」。
 
 
 
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 写真は、福島交通軌道線1103号掛田行後追いカット。阿武隈川支流の摺上川に架設された軌道線用橋梁は木製でした。木で組んだ橋の上に軌道を敷設。それとは別に土砂を流し込んで、車も走行可能な併用橋となっています。電車が走行するのは下流側〔写真右方向〕。たまに通過する車は上流側を使用します。木橋の名称は「幸橋」。重量制限道路標識は4tと表示されて、電車の制限速度は10km/h。軌道敷エリアには木材が敷き詰めてありますので車の走行も可能です。軌道と下流側欄干との間には、人が歩ける程度のスペースがあり、レールと直角に木材が並べてありました。所々が朽ち果てて落下しているため下の流れが眺められるような箇所も存在しました。欄干含めて橋そのものが波打っておりました。ちなみに電車の自重、多くは10.25t。続行電車が直ぐ後を走行することもありました。福島交通軌道線を紹介する趣味誌では、必ず掲載される「さいわいばし」であったと思います。「この様な角度で撮影したカット、存在するかなー?」と思っている写真を紹介しておきます。防音壁備えた新幹線高架軌道を撮影するのとは、一味違うと思います。「幸橋」の概要を知りたい方は、「福島交通軌道線」画像検索でもしてみて下さい。今になって改めて見返すと、「インフラが超危ない」。白黒No.2641817)・昭和451970〕年111日(1238)撮影。

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