連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

都電

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 一昨年、12月頃のことであったと思います。NHKの番組“ブラタモリ”で小名木川が紹介されました。鉄道趣味誌の路線別データには、「小名木川(おなぎがわ)貨物線(江東区新小岩起点・共同倉庫株)」と記載してありますので、一応、番組録画予約だけはセットしておきました。
 下町の都電沿線はソコソコ歩きましたが、所々で川を渡った程度の記憶しか残っておりません。小名木川が江戸時代に建設された運河であることは全く知りませんでした。小名木川は健在ですが、高速道路建設のため埋め立てられた運河もあるようです。
 
 「取り込んだカラースライドに写っているのは、ひょっとしたら小名木川?」。改めて、現在の地図を調べてみると小名木川ではなく、小名木川より北側に位置する運河で現存します。運河の名称までは特定出来ませんでした。浅草〜本所吾妻橋〜業平橋〜押上〜十間橋〜柳島〜福神橋と都電電停が続く中で、十間橋〜柳島〜福神橋の間は、運河沿いの道路を都電が走る区間でした。柳島には都電の車庫も存在し、営業所前のレール上に都電がウジャウジャと停車しているシーンも撮影してあります。
 1度だけ撮影に出向いた柳島ですから所在地など忘れておりました。当時の簡単なメモ書きによれば、京浜蒲田から品川までは京浜急行に乗車。品川から国鉄京浜東北線or山手線で秋葉原へ。秋葉原で下車した後、万世橋から都電24系統に乗車して終点の福神橋へ向ったものと思います。都電乗車運賃は20円也。150円の冷し中華で腹ごしらえ。帰りは押上駅地下ホームから特急三浦海岸行にでも乗車したものと思います。押上〜品川間の運賃は80円と記してありました。品川〜京浜蒲田間は、学生時代の通学定期を利用します。キセル乗車などはしませんぞ!!。
 
 
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 写真1枚目、浅草通りと運河を一体で跨ぐ形で建設された歩道橋から撮影。柳島電停の23系統6076号他。写真左手が柳島営業所。当時、柳島までやって来る都電は2324系統のみであったようです。23系統は月島〜本所吾妻橋〜福神橋と走る系統。24系統は須田町〜上野駅前〜福神橋と走る系統。写真奥に東武鉄道業平橋〔とうきょうスカイツリーに改名〕駅が存在します。現在であれば、この写真の中に「東京スカイツリー」が写るハズです。No.4287・昭和471972〕年79日(1130頃)撮影。
 
 
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 写真2枚目、柳島電停を跨ぐ歩道橋上から福神橋方向を撮影。福神橋から月島へ向かう23系統7082号。正面2枚窓、オリジナルスタイルの都電7000形。運河の幅半分以上を材木が占拠しています。写真右手を外れた場所は柳島車庫構内で、歩道橋上からでも留置車両やトラバーサーが確認可能でした。No.4288・昭和471972〕年79日(1130頃)撮影。
 
 
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 写真3枚目、柳島車庫付近で運河はT字に交差します。十間橋〜柳島間で運河を越える都電24系統須田町行7004号。この7000形は、正面窓が3枚に改造された車両です。橋の写真後方、「森発條材?」と表記された建物と、更に右隣の建物は現存するようです。No.42818・昭和471972〕年79日(1130頃)撮影。
 
 
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 画像4枚目、最近のマピオン地図。亀戸336は、都電柳島車庫が存在した所です。都バスの車庫ではなく、老人ホーム等が建設されました。運河T字箇所から南方向へ辿ると、この運河〔横十間川?〕は小名木川と十字交差します。横十間川と小名木川の十字交差部に、平成61994〕年に架設されたのが、×形状の人道橋「クローバー橋」。平成242012〕年99日放映、NHK 美の壺「東京下町の橋」で知りました。
 
 
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 写真5枚目、「1枚目写真の現状は…?。東京スカイツリーは、どの様に見える?」などと勝手な想像していましたところ、ドラマのワンシーンで現状を知ることが叶いました。都電を写した歩道橋上から撮影されたドラマ映像の静止画像です。平成252013〕年218日放映、CBC〔TBS系列〕 ハンチョウ〜警視庁安積班〜第6話、ドラマスタート最初のシーンでした。はっきり確認は出来ませんが、「森発條材?」建物と「あさひ幼稚園」付近の建物、塗装は変わっていますが、都電撮影当時のままのようです。7DNo.20410
 下町に残っていた都電の廃止は、昭和471972〕年1112日とあります。「父親が田舎から出て来ます。東京を案内したいので、休ませて下さい」と、見え透いたウソを言ってアルバイトは休業。見納めとなる都電沿線を夢中で歩きました。3日であったか?、5日であったか?。この時点で現荒川線も消えてしまえば、都電の歴史は、ここで幕引きとなってしまうところでした。
 
 専用軌道区間が多かったこともあり、現荒川線〔三ノ輪橋〜早稲田〕だけは存続することになりました。その荒川線に花電車が走りました。昭和531978〕年4月のことです。ワンマン運転を記念しての花電車でした。2度(4249)撮影に出向いております。全線廃止となってしまった京都・名古屋・横浜の市営電車ではワンマンカーは、当然の如く眺めましたので、都電のワンマン化は遅かったと思ったものです。ワンマン運転開始を記念して花電車を走らせた路線、他には無いのでは?。
 
 
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 写真1枚目、花電車が走った日の荒川車庫。はっきり覚えていませんが、裏へ回り無理な体勢で撮影したものと思います。写真左から70106189・花飾りの700175147027。旧来の7000形一部車両の足回りを流用し、新造車体に載せ替えたのが、現荒川線で活躍する2代目7000形。31両揃えられたそうです。写真に70003両が写っています。6189号はワンマン化対象外。7514号は旧来の姿です。白黒No.1438−(21)・昭和531978〕年42日(1440?)撮影。
 
 
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 写真2枚目、花電車が走った日の荒川車庫。トラバーサーに載せられた2代目70007028号。白黒No.1438−(20)・昭和531978〕年42日(1440?)撮影。
 
 
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 写真3枚目、荒川線、小台〜宮ノ前間を走行する花電車。先導するのは、花飾りが施された7001号。後方に3両の花電車が続きます。6000形の上部をバッサリ切断してしまった乙6000形でした。この区間は、変則併用軌道となっており、宮ノ前電停は路上に鎮座したプラットホームでした。その後、道路は拡幅工事。軌道はセンターリザベーション化されてしまいましたので、面白味は無くなってしまいました。白黒No.1437−(1)・昭和531978〕年42日(1336?)撮影。
 
 
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 写真4枚目、小台〜宮ノ前間。花電車を先導する2代目7000形トップナンバー7001号。「警備車」と表記されたプレートを掲出しています。ピンクと白の花飾りは排障器にも施されています。ホームを嵩上げしてステップの無いスタイルで登場。デビュー当時のスタイルを眺め模型化したいと思った車両でした。それまで使用していたカラーポジフィルムはフジカラーR100。丁度、この頃からコダクローム64に切り替えました。印象強い出来事でしたので、比較的近年の様な感覚が残っていますが、撮影から既に36年以上が経過しております。白黒No.1437−(43)・昭和531978〕年42日(1336?)撮影。
 
 
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 写真5枚目、上部の写真4枚を撮影した日から30年以上が経過。7000形の塗色が変わりました。方向幕隣、ワンマン表示の小窓も消滅。都電独特のビューゲルもパンタグラフに載せ替えられました。2代目7000形デビューの頃は、クーラーもありませんでした。三ノ輪橋行7029号と早稲田行7027号。新庚申塚にて。2枚目写真に写る7028号と連番になれば良かったのですが、何度通っても、これは実現しません。D100No.19774・平成202008〕年1213日(1248)撮影。
 
 
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 写真6枚目、豊橋鉄道市内線、駅前電停を発車するモ3502ヤマサ号の運動公園前行。2枚目写真、荒川車庫のトラバーサーに載った7028号、現在の姿です。平成41992〕年に700970282両を譲り受け。豊橋鉄道では、5枚目塗色に準ずる塗り分けでモ3501、モ3502としてデビューしています。東京生活から故郷へ戻った年に、豊橋へやって来た都電車両でした。当地での活躍も20年が経過しました。荒川線時代〔14年間〕よりも長く豊橋街中を走っています。7DNo.119130・平成242012〕年623日(1343)撮影。

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 昨年12月23日の事務所忘年会、結果はシンドイです。自宅へ戻ったのは12月25日で、足腰ガタガタでした。何はさて置き、年賀状を仕上げなけれはなりません。年賀状を投函すると、東京へ出向いて撮影したデジカメ写真の後始末です。650カット程撮影してありました。これらの写真処理がまだ終りません。
 使用しているデジカメは、5万円で購入した中古ニコンD100です。使用してそろそろ4年になると思います。デジカメなど使用する気持は無かったのですが、購入したものの使用することのなかったAF NIKKOR 35−135mm F3.5−4.5をニコンD100に装着して息子に手渡すつもりでした。少々撮影してみると、これは中々便利で、私が使用する結果となってしまいました。
 昨年の11月12日、息子がやって来た際、日の出カメラにニコンD200が売りに出ている事を話したところ、気持が動いたようなので、二人で物を見に出ました。55−200mm?のレンズを付けて6万円だそうです。即決で購入。代金は立替払いとしました。4GBのメモリーカードはサービスしてくれました。悦に浸って富山へ戻った息子から暫らくして、「メモリーカードカバーを開閉するレバーを折ってしまい、メモリーカードが取り出せない。それ程撮影する訳ではないから、取り合えずは大丈夫」と連絡がありました。「もう壊してしまった」。
 東京で撮影している時には支障がなかったニコンD100。豊橋へ戻った途端、液晶パネルが表示されなくなってしまいました。修理可能か否かを確認して貰っている状態です。
 元日には、またまた突然、息子がやって来ました。ニコンD200を確認したところ、メモリーカードカバーを開け閉めするプラスティック部品が、車の振動で折れてしまったようです。1月3日、知人宅を訪ねニコンD200を見せて貰いました。プラスティックのレバーを回転させると、ロッドが動いてカバーのフックが外れる機構のようです。「これらのデジカメのカバーは手動で開閉可能なのに、ニコンD200の、このメカは余計なお世話だよね」と知人に話して戻って来ました。
 ニコンD100とニコンD200を交互に修理に出すつもりです。へたすると4万円の出費を覚悟しなければなりません。この間の繋ぎ役として、中古ニコンD80を3万円で購入。少々撮影して結果を確認。ニコンD80のソフトをMeパソコンは受け付けてくれません。やむを得ず、XPパソコンにインストール。ニコンD80のソフトは実に使い勝手が悪いです。フォルダの名称を変更した途端、ソフトに表示されていた画像全てが消えてしまいました。古いニコンD100のソフトの方がはるかに使い易いです。同一メーカーソフトながら、2つのソフトは全くの別物でした。ニコンD80で撮影したデータをニコンD100のソフトは読み取ってくれません。結論として、この先、10年経過すれば、記録されたデジカメデータが開けるものかは疑問です。
 Hi8のテープで撮影したビデオ映像、DVテープで撮影したビデオ映像、こちらもビデオカメラが故障すれば再生する術はありません。フィルムカメラの良さを再確認しました。

 写真1枚目、京浜東北線が発着する合間に御徒町駅ホームから撮影した都電3176号。写真奥、バスが横切っているのは広小路電停が存在した場所。都電が平面交差する交差点です。写真左手が秋葉原。右手は上野です。カラー撮影はしてありませんでした。白黒写真ながら、撮影当時は夢がありました。白黒No.172−34(36)・昭和45〔1970〕年7月5日(9:37)撮影。

 写真2枚目、1枚目写真撮影から40年が経過。写真奥、湯島天神付近の高層住宅は、当時のままのようです。松坂屋デパートは外装が様変わりしています。“ミツボシ”と表記された商店は、スリムなビルに建て替えられ“MITSUBOSHI”看板を掲げているようです。高層ビルが増えたことで、街が窮屈な印象を受けます。デジカメで撮影しましたが、何の感動もありません。DNo.456−74・平成22〔2010〕年12月23日(14:41)撮影。

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 「古いカラーフィルムのカビ除去が可能な薬剤はありませんかね?」と“日の出カメラ”のオバちゃんに相談したところ、探してくれたのが、堀内カラー製、HCL FILM クリーナーでした。大容量の物もあるそうですが、試しに少容量の品物を取寄せたそうです。白黒フィルム現像の際に使用する酢酸程の容器を想像していましたが、これ程の小さな容器とは思いませんでした。
 HCL FILM クリーナーを使用して、カラースライドのカビ落としに挑戦した最初の2カットをお見せ致します。カラースライドの現状は、以前、ペテン師に見せようとブログで紹介した写真に同じです。マウントを使用していますが、既に糊が用を成さないため、マウントから外すことは容易です。前回表記した通り、薬剤をスポンジ綿棒に浸して擦るのですが、何度も擦らないとカビは除去出来ません。薬剤が乾くとムラが出来てしまいます。それで初めて水にも浸して別の綿棒で擦りました。水から取り出すと、乳剤面は茶色に変色してしまいますが、水が乾けば変色も消滅します。次は、フルーツゼリーの入っていたガラス瓶に薬剤を注入。この中にカラースライド1カットを浸すことにしました。長く浸してしまうと反りが酷くなってしまいました。

 HOゲージ鉄道模型のパンタグラフが収まっているプラスティック製四角ケースが、1カットのカラースライドを浸すのに手頃なサイズでした。この中に2mm深さ程のクリーナー液を入れて、1カットのフィルムを15秒程漬けます。取り出してからは、結局、スポンジ綿棒で何度も両面を擦ることになります。ルーペで確認しながらカビ全てを除去。この後、暫らく乾燥。更に、乾いた綿棒で乾拭き。拭き跡のムラを除去します。乾拭きの際、1カットには3本の擦り傷を付けてしまいました。作業は慎重に進めなければなりません。処理済のフィルムは、再びマウントに固定し、反りを戻します。3日程経過したら、再びマウントから外してスキャナーで取り込み。30カットを処理するだけで、既に1ヶ月近くが経過してしまいました。これらの写真をレタッチするのには、更に2ヵ月程を費やすものと思います。「なんで、今頃になって、この様な事をしなければならない!!。でも、カビが除去出来れば、何とか見られる写真にはなりそう……」。

 写真1枚目、使用した、HCL FILM クリーナー。60ml製品を760円で購入しました。ネット販売価格では、60ccが735円〔税込〕。500cc〔業務用〕は2100円〔税込〕となっております。容量60ccでは、36枚撮り35mmフィルム3本分を処理するのが限界です。急遽、500cc〔業務用〕も取寄せて貰いました。一旦蓋を開けると、クリーナー液は知らぬ間に蒸発してしまうようです。もたもたしていると、クリーナー液は自然消滅してしまいます。DNo.436−5・平成22〔2010〕年8月22日撮影。

 写真2枚目、初めてカビクリーナー液を使用して処理したのが、このカットです。カラースライドの水洗いにも初めて挑戦しています。スキャナーで取り込んだ際、東京タワーが後方に写っているのに気付きました。都電を撮影したカットに東京タワーが写った写真は無いと思っていただけに、意外な結果でした。しつこいカビの箇所は変色してしまったようです。古川橋〜魚藍坂下間の歩道橋から撮影した都電7系統8114号四谷三丁目行後追いカット。高速道路の写真左手奥が古川橋電停になります。No.79−1・昭和44〔1969〕年5月3日(14:59)撮影。

 写真3枚目、2枚目写真を撮影した歩道橋を下った場所辺りから撮影したものと思います。魚藍坂下に到着間近の都電7系統8088号四谷三丁目行。魚藍坂は?‰あったのでしょうか?。線路も随分クネクネしています。10年前に取り組んだ時に比べると、上手く色補正が叶いません。更に、褪色が進んでいるものと思われます。No.79−2・昭和44〔1969〕年5月3日(15:13)撮影。

 写真4枚目、2枚目カラーを白黒写真にしてみました。白黒にすると、コントラスト等は、再度調整することになります。

都電荒川線、新庚申塚

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 京急鶴見駅での客先忘年会が終了。翌12月13日〔土〕は、元事務所の忘年会。今年の場所は横浜駅西口で、午後4時から始まります。冬の東京、しかも撮影時間に限りが有ります。そこで、事務所に残っていた3冊の田口線冊子を持参して、神田神保町の“書泉グランデ”を訪ねることにしました。自費出版本は取り扱わないと聞いていましたので、「ダメで元々。その場合は自宅へ持ち帰り」と思っての決起でした。京急蒲田から乗車したのは、快速特急・泉岳寺行、京急2156“ドレミファ電車”です。泉岳寺から都営を乗り継いで三田まで1駅。ここで都営三田線の地下鉄に乗り換え、神保町下車。少々歩けば、“書泉グランデ”です。6Fまでエレベータで上がります。エレベータの入口付近で本の整理をしている男性に声を掛けました。結果、取り扱って頂けることになりました。印刷完了から2年目、今年になって新城市・豊橋市の書店、各1店舗が取り扱ってくれています。ここに、悲願であった“書泉グランデ”が加わることになりました。心身共にすっきりした気分で、再び都営三田線に乗車。西巣鴨まで足を延ばし、少々都電の撮影に向います。
 目標とするのは、ペーパークラフトの様な9000形レトロ調電車です。都営地下鉄三田線の西巣鴨駅から都電荒川線の新庚申塚電停までは、300m程の距離があります。新庚申塚電停へ向かって歩いている時、前方を9000形電車が、三ノ輪橋方向へ走り去ってしまいました。以降、大塚駅まで歩きましたが、9000形、戻ってくることは有りませんでした。次にチャンスあらば、何とか撮影したものです。
 大塚駅周辺の撮影は14:30頃まで。山手線で上野へ移動。アメ横、毎度の店で数の子を宅配依頼。横浜到着が16時27分。宴会場所が分からず、英会話学校で店を訪ねたり、ガードマンの年配男性に所在地を確認したりで、周辺をウロウロするばかり。結局、今年も事務所忘年会は45分遅れて到着でした。

 写真1枚目、白山通りを横切って、三ノ輪橋方向へ向う7500形7503。ラッピング広告車が増えました。No.2272−28・平成20〔2008〕年12月13日(12:09)撮影。

 写真2枚目、懐かしい旧塗装の7000形7022三ノ輪橋行が、新庚申塚に到着。集電装置が、ビューゲルからシングルアームパンタに替ったことでも、随分、雰囲気が異なります。No.2272−30・平成20〔2008〕年12月13日(12:14)撮影。

 写真3枚目、新庚申塚を発車する7005大塚駅前行。この車両にはラッピング広告が有りません。東京在住の頃訪ねた時には、周辺の高層ビルは無かったのでは? 豊橋鉄道市内線のモ3500形とは、やはり雰囲気が異なります。No.2272−36・平成20〔2008〕年12月13日(12:20)撮影。

 写真4枚目、新庚申塚電停の8500形8505。8500形は、平成2〔1990〕年に増備された車両です。デビーから18年も経過しているのですね。都電オリジナルのZパンタを搭載して、昔ながらの方向幕。床下周囲にスカートが備えられていますので、7000形・7500形とは違う、新鮮さと懐かしさを背負った車両です。No.2273−9・平成20〔2008〕年12月13日(12:32)撮影。

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