連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

豊橋鉄道田口線・後日談

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 平成292017〕年324日〔金〕、CBCテレビ“イッポウ”で“青春のアルバム 豊橋鉄道田口線”が紹介されました。印刷が暗く、誰にも「買って下さい」とは言えなかった写真集です。発行から11年目にして、CBCテレビで取り上げて貰ったことで、「これは、これで良かったのかなー」と思っております。連写2眼カメラに関する放映時間が長かったのは想定外でした。これまでの「シリーズ 廃線の旅」とは一味違う仕上がりで、楽しい番組になっていると思います。自画自賛含めて…。
 
 平成292017〕年315日〔火〕、突然、CBCテレビ、“イッポウ”のディレクター氏が我が家へやってまいりました。1時間以上の会話の中でアピールしたのが、豊橋鉄道田口線の廃線跡に残る“傘川橋梁の架線柱”と“連写2眼カメラ”でした。田口線廃線跡を辿る番組は、まま放映されていますが、廃線跡の撮影スポットは定番化してしまった感があります。従来のパターンを切り崩すには、撮影の難しい“傘川橋梁の架線柱”が必要不可欠。この日、田口線冊子〔318日、代金受け取り〕を手渡しております。
 
 平成292017〕年318日〔土〕、1112、“イッポウ”ディレクター氏が、スタッフ2名を引き連れ、再び、我が家へやってまいりました。考えてみれば、何故、私の存在を知ったのか不思議でなりません。質問したところ、インターネットで田口線冊子の存在を知ったからだそうです。ロケ現場は、掃除してない我が家の居間。一部映像はカメラをパーンしておりますので、室内のガラクタが写ってしまいました。ディレクター氏と会話するシーンを撮影するのですが、時々、駄目出しが入りました。ディレクター氏の思惑に沿うように会話し直すことになります。玄関へ出てゆくシーンも余計なことを喋ってしまったようで撮り直し。
 
 平成292017〕年324日〔金〕、CBCテレビ、“イッポウ”〔16521900の間〕、「廃線の旅 豊橋鉄道田口線〜2017年春〜」として13分間程放映されました。合間に入るスチールカットは、CBCさんにお買い上げ頂いた写真集のカットを撮影したものです。黒柳さん撮影の8mm白黒映像も手渡しました。4シーン程を使用しているものと思います。テレビに映し出された我が身を眺め、「やつれて情けない。歳くった。芝居ヘタ」と痛感しました。“傘川橋梁の架線柱”を橋台へ固定しているアンカーボルト、「M20位では」と話してしまいました。「直径20mmでは、一寸細いかも?」と後悔しておりましたが、測定結果がボルト径16mmであったことは意外です。内金隧道・三河大草駅跡・鳳来寺おかめ茶屋さん・三河田口駅跡は、前回放送分と比較する構成になっておりました。廃線から50年近くが経過。田口線の面影は間違いなく消滅の繰り返し。田口線開業当時の原型を留めた“傘川橋梁の架線柱”、上手く撮影された映像を眺めて灌漑ひとしおです。貴重な体験をさせて貰いました。
 
 久しく眺めることのなかった田口線画像を納めたMOを取り出しました。冊子に使用することのなかった画像を少々並べておきます。
 
 
 
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 画像1枚目。平成292017〕年324日〔金〕、中日新聞朝刊のテレビ欄。CBCテレビ“イッポウ”では、『▽発見!90年前の遺構 廃線の旅〜豊鉄田口線』と表記されていますので、間違いなく“傘川橋梁の架線柱”が登場することを確信しました。
 
 
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 写真1枚目。豊橋鉄道田口線、鳳来寺−三河大草間を走行するモ37清崎行。田口線を撮影した画像のほとんどは冊子に使用。このカットはボケているので使いませんでした。カメラでモ37を追っていたようです。撮影場所は、三河大草駅を発車してトンネル1本を抜けた後の築堤。写真左手で直ぐ短いトンネルへ突入します。トンネル〜トンネル間が300m程と思います。そのためか、架線の位置が低いようです。田口線運転最終日。サボは清崎となっておりますが、この日は三河海老までしか走れませんでした。以来、間も無く50年ですか!!。No.487・昭和431968〕年831日(1525)撮影。
 
 
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 写真2枚目。豊橋鉄道田口線廃線跡、鳳来寺−三河大草間、傘川橋梁の本長篠側橋台に固定されている架線柱とビーム。CBCテレビ、“イッポウ”で、やっと紹介された田口線最後の遺構〔原型を留めているので〕。廃線跡を散策していて発見した時の撮影です。再トライを試みた時には、JAFのお世話になることに…。NCNo.9936・平成152003〕年22日(1420頃)撮影。
 
 
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 写真3枚目。豊橋鉄道田口線廃線跡、三河田口駅舎内で撮影。「今、地震でひと揺れすれば、屋根が崩れて下敷きになる」と思いつつ撮影したカットです。CBCテレビ、“イッポウ”では、前回放送時でも、既に三河田口駅舎は自然崩壊後の撮影であったようです。NCNo.99424・平成152003〕年22日撮影。
 平成292017〕年324日〔金〕、CBCテレビ“イッポウ”で、田口線冊子が紹介されるようです。平成182006〕年12月吉日発行から既に11年目になります。酷使しているブルーレイレコーダー、故障することなく無難に番組を録画出来ると良いのですが…。
 


●平成282016〕年68日〔火〕、右の肺13摘出手術を受けた結果は、発生率0.1%の多形癌という結末でした。呼吸が苦しいということはありませんでしたが、ろっ骨の痛みには辛いものがありました。

 
●ろっ骨の痛みもリリカ錠剤のお陰で徐々に和らいでまいりました。肺癌摘出手術後の検査も3ヶ月に1度となり豊橋市民病院通いも少なくなってヤレヤレと思っていた矢先、平成282016〕年97日〔水〕、自宅玄関先でよろめいて尻餅をつき背骨を圧迫骨折。コルセットで体を固定しないと手術することにもなり兼ねないそうで、渋々、コルセットを55日間装着。
 
●平成282016〕年12月には、コルセットを外してよいとの診断が下りました。ところが、新年早々、平成292017〕年16日〔金〕には、声が出せなくなってしまいました。耳鼻咽喉科で診察を受けた結果は、「今から直ぐ、市民病院へ行って下さい」。同日、豊橋市民病院へ入院。入院5日目に退院しております。
 
●新年早々の入院で、血液の値に異常があると言われました。退院後の1月から2月の間は、豊橋市民病院の耳鼻咽喉科、血液内科、消火器内科と順ぐりに検査を受ける結果となってしまいました。豊橋市民病院での5回の予約を残し、血液検査の結果も確定していなかった、平成292017〕年32日〔木〕、今度はスクーターで転倒。左肩の肩甲骨複雑骨折。顔面左側は擦傷5箇所。左足膝も擦傷。左足ふくらはぎの傷は縫合。豊橋市民病院の予約は全てキャンセルして取り直し。転倒から2週間以上が経過しましたが、現在も肩の付け根が痛く左手は思うようには使えません。


 平成292017〕年315日〔火〕、突然、CBCテレビ、“イッポウ”のディレクター氏が我が家へやってまいりました。318日〔土〕、撮影に来るとも話します。掃き溜め屋敷のような作業場へ招き入れ1時間以上、会話しております。CBCテレビ“イッポウ”の「シリーズ廃線の旅」、10回は録画しているものと思います。「豊橋鉄道田口線」もありました。お顔を拝見した時、田口線に自ら出演されていたディレクター氏と直感しました。意外にも“イッポウ”「廃線の旅」は、全て、この方が担当されているそうです。スクーターでの転倒から12日目、鼻の下の大きなカサブタも取れましたので、やっと風呂に入り、髭を剃った翌日、ディレクター氏にお目に掛かることに…。「何で、こんな時に…」。
 
 平成292017〕年318日〔土〕、1112、“イッポウ”ディレクター氏が、スタッフ2名を引き連れ、再び、我が家へやってまいりました。母屋の居間へ案内しておりますが、左手が使えませんので、部屋を掃除することすら出来ません。ディレクター氏と私が会話しているシーンを若いカメラマンと音声担当の2方は、1時間以上撮影していたと思います。4人並んでの記念撮影は、折良く里帰りした息子に頼んでおります。12583方は帰りました。意外であったのは、オン・エアーは、平成292017〕年324日〔金〕だそうです。「そんなに早く?」。16501900の間の10分間程を予定しているようです。
 
 どのような内容が紹介されるものかは、全く想像出来ません。「結果は見てのお楽しみ」といったところです。ケチの連続でロクなことしかない昨今、田口線話で久々に体に熱い血が流れました。今回の田口線話が、厄払いになってくれるような気がします。テレビ番組云々よりも、現在の嫌な流れを、田口線がせき止めてくれたら、その方が嬉しいです。発行から10年以上、「困った時の田口線」は健在でした。
 
 
 
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 7DNo.20156
 豊橋鉄道田口線廃線跡へ愛車セレナで進入しようとしてヘマした時の続編です。
 
 辺りが暗くなり始めた頃、救援作業を断念した“櫻井モータース”さんは、「ランクル呼んで、それでも駄目な時はクレーン車を手配する」と話し、JAF愛知支部・豊橋事務所〔豊橋市つつじが丘1丁目816〕へ電話したようです。
 
 “櫻井モータース”さんは2名で到着したのですが、年配の方は途中で姿を見なくなってしまいました。会社から誰かが迎えに来たのでしょうか?。その後、ひたすら待つこと1時間以上。
 
 今度はJAFと表記されたバンタイプのロードサービスカーが到着。ワイヤーで路肩から牽き出して貰い、上ってしまったバッテリーを充電。やっとセレナは走行可能な状態になりました。
 
 小笠原先生が倉庫から運んでくれた板の片付けを終え、先生にお礼を告げると、1903、本来の目的を果たすべく暗い夜道を田峯へ向ます。なぎ倒してしまった電気柵は“無罪放免”という形になっています。元田峰駅跡“テレコテージしたら”、既に事務所は施錠されていますので、田峰観音目指しクネクネ山道を上ります。“オレンジ”さん宅は知りませんので、1938、一度お邪魔した“かふん”さん宅前へセレナを留めました。バッテリーの状態が判断しかねますので、エンジンは掛けたまま…。“田口線冊子”60冊は“かふん”さん〔不在のため〕のお母さんに預かって貰うことにしました。手土産として購入したあられ2箱も一緒にお願いしました。
 
 購入してしまったちくわ箱詰め、自宅へ持ち帰っても仕方ありませんので、次は毎度ながらの「元平松屋」さんを訪ねます。「元平松屋」さん宅2000到着。今度はセレナエンジンを止めました。「元平松屋」さんにお邪魔すると「ヤレヤレ」。安堵します。途中で抜け出し金田屋さんへ関谷酒造の“蓬莱泉”を買いに出ました。当初は黒柳さん宅もお邪魔するつもりでいたのですが、JAFへ電話してくれた小笠原さん宅青年へちくわ箱詰めを渡してしまったため、今回、黒柳さん宅はパス。
 
 「元平松屋」さん宅2205出発。走り慣れた夜道を豊橋へ向かいます。豊橋競輪場前を通過し巻線さん宅に到着したのは2320。以前、おかしくしてしまったパソコンを設定し直して貰ったのが巻線さんでした。お礼代わりに“蓬莱泉”2本を手渡しています。自宅へ戻ったのは、2336でした。長い1日がやっと終わりました。これに懲りて、廃線跡へ車を進入させることは控えようと思っています。
 
 
 
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 写真1枚目、“櫻井モータース”さんのロードサービスカー57号車は、県道32号線上大草バス停付近に移動して豊橋からのロードサービスカー到着を待っていました。7DNo.20166・以下全て、平成232011〕年421日撮影。1757撮影。
 
 
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 写真2枚目、ロードサービスカー57号車は、到着したJAFロードサービスカー51号車を現場へ案内します。写真左手、ガードレール横僅かなエリアのみが携帯電話使用可能な場所でした。7DNo.201671820撮影。
 
 
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 写真3枚目、2両のロードサービスカーのお世話になるとは……。写真左手がJAFのロードサービスカー、バンタイプ〔ランドクルーザー・プラド〕51号車。右は“櫻井モータース”さんのロードサービスカー、レッカータイプ57号車。小笠原先生の息子さんまでお出ましです。7DNo.201711824撮影。
 
 
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 写真4枚目、セレナの状況確認中のJAFスタッフ氏。7DNo.201731828撮影。
 
 
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 写真5枚目、岩の跡が残る場所から写真の位置まで、“櫻井モータース”さんが悪戦苦闘してセレナをワイヤーで引っ張ったのですが、同時に路肩側へも滑っております。結果、JAFのロードサービスカー51号車はセレナ横を摺り抜けることが出来ました。7DNo.201761831撮影。
 
 
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 写真6枚目、岩を噛んでしまったセレナのフックに51号車のワイヤーが接続されました。7DNo.201771832撮影。
 
 
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 写真7枚目、セレナ、路肩から引き出されます。7DNo.201791833撮影。
 
 
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 写真8枚目、電気柵の小笠原さんは、救援作業終盤まで事の成り行きを眺めておりました。7DNo.201821835撮影。
 
 
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 写真9枚目、JAFスタッフさんによるバッテリーの充電作業。「良く、ここまで上りましたね」と言われました。力不足のバネットコーチが上れたスロープをセレナが上れなかった理由は、後日、書き残しておこうと思います。7DNo.201861842撮影。
 
 
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 写真10枚目、自力でスロープを下るセレナ。セレナ運転不能となったのが1330。ここに至るまでには5時間15分が経過しています。7DNo.201871845撮影。

セレナ運転、大失態

 平成232011〕年421日〔木〕の事ですから、既に4年以上前の出来事になってしまいました。自らの愚かさを暴露しておきます。
 
 豊橋鉄道田口線の元田峰駅跡に事務所を構える“テレコテージしたら”まで“田口線冊子”60冊を届けることになりました。単に冊子を届けるだけであれば、宅配する手もあるのですが、60冊が故、ワゴン車を走らせることにしました。出向くからには、「それなりの事を成し遂げましょう」。「少々、危険なことをしてくるから、もし行方不明になった時は田口線廃線跡を探してね」と前日知人に電話をしておきました。
 
 自宅出発は923。東名高速道路豊川IC付近の“ヤマサちくわ店”で手土産を購入。JR飯田線沿線で特急「ワイドビュー伊那路」上下2列車を撮影。新城消防署でも暫し撮影。元田口線沿いの道路を走って最初に決起したことは、三河大草駅の本長篠寄り築堤下に存在する小さな人道トンネル末端を確認することでした。次は三河大草〜鳳来寺間の築堤下を抜けるミニトンネルの撮影です。ここまでは無難に目的は達成しております。次の目標は傘川橋梁橋台に固定された架線柱の寸法とアンカーボルトのサイズを確認することでした。
 
 田口線築堤横に廃線後造成されたスロープをセレナで上ります。スロープ中程で車輪がスリップしてしまい坂を上れません。冊子作成前、廃線跡を調査するため2輪駆動のディーゼルワゴン車で、このスロープは一度上っております。スロープを上り終えた直ぐのトンネルを抜け、次のトンネル手前でUターンして戻りました。「力の無いバネットコーチが上ったスロープだからセレナが上れない訳がない」。セレナをバックさせ右側車輪をアスファルトの上に載せ直し発進。前輪がツルンと路肩側へ滑ってしまいました。止む無く、ハンドルを右に切ってバックしようとしたところ、後輪もスリップして路肩側へ横滑り。ドアミラーを眺めながらのハンドル操作。「まずいよー。電気柵を薙ぎ倒しちゃったよー」。車から出て前部を確認すると岩に乗り上げた状態でした。ジャッキアップを試みたのですが、ジャッキはぬかるんだ土の中へめり込むばかり。無縁と思っていたJAFへ電話するしか策はなさそうです。
 
 携帯電話は圏外を表示して使い物になりません。ソフトバンクのケータイ、自宅でも圏外を表示します。「こんな役に立たない携帯電話なら要らない」。JAFの電話番号を調べるため小笠原さん宅へお邪魔することにしました。鳳来寺の“おかめ茶屋”で田口線冊子を眺め、自宅へ冊子購入希望の電話を頂いたのが、小笠原さんでした。小笠原さん宅はお留守でした。別のお宅へ近づくと、倉庫で物音が聞こえます。応対して頂いた若い男性がJAFへ電話をしてくれました。東日本大震災直後であったこともあり自宅待機で出社していなかったそうです。この男性宅も小笠原さん。途中で子機を代わりJAF女性に状況等の説明をしたのは、1320頃。
 
 JAFの車が到着したのは、約30分後の1353。スタッフさんから、これまで何台もの車を無難に救出していると聞きホッとしました。ところが、現実は甘くありませんでした。日没近づく頃、スタッフさん「ランクル呼んで、それでも駄目な時はクレーン車を手配する」とJAFへ直接電話。これ程の大事になるとは想像もしませんでした。
 
 救援作業途中、お留守であった小笠原さんが戻られました。冊子購入のお礼を告げ、暫し田口線談義。豊橋の豊城中学へも通勤されていた先生だそうです。結果的には、小笠原先生に多大に迷惑を掛ける結果となってしまいました。軽トラックで電気柵を設置した小笠原さんも到着。先生とは、○ちゃん、×ちゃんと名前で呼び合っていますので、「同級生なのですか?」と質問。この地区周辺お宅は、全てが小笠原さんなのだそうです。セレナが薙ぎ倒してしまった電気柵、テスターでチェックしたところ電気は流れていたようです。電気柵小笠原さんに「触ってみる?」と言われましたが、恐怖心から辞退しております。
 
 2人の小笠原さんには改めてお礼をしなければと思っているのですが、田口線廃線跡方向へ出向く機会がありません。小笠原さん2方へのケジメを付けなければ、上大草バス停横を素通りすることは出来ません。気が付けば4年以上が経過してしまいました。
 
 
 
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 写真1枚目、この状態で走行不能。7DNo.2080・以下全て、平成232011〕年421日撮影。1330撮影。
 
 
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 写真2枚目、「何で、こんな所に岩が埋まっとるですか」。セレナ左前輪で埋もれていた岩を掘り起こしてしまったようです。7DNo.201021419撮影。
 
 
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 写真3枚目、ロードサービスカー57号車がやって来ました。JAFの文字・マークが表示されておりません。到着したのは、JAFから業務委託を受けているのでしょう、“櫻井モータース”さんでした。会社はJR飯田線の三河大野〜湯谷温泉間の中間辺りに存在するようです。7DNo.20911353撮影。
 
 
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 写真4枚目、57号車、セレナに近付くためバックで何度もスロープを上ろうとしましたが、57号車もスリップしてしまい、これ以上は上れません。7DNo.20931401撮影。
 
 
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 写真5枚目、ワゴン車の左側面横に立ってスタッフさん救援作業中、ガクッとセレナが路肩側へ傾いた時には、思わず「危ない!!」と声を発してしまいました。7DNo.20971407撮影。
 
 
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 写真6枚目、ジャッキアップしたことで岩は除去されました。7DNo.201181500撮影。
 
 
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 写真7枚目、3方の小笠原さんも集結。7DNo.201331617撮影。
 
 
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 写真8枚目、3方の小笠原さんを交えて救援作戦思案中。小笠原先生は倉庫から何枚も板を運んでくれました。更に長いワイヤー探すため倉庫へ戻っています。「申し訳なくって」。7DNo.201331618撮影。
 
 
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 写真9枚目、ウインチで引っ張ったことで、セレナは少々スロープを下りましたが、同時に路肩側へも滑っております。結果、救援作業は途中で断念。「セレナがこのままであれば、これからどうしましょう」。万が一の事を想定しセレナに寝袋は搭載してありますが、この状態のセレナ車内では寝られません。飯田線に乗車して自宅へ帰るか、豊鉄路線バスに乗車して清崎へ向かい「元平松屋」さんへ宿泊願いするか、頭が痛いです。7DNo.201651753撮影。
 
 
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 写真10枚目、立っている場所にかつて田口線レールが敷設されておりました。築堤は奥に向かって少々左方向にカーブし、峰第二隧道、峰隧道、富安隧道、大草隧道と4本のトンネルを抜けると三河大草駅。背中側の反対方向へ進むと、峰第三隧道、峰第四隧道、傘川橋梁、万寿隧道と続き鳳来寺駅。三河大草〜鳳来寺間2.2kmには7本のトンネルが存在しました。7DNo.201071423撮影。
 
 
イメージ 11
 写真11枚目、10枚目写真に対し、左45度程カメラを振ると、この様な光景。乗車した田口線電車からも垣間見られた光景です。田口線健在当時の光景と、あまり変わらないのでは?。7DNo.201111428撮影。
 豊橋鉄道渥美線高師車庫で撮影したモ38の写真が出てまいりました。眺めることのなかったカラーアルバムに収まっていました。緑とクリーム塗り分け時代の渥美線モ38です。カラーポジフィルムを充填したハーフ判カメラで撮影したもので、数少ないカット故、ダイレクトプリントしたものと思います。全ての事を忘れていました。画像の存在が分かっていれば、カラーフィルムをスキャンして冊子に小さく掲載したかった写真です。
 
 ここで、もう一度おさらいしてみます。
 
 モハ38が豊橋鉄道田口線に増備されたのは、田口鐵道が豊橋鉄道に合併した昭和311956〕年。昭和391964〕年722日の名称改正により、モハ38→モ38。田口線廃線前の昭和411966〕年423日、モ38は田口線を旅立って渥美線に転属。昭和411966〕年52日より渥美線での運用開始。田口線時代のモ38は、チョコレート色で活躍しておりました。渥美線転属に際して、田口線三河海老車庫で1500V→600Vへの降圧化、ヘッドライトをシールドビーム2灯化、モ3637同様の緑とクリーム塗り分けに塗色変更されています。緑とクリーム塗色時代のモ38、田口線を自力走行することはありませんでしたし、渥美線での活躍も1年足らずであったと思います。後に黄色に太い赤帯塗装に塗り替え。昭和431968〕年111日、モ38→モ1713に改番。更に方向転換してモ1713+2311〔元モ1302〕の2連固定化が成されています。
 
 
 
イメージ 1
 写真1枚目、黒柳嘉治氏より拝借したままのアルバムに収まっている豊橋鉄道田口線モハ38〔であろう〕。田口鐵道が日本車輌に発注した田口鉄道モハ100形〔後のモ3637〕の竣工図では、屋上のランボードは長い状態で配置されています。写真のモハ38も同様のランボードです。3等車の表示も確認可能。国鉄飯田線電車と併結して豊橋まで走行するために密着式連結器も備えられています。田口線へ増備されて間も無い頃に撮影された画像と想像します。後方に変電所が写っていますので、撮影場所は三河海老。
 
 
 
イメージ 2
 写真2枚目、豊橋鉄道渥美線高師車庫で撮影したモ38。長い屋上ランボードは撤去。前照灯は2灯化。それ以外は1枚目写真と大きく変わらないものと思います。アンモナイトのような形状をした床下のコンプレッサーが印象的でした。高校時代3年間に撮影したカラースライドを確認しないと撮影日時は判断出来ませんが、おそらく、昭和411966〕年の撮影では?。走行シーンでも撮影してあれば嬉しいのですが…。
 
 
 
イメージ 3
 画像3枚目、転校してしまった同級生を訪ねるために初めて田口線に乗車のは、昭和401965〕年12日の事。中学3年生でした。豊橋駅から白熱灯の国鉄飯田線旧型国電に乗車。本長篠駅下車。乗り換えた田口線車両がモ38でした。外観は国鉄同様のチョコレート色なのですが、車内が明るく綺麗な事に感動しました。淡いピンク色にブルーのロングシート。明るく感じた要因は、室内灯に蛍光灯を採用していたからです。走り始めると直ぐにトンネルへ突入。その後もトンネルの連続で、同級生が戻った清崎の実家は随分遠い所と思ったものです。初めて乗車した豊橋鉄道田口線は感動のてんこ盛りでした。それ故、この図、「モ38を模型化したい」などと思って高校時代描いたのでしょう。
 
 
 
イメージ 4
 画像4枚目、図面家業のプライドを掛けて作図したのが、田口線車両の姿図でした。まずモ36を作図。その図をアレンジしてモ38の姿図も作成したかったのですが、写真12枚目時代の床下機器の配置が分かりません。黄色に太い赤帯塗色時代のモ38は、床下機器の配置が異なっております。その頃の床下配置をそれっぽく表現したのが、この図であったと思います。高師車庫でモ1713の寸法スケッチも試みましたが、結局、時代を特定したモ38姿図は完成しないままです。2連固定化された後のモ1713は台車も履き替えています。複雑な遍歴を繰り返した車両がモ38でした。

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