連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

富山地方鉄道

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 昭和57〔1982〕年7月31日、豊橋鉄道市内線の井原〜運動公園前間600mが、新規の路面電車線として開業しました。時代に逆行し、狂気の沙汰とも捉えられた新線開業でした。以来26年が経過しています。平成10〔1998〕年2月19日には、駅前電停をペデストリアンデッキ下まで150m延伸開業しています。こちらは、廃止されてしまった路線を移設復活するような形での開業です。平成13〔2001〕年、土佐電気鉄道の高知駅前電停もJR高知駅に近い場所にレールが移設されています。昭和から平成時代へ移行する過程において、日本の路面電車で新たな路線を建設したのは、この程度のはずです。今日に至って、一部の都市で路面電車建設構想も取り沙汰されているようですが、実現への道程は遠いものと思われます。
 元JR富山港線にLRVを走らせることで、平成18〔2006〕年4月29日開業した富山ライトレール。富山北〜奥田中学校前間、約1.1kmの併用軌道新設開業は、日本の路面電車では画期的な出来事です。

 写真1枚目、富山ライトレール富山駅北を発車したTLR0602AB編成が、牛島町交差点を右折。No.2249−10・平成20〔2008〕年8月2日(11:59)撮影。

 写真2枚目、岩瀬浜へ向うTLR0604AB後追いカット。インテック本社前〜奥田中学校前間。いたち川に架設された専用橋〔八田橋〕をまもなく渡ります。DNo.170−83・平成20〔2008〕年8月2日(12:17)撮影。

 写真3枚目、インテック本社前〜奥田中学校前間に存在するポイント。富山ライトレールでは、軌陸除雪車が配備されています。「軌陸除雪車が進入するためのポイント?」などとも思いましたが、将来、道路を拡幅した際に複線化するためのポイントのようです。No.2249−21・平成20〔2008〕年8月2日(12:24)撮影。

 写真4枚目、奥田中学校前で列車交換を済ませたTLR0606ABが、これから併用軌道へ進入します。No.2249−21・平成20〔2008〕年8月2日(12:36)撮影。

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 富山地方鉄道富山市内線の単線区間、安野屋〜大学前間が複線化されることは、鉄道趣味誌から情報は得ていました。でも、まだ先のことであろうと楽観視しておりました。8月2日、富山大橋に立ったところ、既に新富山大橋橋脚が立ち並んでいる状況を眺め、単線区間の消滅が間近い現実を知る結果となりました。
 父親趣味仲間のYさんが富山市五福で生活していたこともあり、このYさん宅に初めてお邪魔したのは、私が20歳の頃でした。以来、富山を訪ねると何度もYさん宅に泊めて頂きました。今回も息子とYさんを訪ねましたが、現在は90歳。少々耳が遠くなったとはいえ、昔と変わらずお元気です。私の方が歳を感じるようになりました。
 Yさん宅から程近い射水線の新富山駅や富山大橋は、気軽に撮影に向かうことが出来た所です。射水線は既に廃線。そして馴染みの富山大橋もやがて消え去るとなれば、思い出の光景がまた消滅することになります。

 写真1枚目、富山大橋を大学前に向かう7015号〔KNB広告車〕。一時、薄っすらと眺められた立山連峰。この日も雄姿をカメラに収めることは出来ませんでした。地鉄市内線・立山連峰・富山空港へ着陸態勢のジェット旅客機、以上の3点を同時に撮影することは、宝くじの1等を当てるようなものと思っています。DNo.170−4・安野屋〜新富山間にて。平成20〔2008〕年8月2日(8:44)撮影。

 写真2枚目、神通川を富山大橋で渡り、安野屋電停到着間近の7014号。広告も屋上行灯も無くスッキリした車両です。ガードレールが設置され、横断歩道が安全島中央へ導かれている電停、他都市に存在しますでしょうか? DNo.170−16・平成20〔2008〕年8月2日(9:12)撮影。

 写真3枚目、富山大橋の新富山側に設置された、富山大橋の架け替え工事案内看板。完成予定イラストと現富山大橋の歴史が3枚の写真で紹介されています。看板後方、重機が作業している奥辺りに複線レールが敷設されるものと思われます。現在の橋梁に掲げられた竣工銘板には、「昭和十一年三月竣功」と表記されていました。DNo.169−78・平成20〔2008〕年8月2日(8:26)撮影。

 写真4枚目、現富山大橋の下流側に姿を表した新橋梁橋脚。DNo.169−79・平成20〔2008〕年8月2日(8:28)撮影。

 写真5枚目、富山県のHPに掲載されていた新富山大橋の工事計画図。

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 前回、富山へ向ったのは、平成17〔2005〕年9月29日のことでした。平成20〔2008〕年8月1日、再び、富山へ向うこととなりました。前回は長男が運転する“ニッサン・バネットコーチ”助手席に座り富山へ。今回は、“中古セレナ”で富山を目指しています。約3年ぶりということになります。この間に随分状況が変化しました。神岡鉄道廃線、高山本線全線復旧、東海・北陸自動車道も全線開通。JR西日本の富山港線は、富山ライトレール富山港線へと路線名を変更しています。老朽化進む富山大橋の架け替え工事も始まり、神通川下流に、新橋梁橋脚の立ち並んでおりました。“ニッサン・バネットコーチ”も既に廃車解体。
 長男のアパート、中々眠りに付けず。酒の量を増やして午前2時頃眠れたものの、午前6時前には目覚めてしまいました。長男の自転車を借用して、富山地鉄富山市内線の大学前から撮影を開始。そこそこ撮影した時点でアパートへ戻り、長男と一緒に車で出直し、富山ライトレールをカメラ・ビデオ撮影するつもりでいました。午前6時50分、大学前電停辺りでは、酒が残って頭が、「ぼーっ」 午前9時頃の安野屋電停付近では、暑さのために、頭が、「ぼーっ」 午前11時頃、富山駅前に到着。暑くて、へばってきました。清涼飲料を購入して水分を補給。駅前の噴水で足を冷したり、ビルの日陰で骨休みなどを試みましたが、熱気の中、あまり効果は有りません。兎に角、富山ライトレールを眺めて戻るつもりで、富山駅北口へ移動しました。「あっ、駅前レールは道路端軌道なのだ!!」 これで少々元気出ました。富山駅北から、併用軌道の終る奥田中学校前付近までの間を自転車で撮影。午後1時頃の撮影を最後に長男のアパートへ戻っています。再び、エアコンの故障した“中古セレナ”で出直す気力は起こりませんでした。
 アパートで休憩した後、風呂で汗を流すと、少々体力も復活。もう一泊する予定を変更。長期入院から退院して間もない長男を助手席に乗せて、豊橋へ向かうことを決断。329kmの距離をノンストップで戻ってきました。関越トンネルに継ぐ長さを誇る東海・北陸自動車道の飛騨トンネル〔約10.7km〕、前後の区間もトンネルばかりで、窓を開けて走行すれば、車のエアコンなど不要でした。
 
 写真1枚目、富山ライトレール富山駅北に停車中のTLR0603AB編成。まもなく岩瀬浜へ向って発車します。DNo.170−63・平成20〔2008〕年8月2日(11:28)撮影。

 写真2枚目、富山駅北口、駅前道路の端を走行して東方向にカーブすると、道路中央の併用軌道区間に変わります。TLR0606AB編成後追いカット。DNo.170−73・平成20〔2008〕年8月2日(11:45)撮影。

 写真3枚目、2枚目写真の北側から富山駅方向を撮影。インテック本社前〜富山駅北の区間をTLR0602AB編成が岩瀬浜へ向かいます。DNo.170−77・平成20〔2008〕年8月2日(11:59)撮影。

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 富山地鉄射水線。昔は、加越能鉄道高岡軌道線〔現・万葉線〕新湊駅までの路線でしたが、富山新港の建設により分断され、昭和41〔1966〕年4月、越ノ潟〜新港東口間が廃止されています。加越能鉄道に譲り渡される形で残ることになった新湊〜越ノ潟間は、万葉線の路線として健在です。撮影当時は、新富山〜新港東口間14.4kmの路線。地鉄富山市内線、富山駅前までの乗り入れ運転が、昭和52〔1977〕年8月31日から復活したものの、乗客数の増加には至らず、昭和55〔1980〕年3月31日限りで廃線となっております。

 写真1枚目、新富山を発車して、神通川の堤防沿いを走行した射水線電車は、まもなく築堤を駆け上がり国鉄線をオーバークロスします。デ5017+デ5040+デ5016の3連。写真手前の複線は北陸本線。その後方が高山本線。この射水線橋梁は、ラッシュを避けるため、朝の時間帯のみバス専用道として使用されてきましたが、新幹線工事に伴い撤去される模様です。白黒No.1696−4(31)・富山北口〜新富山間にて。昭和55〔1980〕年3月21日(9:17)撮影。

 写真2枚目、新富山を発車したデ5012+デ5036の2連、再び丘を駆け上がり、最初の交換可能駅である八ケ山駅に到着。廃線間近の頃には、駅舎側のホームが使用されるのみでした。八ケ山駅跡はバス専用道の停留所として使用されています。廃線跡の写真を眺めると、当時の雰囲気が残っているバス停です。No.442−6・昭和47〔1972〕年8月8日(10:07)撮影。

 写真3枚目、おとぎ話に登場するような、廃線間近の八ケ山駅舎。廃線を告げる立て看板が、駅舎入口に確認出来ます。この翌日の22日、新富山駅での撮影は雪になりました。白黒No.1696−26(10)・昭和55〔1980〕年3月21日(10:40)撮影。

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 長年使用した愛車、“ニッサン・バネットコーチ”。ディーゼルワゴン車のため、次の車検は通りませんでした。そんな折、免許を取得したばかりの長男が突然やって来て、「この車欲しい。富山なら乗れる」
 長男運転の“ニッサン・バネットコーチ”で、富山までの片道ロングランに便乗することになりました。久々の富山では、神岡鉄道の撮影に“ニッサン・バネットコーチ”を使用。そして、車を渡して、北陸本線の特急「しらさぎ」で豊橋まで戻って来ました。
 以降は、お袋が免許更新を断念したため、乗り手の無くなった50ccスクーターを使用。車無しの生活が半年程続きます。お袋が世話していた老猫“テル”が死去。“テル”を市斎場へ運ぶために、安価な中古“セレナ”を購入しましたが、その後、“セレナ”は、ほとんど留置き状態です。

 写真1枚目、新富山駅を発車した、射水〔いみず〕線デ5031+デ5032+デ5034の3連四方行。平成17年、この場所付近を散策しました。神通川堤防横の軌道跡が道路に変わり、周辺は住宅地へと変貌していました。写真中央後方のビルが、当時のまま残っている事を確認できた程度です。No.441−32・新富山〜富山北口間にて。昭和47〔1972〕年8月8日撮影。

 写真2枚目、新富山を発車。鵯島信号所を通過、大学前へ向う富山地鉄市内線、デ8002VVVFインバータ制御車。写真右手、黄色のビルが1枚目写真に写っている建物です。この日も曇天。立山連峰の雄姿を眺めることは出来ませんでした。No.2111−2・平成17〔2005〕年9月30日撮影。

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