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富山市五福のYさんご主人が、小学生の娘“ひーちゃん”を連れて我が家へ遊びに来たのは、私が中学生の時でした。この時、父親が撮影したYさん親子の写真が残っております。しかし、暫くしてYさんご主人は、“ひーちゃん”連れて旅行中、旅先の旅館で突然他界されてしまいました。その後、“ひーちゃん”が1人で我が家へ遊びに来たこともあります。ハーフ版カメラで撮影したカラースライドが残っておりますので、私が高校生の時と思います。
Yさんご主人と私の父親は趣味を通じて知り合ったようです。父親もYさん宅へはお邪魔していたようで、Yさん宅前には電車が走っていると話します。Yさん宅へ出向くという父親に「電車の写真を撮ってきて」と注文すると、Yさん宅をバックにネガカラーで富山市内線の写真1枚を撮ってきてくれました。
学生時代、東京の下宿から北陸へ向かい、初めて五福Yさん宅を訪ねました。私がお邪魔することは、事前に父親が連絡してくれたものと思います。Yさん宅の住所は知りませんでした。「父親が撮影してくれた富山市内線のカラー写真は、単線区間で撮影したものだから、沿線を1km程歩けば、Yさん宅は直ぐに分かるであろう」。昼間、鉄道写真を撮影してYさん宅へは夕方到着。初めてYさん宅をお邪魔した日に、早速泊めて貰いました。“ひーちゃん”のお母さんに会うのも初めてでした。
以来、北陸周遊に出向くと、必ず富山市五福のYさん宅へ押し掛けております。何度も泊めて頂き、撮影拠点とさせて貰いました。これは学生時代の話でして、図面屋家業に就いてからは富山へ出向く機会も少なくなっております。
加越能鉄道高岡軌道線が廃線になるかも?。それとばかりワゴン車を走らせ家族連れで高岡を目指します。昼頃、新湊周辺で宿泊先を探すのですが、何処も満室で撮影どころではありません。咄嗟に思い付いたのが“鯰温泉”でした。何とか“鯰温泉”で1泊。ヤレヤレ。翌日、少々Yさん宅へ立ち寄っています。Yさん宅で撮影した我が家の4人と“ひーちゃん”母娘の姿をネガカラーに残しました。
徐々に縁遠くなってしまった感のある富山市五福でしたが、まさか息子が富山市五福で生活するようになるとは…。再び、富山市五福を訪ねるチャンスが巡ってきました。今度は息子+“ひーちゃん”母娘のお顔を拝見するために出向きます。
写真1枚目、大学前電停から撮影した4系統デ7011。循環系統が存在した時代です。当時の市内線車両にはクーラーは備えられておりませんでした。電停時刻表上部に表記された路線図には、不二越駅前に向かう路線や射水線の一部も描かれております。白黒No.419−27(23)・昭和46〔1971〕年5月2日(10:34)撮影。
写真2枚目、1枚目写真に近い形で撮影したカット。大学前へ到着するデ8001。写真後方の黄色ビルは、1枚目写真にも写っております。電停の時刻表、バックミラーは、やや大ぶりになったようです。ND100No.272−31・平成21〔2009〕年8月8日(8:32)撮影。
写真3枚目、大学前から新富山寄りへ移動して撮影。大学前へ向かう3系統デ7013。複線のように見えますが、架線が示す通り単線区間です。白黒No.419−28(22)・昭和46〔1971〕年5月2日(10:38)撮影。
写真4枚目、大学前を発車したデ7020後追いカット。ND100No.272−48・平成21〔2009〕年8月8日(8:50)撮影。
写真5枚目、大学前電停の3系統デ7013。鉄道ピクトリアル223号〔臨時増刊 全日本路面電車現勢:昭和44年4月10日発行〕に記載された路線図では、大学前−新富山間に野球場前、工業高校前と2つの電停が表記されています。大学前・野球場前・工業高校前の3つの電停を統合して、新たな大学前電停が写真の位置に設置されたものと思われます。この写真には富山大学正門近くまで軌道が存在した時代の名残が残っております。画像を取り込んで初めて気付きました。白黒No.419−29(21)・昭和46〔1971〕年5月2日(10:39)撮影。
写真6枚目、大学前電停のデ7020。歩道橋は5枚目写真当時のままなのでしょう。富山大学までの路線延伸計画が再び持ち上がっているようです。ND100No.272−45・平成21〔2009〕年8月8日(8:49)撮影。
写真7枚目、同じく大学前電停のデ7020。クーラーを隠すような大きな屋上行灯、スポンサーが見付かりませんか?。ND100No.272−47・平成21〔2009〕年8月8日(8:50)撮影。
写真8枚目、お元気だった頃の“フェニックスみつい”さん91歳。ND100No.272−53・平成21〔2009〕年8月8日(9:37)撮影。
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