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「地位も名誉も金も無い。何も無ければ悔いも無い」 この様な現状に至ってしまったのは、図面屋稼業を仕事にした結果です。20代の頃と同じ作業を現在も続けています。手書きからCADでの作図にはなりましたが、目は遠くなるし、気力も衰えるばかりの昨今です。「このスパンで、○○kgの荷重に耐える部材は、この程度で良かろう…」と考え作図することになります。強度計算してみると、そこそこの数値になりますので、感が働くようにはなりました。今になって写真を眺め、「この様な鉄橋であった」と思うのが、福島交通軌道線の松川橋です。
福島交通軌道線には長い橋梁が3ヶ所存在しました。阿武隈川本流に架設された“伊達橋”は併用軌道のトラス橋梁。阿武隈川支流の摺上川に架設された“幸橋”は併用軌道の木製橋梁で、共に味わいある橋梁でした。これらに比較すると、有り触れたアンダーガーダー橋梁と思っていたのが、専用軌道の“松川橋”です。松川も阿武隈川の支流になります。正式な名称は知りませんが、橋梁付近の電停が「松川橋グランド前」ですから、“松川橋”としておきます。
写真1枚目、松川橋グランド前を発車して、松川橋を渡り大日堂前へ向かう2022号掛田行後追いカット。写真右手が国道4号線の道路橋。松川の流れ、写真左手から右手に流れ、阿武隈川へ合流します。No.234−23・昭和45〔1970〕年10月29日(10:30)撮影。
写真2枚目、国道4号線の道路橋から撮影した松川橋の中程。走行するのは1103号。写真左手が信夫山。松川橋グランド前〜大日堂前間になります。水流上部のプレートガーダー〔と思われる〕橋梁が、軌道線電車が走行するのに適した大きさであったと思います。コンクリート製橋脚のスパンと、電車の自重〔公称自重は、全車両共10.25tと発表されています〕を絡めて眺めると、バランス良い印象を受けます。写真右手の赤い橋梁部分は、次の写真で紹介します。No.234−25・昭和45〔1970〕年10月29日(10:45)撮影。
写真3枚目、2枚目写真の大日堂前側。走行するのは1106号。赤い2連の橋梁、水流上部の橋梁に比較しますと、桁高さが高い橋梁が架設されています。「水害で、この部分が流され、強固な橋梁として架け替えられたのでは…」などと勝手な想像をしています。重量制限4tの道路標識が立てられていた木製橋梁の幸橋は、10t程の電車が続行運転でやって来ました。あの光景に比較しますと、「2連の赤い橋梁は過剰設計では?」などと考えています。ところが、赤い橋梁の写真右手は、H鋼〔I型鋼ではないと思います〕が2本渡されているのみです。断面係数を比較すると赤い橋梁の1/10程度の数値になるのでは?。この様にスタイルで連なった橋梁、他にあるのでしょうか。更に気になるのが、この部分の橋脚です。鳥居の様な姿に見えるコンクリート製橋脚で、少々傾いている様な気がします。この橋脚上に、コンクリートブロックで嵩上げ。その上にH鋼が載せられた状態です。H鋼の固定方法は判断出来ません。何とも不安定な印象を受ける建設方法です。No.84−27・昭和44〔1969〕年6月16日(17:27)撮影。
写真4枚目、廃線間近の頃に撮影。松川橋グランド前を発車し、松川橋を渡り始めた1106号梁川行。松川橋の堤防側両端は、H鋼が渡されていました。プレートガーダー橋梁より断面係数が小さくなりますので、スパンを短くするために橋脚が追加されています。橋脚は意外にも木製でした。No.289−9・昭和46〔1971〕年3月24日(11:01)撮影。
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