連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

豊橋鉄道田口線・後日談

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 昭和43〔1968〕年8月31日限りで廃線となった豊橋鉄道田口線。今年で廃線から40年を迎えます。電車が走行した期間が40年弱でしたので、廃線後の時代の方が長くなってしまいます。
 田口線車両として、唯一、奥三河郷土館に保存されているモ14。田口線運転最終日に田峰駅に回送され保存されることになりました。駅周辺の鉄道構造物が撤去され、元田峰駅周辺の状況も徐々に変化を遂げてゆく中、モ14は再塗装されています。撮影は出来ませんでしたが、1度眺めた記憶があります。「何故、この様な塗装にしてしまった」と、当時は不思議に思ったものです。
 モ14のルーツを辿ると、大正14〔1925〕年、日本車輌で5両製造。モハ10形〔モハ11〜15〕として、豊川鉄道に5両納入されています。同形車1両はモハ10として、鳳来寺鉄道へも納入されています。昭和18〔1943〕年8月1日、4社社線が国に買収され、国鉄飯田線が誕生することで、これらのモハ10形は買収国電として活躍する時代が続きます。その後、国鉄飯田線で廃車となったモハ14・15の2両を昭和26年、田口鉄道が譲受。モハ10・13の2両は大井川鉄道へ譲り渡されています。昭和31〔1956〕年10月1日、田口鉄道は豊橋鉄道に吸収合併。昭和39〔1964〕年7月22日、称号改正によりモ14・15と改称。
 田口線沿線のお宅で、初めて眺めた田口鉄道時代のモ14・15白黒写真。随分明るい感じを受ける塗色でした。故・白井先生の田口線記事によれば、買収国電譲受直後のモ14・15の塗装色、スカ色に近いクリームとブルーの塗り分けと表記されています。田峰駅保存時に塗り替えられた色調、どうやら、この当時の塗色であったようです。
 白井先生とご親交のあった上野哲司様より、撮影出来なかった時代の田口線写真等を送って頂きました。ブログでの使用許可も頂きましたので、今回、その中の1枚を添付させて頂きます。

 写真1枚目、昭和29〔1954〕3月18日、国鉄飯田線本長篠駅ホームより撮影された田口鉄道モハ15。モハ15写真後方にモハ14の一部が確認出来、モハ15以上に明るい塗り分けとなっています。上野様の写真で、この塗装時代の撮影日時を知ることが出来ました。この頃、モハ15の保守を行なっていた“名古屋車輌”、冊子作成当時は所在地が不明でした。後日、白井先生、上野氏より電話を頂き、場所が判明しております。地表時代の名鉄堀田駅横に存在し、名古屋鉄道の子会社であったそうです。推測すると、田口鉄道→国鉄飯田線→名鉄本線経由で“名古屋車輌”まで運ばれたことになります。名鉄小坂井短絡線が存在した時代のことと思われます。上野様に、この写真の塗装色を確認しましたところ、昔の大井川鉄道と同様の色調であったそうです。

 画像は作図したモ14に着色したものです。元田口線運転手・黒柳氏が録画されたNHK番組のビデオ映像に田峰駅保存時のカラー写真が収録されています。ビデオ映像を基に作成してみました。イメージ的には、もう少々淡い色調なのですが、程好い色見本が有りませんでした。上野氏が撮影されたモ15の塗装、この様な色合ではなかったのかな?

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昭和の馬匹輸送

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 高速道路を走行中、“馬匹輸送”と表示され、小窓を装備したバスのようなトラックを時折見掛けることがあります。競走馬を競馬場まで移送する特注専用トラックのようです。「お馬さんは、どの様な気持ちで乗車している?」と思ったりするものです。“馬匹”→読みは“ばひき”が多いようですが、“ばひつ”とも読まれるようです。
 今回の白黒写真は、豊橋鉄道田口線元運転手・黒柳嘉治氏によって旧新城市内で撮影された2カットです。見ることの無かった田口線の古い写真。お借りしたアルバム・ネガフィルムから、田口線関連写真と一緒に取り込んだものです。荷車上の都電・札幌市電のボディーを馬が牽いてる写真は眺めたことはありますが、耕運機に乗せられた農耕馬の姿を見たことはありませんでした。「お馬さん、中々の乗り心地と!」と思える表情に読み取れます。
 平成19〔2007〕年7月26日に黒柳さん宅にお邪魔した際、コピーして頂いた昭和42年の田口線列車運転速度表。何時か書き直して紹介させて頂きたいと思っています。この表によれば、田口線旅客列車の運転最高速度は、45粁/時となっています。10代で田口鐵道に入社。雑務係、車掌を経た後、運転手免許を取得。「黒柳が運転しているから、多少の遅れは大丈夫〔乗客の話〕。大幅な遅れがある時には、100km/h出した。でも、カーブ区間は注意した」と豪語する黒柳さん。直線1.5kmの稲目隧道ならば、かなりスピードは出せたのでしょうが、田口線電車の100km/h走行は疑わしいです。モ14+モ15の2連。モ14を運転して三河海老駅に進入する折、駅員のポイント操作ミスで後部モ15が脱線。この時、モ14を運転していた黒柳さん、「運転中に異常を感じて車内を振り返ると、乗客が左右に大きく揺れていた」と語ります。このお話はリアルでした。

 写真1枚目、農耕馬を乗せた〔載せた?〕耕運機を運転するオトウサン、右腕を水平に出しています。「これから右折する」という合図と思います。昔、方向指示器の無かったオートバイ。後方のドライバーに右折左折を知らせる手合図。現代の若い人達は知らないものと思います。撮影年月日不詳。

 写真2枚目、何故か左折してしまった馬匹輸送の耕運機。撮影年月日不詳。

 写真3枚目、田口線元運転士・黒柳嘉治氏と、ご子息の一仁〔かずひと〕さん。田口線健在当時、田口線で通園していた一仁さん。今では、しっかり大きくなりました。また、お邪魔しますので宜しくお願いします。DNo.46−8・平成18〔2006〕年7月23日撮影。

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 トラックバックにエントリーしたものの、中々ままなりません。
  鉄道趣味誌を長年購入していますが、豊橋鉄道田口線だけは、カラー写真の発表がありませんでした。そこで保有している180枚弱のカラー写真全てを並べれば、田口線の全線の雰囲気が紹介出来るものと考えてトライしたのが、「青春のアルバム 豊橋鉄道田口線 総天然色、連写2眼の元祖!」でした。印刷以外の事は、全て自分自身で処理しました。カラー印刷、シャドー部が潰れてしまった事が残念でなりません。当初は自分の写真のみで、100頁程を考えていたのですが、田口線沿線の方々からお借りした写真を掲載したため、200頁という結果になってしまいました。
 人生最初で最後の大博打。リスクは大でしたが、冊子という形に仕上げたことに悔いはありません。
 田峯、新竹桑田橋から長原前間の廃線跡、使用されないまま放置され、40年がまもなく経過します。橋梁が2ヶ所。トンネルも2本残っています。1本は全長332.54mの第一清崎隧道です。もう1本が全長118.26mの第二清崎隧道。1km程の距離ですが、あの間にレールを復活させたい!! 叶わない夢でしょうが。

「田口線を語り継ぐ一冊。」として、ネコ・パブリッシング社のご好意で紹介してくれたものです。


 写真は、トキ17340を牽引して三河海老に到着したモ37が、側線のロチキ3140を引き出すところです。乗客を乗せたまま編成替えをして、この後、混合列車として本長篠へ向って三河海老を発車して行きました。No.46−30・昭和43〔1968〕年8月18日(12:36)撮影。

平成21〔2009〕年8月28日追記:
愛知県豊橋市仲ノ町99 小早川秀樹 0532−63−7344
hideki_kobayakawa@yahoo.co.jp

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 豊橋鉄道田口線に初めて乗車したのは、昭和40〔1965〕年正月、中学生時代に北設楽郡清崎の同級生を訪ねた時です。時は流れて37年。平成14〔2002〕年9月16日、田口線廃線跡の調査に出掛けました。この時、どうしてもお邪魔したいお宅が、清崎の食堂“平松屋さん”でした。三河海老駅で撮影した電車横の人物が、夏目友治さんか否かを確認したかったからです。暖簾を片付けようとしていた夏目節子さんにお願いして写真を見て頂きました。「主人です。主人は4年前に亡くなりました………」
 以来、田口線廃線跡撮影の折には、毎回“平松屋さん”を訪ねることになりました。3年間で20数回。保有されている、田口鉄道アルバムや資料もお借りしています。ところが、飲食代金を受け取って頂いたのは、初回のみなのです。手土産を購入してお邪魔することにしていますが、帰り際には、お土産を頂くような始末です。「お邪魔することで、かえってご迷惑をお掛けするのでは?」と考えて半年程お邪魔しない時期もありました。久々にお邪魔すると、「最近来ないね」の一言。これで気持ちが変わりました。「遠慮しない。無礼講でもイイや」
 ご主人の夏目友治さんが写っている写真が欲しいと言われ、ラボでプリントアウトした写真を夏目節子さんに届けました。この写真、額に納めて店内に飾ってくれました。撮影したのみで、1枚も日の目をみる事のなかったカラースライド、“平松屋さん”で初めて日の目をみました。それ故、田口線冊子の表紙は、「この写真」と決めました。
 7年を費やして作成して田口線冊子、昨年末、やっと“平松屋さん”に届けることが出来ました。そして、今年、再びお邪魔したところ、北設楽郡で数少ない個人経営の食堂・“平松屋さん”の閉店を決断したそうです。暖簾を出していると、病院へ通うこともままならないようです。長年掲げていた暖簾は、既に仕舞われ、看板等を撤去すると伺いましたので、看板健在の内に記念撮影させて頂いたのが、今回の写真です。50歳を過ぎたら全て同世代と考える昨今。お袋より年上の夏目節子さんを“ガールフレンド”となど表現してゴメンナサイ。「遠慮しない。無礼講」でまたお邪魔しますので、お元気で頑張って下さい。

 写真1枚目、閉店“平松屋さん”、店玄関前の夏目節子さん。No.2196−28・平成19〔2007〕年4月21日(15:55)撮影。

 写真2枚目、夏目節子さんの半身姿。No.2196−30・平成19〔2007〕年4月21日(15:55)撮影。

 写真3枚目、田口線運転最終日、さようなら装飾のモ15。本長篠駅、国鉄飯田線ホームからの撮影。ブレているため、冊子には使用しなかった写真です。No.47−9・昭和43〔1968〕年8月31日(6:51)撮影。

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鳳来寺山の仏法僧

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 田口線冊子作成に当り、最も頭を悩ませたのは「仏法僧」でした。「仏法僧」・「ぶっぽうそう」・「ブッポウソウ」・「コノハズク」の言葉使い分けが理解出来ないと、旧鳳来町の道路案内板が「コノハズク」であることを説明できませんでした。
 今月から、NHK・みんなのうたで“鳳来寺山のブッポウソウ”が放送されています。
 作詞・作曲・編曲;冨田勲 うた;NHK東京児童合唱団 アニメーション;大野文雄と紹介され、5分間の番組で1曲紹介されるのみです。6月6日〔水〕、夕方4時55分からの番組で初めて確認。6月13日〔水〕の放送をビデオ録画。以降、何度もビデオを眺めています。歌詞から受けるイメージを自分なりに想像してみました。

「ぶっぽうそう」と鳴いていた「コノハズク」。人間の勝手な思い込みから、華麗な「ブッポウソウ」が鳴いているものと思われ、「ブッポウソウ」は、霊鳥「仏法僧」として崇め奉られてきました。そこで、ヘソを曲げた「コノハズク」は鳳来寺山から飛び立ってしまいました。夏服の少年・少女が「コノハズク」に「ブッポウソウ、帰って来い」と訴えるのですが、「コノハズク」は鳳来寺山へ戻ることを躊躇っているのです。「姿のブッポウソウ」も登場して、「コノハズク」に説得を試みるのですが、「声のブッポウソウ」こと「コノハズク」は応じません。少年・少女、やや投げ遣りになりつつも「コノハズク」が戻ってくることを望んでいるのです。実際の鳴き声を流しながら、アニメーションの「コノハズク」は、夜空を羽ばたいて去ってしまいます。この歌に登場する「コノハズク」、結構、ドン臭いです。そう思いませんか?

 写真1枚目、鳳来寺山自然科学博物館に展示されている「姿の仏法僧」こと「ブッポウソウ」。許可を頂き三脚を使用。自然光で撮影しました。No.1996−11・平成15〔2003〕年8月17日撮影。

 写真2枚目、鳳来寺山自然科学博物館に展示されている「声の仏法僧」こと「コノハズク」。No.1996−7・平成15〔2003〕年8月17日撮影。

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