連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

福島交通軌道線

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福島交通飯坂西線

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 中学生の頃、鉄道模型製作の参考書として購入していたのが、“模型と工作”。記事の内容により、たまに購入するのは、“模型とラジオ”。
 福島交通の連接車製作を思い立ったのは“模型と工作”の図面を眺め、「格好いい電車」と思ったからです。当時、購入可能な模型パーツは、モーター・インサイドギャー・台車程度です。台車は近鉄電車が使用している代物で、実車が履いている台車など入手出来ない時代でした。ボディはペーパー製。ベンチレータはプラモデルから転用。パンタグクフは真鍮で自作したものです。当時の我が鉄道模型、運転会で使用したいと友人が持っていったまま、長い間、彼の実家に置かれたままでした。東京の生活から、豊橋へ戻ってしばらくすると、これらの模型が戻ってきました。友人に預けた事などすっかり忘れていました。背広が入っていた箱に納めた数両の鉄道模型。蓋を開いて、久々感慨に耽っていると、猫の“ゴロ”が、模型を踏み付け走り抜けます。福島交通連接車のパンタグラフは壊されてしまいました。「ゴロの馬鹿ったれ!」
 国鉄福島駅と飯坂温泉を結ぶ鉄道線。初めて撮影した頃は、軌道線の総称・飯坂東線に対して福島交通飯坂西線と呼ばれていました。モダンな日本車輌製電車が活躍する9.2kmの路線です。実物を見ないまま製作した飯坂西線の連接車は、昭和38年製、デハ5012+5013。この2年後には、同様のスタイルで、モハ5100形+クハ5200形が登場していますが、こちらはボギー台車の2両編成です。更に、昭和46年には、モハ5318・モハ5319の2両も投入されています。モハ5300形は、貫通扉を備えた両運転台車。平成3年、750Vから1500Vへ昇圧の際、栗原電鉄へ譲り渡されています。以降、新造車両の投入は無く、東急のお古車両が走行する路線となっています。撮影したのは、東急5000系譲渡車の時代までです。

 写真1枚目、モハ5114+クハ5215。医王寺前〜花水坂間。No.240−8・昭和45〔1970〕年11月2日(9:47)撮影。

 写真2枚目、坂を下って行く1208+1209、後追いカット。医王寺前〜花水坂間。この間には、45.3‰の急勾配が存在します。No.240−13・昭和45〔1970〕年11月2日(10:50)撮影。

福島交通軌道線、その3

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 今回は掛田線を紹介してみたいと思います。保原〜掛田間のキロ程は6.3km。この間のみで、故郷豊橋の市内線以上の距離がありました。保原を発車すると、次の電停は中村。中村を発車して左折した辺りまでが保原の町中です。以降、次の交換可能電停柱田までは水田地帯を一直線。見晴らしの良い約2kmの直線区間で、電車は砂埃を巻き上げながら、電車に向ってくる軌道上の車を排除して、かっ飛ばしていました。柱田を発車すると風景は一変して山間の勾配区間に変わります。1.7km走行すると、金山電停。更に1.8km走行すると終点の掛田に到着します。
 日没後に、この区間を利用しますと、銀河鉄道に乗車しているような錯覚に陥ります。周辺に全く灯りが見えません。運転台越しに前方を眺めていても、暗いヘッドライトで照らし出された前方のレールが僅かに見えるのみでした。昼夜共々、恐怖を覚える乗車体験が残っております。

 写真1枚目、柱田〜中村〔写真後方〕間を掛田へ向かう1104号。写真後方を横切る築堤は、建設途中で工事が中断していた国鉄丸森線。現阿武隈急行です。No.118−4・昭和44〔1969〕年9月2日(11:05)撮影。

 写真2枚目、金山〜掛田間、金山を発車した1112号掛田行が勾配区間を上って来ます。電車の写真右手には“圧力計指示確認”と表記されたボードが設置されていますが、夜間は確認し辛かったものと思われます。凸凹道を自転車通学する学生さん、キツそうです。No.117−24・昭和44〔1969〕年9月2日(8:14)撮影。

福島交通軌道線、その2

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 晩年の福島交通軌道線を走行した電車は、日本車輌製造蕨工場によって製造されています。日本車輌の図面集、昭和30〜31年製造の9両。最大幅の寸法1950に横棒が書き加えられ、1675幅が追記されています。「狭い寸法で製造されたと思われる」と表記されていますが、この図を引き直してみますと、最大幅1675では、実車のイメージになりません。最大幅寸法1950が正解のようです。最新型の2022・2023でもボディーの幅は1920mmです。狭い田舎道を走行する、みちのくの軌道線電車は、最大幅が2mに満たない車両ばかりです。
 ナローゲージの花巻電鉄。福島軌道と同年代頃に製造されたデハ21・22。デハ57。モハ28。これら車両の最大幅は2100mmですから、福島交通軌道線車両は、ナロー電車よりスリムな電車ということになります。

 写真1枚目、保原方面から長岡分岐点に到着間近の1104号。国道4号線を越える架道橋〜長岡分岐点間の僅かな距離は、特に狭さを感じる区間でした。向かって来る電車を気にすることもなく小学生が家路を目指しています。No.236−5・昭和45〔1970〕年10月29日(16:26)撮影。

 写真2枚目、梁川線の大立目〜猫川間、1106号福島行。保原の町はずれから、交換可能な大立目電停の先までは、道幅が5m程度の農道にレールが敷設されたような区間でした。この区間で撮影したカットに車が写っている写真は少ないです。No.237−11・昭和45〔1970〕年10月31日(8:23)撮影。

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 主に狭い道路端の砂利道を走行した福島交通軌道線。みちのくの田舎電車は、慌てず焦らず、のんびりと走行していました。

 写真1枚目、新鎌田〜鎌田支所前間を走行する1101号、福島行。写真を横切っている道路は幹線道路であったものと思われます。道路を横断する電車は一旦停車し、車の通過が無いことを確認しながら、ソロリソロリと横切って行きました。行き場を失った乗用車がうろたえています。警報機が備えられていたのは梁川駅付近のみでした。No.119−26・昭和44〔1969〕年9月3日(16:15)撮影。

 写真2枚目、本内〜大日堂前間、1105号〔梁川行?〕。民家の生垣すれすれに走行します。窓から顔を出していようものなら、顔、血だらけになります。No.84−26・昭和44〔1969〕年6月16日(17:17)撮影。

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 路面電車が急カーブを曲がるシーンをお見せします。

 写真1枚目、大好きであった福島交通軌道線・上町〜本町間、繁華街、中合デパート付近の急カーブを進行する1104号です。写真右手が駐輪場? ここに置けない自転車は軌道上に放置されていました。運転士さんは、これら自転車を排除するのも職務の一部でありました。No.82−27・昭和44〔1969〕年6月15日(15:20)撮影。

 写真2枚目、豊橋鉄道市内線線・井原電停の急カーブを走行するモ3702です。いよいよ引退するモ3702のさよなら運転です。井原電停に立つと、今は無き福島交通軌道線の急カーブを思い起こします。排障器はレールの外、車内からの運転台越し風景は左右に流れます。是非体験してみて下さい。No.2187−19・平成19〔2007〕年3月17日(昼頃)撮影。

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