連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(9/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

横浜市電・川崎市電

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

 横浜市電保存館には7両の横浜市電車両が保存されているようです。保存館を訪ねたことはありませんので、車両がどの様に配置されているものかは知りません。内訳は523号・1007号・1104号・1311号・1510号・1601号・無蓋貨車10号。
 
 保存館とは別に久良岐公園に1156号、中田小学校に1508号、野毛山動物園の休憩スペースとして1518号、神奈川県警交通安全センターに1505号と4車両が静態保存されたようです。
 
 横浜市電を撮影したカットの中に上記保存車両の一部は写っているものと思います。現役当時の姿を撮影してある確立は50%位でしょうか?。523号は単車ですから撮影出来なかったかも?。
 
 数カットながら撮影してある10号電動貨車の画像を紹介しておきます。全長より長いレールを運転台の両側に載せて保線作業に出動した10号電動貨車の写真は、横浜市電を纏めた写真集で眺めたことがあります。特に印象的であったのは横浜市電全廃の時、花電車に仕立てられたことでした。カラー写真が鉄道ファン誌の表紙を飾りました。ファン誌表紙カラー写真をカメラで複写したのも随分昔のことになってしまいました。個性的な車両ではありましたが、保存されるとは思ってもみませんでした。
 
 
 
 
イメージ 1
 写真1枚目、滝頭車庫に留置されていた10号電動貨車。ハンドブレーキが懐かしい。白黒No.3182727)・以下全て、昭和461971〕年21日(1200)撮影。
 
 
イメージ 2
 写真2枚目、出庫するためには、カーブに沿って写真左手方向へ進むことになります。水路に沿った電車通りから庫内を眺めても留置車両が眺められない車庫であったと思います。白黒No.3182929)・
 
 
イメージ 3
 写真3枚目、逆光で撮影した10号電動貨車正面。反対側には軽乗用車が置かれていましたので、やむを得ず。白黒No.3183030)・

この記事に

開く コメント(3)

開く トラックバック(2)

最初が最後の川崎市電

 両親をブルーバードに乗せて東名高速道路を初めて走行したのは、入学手続きと下宿探しのために東京へ向った折と思います。昭和441969〕年、高速道路を走る車は微々たるものでした。3台の車を追い抜いた記憶が残っています。抜かれることはありませんでした。母親実家で1泊した翌日、東京を目指したものと思います。箱根越えにはチェーン規制の案内表示。止む無くチェーンを装着。雪の無い道路を「ガチャガチャ」音させながら走行するも道路に雪はなく、結局、チェーンは外すことに…。入学手続きを済ませて大学付近の路上で車中泊を試みたのですが、寒くて寝られたものではありません。車内を暖めるため、土地勘のない都内の道路を夜中に走行。銀座通りで警察の検問に引っ掛かってしまいました。「お母さんですか?」と聞かれて即放免に。下宿先は雑色に決まりました。「ざっしょく?、変な地名」と思ったものです。「ぞうしき」とは読めませんでした。川崎市電の撮影には、三島市の母親実家から出向いたものと思います。46年前の断片的な記憶を繋げただけですから、間違っていたら後日訂正。
 
 ちなみに、東名高速道路、静岡IC−岡崎IC間の開通は、昭和441969〕年21日。厚木IC−大井松田IC間、御殿場IC−富士IC間の開通は、昭和441969〕年331日。大井松田IC−御殿場IC間開通は、昭和441969〕年526日で全線開通とありました。
 
 下宿先の最寄駅が京浜急行の雑色駅。停車するのは普通電車のみです。雑色駅から浦賀行普通電車に乗車すれば、次駅は六郷土手〔地表駅〕。六郷川〔多摩川〕を鉄橋〔架け替え前〕で越えると東京都から神奈川県に変わり京浜川崎駅。下宿先から川崎までは20分程です。下宿生活を始めた時、川崎市電は既に全線廃線直後。それでも一部路線の廃止が始まっていた都電や横浜市電の撮影に出向くには、雑色は好都合の場所でありました。東京急行玉川線は、下宿生活1ヶ月後に廃線。1年の13は、日本の何処かを飛び回っていた昭和44年でした。
 
 川崎市電最後の運転日が、昭和441969〕年331日。この日は大阪市電最後の運転日でもありました。川崎駅前から終点までの片道を歩きましたが、川崎の街中には亜硫酸ガスが漂っており撮影途中から頭が痛くなりました。終点から市電に乗車して川崎駅前に戻り、川崎からは撤収。江ノ電の撮影に向っております。鉄道ファン誌に“消え行く路線を訪ねて・江ノ島鎌倉観光”なる記事が掲載されましたので、「江ノ電も撮っておかなければ…」などといった気持ちが働いたのかも知れません。
 
 
 
イメージ 1
 写真1枚目。川崎駅前のお別れ装飾、川崎市電701号池上新田行。表示どおり戦時中に開業して25年で歴史を閉じた短命の路面電車でした。白黒No.2151A)・以下全て、昭和441969〕年331日撮影。906撮影。
 
 
 
イメージ 2
 写真2枚目。商工中金前〜川崎駅前間、川崎駅前へ向うお別れ装飾、川崎市電703号。701号と比較すると簡易装飾になっています。地表から高架軌道に変わった京浜急行線を1000形が走行中。白黒No.2172A)・926撮影。
 
 
 
イメージ 3
 写真3枚目。第一国道電停より135mm望遠レンズに付替えて撮影した川崎市電604号川崎駅前行後追いカット。白黒画像が無いため、かなり以前、無作為に取り込んだ数カットの内の1枚です。交差点の中でレールがクネクネしているのは何故なのでしょう?。RFNo.7026957撮影。

この記事に

開く コメント(0)

 客先会社の人物が手配してくれたチケットでプロ野球巨人vs大洋の試合観戦に同行したのが、初めての横浜スタジアム入場であったと思います。横浜スタジアムの竣工は、昭和531978〕年3月とありますから開場して間もない頃であったのかも?。
 
 図面屋家業で下層階級の生活を繰り返しておりました昭和501975〕年、万年Bクラスの広島カープが初のリーグ優勝。これには感動しました。以来、気に掛かるプロ野球球団は「広島カープ」。
 
 横浜スタジアムへは数回、広島vs大洋の試合観戦に出向いております。明日の予定が定かでない図面屋家業では前売りチケットを購入することは出来ません。広島戦であれば、気の向いた時、ぶらりと出掛けて3塁側内野席を容易にゲット出来ました。京急蒲田駅から京浜急行、根岸線を利用して行き易い場所でもありました。鉄人・衣笠祥雄選手と山本浩二選手の各々がホームランを放った日もありました。特に印象強かったのは衣笠選手のファールボールで、座っていた場所の右手3メートル程の所へ飛んで来たボールは、ミサイルの様な印象で恐怖を覚えたものです。関根監督率いるヤクルト×大洋戦も1度だけ眺めております。読売巨人軍終身名誉監督ご子息が、3塁の守備に就いているシーンはカメラで撮影しました。
 
 
 
イメージ 1
 写真は、花園橋電停を発車して花園橋交差点を横切る横浜市電8系統1020号葦名橋行。桜木町駅前を発車して横浜港寄り軌道を走った後に右折すると、この場所に辿り着きます。1020号が横切っている軌道を写真左手方向へ進めば、こちらも軌道は桜木町駅前へと続きます。写真後方の建物は、横浜スタジアム建設以前の横浜公園平和球場〔通称:平和球場〕。“1970年代初頭にはスタンドが半分近く使用不可能な状態であった”と記されています。横浜スタジアムへ出向いた頃には、横浜市電も全線廃止になっておりました。白黒No.10833)・昭和451970〕年38日(1357)撮影。

この記事に

開く コメント(3)

イメージ 1

イメージ 2

 明治5〔1872〕年10月14日、日本で最初の鉄道が、新橋−横浜間で開業。岡蒸気が走り始めた記念すべき日です。開業初日は記念式典が新橋駅で催され、明治天皇のお召し列車が新橋−横浜間を1往復運転。全線の正式営業は、翌10月15日からだそうです。当時の横浜駅というは、現在の桜木町駅のことで、東海道本線延伸に伴い「横浜駅」の名称を現在の横浜駅に譲り、大正4〔1915〕年に桜木町駅に改称されたと記されています。
 明治37〔1904〕年7月15日、横浜電気鉄道により、大江橋〔桜木町付近→当時の横浜駅付近〕−神奈川〔青木橋付近→現横浜駅東口の東京寄り〕間に軌道が敷設され、電車が走り始めたのが横浜市電の原点。現桜木町駅が横浜駅として開業。それから32年後に路面電車も運転開始。その後、建設されたのが現在の横浜駅。桜木町駅が横浜駅を名乗っていた期間は43年間ということになります。

 フィルムクリーナーでカビ除去後、スキャナーで取り込んだ横浜駅前カラースライドを眺め、「横浜市電健在の頃の横浜駅東口は、これ程、殺風景な所であった!!。桜木町駅を中心にして街が発展していったのだなー」と感じ入った次第です。
 浪人生活が確定した、昭和43〔1968〕年3月31日、カラーポジフィルムを充填したハーフ判カメラ1台を所持して横浜市電の沿線を歩いております。弘明寺や井土ヶ谷辺りを中心に30km程歩いたと記憶しています。横浜市電の一部区間が廃止になると知り、出向いたものと思います。この日は、走行する2軸単車の姿も随分見掛けたものです。それから1年後、東京での下宿生活開始直後に撮影したのが今回の写真です。35mmカラーポジフィルムを充填した1眼レフで撮影出来た横浜市電2軸単車の走行写真は、この2カットしかありません。大都市の路面電車はボギー車が主力で、廃線の方向へ向っていた時代に2軸単車の撮影が叶った思い出深い2カットなのです。

 写真1枚目、横浜駅前電停に到着した500形511号2軸単車。鉄道ピクトリアル 1969年 4月号・臨時増刊 通巻223号“全日本路面電車現勢”によれば、昭和44〔1969〕年当時、500形2軸単車は麦田車庫所属で5両が在籍していたようです。7補系統となっています。洲崎神社前〜八幡橋を結んだのが7系統。ラッシュの時間帯、7系統をこの511号が補完していたものと思われます。方向幕から、横浜駅前〜浦舟町を走行したようです。麦田車庫とは無縁のルートです。No.80−14・昭和44〔1969〕年5月16日(7:57)撮影。

 写真2枚目、横浜駅前電停より撮影した500形511号2軸単車浦舟町行。何処かの渡り線で折り返したものと思っています。現在、この道路上は高速道路になっています。写真左手が横浜駅舎。写真右手には、“横浜そごう”〔開業当時は、東洋一のデパートと呼ばれたと記憶しています〕も建設されました。高速道路も走行しましたし、“横浜そごう”へは何度も出向きました。横浜駅東口の光景は現風景に近いイメージが残ってしまいました。正月恒例の箱根駅伝。毎回、正午頃から眺めますので、スタート時は眺めたことがありません。復路では横浜駅前にカメラがセットされ、通過する選手の姿が放映されます。テレビカメラ設置場所は、この写真の真後ろと思っています。No.80−15・昭和44〔1969〕年5月16日(7:59)撮影。

この記事に

開く コメント(9)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 現在の日本国内でトロリーバスが運転されているのは、関西電力・黒部のトロリーバスと、立山黒部貫光のトロリーバスだけとなってしまいました。
 昔は、東海道線沿線の主要都市で眺められたトロリーバス。東京・川崎・横浜・名古屋・京都・大阪の各都市には存在しました。しかし、路面電車を補完する形で建設された路線のため、お目に掛かる機会が少なかった交通機関です。川崎は眺めたのみ。名古屋・京都は趣味誌で知るのみです。東京・横浜・大阪では、数カット撮影。
 一度だけ乗車したのが、横浜市交通局のトロリーバスでした。廃止が近付いたので、横浜駅前から横浜駅前までの間を外回り循環線で1回りしています。乗り心地は、バスというよりも東京モノレールや新交通システムに似た感覚でした。廃止となってしまう路面電車に目が向いていた時代で、「途中区間の走行シーンも撮影しておけば良かった」と後悔しております。
 当時のメモ帳を開きますと、昭和47〔1972〕年2月12日には、花巻電鉄鉄道線の撮影に出向いていました。2月14日は、相模鉄道を撮影。この後、横浜駅に戻ってトロリーバスを少々撮影。この日の夜行列車で再び、花巻電鉄鉄道線の撮影に向っています。2月15・16日で、花巻電鉄の全線廃止を見届けた事になります。
 乗車したトロリーバスでロケハンをしていたようで、バス停名の記録が残っていました。横浜駅西口―岡野町―浅間下〔せんげんした〕―浅岡橋―浅間町車庫前―洪福寺―宮田町―峰小学校前―峰岡町―常盤園下―和田町―和田町交差点―常盤園前―横浜新前〔横浜新道前?〕―岡沢町―市民病院前―三ツ沢西町―三ツ沢上町―三ツ沢小学校前―三ツ沢中町―三ツ沢下町―島田橋―ガーデン下―松本―泉町中央―泉町―鶴屋町3丁目―横浜駅西口へ戻る。和田町交差点〜岡沢町の間が、撮影に適した区間として記してありました。
 昭和34〔1959〕年7月16日に開業。昭和47〔1972〕年3月31日、残っていた横浜市電と共に、この日限りで廃止されています。20年たらずの活躍であったことになります。都市のトロリーバスとしては、最後まで残っていたトロリーバスのはずです。

 写真1枚目、横浜市電を撮影していた時、1枚だけ撮影したトロリーバス108号。102系統、循環外回り。横浜市電、浅岡橋〜浅間下間の浅岡橋電停付近。No.80−29・昭和44〔1969〕年5月16日(11:03)撮影。

 写真2枚目、横浜駅西口のトロリーバス114号。横方向へ2本伸ばしたポールなのですが、「よく外れない」と感心しながら眺めた記憶が残ります。No.401−14・昭和47〔1972〕年2月14日(15:05)撮影。

 写真3枚目、昨年、元事務所の忘年会へ向う際に撮影した黄昏時の横浜駅西口。トロリーバスを撮影した場所は、写真の左手を外れた辺りでした。トロバス撮影から37年程経過していますが、写真後方のビルは当時のままのようです。横浜駅東口程は変貌していませんでした。DNo.205前−97・平成20〔2008〕年12月13日(16:30)撮影。

この記事に

開く コメント(15)

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.


みんなの更新記事