連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

静岡鉄道

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]

 4年ぶりになると思います。静岡鉄道清水市内線の白黒画像を掲載致します。以前はカラースライドを無作為にスキャンして、その場しのぎで処理済画像を掲載していたと思います。清水市内線が、どのような路線であったかは、全線を歩いたこともあり概要は理解しているつもりなのですが、何時何処で何を撮影したかまでは覚えておりません。
 
 方針を変えて、取り出した白黒フィルムは、全てのコマをスキャンするよう心掛けることにします。当時、自分自身がどのように行動していたかを思い返せないと画像の説明書きも侭なりません。
 
 国鉄清水駅前へ降り立ち、国道1号線を西久保方向へ向かって歩いておりました。やって来た56号〔元静岡市内線で活躍〕は、西久保−港橋間の折り返し運転に就いております。横砂終点を目指す予定は変更。電車に乗車して、逆方向の終点港橋へ移動します。結局、この日は港橋から袖師までの区間を歩いて1日の撮影は終了。56号のみならず57号〔元静岡市内線で活躍〕も走行していたことは喜ばしい限りでした。
 
 
 
イメージ 1
 写真1枚目、取り合えずスキャンした最初の画像から。仲浜町−新清水間にて。東海道本線をオーバークロスして勾配を下るクモハ63と勾配を上るクモハ572両共、横砂−港橋間の全線を走行する運用に就いておりました。クモハ57の後方、本線から分岐してデルタ線を構成していたレールは鉄道線の新清水駅構内に続いております。新清水駅構内にはクモハ58が留置。白黒No.64712AB)・以下全て、昭和471972〕年411日撮影。1140撮影
 
 
イメージ 2
 写真2枚目、仲浜町−新清水間にて。東海道本線をオーバークロスするため勾配を上るクモハ57横砂行。道路中央までしゃしゃり出て撮影。白黒No.64723AB)。1140撮影。
 
 
イメージ 3
 写真3枚目、2枚目写真の後追いカット。白黒No.64734AB)。1140撮影。
 
 
イメージ 4
 写真4枚目、仲浜町−新清水間にて。跨線橋の最も高い辺りを走行するクモハ61。この電車も横砂−港橋間の全線を走行していました。白黒No.64778AB)。1202撮影。
 幼年期、豊橋駅から母親の実家がある三島駅まで乗車する東海道本線普通列車の旅。何時間乗車していても飽きることはありませんでした。「途中駅からカーブしながら離れてゆく線路は、何処へ続いているのだろう?」。今にして思えば、国鉄各駅から幾本もの貨物専用線が分岐していた結果なのです。あちらこちらで、ローカル私鉄車両を眺めたのも楽しい思い出です。反面、国鉄車両の印象は、ほとんど記憶に残っておりません。
 
 豊橋駅を発車して次駅の二川駅にも貨物側線が存在。静岡県に入り新所原駅では、国鉄二俣線が分岐します。鷲津駅から浜名湖方向へ向う専用線も存在し、素性の分からない移動機の姿を眺めたような記憶が残っています。高塚駅分岐の貨物線もありました。浜松工場へ続くレールが東海道本線に近付くと、やたら広い浜松駅に到着。途中駅で国鉄優等列車に何本も抜かれますので、豊橋〜浜松間のみで1時間程は要したものと思います。浜松駅構内の遥か後方には遠州鉄道の電車も確認出来ました。浜松を発車すると、次は天竜川駅。この駅からも天竜川堤防方向に向って貨物専用線が延びていました。東海道本線列車の中から天竜川駅へ向う専用線貨物列車を1度だけ眺めた記憶があります。天竜川を長いトラス橋梁で渡り、暫くすると短いトラス橋〔ポニートラス橋梁であったと思います〕で川を越え磐田駅に到着。磐田駅を発車すると、次は袋井駅に停車します。袋井駅では、北側南側共々、腰回り青、窓回り黄色の小さな車両をワクワクしながら眺めたものです。子供心では、同じような車両にしか見えませんでした。幼年期の記憶ですから、間違っていたらゴメンナサイ。
 
 後に趣味誌を購入するようになり、袋井駅起点の2路線の実態を知ることになります。袋井駅北側を起点にしていたのが、「石松電車」と呼ばれた静岡鉄道秋葉線。軌間1067mm。全線12.1kmの路面電車線でした。主に砂利道の端を走る軌道線。昭和371962〕年920日全線廃止。袋井駅南側に存在したのが静岡鉄道駿遠線。軌間762mm。最盛期の全線距離は64.6kmと日本最長の非電化軽便鉄道。
 秋葉線と駿遠線を比較した場合、秋葉線の方が好みでしたが、撮影することは叶いませんでした。カメラを手にするようになったものの、駿遠線は途中区間の廃止が始まり、結果的には袋井駅側と藤枝駅側の残された区間を少々撮影したのみで全線廃止となってしまいました。しかも、袋井駅側の路線は、ハーフ判カメラで撮影したカラースライドが残るのみです。新袋井〜新三俣間17.4kmの廃止は、昭和421967〕年828日とあります。廃線まで残り1ヶ月程という夏の暑い1日、ハーフ判カメラ1台を所持して新袋井〜新横須賀間10.3kmの距離を歩きました。
 
 昭和421967〕年1210日、都電一次廃止予定路線が消滅。この時、都電銀座線が消えました。昭和431968〕年225日、都電二次廃止予定路線も消滅。同じ、昭和431968〕年225日には、東武日光軌道線も全線廃止。中学生時の修学旅行は東京・日光でした。ニュー東京バスの後部席から撮影した千住四丁目付近〔であろう〕の都電、バスから半身乗り出して夢中で撮影した日光軌道線、再びの撮影は叶うことなく廃線と化してしまいました。悔しい思いだけを残して高校3年生が終了します。昭和431968〕年91日には、豊橋鉄道田口線も消滅してしまいました。
 
 
イメージ 1
 写真は、新袋井駅を発車した静岡鉄道駿遠線ヂ17+ハニ1。車両形式はノートに記録したまま表記しておきます。ヂ17は湘南顔のバス窓タイプ軽便気動車。車両の座席は全て埋まっているようです。ヂ17の最前席は玉電「ペコちゃん」同様で、名鉄パノラマカー以上の展望席です。前面の通気口も開いていますし、Hゴムはめ殺しの窓以外はすべて開けられていますので、走行中は暑さを感じないものと想像します。後部に連結したオープンデッキの木造半荷物客車、デッキに立つ男子学生、荷物室に乗車した女子学生の姿が確認出来ます。この客車の窓・扉も開け広げです。「一度、荷物室へ乗車してみたかった」。駿遠線の新袋井〜新横須賀間10.3kmを歩いた事が、私鉄路線を路線として撮影した原点であったと思っております。No.2919・昭和421967〕年729日(916)撮影。
 年賀状は中々手付かず。こればかりは年内に処理しなければなりませんので、夜中、PC使って少しづつ作成。少々、早めに寝ることにします。目覚しラジオは午前10時にセット。目覚し時計は午前930分にセットしておきました。入浴を済ませ、酒の力を借りて一気に寝てしまおうと思うのですが、午前5時を過ぎても全く眠れません。更に酒を呑むことも出来ないし、止む無く睡眠薬を服用。目覚し時計のベルには気付きましたが止めてしまいました。ラジオは聞いた記憶がありません。結局、何時に起きたものか定かではありません。頭がボオーッとした状態で公民館到着は午前1117分。1226日は町内公民館大掃除のため、午前11時に到着しなければなりませんでしたが、初の大幅遅刻。室内の掃除は別の女性部4名の方が済ませてくれたようで、高い位置の窓だけモップでチョロチョロと撫でておきました。
 この日は、女性部だけで忘年会。一旦自宅へ戻り、夕方、出直すものと思っていましたが、大掃除終了後に飲食店へ向うそうです。若いママさん運転のワゴン車に便乗。「こんな所に、この様な店がありましたか」。京会席風料理が並びましたが、生ビールを注文したのは、私だけでした。奥さん達の会話へ入るのは辛いものがあります。
 
 今年最後のブログ更新は手短に済ませておきます。「やってられない…」が本音です。豊橋から東京の下宿へ戻る際、国鉄東海道本線藤枝駅で途中下車して撮影したカットです。当時の事、忘れました。
 
 
イメージ 1
 写真1枚目、この頃、駿遠線で残っていたのは、新藤枝〜大井川間の6.3kmのみでした。翌年の昭和451970〕年731日限りで、僅かながらの在存区間も消滅。長大軽便路線であった静岡鉄道駿遠線は全廃。遠州鉄道奥山線が全く撮影出来なかった事を考えると、少々ながら撮影叶った分、幸せと感じたものです。大井川を発車した新藤枝行列車は、暫らくすると東海道新幹線を潜ります。そして、藤枝が間近になると、今度は東海道本線をオーバークロス。東海道本線を跨いだ新藤枝行列車が築堤を下るシーンが、このカットです。キロポストは0.5kmを表示。キハD20の単行と思っていましたが、記録を見返すと後部にハ110を連結していたようです。No.6913・昭和441969〕年328日(1049)撮影。
 
イメージ 2
 写真2枚目、1枚目写真撮影後、再び大井川から戻って来たキハD20を撮影。新藤枝到着間近のS字カーブ区間です。こちらは単行列車でした。写真左手の砂利道は、かつて駿遠線が大手〔古くは駿河岡部〕まで続いていた時代の名残で廃線跡です。No.6919・昭和441969〕年328日(1140)撮影。
 静岡鉄道市水市内線、全線4.6kmの内、西久保〜横砂間2.0kmは単線の専用軌道。専用軌道半分程の距離が東海道本線と平行していましたので、東海道本線の列車内から清水市内線電車を眺めることが出来れば儲けた気分でした。列車内から電車を撮影したこともありますが、好結果は得られませんでした。
 ある方のHPに、西久保〜愛染町間の写真を眺めたことが無いと記されていました。「そうかなー?……。言われてみれば、そうかもねー」と思って今回の写真を取り込んだものと思います。
 
 港橋を発車した電車は、併用軌道を車と一緒に走行します。しかも、清水駅前から西久保の間は、当時の国道1号線上を走っていました。西久保行電車は、複線区間の折り返し運転。全線走行する横砂行電車は、西久保を発車すると、右方向にカーブしながら専用軌道区間へと進入します。東海道本線が間近になると、今度は左方向にカーブして以降は東海道本線との並行区間。愛染町、嶺〔交換可能電停〕、鈴木島〔すきじま〕と電停が続きます。鈴木島を発車すると、再び軌道線レールは東海道本線と離れて、終点横砂へ向う路線形態でした。
 
 
 
イメージ 1
 添付写真は、6×62眼レフで撮影したカットです。横砂からやって来て港橋へ向うクモハ6061号後追いカット。西久保〜愛染町間は0.4km。途中には短い鉄橋もありましたか。写真後方に留置された静鉄バスが確認出来ます。バスの車庫であったのでしょうか?。バス留置場付近で、国道1号線の併用軌道区間に変わります。白黒No.2386・昭和451970〕年97日(950)撮影。

イメージ 1

イメージ 2

 東海道本線を利用して、豊橋から母親実家がある三島へ向かう時、清水を発車すると間も無く、進行方向左手に清水市内線との平行区間が現れます。「電車見られるかなー」などと思っている内に清水市内線の単線専用軌道は、東海道本線から離れてしまい庵原川の鉄橋。庵原川を越えてしまうと、東海道本線の電車の中から清水市内線のレールは、もう見えません。その後で目にしたのが東海道本線の袖師駅でした。
 摩訶不思議な印象が残っているのが、東海道本線の袖師駅です。私の目には、ある時突然プラットホームが出現して、暫らくすると無くなってしまった駅なのです。土を盛っただけのプラットホームであったような、おぼろげな記憶が残っています。「あの駅は何であった?」。以下は、東海道本線袖師駅で検索したウィキペディアの表記です。

袖師町に横砂海水浴場(袖師海水浴場)が開設されたのに伴い、海開き直後に開設された。臨時駅ということもあって、駅舎は切符売り場となる小さなものがあっただけで、プラットホームの上屋も取り付けられていなかった。ホームは単純な対向式2面2線であったという。
戦前戦後を通じ、静岡近辺の人々に親しまれてきたが、工業化に伴う水質汚濁で徐々に海水浴場としては適さなくなり、1963年(昭和38年)の夏を最後に列車の発着が無くなり、海水浴場も1966年(昭和41年)に閉鎖された。その後、1971年(昭和46年)に駅は正式に廃止された。
● 1926年(大正15年)7月3日−袖師仮停車場として開業。
● 1963年(昭和38年)−この年の夏を最後に営業休止。
● 1969年(昭和44年)10月1日−袖師臨時乗降場に改称。
● 1971年(昭和46年)10月1日−正式に廃止。

 静岡鉄道清水市内線、単線専用区間の情景を思い起こしてみます。港橋を発車した横砂行電車は、西久保までが複線の併用軌道区間。西久保を発車すると、国道1号線から別れて右方向にカーブし、専用軌道へ入ります。この先が東海道本線と平行区間。0.4kmで愛染町。更に0.3kmで嶺。嶺電停は、島式ホームで列車交換が可能でした。ここから0.4kmで鈴木島〔すきじま〕。鈴木島を発車すると、緩く左方向へカーブして東海道本線からは、徐々に離れてしまいます。庵原川を鉄橋で渡り、警報機付踏切を過ぎた所に存在したのが袖師電停でした。鈴木島〜袖師間は0.6km。袖師から0.3km走行すると終点の横砂です。東海道本線との平行区間は、1km程であったと思います。
 清水市内線袖師電停で撮影した2カットです。単線専用軌道区間の列車交換可能電停でしたが、列車交換シーンを眺めることはありませんでした。

 写真1枚目、袖師を発車して横砂へ向かうクモハ65形66号後追いカット。写真左手山の上に、お城の様な建物が見えます。旧清水市内を走行する東京行新幹線「こだま」車内から、この建物は進行方向右手に確認可能です。「こだま」に乗車して、この城を眺めて思うのは、毎回、「今、横砂を通過した」。No.61−11・昭和44〔1969〕年2月13日(14:24)撮影。

 写真2枚目、1枚目写真の66号に代わって、横砂から袖師へ到着したのは、洗車台に収まっていたクモハ65形65号でした。写真右手のホームには雑草が伸びていますので、この時点で使用されることは無かったと思います。撮影場所の背中側が警報機付踏切でした。この道路を写真右手に歩いた所に東海道本線の袖師駅が存在したのであろうと思っていますが、眺めに向かうことはありませんでした。No.61−12・昭和44〔1969〕年2月13日(14:27)撮影。

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
hideki_kobyakawa
hideki_kobyakawa
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

友だち(18)
  • えちぜんがに
  • ジャンボフェニックス
  • 東三指令
  • Mr.Gray
  • mymy
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事