連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

番外編

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]

 キャノンEOS630の上にニコンF80を載せた連写2眼の13号機。平成232011〕年730日、豊橋鉄道市内線でテスト撮影してみました。ニコンF−601で撮影済のコマが25カット。この白黒フィルムを一旦パトローネに巻戻すことにします。ベロ出しして改めてニコンF80に充填。レンズにキャップして14000のシャッター速度で28回程シャッターを切りました。残りの8コマ程をニコンF80で撮影。この後、新しい白黒フィルムを充填して1本撮影。白黒フィルムの現像は2本一緒に処理しますので、これで現像のお膳立ては揃いました。
 ところが、更に新しい白黒フィルムを充填しようとしたところ裏蓋が閉まりません。フィルムカメラの裏蓋が浮いた状態では光が入ってしまいますので、カメラの機能は果たせません。裏蓋のフックが破損しておりました。ニコンの一眼レフは堅牢なボディーと思っておりましたが、「こんなキャシャな作りであったのか‥」。ニコンF80のための改良工作。上手く事が運んだと自負していましたが、カメラ本体が壊れてしまいましたのでガックリ。40カット程撮影してテスト撮影は断念しております。
 自宅へ戻ると、ニコンF80の修理に挑戦します。片付けた工作台を再びセット。折れたプラスティックのフックを0.2mmの洋白板で製作。再度テスト撮影したところ、問題は無さそうです。キャノンとニコンを一緒に使用していて、常に不満があるのはニコンの方なのです。ニコンF−601をニコンF80に載せ替えたことで、やっとキャノンEOS630と同様の撮影が可能になりました。
 
イメージ 1
 写真1枚目、蓋を閉めようとしただけで、折れてしまったニコンF80裏蓋のフック。後日、“日の出カメラ”にニコンF90の中古ボディーが売りに出ていました。手にして真っ先に確認したのが、裏蓋フックの構造です。「こちらは、これ程ゴツイ構造でしたか」。しかもレバー2つで開閉するようです。ニコンF80裏蓋のフックが欠陥であったものと思います。ニコンF90のメカに似た構造であったのが、息子に買わせてしまったデジタル一眼ニコンD200のメモリーカード収納箇所のカバーです。ワゴン車の振動でプラスティックの小パーツが折れてしまいました。結果、メモリーカードが交換不能です。知人のニコンD200を見せて貰いましたところ、「カバー開閉のために、何故、この様な複雑な構造にしなければならない?」。D100No.4941・平成232011〕年730日(2116)撮影。
 
イメージ 2
 写真2枚目、ピンク色に着色した箇所が折れてボディー内に残ってしまったニコンF80の裏蓋フック。瞬間接着剤で仮止めして寸法を測定。D100No.4946・平成232011〕年730日(2119)撮影。
 
イメージ 3
 写真3枚目、折れた裏蓋フックの代わりに0.2mmの洋白板でフックを製作。ゼリー状接着剤で張り付け、1.2mmのビスで固定しました。洋白板のみでも大丈夫のようですが、折れてしまったプラスティックも固定。カメラ本体の溝に収まりませんので、ビスの頭はやすっています。D100No.49414・平成232011〕年81日(1411)撮影。
 
イメージ 4
 
 写真4枚目、駅前電停付近ですれ違う回送モ3203「ビール電車」と競輪場前行「ほっトラム」。「ビール電車」営業運転初日に、ニコンF−601で撮影したカットです。このフィルムをニコンF80に入れ換えたところ画像中央に撮影データが書き込まれてしまいました。「あ痛っー」。途中まで撮影済のフィルムを入れ換えたことが失敗でした。新しいフィルムであれば、コマとコマの間に撮影データが記録されます。この様な機能が備えられているとは知りませんでした。確かにありがたい機能で、キャノンEOS630には備えられておりません。フィルムを途中で抜く時は、今後要注意といったところです。白黒No.384723・平成232011〕年617日(1739)撮影。
 
イメージ 5
 写真5枚目、4枚目写真のデータ数値を削除するためレタッチ。「ほっトラム」側面に「ビール電車」が映っていますので中々難しかったです。白黒No.384723・平成232011〕年617日(1739)撮影。
 
イメージ 6
 写真6枚目、阪急・名鉄交流会さんチャーターのモ801貸切電車。キャノンEOS630で撮影。東田〜競輪場前間で交換電車待ち。No.24436・平成232011〕年916日(1352)撮影。
 
イメージ 7
 写真7枚目、ニコンF80で、6枚目写真と同時撮影。同時に撮影したつもりですが、写真左手の軽乗用車の位置が異なっていました。キャノンEOS630に対して、ニコンF80は少々下を向いています。暫く使用して後日考えることとします。AFも上手く作動するようですから、ニコンF80のファインダーを覗くことはありません。ヤレヤレです。白黒No.38536・平成232011〕年916日(1352)撮影。
 
イメージ 8
 写真8枚目、プラスティックの小パーツレバーが破損してしまったため、ニコンD200のメモリーカード収納箇所のカバーが開きません。息子が豊橋へ戻って来た際、何度もトライしましたが駄目でした。昨日、フックを壊す覚悟でカバーをこじ開けたところ開きました。フックが破損することもありませんでした。カバーはスプリングで常時開いている構造のため、ビス止めフックを外して、カバーはスコッチテープで押さえました。撮影には支障が無いようです。写真に書き込んだ金属レバーのストッパー、想像以上に固いバネが使用されているようです。このレバーを操作するプラスティックの小さな回転レバーは、やはりキャシャだと思います。7DNo.5210・平成232011〕年107日(141)撮影。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

 確か、連写2眼〔2台の1眼レフカメラを連動させて写真を撮る〕の13号機になると思います。40年以上、この様なカメラで撮影しておりますので、意地でも辞める訳にはいかないのです。撮影を目指す時、上下2段カメラを準備することで気持が入ります。デジタル1眼を仲間に加えてことで、少々、14号機の出番が少なくなってしまいました。

 写真1枚目、キャノンEOS630の上に載せたニコンF−601。写真はズームレンズを装着していますが、普段は、共に50mmF1.4レンズを装着して使用します。20年近くは使用していると思います。それまで使用していたのは、キャノンAE−1+Pの上にニコンFAを載せたもので、マニュアルカメラの2段重ねでした。手持ちで列車の前後を撮影するのですが、1カット撮影すると上下2台のフィルム巻上げレバーを各々手動で操作しなければなりませんでした。高速な単行列車の後追いカットは逃がしてしまいます。そこで挑戦したのがAFカメラの2段重ね。モータードライブが欲しかったのです。マニュアルカメラのシャッターボタンは上から真下に押せば良かったのですが、EOS630のシャッターボタンは斜めに押すタイプで、レリーズ固定用のネジ穴がありません。上下カメラのシャッタータイミングを調整するのに苦労したものです。80−200mmF2.8のレンズ2本を装着しても使用可能な構造としてありますが、重くて移動に手間取るため、あまり使用することはありませんでした。ニコンF−601のAF機能は信用出来ませんので、置きピンで使用しています。D100No.493−53・平成23〔2011〕年7月29日撮影。

 写真2枚目、キャノンEOS630の上に載せたニコンF−601M。ピントはマニュアルで撮影するため、ニコンF−601の予備機として購入したのがニコンF−601Mでした。同じ形状と思っていましたが、ニコンF−601Mは、高さが低いため3mmのアクリル板+ボール紙のスペーサーが必要です。50mmF1.8レンズを装着して、気が向いた時に載せ替えます。D100No.493−56・平成23〔2011〕年7月29日撮影。

 写真3枚目、ニコンF−601/キャノンEOS630の13号機、連写〔本来の〕しますと、EOS630が10コマ送る間にニコンF−601は4コマ程度です。そこで製作したのが14号機でした。こちらはキャノンEOS10の2段重ねです。AF撮影も可能で、上下2段で連写しても同じ様な撮影結果が残ります。こちらは135mmF2.8レンズの専用機として使用しておりました。ただ、使い勝手は13号機よりも扱い辛いです。たまたま“日の出カメラ”で売りに出ていたニコンF80を購入。ニコンF80/キャノンEOS630に組み替えればAF撮影も可能と判断しました。「さて、どうしましょう?」。従来の真鍮装置を改造することも考えましたが、上部を新たに作り替えることにしました。久々に真鍮工作に挑戦。まずはt=1mmの真鍮板の切り出し作業です。「より目が遠くなったので、シンドイ」。D100No.493−25・平成23〔2011〕年7月18日撮影。

 写真4枚目、ニコンF80用ベース板に角パイプを固定します。D100No.493−33・平成23〔2011〕年7月19日撮影。

 写真5枚目、現物合わせの工作も、ここまで進みました。D100No.493−49・平成23〔2011〕年7月26日撮影。

 写真6枚目、エアーレリーズの使用も考えていませんので、取り合えず撮影可能な状態までには辿り着きました。D100No.493−59・平成23〔2011〕年7月29日撮影。

 写真7枚目、仕事も無くて遊んでいる様な状態でしたので、10日程でここまで完成。上下のカメラを覗き込んで、ニコンF80の上下左右の方向を調整するつもりでいましたところ、微調整は全くありませんでした。真鍮レバーを少々押すと、まずニコンF80のAFが作動します。続いてキャノンEOSのAFが作動。上下のピントが定まったところでレバーを押し込むと上下カメラシャッターが同時に切れます。ニコンF−601/キャノンEOS630では、独特のシャッター音ですが、ニコンF80はシャッター音が静かなため、キャノンEOSのシャッター音しか聞き取れません。予想以上の好結果が得られました。暫らくはテスト撮影を繰り返し、問題が無ければ塗装するつもりでいました。「テストのため、いざ出撃」。結果は、1時間程撮影したところでトラブル発生。「メゲルよなー。今年はケチの連続かいなー!!」。D100No.493−63・平成23〔2011〕年7月29日撮影。

開く トラックバック(2)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

 4日間の休みを使って、息子が富山から豊橋へ帰省。4月3日、富山に戻ります。この時、息子の車に便乗して富山へ出向くことを決断しました。折り良く、仕事がケリになりましたので、グッドタイミングです。4月4日は、富山市内の路面電車を撮影。4月5日は、ゴチャゴチャの居住空間を整理するため、ワゴン車を借用してホームセンターへ材料の買出しに出て、ラックを組み立てる事を考えていました。そして4月6日、列車で豊橋へ帰る。その様な予定を組んでいました。息子の部屋には寝場所も布団もありませんので、寝袋だけは積み込んでいます。
 息子のアパートを訪ねるのは、1年8ヶ月ぶりです。部屋へ入ると以前よりは片付いています。ベッドから布団使用に変わっていますので、ラックを組む場所がありません。ベッド横に柱4〜5本を立てて、上部を横材で接続。横材を利用して棚を作ることを考えていましたが、邪魔になるようなのでラックは断念しました。4月4・5日、息子は仕事に出ます。早朝に出て夜遅く帰ってきます。息子の部屋に居てもすることがありませんので、結局、2日間は鉄道の撮影に向いました。小さな炬燵が置かれていますので、炬燵で寝ることとし、持参した寝袋を使用することはありませんでした。
 4月6日、高山本線の特急「ワイドビューひだ18号」に乗車して自宅へ戻っています。撮影したデジカメ画像は800カット程。フィルムでの撮影は6本づつ。現在も写真後処理が終わっていません。取りあえず富山までの写真を少々並べてみます。

 写真1枚目、自宅出発は15:30。合鍵を作るため、まずはホームセンターへ向かいました。そして、東名高速道路を走行中。名鉄本宿駅付近で撮影したようです。豊田ジャンクションまでは、昨今、慢性的に渋滞する区間。この日は流れている方でした。7DNo.13−8・平成23〔2011〕年4月3日(16:38)撮影。

 写真2枚目、久々の東名高速です。豊田JCTまで4.9km地点。「この道路案内標識、何時出来た?」。“名二環〔めいにかん〕 名古屋南JCT⇔高梁JCT 3/20 日 15時 開通”とも表記されています。高速で通過する際には、瞬時で判断可能な案内板ではありません。撮影画像をじっくり眺めても良く分かりません。名古屋第二環状道路の存在をアピールしているものと思いますが、カーナビ無しで案内標識頼りに走行する者には、判断し辛いです。7DNo.13−10・平成23〔2011〕年4月3日(17:02)撮影。

 写真3枚目、豊田JCTで、東海環状道に分岐。自ら単独で富山へ向う時も、必ず立ち寄るのが“鞍ヶ池PA”です。食料〔店はサークルK〕の調達、トイレ等は、ここで済ませておきます。SA;サービスエリア。PA;パーキングエリア。「Piって何?」。7DNo.13−12・平成23〔2011〕年4月3日(17:14)撮影。

 写真4枚目、“鞍ヶ池PA”からは運転士交代。この先には長いトンネルが幾本も存在します。美濃JCTから東海北陸道を走行。“瓢ヶ岳PA”にも立ち寄り、結果的には“城端SA”までの区間を私が運転しました。この間の走行距離は206.4km。息子が担当したのは、自宅〜“鞍ヶ池PA”間、59.1kmと、“城端SA”〜息子のアパート間の59.7kmでした。“城端SA”の進入路辺りから砺波平野をプログラムオートで撮影。手ブレしてしまいました。7DNo.13−16・平成23〔2011〕年4月3日(20:17)撮影。

 写真5枚目、高速で北陸自動車道を走行中、富山ICが間近になった頃、「そろそろ飛行機が下りてくる」と息子。言葉通り航空機のライトを確認しました。ISO6400、シャッター速度1/250にセット。試しに7カット程撮影してみました。明るい2灯のライトと、両翼の青と赤のライトが何とか写っておりました。この中の1カットをレベル補正。2灯の航空機ライトは1つに纏まってしまいましたが、道路橋の姿が移し込まれているとは思いませんでした。航空機のライトで神通川の川面が照らされています。下流の道路橋は婦中大橋と思います7DNo.13−22・平成23〔2011〕年4月3日(20:48)撮影。

 写真6枚目、富山ICを出て41号線を走行。毎度の回転すし店へ向かいましたが、既に閉店。写真の“すし玉”へ場所替えして遅い晩飯。7DNo.13−27・平成23〔2011〕年4月3日(20:57)撮影。

 写真7枚目、息子は早朝に出勤。自転車で富山駅へ向いました。オヤジは、もう少々寝た後、歩いて大学前電停を目指します。即、新規開業した循環線を眺めてみたい気持ちなのですが、何れ消滅してしまう富山地鉄市内線単線区間を再び撮影することからスタートです。五福交差点付近で撮影したANAのジェット旅客機。富山空港へ向い着陸態勢。7DNo.14−66・平成23〔2011〕年4月4日(9:44)撮影。

 写真8枚目、7枚目は135mmで撮影。同じ旅客機を18mmでも撮影。写真右手は市内線電車がすれ違う鵯島信号所。近い将来、軌道線レールは建機が並ぶ場所に移設されることになります。7DNo.14−67・平成23〔2011〕年4月4日(9:44)撮影。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

 平成23〔2011〕年3月11日〔金〕、14:26、仕事場椅子に座っている時、当地でも地震の揺れを感じました。表に出て、収まったと思い再び椅子に戻ると、まだゆったりと揺れている様な状態です。「揺れが大きくなるのでは…」と思い今度はデジカメを所持して飛び出しています。部屋へ戻ると急遽テレビを付けました。以降は、信じ難い衝撃映像の連続で言葉になりません。日本の歴史を大きく変えてしまったM9.0の東北関東大震災。被災された皆様方にお見舞い申し上げます。

 平成23〔2011〕年3月15日〔火〕、22:38、静岡県富士宮市辺りを震源とするM6.4の地震が発生。震源地付近は震度6強。この時、当地の震度は3でした。翌日、裏の物置床が濡れていると母親が話します。見に行くとトイレ付近の基礎コンクリート辺りから水が染み出ている有様です。電動井戸ポンプは駆動し続けますので、水使用時以外はポンプ電源コードを抜く羽目になりました。
 3月17日の15時過ぎ、我が家を建築した大工の熊谷さんに来て貰いました。壁の波板を外し、荒壁の一部も壊しましたが、配管漏水箇所が判明しません。翌3月18日、熊谷さんが連れてきたのは、時々、水周り機器の交換をお願いしている配管業高橋さんでした。「地中に埋まっていると、何処で分岐しているかが分からないので、配管は壁横に這わせて下さい。それから、3系統に割って欲しい。手押しポンプもセットして下さい」とお願いしました。「手押しポンプなら昔使っていた物があるから、今から持ってきてやるよ」と熊谷さん。新品の川本ポンプを想定していましたが、井戸上に据わったのは写真の手押しポンプです。

 写真1枚目、大工頭領熊谷幸男さん宅でも昔井戸を使用していたそうですが、枯渇してしまい井戸は砂で埋めてしまったそうです。倉庫に眠っていた手押しポンプを持って来てくれました。「懐かしい」。熊谷さんが、母屋を建築したのは49年前になります。井戸掘り職人さんが、土を掘り出すシーンも眺めています。井戸の上に載ったのが、丁度、この様な手押しポンプでした。当時の母屋は、棟上を済ませ、荒壁を塗って波板で外装しただけと思います。板張りの台所に、小さな丸いちゃぶ台を置いて食事。手押しポンプでブリキのバケツに水を汲み、風呂場の窓を開いて外から風呂桶に流し込む。何度もバケツで水を運んだものです。風呂を炊くため、父親は熊谷さん宅に出向いて廃材を貰ってきます。風呂釜のサイズにノコギリで廃材を切断する作業は手伝いました。照明は蛍光灯であったと思います。スクーターと自転車がある以外、他には何もありませんでした。中学1年生になったばかりの頃で、辺り一面は田畑。1km程先の市内電車が眺められた時代です。D100No.483−26・平成23〔2011〕年3月18日(15:02)撮影。

 写真2枚目、ピストンを外した手押し井戸ポンプ。「ピストンは、この様な構造をしていた!!」。鋳物のポンプ本体、左手挙げた筋肉モリモリの人の姿に見えます。「顔が欲しい」。D100No.483−31・平成23〔2011〕年3月18日(15:11)撮影。

 写真3枚目、手押しポンプ本体にワンちゃんの縫いぐるみがスッポリ収まりました。D100No.484−25・平成23〔2011〕年3月19日(14:16)撮影。

 写真4枚目、顔は小ぶりですが、お下げ人形も入れてみました。D100No.484−27・平成23〔2011〕年3月19日(14:20)撮影。

 写真5枚目、2台の電動井戸ポンプ吐出側。給水管は3系統に分割されました。上に向うのが母屋系統。横引き上段は仕事場系統。横引き下段は母小屋系統。配管は20A HIVP。北沢製バルブは通常開で使用します。突発な水漏れの際、毎回電動ポンプの電源コードを抜いていましたが、これからはバルブの開閉で対処出来ます。他の2系統が生きますので、慌てふためく事もなくなると思います。7DNo.8−7・平成23〔2011〕年3月19日(14:26)撮影。

 写真6枚目、仮設置が完了したレトロ手押しポンプをしみじみ眺める熊谷さん。水を吸い上げることは出来ませんでした。鋳物本体側逆止弁と木製ピストンに取り付けられた逆止弁は、そこそこ働いているようです。ピストン回りに皮が巻かれているとは思いませんでした。7DNo.8−23・平成23〔2011〕年3月19日(16:31)撮影。

 写真7枚目、夕方、作業を終えて帰った熊谷さんが、15分もしない内に自転車で届けてくれたベルト。「これを切って明日、あんたがおやりん」と話して帰りました。ピストンを採寸して図面化しようと思っています。ピストン回りに釘で取り付けた皮は、熊谷さんが一度補修したようです。「この箇所をどの様に細工しましょうか?」。思案中です。D100No.484−47・平成23〔2011〕年3月19日(17:16)撮影。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 東京在住の頃、クラシックカー・フェスティバルへ数回出向いています。神宮外苑の絵画館前へ1度。新橋汐留貨物駅跡地へは数回。日本各地から集まったクラシックカーの数の多さに、まず驚きました。子供の頃眺めたコニー小型オート三輪の姿を見付け感動したものです。復元改造されたのでしょうが、広島からやって来たオート三輪タクシーなどは、夢中でカメラに納めました。
 自分の意思で初めて購入した“日産バネットコーチ”、「20年間使用して、クラシックカー・フェスティバルへ出場するぞ!!」などと考えていましたが、その夢も17年目で絶たれてしまいました。
 ここ2年程の間に眺めた現役クラシックカーの写真です。日本の主要都市に路面電車が健在であった頃には、ごく当たり前に眺めることが出来た自動車ばかりです。全てが現役車両だけに感動物です。“バネットコーチ”の比ではありません。許可を得て撮影したわけではありませんので、ナンバーは消してあります。

 写真1枚目、トヨエース。東京在住末期の頃に撮影していますから、それからでも15年は経過しています。たまたま当日、ここに留め置かれていました。DNo.24−45・平成18〔2006〕年4月26日撮影。

 写真2枚目、豊橋鉄道市内線を撮影している折、走り抜けたのは、マツダK360軽オート三輪でした。昭和40年代には、ほど良い大きさに感じたものですが、現在風景の中で眺めると、「こんなに可愛らしいオート三輪だった?」 DNo.73−35・平成19〔2007〕年2月12日撮影。

 写真3枚目、初代のトヨペット・コロナ〔訂正;初代ではなく、2代目だそうです〕と思います。DNo.146−3・平成20〔2008〕年3月31日撮影。

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
hideki_kobyakawa
hideki_kobyakawa
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

友だち(18)
  • BuchikoYT
  • 純蒸(nodakyuzyo1)
  • えちぜんがに
  • やわやわFC
  • しら
  • mymy
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事