連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

富山地方鉄道

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 豊橋鉄道田口線を取り上げるテレビ番組を製作するというお話を聞いた1週間後、書籍編集に携わる東京のS氏よりメールが届きました。トロリーバスに関する記事を掲載予定のため、当方の写真を借りたいという内容でした。「トロリーバスの写真は、それ程保有しておりません」と、とりあえずS氏に電話で返答しておきました。会話することで、私が保有している写真の中に、彼の好み写真が多数あるようで、年明けには我が家を訪ねたいと話します。既に田口線で動き始めてしまい、本業が手付かずの状態でしたので、年明けS氏の訪問は、お断りしています。
 私が撮影した写真を纏めて本を出版しようと、興味を示している版元とS氏が、2月21日、わざわざ東京から車で我が家を訪ねて来ました。電話で会話しただけですので、相手の素性は全く知りませんでした。到着した版元氏は、千代田区オフィスビルに事務所を構える、固い書籍等を出版している出版社社長さんでした。結局、帰りの道中で、この話はお流れとなったそうです。後日S氏から電話を頂き、安堵したというのが正直な気持ちです。

 40年以上に渡り撮影した写真を全てデジタル化して、見られる状態に少しづつレタッチするには600年が必要と試算しています。ブログで紹介した写真は、撮影した写真のほんの一部です。ブログ写真を眺めたS氏、我が家へ来れば、この様な写真が存在するものと勘違いしているものと思います。別の版元を連れて、後日再度お邪魔したいと話していますが、同じ結果になるものと思います。「泊り込みで、改めてお邪魔して、写真を眺めてみたい」とも話します。撮影した写真を再確認したいのは、S氏以上に私本人なのです。どの様な写真を撮影したものか、記憶も曖昧になっておりますので…。全ての写真をリストアップして内容を整理したいと思っていますが、実現しないまま今日に至ってしまいました。S氏が希望する写真を探すためには、かなりの時間を必要とします。ありがたいお話ではありますが、戸惑いの気持ちの方が強いです。古い写真のデジタル化、レタッチ作業が簡単に処理出来れば、10路線位の私鉄路線写真集も可能でしょうが、現実には不可能と思っております。「○○の写真は、ブログに出さないで下さい。私にやらせて下さい」と言われ、ブログの更新を規制されてしまった状態です。この期に至って、ブログそのものが苦痛以外の何ものでもありません。
 残された人生で、もう1冊位は冊子を作成してみたいと思っていますが、時間的に実現には至らないと思っております。これをS氏に委ねても良いのかなと、フト思い付いただけです。出版社を通して発刊するとなれば、利益も出さなければなりませんので、すんなり事が運ぶとも思えません。インターネットの普及で、本離れが進み、出版社が倒産している昨今。私の保有している写真で、少々従来の形と異なる写真集でも作成してくれるのであれば、「協力してみようかな」などと考えたりしますが、田口線番組の二の舞になることが想像されますので、気乗りしないことも事実です。

 写真1枚目、息子が送ってきた富山ライトレールの写真。趣味誌等で良く紹介される終点岩瀬浜近くの鉄橋です。昨年、富山を訪ねた時、息子に運転を任せた車の中から眺めております。機会があれば撮影したいと思っていますが、写真の様な立山連峰を写し込める可能性は、0に等しいと思っています。平成22〔2010〕年1月27日(15:02)撮影。

 写真2枚目、豊橋市内の国道1号線沿いに、ラーメン店“新幸楽苑”が存在します。息子とも数回訪れています。この向かい側に存在するのが、ディスカウントショップの“A−one”。増築された“A−one”店内で撮影された写真を、あるブログで見付けました。この写真を無断使用させて貰います。不味いと言われた時には、削除することにしましょう。

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 富山市のHPに、セントラム情報が掲載されています。
 「市内電車環状線の開通まで、あと少しとなりました。富山の街なかに、白、銀、黒3色のセントラムが走ります。開通当日の12月23日(水)には白、銀、黒の3車両が大手モールに集合します。3色のセントラムが集合するのは、この日が最初で最後となりますので、この貴重な機会に、カメラを片手に大手モールへお越し下さい」と表記されています。出向きたいけれど、行かれません。
 平成21〔2009〕年12月23日〔祝水〕は、東京蒲田事務所の忘年会。客先会社の業者集めての忘年会はありませんが、横浜駅西口での事務所忘年会へは、出向く気持ちになりつつありました。そんな折、12月16日、テレビ番組製作会社さんより電話。ロケ日は、12月24日〔木〕だそうです。ロケ隊にお付き合いすることになりました。これで、事務所の忘年会へは出席不可能です。その後、再び電話を頂き、ロケ日が23日に変更。23日は、田口線廃線跡のガイド役を務めます。覚悟はしていましたが、「もう少々、日にちがズレテいてくれたら」………複雑な心境です。
 富山地鉄富山市内線、かつては循環系統が存在しました。その後、一部路線の廃止により、現在の路線が残った形になっています。12月23日に開業する路線は、廃線となった、丸の内→旅籠町→西町の間を復活させる感じです。ルートは少々異なります。曲がる回数が増えたとは言え、新設路線キロ程は、昔に同じと思っています。かつての路線に比較すると、小回りな循環線といった印象ですが、新線区間が開業することは喜ばしい限りです。
 かつての運転系統は、1系統:南富山−富山駅前。2系統:南富山−富山駅前−丸の内−西町−不二越〔丸の内−西町−不二越間が廃線区間〕。東まわり〔3系統〕:富山駅前−中教院前−丸の内−大学前−丸の内−富山駅前〔地鉄ビル前−中教院前−西町−丸の内間が廃線区間〕。西まわり〔4系統で3系統の逆回り〕:富山駅前−丸の内−大学前−丸の内−中教院前−富山駅前。昔の路線図では、南富山。現在の路線図では、南富山駅前と表記されています。
 平成21〔2009〕年12月20日追記:車両を撮影した写真は、全て、丸の内交差点の南西方向角辺りから、北東方向を撮影しています。余川ビル等が消滅したことで、お城が見えるようになりました。
 

 写真1枚目、昭和46〔1971〕年当時の丸の内交差点。4系統デ7011。大学前を発車した7011号は、写真の丸の内交差点を右折。旅籠町を左折。西町で平面交差。中教院前で分岐して左折。富山駅前を経由して、再び丸の内へ戻って来ます。写真右手に向い、写真左手に戻って来る運転系統でした。テニスラケット枠の縁に沿って走行する様な系統でした。1度走行すると、大学前で車両の向きが逆になるハズです。白黒No.420−18・昭和46〔1971〕年5月2日(13:17)撮影。

 写真2枚目、丸の内交差点のデ7005不二越行〔と思う〕とデ7016南富山行〔と思う〕。2系統電車のすれ違い。この系統は、ギリシャ文字αの様な運転系統でした。西町交差点を2度走行する系統です。丸の内には消防署が存在した印象が強いです。「屋外に出ていた梯子車は、残念ながら撮ってなーい」。デルタ線が形成された交差点でした。白黒No.420−19・昭和46〔1971〕年5月2日(13:20頃)撮影。

 写真3枚目、3系統のデ7013。大学前を発車して富山駅前へ向かいます。1枚目写真とは逆回りする系統です。白黒No.420−21・昭和46〔1971〕年5月2日(13:23)撮影。

 写真4枚目、昨年撮影した丸の内交差点のデ8001大学前行。上記の写真撮影から37年が経過しています。「消防署が無くなってしまった。お城が見える。随分変わって、街が綺麗になった」といった印象でした。12月23日に開業する新設路線は、写真右奥に向って丸の内交差点を分岐する形です。No.2247−21・平成20〔2008〕年8月2日(9:50)撮影。

 写真5枚目、大学前を発車して丸の内交差点を左折するデ7021日本通運広告電車南富山駅前行。豊橋鉄道市内線にもモ784日本通運広告電車が存在しますが、豊橋の車両に比べ、派手な広告電車に仕上っています。広告の文字表記が大きく、歌い文句もビッグです。窓まで塗り潰した日通のマーク。目立ち過ぎます。No.2247−24・平成20〔2008〕年8月2日(9:56)撮影。

 写真6枚目、今年8月、循環線建設前の光景を撮影しておこうと丸の内交差点に立ってみましたが、既に建設工事が始まっていました。軌道環状化事業案内看板。循環線の完成予定イラストが画かれています。現在は、既に軌道敷設工事も完了し、開業に備え、試運転が繰り返されているようです。DNo.288−1−53・平成21〔2008〕年8月10日(10:02)撮影。

 写真7枚目、ワゴン車運転席から撮影した循環線建設工事現場。写真右手、お猿さんがパイプを持ち上げている辺りに電停が設置されたようです。完成予定イラストとは少々異なった感じです。写真奥へ進み左折すると丸の内交差点。DNo.288−1−70・平成21〔2008〕年8月10日(10:18)撮影。

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 現在の地鉄富山市内線は、2本の系統で運転されています。1系統は、南富山駅前〜富山駅前間で運転。2系統は、南富山駅前〜大学前間の全線を走行する系統。単線の大学前〜安野屋間は、日中10分間隔で2系統の電車が行き来する区間ということになります。単線区間の中間に位置するのが、新富山電停で、大学前電停側に鵯島信号所が存在します。信号所で電車のすれ違いが眺められるのは、ラッシュ時間帯のみのようで、日中のすれ違いを眺めることはありません。
 電停名称「新富山」。若い世代の人には、「何故、ここが新富山?」と思う方もいると思います。射水線の起点駅「新富山」が存在した当時の名残なのです。射水線は、昭和55〔1980〕年3月31日限りで廃線。廃線から、そろそろ30年が経過します。
 現在、神通川下流側に建設中の新しい富山大橋が完成すると、大学前〜安野屋間は複線化されますので、鵯島信号所は消滅します。新しい軌道は、かつて存在した射水線新富山駅跡に敷設されることになります。富山市の計画路線図では、新しい電停は五福交差点付近で表記されていますので、「新富山電停名が継承されるものか?」 気になるところです。

 写真1枚目、富山大橋を渡り、新富山へ到着するデ7018。昔からの塗色車ですが、屋根上には広告表示用の大きな行灯が載せられています。運が良ければ、写真後方に立山連峰の雄姿が現れるのですが、今回も立山連峰は見えませんでした。DNo.285−92・平成21〔2009〕年8月8日(11:15)撮影。

 写真2枚目、富山大橋を渡り切り、新富山電停へ進入する広告電車デ7019AOC号。写真左手には、建設中の新しい富山大橋骨格が姿を現しています。No.2317−10・平成21〔2009〕年8月8日(11:05)撮影。

 写真3枚目、富山駅前からやって来て富山大橋を渡り、これから射水線の新富山駅へ進入するデ5038。昭和52〔1977〕年8月31日から、射水線車両は富山駅前まで乗入れ運転が復活しています。しかし、乗客数の増加には至らず、結局は廃線。写真は廃線間近の頃で、雪の日になりました。以上の写真3枚は、ほぼ同じ地点から撮影しています。白黒No.1703−8・昭和55〔1980〕年3月22日(13:38)撮影。

 写真4枚目、大学前から戻って来たデ7019AOC号が、鵯島信号所を通過して新富山電停に到着します。2枚目写真と同一車両なのですが、前面の塗装は全く異なります。写真後方は呉羽山。DNo.285−87・平成21〔2009〕年8月8日(11:11)撮影。

 写真5枚目、富山大橋側から撮影した昔日の新富山電停。安全地帯は有りません。電車を降りた乗客が、射水線の新富山駅へ向かっているようです。デ7009は円形の系統板を掲出。当時、単線区間を走行していたのは、3・4系統でした。写真右手、射水線への連絡線が確認出来ますが、この時は射水線車両が市内線へ乗入れることはありませんでした。白黒No.420−9・昭和46〔1971〕年5月2日(12:20)撮影。

 写真6枚目、現在の富山地鉄市内線路線図。富山地方鉄道HPに表記されているものです。何れ、路線形態が変更されることになります。

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 存続が危ぶまれる加越能鉄道高岡軌道線〔万葉線〕の撮影を目指して、平成7〔1995〕年のゴールデンウィーク、走らないワゴン車に子供達を乗せて豊橋を出発しています。自宅を出たのは、夕方5時32分。北陸自動車道の不動寺PAに到着したのは、夜の10時55分でした。ここで車中泊。翌日の午前9時頃、高岡駅前に到着し万葉線の撮影を開始しました。昼過ぎには新湊まで移動しています。
 宿泊場所を確保するため、新湊のホテルで空き部屋を確認したのですが、あいにく予約で満室との事。ホテルで紹介して頂いた旅館2軒に電話してみましたが、こちらも満室だそうです。やむなく公衆電話の電話帳を調べて、高岡駅前・氷見・雨晴海岸・富山駅前と手当たり次第に電話。結果は全て満室で、気持ちが焦るばかりです。宿探しに1時間半程が経過。ふと思い出したのが、“鯰温泉”でした。ここへ電話をしたことで、やっと宿泊予約が叶いました。
 “鯰温泉”さん、「食事を用意しますから、夕方6時までに来て下さい。風呂は8時までです」と言われました。この時、既に午後2時過ぎ。遅い昼食を済ませた後、少々万葉線を撮影して“鯰温泉”へ向かいます。夕方5時40分に“鯰温泉”到着。食事は夜の7時前に用意されましたが、想定外の超デラックスな舟盛り。家族4人で食べ果せない程のボリュームです。昨晩が車中泊のため、風呂へ入りたいです。残った料理をかき集めて確保しておき、男組が先発隊として風呂へ向かいます。“鯰温泉”の風呂は、別棟の共同湯に入浴することになります。入浴して間も無く、片付け作業が開始されました。後続のカミサン・長女は、入浴直後に女風呂の電気が消されてしまったようで、怖くて体も洗えなかったと話します。東京での生活を終了して2年目。夜遅くまで開いている東京の銭湯のような感覚で、のんびり入浴することは出来ませんでした。翌日の朝食、「えっー、朝から刺身が出てくるの…!!」
 当時8歳であった長男も運転免許を取得。富山ナンバーに変わる日産バネットコーチ。手続きに付き合うため、長男が運転するバネットに便乗して富山へ向かいます。翌日、富山駅前のラーメン店でアルバイトしていた青年も誘って、再び、入浴のため3人で“鯰温泉”へ。この日は、ゆっくり湯船へ浸れましたが、共同湯はリニューアルされ、綺麗になっていました。家族4人で入浴した当時の雰囲気では有りません。慌しかった当時が、何故か懐かしい“鯰温泉”です。

 写真1枚目、四方を発車して鯰鉱泉前へ到着間近の新富山行デ5013後追いカット。写真後方に鯰鉱泉前駅の乗客が確認出来ます。電車後方に見える建物は、“鯰第一温泉ふじのや”さん。“鯰温泉”さんは、写真左手を外れた辺りです。No.442−17・昭和47〔1972〕年8月8日(12:19)撮影。

 写真2枚目、廃線間近の鯰鉱泉前駅ホーム。四方方向を見ています。写真左手は“鯰第一温泉ふじのや”さんの送迎用バス。白黒No.1700−18・昭和55〔1980〕年3月21日(17:45)撮影。

 写真3枚目、鯰鉱泉前駅ホームの駅名標。写真後方が“鯰温泉”さん。2軒の温泉旅館に挟まれる形で存在した駅でしたが、駅名は何故か“鯰鉱泉前”。白黒No.714−9・昭和47〔1972〕年8月8日(12:10頃)撮影。

 写真4枚目、宿泊した“鯰温泉”さん。小学2年〔8歳〕の長男、年中〔5歳〕の長女が立っている場所には、ホームの面影が残っていました。3枚目写真撮影から23年近くが経過。旅館の建物、エアコンの室外機、送迎バスの上屋が加わった以外、射水線健在当時と、あまり変化は見られません。この写真でも、撮影から既に14年程が経過しています。NCNo.541−3・平成7〔1995〕年5月4日(9:00頃)撮影。

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 昨年の夏に撮影した写真です。暑さでヘバッてきた地鉄市内線の撮影から、富山ライトレールへ向かう際に撮影したものです。富山地鉄・JR線を潜るガード付近に中華料理店を見つけましたが、暑くて食欲も湧きません。欲しいのは、清涼飲料水。中華料理店入口脇の自販機で購入。ガード下の日陰で小休止しながら清涼飲料水を飲んでいました。小休止の途中にやって来た車両を撮影しただけのことです。

 写真1枚目、電鉄富山に到着する14772他。この車両を以前撮影したのは、デビュー間もない頃でした。ですから、今でも日本車輌製の特急車と思っています。箱根登山鉄道のHO真鍮製キット。完成した車両は、これと同様の塗装にしました。知人から立山登山鉄道などと呼ばれたものです。今でも好きな塗り分けです。富山地鉄の電車車号は5桁。3連で通過する電車全ての車号は覚え切れませんでした。No.2248−22・平成20〔2008〕年8月2日(11:15)撮影。

 写真2枚目、電鉄富山を発車する10033他。元京阪3000系特急車。昨年3月、大井川鐵道で撮影していますので、富山で再び、元京阪3000系特急車に遭遇したことになります。大井川鐵道は、京阪塗装のまま活躍。富山地鉄のカラーは、新潟交通に近い塗り分けです。No.2248−23・平成20〔2008〕年8月2日(11:17)撮影。

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