連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

豊橋鉄道田口線・後日談

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 豊橋鉄道田口線は、私が18歳の夏に廃線になってしまいました。「線路が無くなってしまうから、撮影に行かなくっちゃ……」。廃止の決まった路線撮影の原点でした。職員さんの目を避けて、夢中で線路内を歩いたものです。当時は田口線職員さんの名前など全く知りません。
 
 田口線健在当時の写真を携えて廃線跡の撮影に出向いたのは、廃線から34年が経過した平成142002〕年916日の事です。夏目友治さんを訪ねたいと思いました。趣味誌でお名前を拝見していたことと、撮影した写真に写っている人物が、「ひょっとしたら、夏目友治さんでは?」と考えたからです。平松屋〔夏目友治さん宅〕さんを訪ねましたが、残念ながら、既に夏目友治さん他界されていました。以来、何度もお邪魔することになるのが、元平松屋の夏目さん宅です。あの日からでも10年が経過してしまいました。
 採石場の存在を知ったのは、杉浦英雄さん宅を訪ねた時です。田口鉄道職員さんに配布された2冊の田口鐵道アルバム原本を初めて眺めたのもこの時です。残念ながら、お借りした写真を刷り上げた冊子は、御仏前へ備える形となってしまいました。
 ブレーキ故障でデキ53が暴走した事故は、原田保雄さんから伺った話を元にしています。杉浦英雄さんからも伺っていますが、玖老勢付近でデキ53が止まった理由の信憑性を考えた時、「事故当日、保線作業中であった原田保雄さんのお話が現実であったのであろう」と判断しました。
 お邪魔するのを躊躇していたものの、思い切って訪ねたのが黒柳嘉治さん宅でした。平成172005〕年123日の事です。清崎へ出向く際には、元平松屋さんとセットでお邪魔するお宅になってしまいました。「田口鉄友会」の皆さんへ、息子さんと一緒に田口線冊子をマイカーで行商してくれたのも黒柳嘉治さんです。「ぴーかんテレビ・歴史になった風景」では、主役の座を持ち去られました。昨今は、田口線の語り部として新聞紙面にも登場します。
 黒柳嘉治さんから頂いた「田口鉄友会名簿(平成182006〕年528日現在)」によれば、56名の方がご健在。59名の方がお亡くなりになっております。
 冊子を通じて、沿線の方々と会話する機会は増えましたが、時折、登場する田口線関係職員さんのお名前は、面識がありませんので、とても覚えきれるものではありません。
 
 「御記憶にありますでしょうか。清崎駅駅長、金田 要。廃線時の方です。私は、誠司。清崎駅の前で、要さんの家で預けられていた赤ん坊です。」→田口線ページへ頂いたコメントです。正直にところ、全く分かりませんとしか返答出来ませんでした。廃線時、私は19歳と表記してしまいましたが、世間知らずの18歳でした。世間知らずのまま現在に至っております。
 
 
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 添付写真は、元平松屋さんの夏目節子さんからお借りして、冊子に使用させて頂いた写真。最前列、ダブルのスーツで身を固め、メガネを掛けているのが当時の香高社長。社長さん含めて54名の職員さんが記録されています。香高社長の左後、背の高いメガネの男性が、故・夏目友治氏。写真右端から3人目が原田保雄氏。椅子に腰掛けた最前列8名の写真左端スーツ姿男性の後が、故・杉浦英雄氏です。顎の辺りが前列男性の陰になっています。写真左端、2眼レフを所持しているのが、黒柳嘉治氏。金田要氏も写っているのでしょうか?。「田口鉄友会名簿(平成182006〕年528日現在)」では、浜北市在住となっておりました。田口線運転等に関わっていた人物が、鳳来寺駅前にこれだけ集結してしまえば、電車を動かす事は不可能です。当然、田口線廃線後の撮影で、昭和431968〕年91日の撮影では…?。
 
平成24〔2012〕年7月1日〔日〕:追記
田口線の指揮官、小池陽一氏より以下のメールが届きました。お気遣いありがたく思っております。
 
「別人の偽ジャンボフェニックス野郎が貴方の大切なブログを荒らします!ご用心!・・・とジャンボフェニックスさんのブログに書いてありました。小早川様のブログにひどいコメントが書いてあったので覗いてみました。精神的に少し参っているのでは?と思いました。 
取敢えずお知らせ迄。」
 
誠のジャンボフェニックスからもコメント頂きました。犯人が分からないそうです。最初の「ジャンボフェニックス」さんよりのコメントが、偽者の仕業のようです。人様のブログを利用して、誹謗中傷を書き込めるとは思いもしませんでした。わざわざ手の込んだ書き込み、ご苦労さんと言っておきましょう。ひとつの経験として、このコメントは残しておきます。都合が悪くなれば、自ら削除するものと思います。
 今年も残すところ2ヶ月強。スタートは良かったのですが、夏場は惨めな毎日の繰り返しでした。東日本大震災で被害を被った方々に比べたら、まだ幸せと思っております。
 2月から3月の間で手掛けた仕事が1件。5月に手掛けた仕事が1件。今年の稼ぎはこれだけです。6月以降、年内の収入ゼロが確定しました。無収入7ヶ月の間で、僅かばかりの現金収入は田口線冊子2冊分代金のみです。
 6月に作図依頼の話はありました。内容を眺め、「この物件は流れてしまうであろう」と判断。結果は予想通りです。8月には、別件の作図依頼が入りました。資料は届きましたが、今までとは少々勝手が違います。下準備程度しか進められません。1ヶ月が経過した9月には現場へ呼び出され、台風12号が接近する中、碧南まで車を走らせています。工事の完了は再来年の年度末のようで、これから撤去される装置を眺めても何の足しにもなりません。「来年の8月位に呼んでくれれば良かったのに‥。折角、この地までやって来たのだから名鉄を撮影して帰らねば‥」。ワゴン車ごと吹き飛ばされそうな強風の中で、名鉄三河海線既存区間と廃線跡を少々撮影。傘を支えていた右腕肩を痛めてしまい整形外科へリハビリに通うハメとなってしまいました。所持していた傘は2本共、強風で壊してしまいました。その後1ヶ月、仕事に関しては梨の礫です。
 
 平成232011〕年89日、保険をお願いしている杉浦氏より電話がありました。名豊ビルで10月後半にイベントがあるそうです。「企画担当者の方と話が盛り上がり、豊橋鉄道田口線の写真を展示したいから30枚程提供して欲しい」といった内容でした。「ソコソコに伸ばして眺められる田口線写真は、10枚有るか無いかです」と返答しておきました。
 平成232011〕年930日、火災保険の満期が近付いているので、お袋が杉浦氏に電話したようです。「104日に杉浦さんが3時にやって来る。4時には男性も連れて来る」。電話直後の母親の話です。「何?、どう言う事」。そこで杉浦氏に電話。イベント会場へ田口線写真を展示することで話を進めてしまったようです。当方の考えを無視して、杉浦氏本人の勝手な思い込みで走っていたようです。「鉄道全般の展示は11月頃では?」と杉浦氏は話しますが、意図が良く分かりません。「稼ぎも無く、預金切り崩しの生活で紋々としている日々、余計な手間と出費が掛かる事はやりたくない。男性には、その旨、断っておいて下さい」と伝えました。「それならば、自分の写真を並べます」と杉浦氏。「じゃー、何も田口線でなくてもイイじゃないですか」。イベントにコンセプトが無いのでは?。会場に展示する写真30枚を揃える任務を杉浦氏は背負ってしまったようです。「だから、サークルなどといったものには入りたくない」と思ったものです。「4日、保険の話で来た時、ブログで紹介した写真を見せてあげる。それで良ければプリントするけれど、諸経費は支払って下さい」と話しておきました。
 話を頂いて2ヶ月目の104日、仕事の資料がやっと届きました。午後やって来た杉浦氏には、これはと思える写真を見せました。「この写真は後で返して下さい」と話し、田口線冊子印刷前に仕上がり具合を確認するためラボでプリントした写真4枚も手渡しました。
 
 107日、金曜日の未明に息子のワゴン車が到着。2人でコンビニへ食料の買出しに出て、酒を呑みながらデジカメ談義。何時寝たものかは覚えていません。1130頃、電話で起こされました。東京神田神保町の“書泉グランデ”からでした。主旨は何となくメモしましたが、「酒を呑み過ぎてしまい、今、酔っ払っていますから後程電話をします」と話し電話を切っています。
 連休開けの1011日、客先担当者からの電話で起こされました。「今週末までに図面を頂けませんか」と。話を貰ってから2ヶ月間すっぽかされ、やっと104日に届いた資料は、まだロクに眺めていません。連休中は花電車を追い掛けておりました。今までの感覚であれば1ヶ月は掛かる作業内容を「これから3日で‥。そんな無茶を言われても‥」。資料を渡せば、後は客先から煽りの連続です。のらりくらりとかわしながらマイペースで作図するしかありません。「それ程急ぐのであれば、他へ流して下さい」と言うしかありませんでした。この物件、まだ正式な作業依頼票が発行されていません。何処まで作図すれば作業が終了するものか、先も見えません。報酬を受け取れない事も腹に据えて作図することになります。
 1013日、別の仕事の話で電話が入りました。車両とは関係ありませんが、北陸新幹線絡みの依頼です。ダクト作図で煽られている状態では、お断りするしかありませんでした。もう少し早く電話を貰えば処理出来た物件です。こちらの方が作業し易い物件だけに無念でした。晩飯中の1940、表で声がします。予告も無く、杉浦氏がやって来ました。おおよその意向を確認し、任意で選択した写真13枚を追加で手渡しました。「これで勘弁して下さい。プリント代金は請求しない代わりに写真は返して下さい。もう、この後はやりません」と話しておきました。2時間程寝た後、パソコンを立ち上げたところ、“書泉グランデ”からメールが届いておりました。こちらも督促のようです。
 1014日、“書泉グランデ”へ電話をします。ネコ・パブリッシング社、名取紀之編集長の推薦図書百選に田口線冊子が選ばれているとの事でした。特設コーナーも完成間近で、ポスターも刷り上ったそうです。このポスターの目立つ場所に田口線冊子写真が掲載されていると話します。それで急遽、「30冊を送って下さい」という運びであったようです。3年前に“書泉グランデ”を訪ねて直接手渡した3冊と、その後、宅配した30冊は既に在庫が無いそうですから、請求書・納品書と追加30冊は1017日に発送しました。「助かりました。困った時の田口線は健在でした。これで少々、生活費がやりくり出来ます。杉浦氏に手渡した写真のプリント代金は泣きでイイや」。
 お荷物であった杉浦氏の1件をまず外します。次は、目先の銭として“書泉グランデ”さんへ宅配。この間に本業を少しづつ進めます。悶々とした日々から一転、慌しい昨今です。
 
 長くなってしまいましたが、ここからが本音です。田口線冊子1000部の印刷見積代金は270万円でした。これでは赤字にしかなりませんので、30万円上乗せして300万円を支払っています。「13000円として1000部はけたらチャラ」と考えておりました。伊藤印刷さんから冊子を引き取り、「さてどうしましょう」と思っていた矢先に、第1購入者であった故・白井良和先生に「幾ら?」と聞かれ、2800円と即答してしまったことがスタートでした。マージンなるものを考えていませんでした。以来、4年近くが経過。“書泉グランデ”へ渡した33冊を加算すると、贈呈分含めた流出部数が丁度1300部。皆さんが支払ってくれた代金の合計は281万円程になります。自ら決起した唯一の営業活動が、“書泉グランデ”さんの本棚へ冊子を並べて貰うことでした。その“書泉グランデ”さんから追加注文を頂きましたので、ほぼ目標地点に近付いた心境です。
 
 田口線健在当時を撮影したカラースライドは、確か178カット?。「30枚程データを提供頂けませんか」といったメールが届いたこともあります。30178は、1割以上の枚数です。「よくもヌケヌケと‥。古いカラー写真を1枚でもよいから1度処理して、如何に辛いものであるかを体験してみー」と言いたい。当然ながらデータの提供は、お断りしました。この手の話は、持ち掛けてきた相手側に営利目的、思惑、下心があります。人の褌で相撲を取るといった感じです。テレビしかり、出版社しかりで、予想以上の手間と出費を浪費する結果となってしまいます。杉浦氏から伺った話も同じような内容でしたので、田口線写真を提供する気持ちはありませんでした。この先も考え方は変わりません。代金支払って冊子を購入して頂いた皆さんに失礼だと思っていますので、自ら撮影した田口線写真をブログへ掲載することも控えています。天涯孤独の身となってしまった男性が、冊子にお父さんの姿を見付け涙した話。田口線電車で通学していた当時を懐かしく語ってくれた奥さん。病弱なお母さんを元気付けようとして冊子を購入してくれた佃島の青年。戻って来た281万円には、この様な皆さんの想いが詰まっています。
 
 名豊ビルは開業43年になりますか。確か開業当時は高校生のハズです。名豊ビル3Fの催事場予想配置図に表記された田口線写真展〔小早川〕の文字は消滅するものと思います。丸栄デパートも無く、名豊ビルだけがデンと威容放っていた時代の写真を杉浦氏に手渡しました。多くはブログで紹介した写真ですが、印刷モードで仕上げた物です。開催日時は102223日の10001700の間。「後の事は知らん。“名豊ビル”より“書泉グランデ”のポスターを生で眺めてみたい」。以上、息子への伝言板は終了。
 
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 写真1枚目、豊橋鉄道市内線、赤岩口を発車したモ601市民病院前行。Zパンタ化直後のようです。黄色円形の続行表示板を掲げています。後方に続くのはモ506単車ワンマンカー。柳生橋支線への回送です。当時の記録を調べると、競輪場前〜井原間が舗装工事中のようで、写真区間の道路も間も無く舗装されたものと思います。赤岩口車庫の車両が確認出来ます。名豊ビル完成当時の写真と思っておりましたが、まだこの時点では名豊ビルは無かったことになります。ハーフ版カメラで撮影。赤岩口〜井原間にて。No.1314・昭和401965〕年213日撮影。
 
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 写真2枚目、1枚目写真付近の現在風景。撮影の時間差は46年になります。モ784日本通運車駅前行。赤岩口〜井原間にて。D100No.48724・平成232011〕年413日(1513)撮影。
 
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 写真3枚目、同じく赤岩口〜井原間を走行する「ほっトラム」。赤岩ビルがチラリと確認出来ます。D100No.48734・平成232011〕年413日(1527)撮影。
 
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 写真4枚目、駅前大通ですれ違う「ほっトラム」とモ786日の丸薬局車。写真左手が名豊ビル。写真右手が丸栄デパート。考えてみたら、この場所で撮影した記憶はありません。その分、新鮮な感じがします。新川〜駅前大通間にて。7DNo.55139・平成232011〕年1011日(1640)撮影。
 
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 写真5枚目、名豊ビルをバックに撮影した「ほっトラム」。新川〜駅前大通間にて。名豊ビルは、昭和431968〕年10月開業。本館:地上9階・地下2階。新館:地上12階・地下2階となっています。MEIHOと表示されているのが本館で、写真左手後方の白い建物が新館?。すると道路側チョコレート色の5階の建物は何?。そう言えば、中学・高校時代からの仲良し同級生2名は、名豊ビル内の豊橋グランドホテルで結婚披露宴でした。随分昔の話になりますが、まだ誰もお爺ちゃんには達していません。豊橋グランドホテルは、平成232011〕年620日をもって閉館とありました。意外と知らない名豊ビルです。「ほっトラム」シングルアームパンタ付け根後方辺りが、写真展示のイベント会場なのでしょう。7DNo.55156・平成232011〕年1011日(1650)撮影。
 
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 写真6枚目、平成232011〕年1019日〔水〕の中日新聞朝刊19面。こういう事でしたか。丸栄デパートと共同開催とは知りませんでした。この手のイベントは、あまり興味がありませんので、この新聞内容でしたら出向くことはありません。仕方無いから少々覗いてみることにします。杉浦氏から頂いた素案に関しては、何も表記されていません。「本当に有りかな?」。写真展示コーナーは、所詮「刺身のつま」と思っていましたが、イベント出店そのものが、「刺身のつま」のようです。杉浦氏の面子だけはフォローしたつもりです。

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 平成23〔2011〕年5月10日は、私にとって記念日になりました。40年以上撮り続けたカラー写真が初めて鉄道週刊誌にカラー写真として掲載されました。数回、趣味誌等に写真は採用されていますが、全てが白黒写真として印刷されています。

 平成23〔2011〕年1月20日、ある編集者の方から電話を頂きました。「豊橋鉄道の方から紹介され、田口線冊子に載せてある写真の中から2カットを提供していただけませんか?」と言った内容でした。

 以前にも同様のお話を頂き、元写真データを豊橋鉄道の方にメールしました。自費冊子の印刷が合点いかないため、「出版社の手に掛かれば、どの様に仕上がるものか……」と期待していたのですが、後日、「大人の名古屋」に掲載された写真を眺め愕然。結局、白黒写真として印刷されてしまいました。そのため、今回は「データは送りますけれど、何とかカラーとして取り扱って下さい」と懇願しています。レタッチ作業を済ませた元データと、自費冊子印刷用としてフィルターを掛けたデータの2種類をメールしたところ、フィルターを掛けたデータを入稿すると編集者さんは話されます。

 平成23〔2011〕年2月26日、「内容をご確認下さい」と初稿ゲラが届きました。「カラーだよ!!。いい感じに上がっている」。写真に立体感も感じられました。

 カラースライドが残るのみの田口線写真に何とか光を当てようと思い決起しましたが、実現には至りませんでした。残された手段は自費出版しかありませんでした。平成8〔1996〕年、趣味誌に送った数枚のカラー写真が1枚でも採用されれば、それで田口線は満足していたものと思います。「あの時から、既に15年が経過してしまいましたか」。

 写真1枚目、朝日新聞出版発行の鉄道週刊誌。写真左手は「週刊 歴史でめぐる 鉄道全路線 公営鉄道・私鉄(全30刊)」の09号。写真右手は、昨日発売の10号。趣味誌を置く場所が無くなりましたので、昔からの月刊誌以外は購入を控えています。結局、このシリーズは全て書店に取り寄せ依頼してしまいました。10号『名古屋市交通局 豊橋鉄道・愛知環状鉄道 東海交通事業(城北線) 名古屋臨海高速鉄道(あおなみ線)』の豊橋鉄道ページに田口線カラー写真2枚が掲載されました。D100No.490−2・平成23〔2011〕年5月10日撮影。

 写真2枚目、09号の内容と、10号の内容。三島の母親実家に出向くと、伊豆箱根鉄道駿豆線が眺められます。今は無き伊豆箱根鉄道軌道線電車、幼年期、5歳年上の叔母さんに一度だけ載せてもらったのは、写真のモハ15の様な気がします。無性に模型にしたかった電車でしたから。豊橋鉄道田口線は、今回もこの写真が選択されました。D100No.490−3・平成23〔2011〕年5月10日撮影。

 写真3枚目、2月に届いた2枚のゲラ。写真右端に小さく掲載されているのが、三河海老で撮影した田口線モ15さようなら装飾電車です。ぴーかんテレビ「歴史になった風景」でも採用された写真です。保有する田口線の写真は、ほとんど冊子に載せてしまいました。購入して頂いた方々の手前、ブログに田口線写真を載せる事は差し控えています。7月12日発売の20号、結果は如何に?。D100No.490−6・平成23〔2011〕年5月10日撮影。

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 小池さん、何時もメールありがとうございます。今回、お借りした写真の4枚目を使用させて頂きます。
 タイトルは、“豊橋鉄道田口線、田代川橋梁付近今昔”が妥当と思いましたが、廃線跡撮影から既に8ヶ月程が経過してしまいましたので、本音、「困った時の……」にさせて貰いました。

 写真1枚目、小池氏より5枚お借りした写真の中で、撮影場所を特定するのに悩んだ写真です。ご本人の記憶で、鳳来寺駅から北へ歩いた場所と表記されていました。私も田口線沿線を歩いていますが、何度も廃線跡を辿っている内、田口線健在当時の記憶は消滅しています。糸口は「タイムスリップ 飯田線〔笠原香/塚本雅啓共著〕」の166ページにありました。鳳来寺−玖老勢間の写真です。結論は、「写真集に掲載された写真に同じ場所であろう」。
 清崎(三河田口)行、モ15+モ14〔写真手前〕2連後追いカット。正に田代川橋梁を渡っています。写真右手は、川に板を渡した人道橋と思われます。フィルムは6×4.5版で、蛇腹式カメラで撮影されたそうです。このカメラの特徴は、中心部以外がボケているところです。掲載写真は中心部にすらピントが合っていませんでした。でも、田口線健在当時の貴重な記録であることには間違いありません。鳳来寺を発車した清崎行モ15+モ14の2連、短い田代隧道を抜けると、間も無く田代川橋梁を渡ります。その後、やや右手にカーブして70m程?で、麹坂隧道へ突入します。小池陽一氏が、昭和42〔1967〕年8月〔15日頃〕撮影された写真です。

 写真2枚目、1枚目写真の廃線跡光景。写真左手に煉瓦製ゴミ焼却炉が確認出来ます。焼却炉の写真右手、ライトブルーの短いフェンスが設置された所が田代川橋梁跡です。橋梁の写真奥両側に“青少年旅行村”の施設は健在ですが、近年使用された痕跡は感じ取れません。門谷と表記されたゴミステーション辺りから、小池さんは1枚目写真を撮影されたものと思います。橋梁の写真奥には廃線跡に2棟建設された“青少年旅行村”の倉庫?。倉庫付近まで歩けば、前方に麹坂隧道が確認可能です。DNo.356−40・平成21〔2009〕年12月24日(14:13)撮影。

 写真3枚目、下流側から撮影した田代川橋梁。田口線健在当時の橋梁を使用して、現在は道路橋として利用されています。1〜2枚目の写真は、この写真右手側から撮影したことになります。DNo.355−32・平成21〔2009〕年12月23日(14:05)撮影。

 写真4枚目、麹坂隧道、本長篠側坑口。以前の一時、水道管埋設工事のためトンネル内へ入ることは可能でしたが、結局、写真の様に倒木で坑口は塞がれていました。このトンネル、田口線最長の稲目隧道1510.59mの次に長く全長は441.35mです。友人と一緒に、トンネルを抜けようとして、途中で1枚目写真の編成に遭遇。トンネル内は、写真奥に向って右方向にカーブしていました。この時の記憶だけは生涯消えることは無いと思っています。DNo.356−27・平成21〔2009〕年12月24日(14:02)撮影。

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 昨年の12月8日、番組製作会社のプロデューサー氏より電話を頂いてから、「歴史になった風景」オンエアー当日の平成22〔2010〕年2月1日まで、気が抜けませんでした。番組を録画して「ヤレヤレ」と安堵しております。最も知りたかったのは、「あの5分番組1本を、幾らで局へ手渡すのか?」。現地ロケへお付き合いしただけでも、大変さを実感しました。「プロが纏めると、この様に仕上がる!」。感心して何度も見返す結果となりました。
 ロケの合間に、「何も、日の短い冬至の頃撮影に来なくても、日の長い時期に来れば良かったのに…」と、プロデューサー氏に話しました。昨年10月頃、既に話は持ち上がっていたそうです。奥三河郷土館へ電話したところ、モ14がペンキ塗り替え作業中のため、ロケ日は12月23日にずれ込み。プロデューサー氏は名古屋から。カメラマン氏とアシスタント氏は、横浜から撮影に出向いています。編集作業は、別会社に依頼したそうです。
 開業当初の三河田口駅舎と双瀬〔ならぜ〕隧道の白黒写真は、郷土館から借用したカットと思われます。車掌時代の黒柳嘉治さん写真は、ご自身が所持していた写真です。黒柳さん撮影8mmフィルム白黒映像、その他スチールカットは、私が準備してものが採用されています。「ハイビジョン放送で、何とか綺麗に処理して欲しい」という願望がありました。デジタル画像とプリントアウトした写真の双方を渡しましたが、デジタル画像が使用されたようです。
 東海テレビは、愛知・岐阜・三重の3県に流れるのみで、テレビの前で待機していた伊豆の叔母さん達には、番組は見て貰えませんでした。お陰で、昨年12月は本業が全く手付かず。想定外の出費で田口線番組にどっぷり浸かった感じです。趣味とは、こういうものなのでしょう。黒柳さん撮影8mmフィルム白黒映像と一緒に、私が撮影した26分の豊橋鉄道柳生橋支線8mmフィルムカラー映像も一緒に渡してあります。「何ならば、柳生橋支線もやって下さい」と注文しておきました。
 録画したハイビジョン映像を止めて、我が家のブラウン管テレビを撮影してみました。

 写真1枚目、三河田口駅舎跡の黒柳嘉治さん。スケジュール表では、元運転士となっておりました。田口鉄道アルバムでは、当時「運転手」と表記されていた事を伝えておきました。DNo.364−2。

 写真2枚目、昭和43〔1968〕年、廃線間近に黒柳嘉治さんが撮影された8mmフィルム映像。清崎駅を発車して長原前へ向うモ36?+チキ+トキの混合列車です。末期の田口線、本長篠から田口線沿線へ外材を運ぶ混合列車の写真は眺めていますが、逆方向へ木材を運ぶシーンは珍しいと思っています。DNo.364−4。

 写真3枚目、本長篠から清崎方面へ向かう電車を運転中の杉浦英雄さん。間も無く、玖老勢到着の頃?。DNo.364−5。

 写真4枚目、滝上駅を発車して海老隧道を抜け、稲目隧道へ向うシーンです。映像右手が原田さん宅。2本の傷辺りに確認出来るのが、現在も田口線健在当時のまま残る岩倉さん宅です。「秋の紅葉、すばらしかったですよ」と、インタビューで集録した黒柳さんの声とテロップが入っていますので、8mm映像が引き締まった感じです。DNo.364−6。

 写真5枚目、「ロケのガイド役務めるから、テレビに入れて下さい」と、プロデューサー氏にお願いした結果です。中学生の時、友達を訪ねて初めて乗車したモ38の思い出を喋っておりました。「当時の国鉄車両と同じチョコレート色の電車なのですが、室内へ入るとシートはブルーのモケット。淡いピンクの車内で、蛍光灯を使用した明るい電車に感動しました」。これを保存モ14について話したと判断されてしまったようです。ナレーター氏の言い回し、少々違うと思っています。廃線間近の田口線では、モ14は白熱灯を使用した暗い車内で、トラス棒を装備した古参電車でした。DNo.364−8。

 写真6枚目、海老川橋梁を渡るモ15、さようなら装飾電車。この前のカットで“さよなら電車”とテロップが入っています。「ヘッドマークに、“さようなら”と表記してあるじゃん…」 何でもイイですが、田口線番組で田口線健在当時のカラーカットが採用されるのは初めてと思っております。DNo.364−13。

 写真7枚目、寒狭川に残る放置レール。継目板でジョイントされたまま残っていますから、「継目板を撮影しておいて下さい」と、カメラマン氏にリクエストしました。このレールが放映されるのも初めてと思います。プロデューサー氏が当初から入れ込んでいたロケポイントです。DNo.364−14。

 写真8枚目、7枚目写真の映像を撮影中。この時ばかりは手持ちでの撮影です。DNo.355−45・平成21〔2009〕年12月23日(12:48)撮影。

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