連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

羽後交通

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

 中古で購入したディスプレー、眺める角度により色の濃淡が異なってしまいます。「この濃さで良いであろう」と思って、いざブログへ掲載してみたら、予想以上に暗い画像になってしまったということは、ままあります。
 
 羽後交通横荘線の続きです。前回紹介した画像を改めて眺めると、少々暗かった感がしないでもありません。今回は気持ち明るくしたつもりです。
 
 
 
イメージ 1
 写真1枚目、樋の口−横手間を走行するホハフ6牽引の湘南顔気動車キハ3横手行。横手から沼館へ向かい、沼館からミニ客車ホハフ6を連結して戻ってまいりました。ホハフ6のみを連結した2両編成を撮影したのは、この時だけであったと思います。撮影場所は、前回写真より少々樋の口側へ歩いた所。No.29019・昭和461971〕年325日(908)撮影。
 
 
イメージ 2
 写真2枚目、1枚目写真の後追いカット。後部に連結されたホハフ6は都電を譲り受けた車両です。前歴を確認しようと思い「羽後交通横荘線」に関するウィキペディアを眺めたのですが、車両に関する記述が全くありませんでした。古い鉄道ファン誌であったと思います。都電車両が羽後交通横荘線に譲渡なる記事・写真を眺めた記憶はあります。ネコ社のRMライブラリー「羽後交通横荘線」を開けば、ホハフ6の素性もはっきりするものと思います。手術後のろっ骨痛みは、最近の方がシンドイです。調べる気力も起こりません。何れにせよ、ホハフ6、横荘線での活躍は、それ程長い期間ではなかったと思っております。No.29020・昭和461971〕年325日(908)撮影。
 昭和461971〕年325日、雪が残る羽後交通横荘線で撮影したカラースライドは、退色している上、やや露出オーバー気味に仕上がっております。マウントを外すと糊が付着していた箇所は変色もしております。何はともあれ、エプソン・フラットヘッドスキャナー GT−X970でスキャンしたのですが、更に薄い感じに読み込んでしまいました。「昔購入したミノルタのフィルムスキャナーの方が、色の乗りは良かった気がする。困ったなー」。
 
 ハーフ版カメラで撮影した白黒フィルムを解像度上げてエプソンGT−X970で取り込み。レタッチ作業で元画像データを作成。これにフィルターを掛けてプリントアウト。昔、暗室に篭って印画紙に焼き付けた写真と見比べると、デジタル化した画像の方がキレイに仕上がります。白黒フィルムの取り込みは、何となくコツを得た感はありますが、問題はカラースライドの取り込み方。
 
  たまたま気付いた濃度補正・「より重い感じに」で道が開けました。それまでの「リニア」で取り込んだ色合いとは全く異なります。やっと、エプソン・フラットヘッドスキャナーGT−X970でもカラースライドをスキャンしてみようと思う気持ちになりました。
 
 今回紹介する横荘線の画像2カット。ブログを眺めて頂いている方々は、どの様に思われるものかは知りませんが、退色して見るに忍びないカラースライドが「良くぞ、ここまで戻った!!」と撮影者本人が感動しております。45年前の撮影です。この年の720日、羽後交通横荘線の在存区間、横手−沼館間15.3kmは廃線になってしまいました。
 
 
 
イメージ 1
 写真1枚目、樋の口−横手間を走行する湘南顔気動車キハ3沼館行。横手から奥羽本線と暫く平行していたレールは、写真奥の小高い山と山の間辺りで離れてしまいます。拡大すると右手山裾辺りにDD51牽引貨物列車が確認でき、写真右方向へ向かっております。No.29017・昭和461971〕年325日(822)撮影。
 
 
イメージ 2
 写真2枚目、1枚目写真の後追いカット。湘南顔気動車キハ3の横手側にはバスケットが備えられておりました。羽後交通横荘線を撮影したのは、この日が最後なのですが、車両の一部が横荘線廃線後、羽後交通雄勝線へ転属したため、後日、この気動車は再び雪の中で撮影しております。横荘線の横手−沼館間は、雄勝線以上に沿線に人家の見えない路線でした。No.29018・昭和461971〕年325日(822)撮影。

イメージ 1

イメージ 2

 “丸窓電車”で検索すると、上田交通モハ5250形の記事が群を抜いて多いです。合間にちらほらと登場するのが、名鉄モ510形。“丸窓電車”のみならず、得意なスタイルで多くのファンを魅了した車両ですから、美濃町線、揖斐・谷汲線で活躍する姿は多くの皆さんが記録されているものと思います。
 “丸窓電車”でネット検索しても無駄な時間を消費するばかり。“丸窓電車”は、京福〔福井〕、神戸市、琴電に存在したのではと思い、日車の車両史 図面集−戦前私鉄編 上下2冊を開いてみました。

・ 上田交通モハ5250形は、昭和3年5月、上田温泉電軌向けデナ201〜203として日本車輌で3両が製造されています。
・ 大正15年8月に5両製造された美濃電気軌道セミボ511〜515〔後の名鉄モ510形〕は、比較的近年まで活躍し、上田交通モハ5250形同様、“丸窓電車”のまま生涯を閉じた車両です。

 上記とは別に“丸窓電車”と思われる車両をピックアップしてみました。途中で改造されたため丸窓を失った車両も存在するものと思いますが、これはと思える“丸窓電車”の多くは日本車輌製であったようです。何れの車両も大正末期から昭和初期の時代に製造され、全てが全長14m前後のボギー車でした。

・ 大正12年2月に8両製造された揖斐川電気デ1〜8〔後の近鉄モニ5001形〕もデビュー当初は“丸窓電車”。しかも荷物室が丸窓とあります。
・ 大正12年10月に6両製造された美濃電気軌道DB505〜510〔後の名鉄モ520形〕もデビュー当初は“丸窓電車”。
・ 大正13年に12両製造された神戸市551〜562号も“丸窓電車”。この車両は中央扉が両開きで、中央扉両脇の戸袋窓が丸窓となっています。
・ 大正14〜15年に8両製造された各務原鉄道のK1−BE〔後の名鉄二代目モ450形〕も“丸窓電車”。
・ 大正15年に5両製造された琴平電鉄305、315、325、355、345もデビュー当初は“丸窓電車”。
・ 昭和元年12月に1両製造された渥美電鉄デテハ1001→後の豊橋鉄道渥美線モ1051→改番後のモ1401もデビュー当時は“丸窓電車”でした。
・ 昭和2年9月に1両製造された浅野川電気鉄道カ5も“丸窓電車”。
・ 昭和3年10月に2両製造された京都電燈 福井支社のホデハ211、212も“丸窓電車”。
・ 昭和3年11月に1両製造された富岩鉄道〔現在の富山ライトレール〕のセミボ21もデビュー当初は“丸窓電車”であったようです。
・ 昭和3年12月に6両製造された三国芦原電鉄ホデハ11もデビュー当初は“丸窓電車”。
・ 昭和4年6月に2両製造された永平寺鉄道の電102〔後の京福電鉄ホデイ102、103〕も“丸窓電車”。
・ 昭和5年に2両製造された福武電気鉄道のデハ11、12もデビュー当初は“丸窓電車”。

 写真1枚目、羽後交通デハ1“丸窓電車”。私鉄車両めぐり 第6分冊〔鉄道ピクトリアル 1965年7月号・臨時増刊 通巻173号〕の金沢二郎氏記事を紹介します。
 デハ1形 デハ1・3→昭2,12蒲田車輛製の木製単車で,開業当初から使用されたデハ1〜3のうちの2両〔2昭31廃車〕,車輪直径は864mm,固定軸距は2,743mm,電動機はMB−86−A形36.8kW,歯車比は79/16=4.93,両運転台,ロングシート,窓配置はDi5iD〔iは楕円形窓〕ダブルルーフ,両端妻は丸味があって,前面窓は3枚,全負荷におけるけん引力は962kg,同速度は24km/h.

 日本車輌製の“丸窓電車”とは一味雰囲気が異なり、今にして思うと珍しい“丸窓電車”であったと思います。ポール集電で2重屋根。しかも、ブリル21Eを履いた木造2軸単車の“丸窓電車”。2度訪れた西馬音内でも満足に撮影出来なかった車両です。充填したばかりのポジフィルム1枚目として撮影しましたので、光が入っていました。狭い車庫構内でデハ1を撮影したのは、この写真のみです。No.288−1・昭和46〔1971〕年3月23日(12:00頃)撮影。

 写真2枚目、西馬音内〔にしもない〕駅構内。写真左がユキ2で、ワ35形ワ36を改造したラッセル車。ユキ2の後部にデハ1“丸窓電車”が連結されています。写真右手は、ユキ3ロータリー式雪掻車。ユキ3の後部にはデハ3“丸窓電車”が連結されています。この頃、木造2軸単車の“丸窓電車”は除雪車推進運転用として使用されていたようです。2両の“丸窓単車”からは煙突が飛び出していますので、車内には達磨ストーブが備えられていたものと想像しています。ユキ3ロータリー式雪掻車の写真は既に投稿済で、後部のデハ3は、そちらの写真にチラリと写っています。No.287−24・昭和46〔1971〕年3月23日(12:00頃)撮影。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 NHKの「新日本紀行」で、昔、羽後交通雄勝線が紹介されたことが有りました。山の高い位置にカメラをセットして終着駅に到着する電車をズームインするシーンから番組が始まります。最後のシーンは、最初とは全く逆でした。終着駅を湯沢に向って発車する電車走行シーンをズームアウトしながら終了しています。白黒テレビで1度だけ眺めた映像なのですが、強烈な印象が残っています。「梺〔ふもと〕駅を見下ろし撮影された映像では?」 もう一度、眺めてみたいのですが、当時の映像は残っていないようです。
 羽後交通雄勝線は、奥羽本線の湯沢駅から梺駅までの間を結んだ11.7kmの電車線でした。西馬音内〔にしもない〕〜梺間の2.8kmは、昭和10〔1935〕年2月13日に延伸開業された区間ながら、昭和42〔1967〕年12月1日、全線廃線以前に部分廃止となっています。
 撮影出来たのは、湯沢〜西馬音内間の8.9kmのみでした。雄物川の鉄橋以外、全線の多くは水田の中にレールが続く平坦な路線でした。所々の集落外れに駅が存在しています。雄物川の鉄橋脇辺りからでも、終点西馬音内を発車する電車が眺める程見晴らしの良い路線でした。

 写真1枚目、貝沢駅に到着した混合列車の湯沢行。デハ7+ホハフ5+ワフ1。No.288−9・昭和46〔1971〕年3月23日(15:47)撮影。

 写真2枚目、貝沢駅を発車した、デハ7+ホハフ5+ワフ1。ホハフ5は、昭和25年に日立電鉄から譲り受けた電車。日立電鉄デハ7→羽後交通デハ4として活躍した後、電装が解除され客車として使用されていました。横サボは「ゆざわ行」と表記されています。No.288−10・昭和46〔1971〕年3月23日(15:47)撮影。

 写真3枚目、湯沢へ向う、デハ7+ホハフ5+ワフ1後追いカット。黒に見えるかも知れませんが、ワフ1の塗色はチョコレート色です。No.288−11・昭和46〔1971〕年3月23日(15:47)撮影。

イメージ 1

イメージ 2

 秋田県の羽後交通横荘線、全線廃止は、昭和46〔1971〕年7月20日を限り。羽後交通雄勝線の廃線は、昭和48〔1973〕年3月31日限りです。廃線となったと羽後交通横荘線の車両一部が羽後交通雄勝線へ転属し、昭和46〔1971〕年7月26日、動力変更。羽後交通雄勝線のポール電車が活躍したのは、昭和46〔1971〕年7月25日までということになります。今回の写真は、電車運転消滅間近の積雪時光景です。

 写真1枚目、西馬音内〔にしもない〕駅構内。ユキ3、ロータリー式雪掻車。RMライブラリーで発表された1970年撮影、鈴木氏の写真では、回転翼が確認出来るのみですが、この写真では、スクリューコンベアが追加されています。取り込んだ雪を線路脇に飛ばすためのダクト形状も改造されています。写真左手は、貨車を改造したラッセル車ユキ2。車両室内暖房用ストーブを保有しているため、電車からは煙突が出ています。No.287−25・昭和46〔1971〕年3月23日(12:00頃)撮影。

 写真2枚目、貝沢〜羽後三輪間を走行するデハ7湯沢行。撮影時に今先生から声を掛けられ、ご自宅2階で日本蕎麦をご馳走になりました。空気銃も経験させて頂きました。そんな合間に、今先生ご自宅2階から撮影出来た写真です。やや見下ろす形で雄勝線電車を撮影出来た思い出深いカットです。No.288−7・昭和46〔1971〕年3月23日(14:52)撮影。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.
hideki_kobyakawa
hideki_kobyakawa
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

友だち(18)
  • 純蒸(nodakyuzyo1)
  • bel*646**4
  • えちぜんがに
  • toden20ban
  • 東三指令
  • すぎうら あきのり
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

衛生対策製品クレベリンの姉妹ブランド
クレベ&アンドハンドジェルが新登場
今だけ。お試しキャンペーン実施中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
最大10万円分旅行クーポンが当たる!
≪10月31日まで≫今すぐ応募!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事