幼年期、豊橋駅から母親の実家がある三島駅まで乗車する東海道本線普通列車の旅。何時間乗車していても飽きることはありませんでした。「途中駅からカーブしながら離れてゆく線路は、何処へ続いているのだろう?」。今にして思えば、国鉄各駅から幾本もの貨物専用線が分岐していた結果なのです。あちらこちらで、ローカル私鉄車両を眺めたのも楽しい思い出です。反面、国鉄車両の印象は、ほとんど記憶に残っておりません。
豊橋駅を発車して次駅の二川駅にも貨物側線が存在。静岡県に入り新所原駅では、国鉄二俣線が分岐します。鷲津駅から浜名湖方向へ向う専用線も存在し、素性の分からない移動機の姿を眺めたような記憶が残っています。高塚駅分岐の貨物線もありました。浜松工場へ続くレールが東海道本線に近付くと、やたら広い浜松駅に到着。途中駅で国鉄優等列車に何本も抜かれますので、豊橋〜浜松間のみで1時間程は要したものと思います。浜松駅構内の遥か後方には遠州鉄道の電車も確認出来ました。浜松を発車すると、次は天竜川駅。この駅からも天竜川堤防方向に向って貨物専用線が延びていました。東海道本線列車の中から天竜川駅へ向う専用線貨物列車を1度だけ眺めた記憶があります。天竜川を長いトラス橋梁で渡り、暫くすると短いトラス橋〔ポニートラス橋梁であったと思います〕で川を越え磐田駅に到着。磐田駅を発車すると、次は袋井駅に停車します。袋井駅では、北側南側共々、腰回り青、窓回り黄色の小さな車両をワクワクしながら眺めたものです。子供心では、同じような車両にしか見えませんでした。幼年期の記憶ですから、間違っていたらゴメンナサイ。
後に趣味誌を購入するようになり、袋井駅起点の2路線の実態を知ることになります。袋井駅北側を起点にしていたのが、「石松電車」と呼ばれた静岡鉄道秋葉線。軌間1067mm。全線12.1kmの路面電車線でした。主に砂利道の端を走る軌道線。昭和37〔1962〕年9月20日全線廃止。袋井駅南側に存在したのが静岡鉄道駿遠線。軌間762mm。最盛期の全線距離は64.6kmと日本最長の非電化軽便鉄道。
秋葉線と駿遠線を比較した場合、秋葉線の方が好みでしたが、撮影することは叶いませんでした。カメラを手にするようになったものの、駿遠線は途中区間の廃止が始まり、結果的には袋井駅側と藤枝駅側の残された区間を少々撮影したのみで全線廃止となってしまいました。しかも、袋井駅側の路線は、ハーフ判カメラで撮影したカラースライドが残るのみです。新袋井〜新三俣間17.4kmの廃止は、昭和42〔1967〕年8月28日とあります。廃線まで残り1ヶ月程という夏の暑い1日、ハーフ判カメラ1台を所持して新袋井〜新横須賀間10.3kmの距離を歩きました。
昭和42〔1967〕年12月10日、都電一次廃止予定路線が消滅。この時、都電銀座線が消えました。昭和43〔1968〕年2月25日、都電二次廃止予定路線も消滅。同じ、昭和43〔1968〕年2月25日には、東武日光軌道線も全線廃止。中学生時の修学旅行は東京・日光でした。ニュー東京バスの後部席から撮影した千住四丁目付近〔であろう〕の都電、バスから半身乗り出して夢中で撮影した日光軌道線、再びの撮影は叶うことなく廃線と化してしまいました。悔しい思いだけを残して高校3年生が終了します。昭和43〔1968〕年9月1日には、豊橋鉄道田口線も消滅してしまいました。
写真は、新袋井駅を発車した静岡鉄道駿遠線ヂ17+ハニ1。車両形式はノートに記録したまま表記しておきます。ヂ17は湘南顔のバス窓タイプ軽便気動車。車両の座席は全て埋まっているようです。ヂ17の最前席は玉電「ペコちゃん」同様で、名鉄パノラマカー以上の展望席です。前面の通気口も開いていますし、Hゴムはめ殺しの窓以外はすべて開けられていますので、走行中は暑さを感じないものと想像します。後部に連結したオープンデッキの木造半荷物客車、デッキに立つ男子学生、荷物室に乗車した女子学生の姿が確認出来ます。この客車の窓・扉も開け広げです。「一度、荷物室へ乗車してみたかった」。駿遠線の新袋井〜新横須賀間10.3kmを歩いた事が、私鉄路線を路線として撮影した原点であったと思っております。No.29−19・昭和42〔1967〕年7月29日(9:16)撮影。
|