連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

名古屋市電

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

イメージ 1

イメージ 2

 豊橋で生活していますと、道路の幅は、この位あって当然と思い込んでしまいます。車で各地へ出向いたことで愛知県の道路が広いことを再認識しています。かつて、名古屋市電を撮影した際には、片側5車線の道路中央を走行する市電を撮影したこともありました。歩道から標準レンズで撮影すると、電車の姿は遥か彼方といった写真になってしまいます。狭い道路端を走行する路面電車が好みのため、名古屋市電を撮影していても、沿線風景にあまり思い出が残らない路面電車でした。
 眺めることの無かったハーフ判白黒写真を最近、少々取り込んでおります。今になって見返すと、珍しい交差点であったと思うのが、今回の写真です。名古屋市電を纏めた写真集には登場する交差点ですから、1つの撮影ポイントではあったと思います。

 写真1枚目、路面電車併用軌道のレールが敷設されるのは、主要幹線道路であったと思います。写真の交差点は、やや雰囲気の異なる交差点でした。電車通りを斜めに横切る形で、後に広い道路が建設されたものと考えます。電車通りを走行して来た車は、この交差点を横切れない構造になっています。市電のみが横断可能でした。交差点の両側に電停が存在してもイイ程の横断距離があります。歩道の広さだけでも、山間部の国道以上の幅があるものと思います。交差点へ進入する80系統〔上飯田−八熊通間10.5km〕の1600形〔1601〜1676〕の1664号。白黒No.41−20(9)・昭和44〔1969〕年8月18日(13:50)撮影。

 写真2枚目、交差点を横切る3系統〔名古屋駅―平田町―鶴舞公園―名古屋駅間10.9km循環系統〕の1600形1638号。名古屋駅から時計回りに走行して名古屋駅へ戻る市電です。白黒No.41−21(9AB)・昭和44〔1969〕年8月18日(13:52)撮影。

イメージ 1

イメージ 2

 今年で伊勢湾台風から50年になりますか。当時、私は小学校4年生。現在の自宅付近で借家住まいの頃です。借家から少々北へ歩けば、水田超しに豊橋祇園祭の花火が良く見え、水田には蛍が飛んでいました。台風接近のニュースが流れると、ガラス戸に×印の板を打ち付けた光景は良く眺めたものです。我が家では、特に何もしませんでした。伊勢湾台風が接近すると、直ぐに停電。蝋燭だけが頼りです。そんな時、借家の裏木戸が東風で外れてしまいました。この木戸が倒れてしまえば、玄関まで2間の部屋を風が吹き抜けてしまいます。それで母親と二人で風が収まるまで、裏木戸を押さえ続けました。随分長い時間でありました。父親はスクーターで仕事へ出たものの、途中でスクーターが動かなくなり、台風の中、蒲郡辺りからスクーターを牽いて、ずぶ濡れで帰ってきました。夜が明けると、一面水浸し。水田の中にブロックを積んだ農業倉庫がポツリと建っていましたが、強風で完全に倒壊しておりました。愛知県周辺に未曾有の被害をもたらした伊勢湾台風。被害状況を知ったのは、ラジオか新聞であったと思います。
 名古屋市電下之一色線沿線でも多くの被害が発生したものと考えられます。傾いた電柱等は、「伊勢湾の名残では…」と思ったものです。
 尾頭橋〔おとうばし〕から単線併用軌道区間は、ハーフ判カメラでカラー撮影したのみ。専用軌道区間は、何とか連写2眼の1号機で撮影しています。白黒フィルムはハーフ判カメラを使用しているため、好結果は得られませんでした。可能ならば、もう2〜3回沿線を歩いてみたかった路線です。随分以前に購入した趣味誌で、下之一色線廃線跡の写真を眺めていますが、当時の面影が全く残らない程の変貌ぶりでした。

 写真1枚目、名古屋市電下之一色線。小本〜松葉間を走行する70系統1544号築地口行。自宅の縁台に腰掛けて、走行する市電が眺められるわけですから羨ましい限りです。No.58−34・昭和44〔1967〕年1月20日(10:44)撮影。

 写真2枚目、下之一色にて。70系統1659号尾頭橋行後追いカット。カーブした写真右手で、確か道路を越えた場所が電停のはずです。写真左手、車庫の車両は1660号、その奥が1700形。撮影のため立っている場所のレールは、本線のカーブに沿って背中側へも続いていました。ここにも窮屈な状態で1700形が留置されていました。満足に1700形を撮影出来なかったことが悔しい思い出です。No.59−7・昭和44〔1967〕年1月20日(12:27)撮影。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 今年の8月、久々に名古屋へ出向いて“あおなみ線”を撮影してきました。僅かの距離のため、ささしまライブ駅から名鉄名古屋駅までは歩いて帰ることにしました。考えてみると、この辺りを歩くのは名古屋市電健在当時以来です。古いカラースライドを取り出したところ、たまたま、当時の写真が見つかりましたので、これらの写真を添付してみます。当時のメモを開くと、市電25円・市バス30円・地下鉄30円・きしめん80円・ラーメン120円・市電25円と記録してあります。この日、名古屋の街では310円も使っています。

 写真1枚目、笹島町電停から撮影した回送2003号。最後の新造車両、大きな方向幕には「回送車」と表示されています。No.406−34・昭和47〔1972〕2月29日(11:05)撮影。

 写真2枚目、笹島町電停南方を走行する2000形2015号堀田行。写真後方、バスターミナルへのスロープが見渡せます。ちょっとしたビルの大きさにも匹敵する雪印の広告塔には、佐良直美さんの顔写真。“世界は二人のために”と“いいじゃないの幸せならば”、当時何気なく聞いていたヒット曲、今振り返ってみると、歌詞の内容は真反対です。No.406−35・昭和47〔1972〕年2月29日(11:20)撮影。

 写真3枚目、名古屋駅前の渡り線で折り返す2017号。写真後方、大名古屋ビルヂングは今も健在です。PCCカー都電5501号同様、名古屋市電2000形もボディー全周スカートで覆われた、“どえりゃー”電車で「和製PCCカー」と呼ばれました。豊橋へやって来て欲しかった車両ですが、保守泣かせ車両のため、消える運命を辿っています。白黒No.583−(18)・昭和46〔1971〕年12月31日(11:35)撮影。

開く トラックバック(2)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 ワンマン運転の元祖路線が、名古屋市電の下之一色線。名古屋郊外、多くの区間がのどかな単線専用軌道でした。
 下之一色線と平面交差していたのが、貨物線であった名古屋西臨港線。この線で撮影した唯一の貨物列車はD51が牽引するものでした。
 名古屋西臨港線から変身した名古屋臨海高速鉄道“あおなみ線”。線路外の地上から撮影出来るような路線ではありませんので、途中下車を繰り返してホームからの撮影となってしまいました。
 稲永〔いなえい〕駅で下車。暑い一日で、立ちっ放し。近くに回転寿司店がありましたので、ここへ入店。しばし小休止。アルバイトの女の子に生ビールを注文。「生ビールはセルフサービスです」との事。レジ付近の自販機まで足を運ぶことになります。冷やしたグラスを冷蔵庫から取り出し自販機に載せる。400円を投入すると、グラスが傾きビールが注がれます。一定量注入するとグラスは水平に戻り、続いて泡が注がれます。面白い機械に遭遇しました。食した皿は4皿。生ビールは2杯。テーブルと生ビール自販機の間を2往復する結果となりました。ビールの泡をこぼさぬよう店内をウロウロ。小休止という気分にはなれませんでした。

 写真1枚目、名古屋市電下之一色線。荒子〜小本〔方向を見る〕間の1658号尾頭橋行70系統。下之一色線と斜めに平面交差しているのが、当時の名古屋西臨港線。No.58−37・昭和44〔1967〕年1月20日(11:06)撮影。

 写真2枚目、“あおなみ線”の荒子駅ホームより。写真後方の赤白タワー手前が小本駅。1106他06編成が到着します。電車が走行している辺りを“下之一色線”が横切っていた? 荒子駅付近から名古屋地下鉄の地上車庫が確認出来ましたので、次回チャンスがあれば、荒子駅で下車して車庫でも覗いてみたいと思います。隣りの貨物ヤードでは、重連コンテナ貨物が発車待ち。DNo.107−54・平成19〔2007〕年8月4日(13:48)撮影。

 写真2枚目、“あおなみ線”稲永駅ホーム。1102他02編成金城ふ頭行が到着。パイプとフランジで構成された配管のような架線柱。林立する送電線鉄塔で空が良く見えません。ホーム下の道路を市電が走行していたものと思い、少々撮影しましたが、当時の面影は全くありませんでした。DNo.108−6・平成19〔2007〕年8月4日(15:44)撮影。

名古屋市電

イメージ 1

イメージ 2

 明治31〔1898〕年5月、京都に次ぐ日本で2番目の電気鉄道として開業した名古屋の路面電車。昭和49〔1974〕年3月末をもって全線廃止。77年の歴史には終止符が打たれました。
 一時は、100kmを越す路線網を保有。路面電車に初の連接車を導入。下之一色線で、初のワンマン運転開始。路面電車に新たな歴史を築いた名古屋市電も、消滅から33年が経過しています。
 末期の名古屋市電を撮影したものの、道路が広い事。下之一色線以外の路線は、何処も代わり映えがしない事などが僅かに残る印象です。

 写真1枚目、名古屋駅前の1601号3系統。赤帯を巻いていませんので、車掌さんが乗務していたものと思われます。No.64−13・昭和44〔1969〕年2月23日(8:23)撮影。

 写真2枚目、八事電停付近の1460号。電停は1463号。豊橋鉄道市内線、ワンマン運転のために導入されたのが、名古屋市電標準形であった、この1400形でした。長きに渡り、豊鉄道市内線モ3100形として活躍することになります。唯一残された名古屋市電1400形の生き残りモ3102。これからの活躍に期待したいものです。No.64−18・昭和44〔1969〕年2月23日(15:48)撮影。

開く トラックバック(2)

全1ページ

[1]


.
hideki_kobyakawa
hideki_kobyakawa
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

友だち(18)
  • BuchikoYT
  • すぎうら あきのり
  • mymy
  • toden20ban
  • とりぬまぐみ
  • やわやわFC
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
最大10万円分旅行クーポンが当たる!
≪10月31日まで≫今すぐ応募!
衛生対策製品クレベリンの姉妹ブランド
クレベ&アンドハンドジェルが新登場
今だけ。お試しキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事