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写真1枚目、tomtomさんの実家に近い福島交通軌道線瀬上荒町電停の写真をお見せします。福島交通軌道線の中にあっては、特異な電停であったと思います。理由は写真を見ての通りです。この辺りは市街地区間のため、店の前などに駐車中の車がソコソコ写っております。ここへ軌道線電車が到着。列車交換が終るまで車は通行不能となってしまいます。架線柱の影が目障りで、小さな方向幕に掛田と表記された1117号と福島行1115号。ラッシュの時間帯には4両の車両で電車交換することもありました。写真奥が長岡分岐点方向です。1115号側には「食堂新井屋」。写真奥に向って「タナカ理容店」、「はきもの やいち?」、「新光堂時計店」、「?さんクリーニングセンター瀬ノ上店」と商店が並んでいます。写真左手には「アサヒタクシー」営業所も確認出来ます。電車から下車してタクシーを利用したくとも、これではタクシーが出られません。現在も営業中の商店が健在なのでしょうか?。No.290−2・昭和46〔1971〕年3月24日廃線間近の頃撮影。
tomtomさん、ゴメンナサイ。福島交通軌道線のカラー写真は採用されませんでした。以下で愚痴を書かせて貰います。
『さて、弊社が編集を行っております『歴史でめぐる 鉄道全路線 公営鉄道・私鉄編』もすでに半数の号の入稿を終え、発売済みの号も好評をいただいております。
これもひとえに皆さま方のご協力の賜物と感謝いたしております。
つきましては、後半の号につきましても皆様方からお写真をお借りしたいと思っております。刊行予定、お写真の締切は下記のとおりです。該当のお写真をお持ちでしたら、ぜひお貸しください。
遅くとも写真選考日の1週間くらい前までに、お写真をお送りいただければ、ありがたく存じます。何卒よろしくお願いいたします。
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号 発売日 内容 <写真選考日>
20 7月19日 会津鉄道/野岩鉄道/阿武隈急行/福島交通/仙台市交通局/仙台空港鉄道 <3月31日>
途中省略……
30 10月4日 その他の鉄道(鋼索鉄道、モノレールなど) <6月16日>』
3月23日、上記の様なメールが届きました。そこで早速、田口線写真を担当されていた若い男性編集者さんに電話をしましたところ、田口線写真の本刷り結果が良かったことから、この様な経緯に至ったそうです。ありがたいお話と思い、突如仕事を中断して早々に福島交通軌道線の写真6カットをメールする結果となりました。この日に決起しないと写真選考日には間に合わない状況でした。印刷バージョンで仕上げたカラー写真を1枚づつメール。内容を確認して貰ったところ、悪くないようですから、「これで2カット位は使用して貰えるのでは?」と手応えを感じました。
以来待つこと4ヶ月程。7月19日、台風6号接近の中、車検上がりのワゴン車を走らせ書店へ向っております。取寄せ依頼してあった「週刊 歴史でめぐる 鉄道全路線 公営鉄道・私鉄 No.20」を早速開きました。メールした写真は1カットも使用されませんでした。「福島交通の廃止線」として取り上げられていた写真7カットは、全て福島交通所蔵写真ばかりです。「本家本元の写真が使用されたのであれば仕方無いか。あのメールは何であった?。監修は彼かよー」と思った瞬間です。最初から監修者が分かっていれば、写真をメールすることもありませんでしたが、今となっては後の祭です。ワクワクしていた4ヶ月とは裏腹に、1日中不機嫌な7月19日となってしまいました。軌道線電車が走っていた時代を良く知らない人物が、知ったかぶりして纏めると、「この様な感じになってしまいますか……」。率直な印象です。
保原線の紹介記事の写真説明書には、『保原市街の中心部。保原十字路付近。1970年頃。この頃には自動車の交通量が増え、電車は邪魔者扱いされるようになっていた』と表記されています。電車は梁川線に属する区間を走行中です。保原線での写真が無かったということなのでしょう。この電車は腰板部分に「長い間ありがとうございました 福島交通」と表記された横幕を掲げています。撮影日は廃線間近の頃で、昭和46〔1971〕年3月下旬〜軌道線運転最終日の4月11日の間になると思います。
梁川線の紹介記事の写真説明書には、『大立目停留場、1960〜70年代。長く郊外に延びる梁川線には、未舗装道を走る区間もあった』と表記されています。これも腑に落ちない表記です。福島駅前を発車した電車は文知摺通電停の先、国道4号線までの区間が舗装されていました。以降は未舗装道路を走行していたと考える方が宜しいのでは…。瀬上から長岡分岐点に至る区間と、保原市街地、新開〜梁川間の一部。舗装された道路で思い起こされるのは、この程度です。1960〜70年代とは何を根拠にした数値なのでしょうか?。この10年の間に車両塗装の変更、行先表示板の有無、沿線風景も変化しているハズです。
掛田線の紹介記事の写真説明書には、『掛田線の金山〜掛田間。1960〜70年代。未舗装のため、レールには土がたまって電車が立往生することもあった』と記されています。この電車も横幕を掲出していますので、廃線間近に撮影されたものと思います。余裕を見た10年の間で撮影された写真ではありません。自信はありませんが、撮影場所は柱田〜金山間では?。私も同じ様な写真を撮影しました。掛田線沿線の凸凹道を建設省の車両〔モーターグレーダー〕が地均し作業しておりました。均した土で線路は埋まってしまいます。モーターグレーダーが走行する日は、電車運転士さん横にシャベルを所持した保線作業員さんも立っていました。線路が埋まっている箇所を見付けると、保線作業員さんが電車から降りて線路の掘り起こし作業を開始します。鉄道週刊誌写真も道路に条痕が残っていますので、モーターグレーダー走行後に撮影された写真と思います。
採用されることもなかったカラー写真2枚も添付しておきます。
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