連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

静岡鉄道

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 東海道本線を越える跨線橋で撮影した写真2カットです。清水市内線を撮影したのは、この日が最後となっています。
 昨日まで、ごく当たり前に走行していた市内電車が集中豪雨のために突然走行不能。そして、そのまま廃線となってしまった清水市内線。七夕豪雨から正式の廃止まで、9ヶ月程の期間がありました。この間の状況を知らないまま、廃線から36年が経過しています。apolloさんよりコメントを頂いたことで、当時の状況を垣間見ることが出来ました。apolloさんのブログに添付された写真は感動物です。「デワ1が車庫の外にいる。65号車が装飾されていた。この事はどうして?」等々です。
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/apollo11moonwater/29201325.html

 写真1枚目、跨線橋の勾配を上って来るクモハ65形65号港橋行。静岡鉄道バスが併走しています。銀色に青帯の塗り分け。鉄道線自社製電車にも、一時、この塗装時代がありました。新清水〜仲浜町間にて。No.419−7・昭和47〔1972〕年5月10日(9:50)撮影。

 写真2枚目、1枚目写真の後追いカット。65号は自社バスに抜かれてしまいました。この写真で確認出来る行先表示板は、オレンジ色で西久保〜港橋間の運用を務めています。写真を処理している時点で気付いた事。65号の正面表示は2ヶ所に表記されていたことです。以前の写真では窓上部のみでした。ノッペリした表情の電車のため、後に下部へも65を追記した? 新清水〜仲浜町間にて。No.419−8・昭和47〔1972〕年5月10日(9:50)撮影。

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 静岡鉄道として残る鉄道路線は、新静岡〜新清水間10.8kmを全線複線で結ぶ鉄道線のみとなってしまいました。東海道本線に、ほぼ平行する形で路線が敷設されていますが、新静岡駅、新清水駅共々、国鉄→JRの東海道本線の駅からやや離れた場所に存在します。昔、静岡市内線、清水市内線健在の頃は、路面電車を乗り継ぐことで、国鉄駅への連絡が可能でした。
 腰回りピンク色、窓回り淡いクリーム色の電車が活躍していた時代、当時の状況を伝える参考文献は、意外に少ないです。大手私鉄には、当然含まれませんが、ローカル私鉄としても取り上げられません。廃線という話も聞きませんので、何時でも撮影出来るという安心感のある鉄道線です。静岡鉄道が秋葉線・駿遠線も保有していた当時、この鉄道線の路線名が、何と呼ばれていたものか? 未だに知らないまま、年月が経過してしまいました。古い鉄道ピクトリアル誌に準じて、静岡線と表記しておきます。
 現在では、東急車輌製のステンレスカー2両編成×12本が活躍するのみの静岡線。現有車両投入以前には、長沼工場で製造された自社製電車が活躍しておりました。湘南顔のモハ21〜25+クハ21〜25、2両編成5本や、モハ101・102といった両運転台車が誕生した頃は、秋葉線・駿遠線と同じ、腰回り青、窓回り黄色の塗色が採用されていました。その後も、続々と自社製電車が誕生していますが、これら車両の変遷は把握出来ません。車庫の一角で、電車を製造してしまう静岡鉄道の技術力は、特筆に価するものと思います。しかも、自社製電車の一部は、後に日立電鉄・福井鉄道・熊本電気鉄道へも譲り渡されています。

 写真1枚目、東海道本線と平行する区間。狐ケ崎駅を通過して、新清水に向うモハ302+クハ302急行の後追いカット。両運転台車モハ101・102が誕生した当時、正面には貫通扉が備えられていました。2連運転を考えてのものと思います。写真のモハ302にも貫通扉が備えられています。ところが、同じ日に撮影したモハ351+モハ352の2連は、2ヶパンタながら、貫通扉はありません。電車後方に見える跨線橋。鉄道橋梁の様な姿をしています。これから跨線橋を渡ろうとする自転車を眺めると、欄干も無し? 現存すれば、絶好の撮影場所になりそうです。ここに立ちたかった。No.61−7・昭和44〔1969〕年2月13日(13:45)撮影。

 写真2枚目、柚木〜長沼間にて。モハ301+クハ?急行新静岡行。No.420−11・昭和47〔1972〕年5月10日(13:34)撮影。

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 日本最長の軽便鉄道であった静岡鉄道駿遠線。大手〜新藤枝〜袋井間を結んだ、ナローゲージのレール全長は64.6kmにも及びました。東海道本線の袋井側と、新藤枝〜大井川間を少々撮影したのみでした。御前崎方面まで線路を延ばした長大軽便も、昭和45〔1970〕年7月31日限りで全線廃止になっています。
 新藤枝駅で駅員さんから頂いた横サボ、今でも仕事場の棚にぶら下げています。新聞紙で包んで頂いた横サボ。東京へ向う列車で下宿先まで、しっかり運びました。黒地に白文字の横サボ。一面は「相良−新藤枝」。反対面は「地頭方−新藤枝」と表記されています。このお宝も、現在ではタバコのヤニでしっかり黄ばんでいます。

 写真1枚目、ハーフ判カメラで撮影した新横須賀駅のキハD5+ハ9。写真右手は、ハ10。バスケットを備えたキハD5、バスケットまで律儀に金太郎の腹掛塗装で仕上げられています。No.29−40・昭和42〔1967〕年7月29日(13:16)撮影。

 写真2枚目、通学・通勤時間帯に運転された編成。牽引するディーゼ機関車はDD501。4両の客車は、DL側からハ113+ハ115+ハ114+ハ111。新藤枝にて。No.60−26・昭和44〔1969〕年2月13日(8:55)撮影。

 写真3枚目、当時の終点、大井川駅のキハD18。接続する静岡鉄道路線バスの塗装、当時の鉄道線〔新静岡〜新清水間〕塗色と同じです。ピンク色部がグリーンのバスも存在しました。何故、2種類の塗り分けが存在した? 今でも理解出来ません。No.60−27・昭和44〔1969〕年2月13日(9:16)撮影。

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 平成の大合併により、静岡県清水市は静岡市の一部に含まれてしまいましたが、合併以前の清水市には、ささやかな路面電車が存在していました。全線4.6km。当時健在であった日本の路面電車の中では、営業距離が最も短い路線でした。港橋〜西久保間2.6kmは複線の併用軌道。西久保〜横砂間2.0kmは単線の専用軌道でした。
 短い距離ながら、沿線風景は変化に富み、撮影していても楽しい路線でした。単線の専用軌道には、東海道本線と平行する区間有り。専用橋梁も存在します。複線の併用軌道区間、西久保〜清水駅前間は国道1号線を走行することになります。清水駅前から港橋へ向う仲浜町〜新清水間、東海道本線を越えるために電車は坂道を上り下りする区間です。新清水では鉄道線と接続され、繁華街といった雰囲気でした。新清水から少々走行すると、そこは街外れの行き止まり終点、港橋でした。
 ワンマン運転の話もある中、昭和49〔1974〕年7月7日の七夕豪雨は、庵原川橋梁を損壊してしまいました。橋梁は復旧されることなく運転休止。結局、昭和50〔1975〕年3月22(20?)日、全線廃止の運命を辿っています。
 静岡鉄道清水市内線の終点、横砂・港橋で撮影した今回の写真。電車には方向幕も無ければ、行先表示板も有りません。運転系統は基本的に2本。複線区間を往復する系統と、全線を往復する系統のみでした。そのため、西久保行と横砂行が判別出来るよう、車両横砂側にのみ行先表示板を掲出するというサッパリしたものでした。

 写真1枚目、横砂を発車するクモハ60形61号。写真右手、洗車台に納まっているのは、クモハ65形65号。横砂電停は、車庫の中の駅と言った感じです。清水市内線の中では近代的スタイルの65号は、国鉄清水港線跡に保存されています。No.61−8・昭和44〔1969〕年2月13日(14:12)撮影。

 写真2枚目、港橋終点のクモハ60形63号。清水駅前からやって来る電車は、T字路に突き当たって港橋終点。暴走すれば、住宅へ突入してしまうような場所でした。No.414−4・昭和47〔1972〕年4月11日(10:20)撮影。

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