連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

都電

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都電・南千住

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 都電22系統。昔は、新橋と南千住の間を結んでいた系統のようですが、私が撮影した当時は日本橋〜南千住間の運行でした。常磐線の南千住で下車し、少々北側に歩けば、現在唯一残された都電荒川線の三輪橋。南側に位置したのが、都電南千住終点でした。
 改めて当時の写真を眺めますと、日本橋から東武鉄道浅草駅の横を走行して南千住に到着した電車、一旦、車庫構内へ進入します。営業所建物の裏をぐるりと回って、再び反対側の軌道へ出てくるループ線構造となっておりました。ビューゲルを反転すること無く、日本橋へ向って走っていたようです。

 写真1枚目、南千住終点に到着。乗客を降ろした後、入庫する6182号。No.246−5・昭和45〔1970〕年11月29日(11:32)撮影。

 写真2枚目、南千住車庫内を回って路上に出て来た6051号日本橋行。電停後方は、国鉄隅田川貨物駅に通じる貨物線踏切。コンテナ貨物が通過中です。高架線を走行するのは、営団地下鉄日比谷線の3000系〔愛称:マッコウクジラ〕です。タンクローリー、昔は静電気を逃がすために、チェーンを引きずって走っていましたが、あのチェーン、何時頃から使用しなくなったのでしょうね。No.246−4・昭和45〔1970〕年11月29日(11:32)撮影。

 写真3枚目、南千住車庫内。トラバーサー越しに撮影した都電の庫。写真左手が国鉄常磐線。庫内のループ線で待機する都電の姿が確認出来ます。8018号の後方が、南千住電停になります。No.246−12・昭和45〔1970〕年11月29日(11:54)撮影。

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 時々コメントを頂く“慌てん坊将軍様”。ブログの中に都電荒川線のカラー写真が紹介されています。撮影地不明と表記されていましたので、早稲田電停であることをコメントしておきました。ちょうど同じ頃撮影した写真を保有していますので、白黒写真ではありますが、4カットを紹介してみたいと思います。
 この頃までは、富士のポジカラーフィルムを使用していましたが、コダクローム64に変更した時期でした。この日の撮影では、初めて全てコダクローム64を使用。4月2日に運転される荒川線ワンマン運転開始記念の花電車撮影のため、試し撮りを兼ねたものと思っています。
 撮影当時、終点の早稲田〜面影橋間は専用軌道。面影橋周辺のみが併用軌道となっていました。軌道の北側は、道路拡幅工事が予定されていたようで建造物は撤去され、広々とした更地状態でした。近年、知人からのメール写真を眺めますと、この当時の面影は完全に消滅しています。

 写真1枚目、早稲田電停の7504号と7001号。7001号が停車しているのは降車用ホーム。2両の車両共、ワンマン化改造されています。7500形の乗降扉は嵩上げホーム使用のため、ステップが撤去された状態です。7000形は、新造ボディーに載せ替えられ、スタイルが一新されました。後に7000形が豊橋へやって来るなど、想像だにしなかった時代です。白黒No.1430−13・昭和53〔1978〕年2月25日(13:10頃)撮影。

 写真2枚目、1枚目写真の場所から振り返ると、当時はこの様な光景。写真奥に続いていた都電のレールは撮影出来ませんでした。電停ホームから溢れ電車を待つ乗客。学生服に学帽の学生さんも確認出来ます。トレンチコートも懐かしいです。白黒No.1431−15・昭和53〔1978〕年2月25日(13:10)撮影。

 写真3枚目、早稲田を発車した都電は、専用軌道を走行して次の電停が面影橋。専用軌道が終了する辺りに電停ホームが存在しました。写真の6063号は、ワンマン化改造の対象でなかったようで、系統板に変わって荒川線と表示されています。白黒No.1431−39・昭和53〔1978〕年2月25日(13:52)撮影。

 写真4枚目、面影橋電停を発車して三ノ輪橋へ向う7507号。写真右手のトラック後方、羽目板総2階の木造建物横が、三ノ輪橋方面の電車乗り場。終点早稲田へ向かう面影橋電停は、写真撮影場所の背中側に存在しました。写真後方に7000形の姿が小さく確認出来ます。ここが早稲田終点でした。八百屋さん隣のマンションと思われる建物、現在も健在のようです。写真を眺めて気付いた架線。ダブルの直接吊下式とシンプルカテナリー方式の合作です。白黒No.1433−31・昭和53〔1978〕年2月25日(13:58)撮影。

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都電・新宿駅周辺

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 大学受験、失敗しても来年がある。都電の姿、今年撮影しておかないと来年は見られない。受験にかこつけて撮影したのが都電、新宿駅前でした。1眼レフ、アサヒペッタックス1台を所持。カラーポジフィルムを充填して受験に向かいました。
 受験会場に遅刻。受験問題の回答が全く分らず、早々に抜け出して玉電の撮影に向う。試験合間の昼食時、弁当も買わず、大学付近の電車撮影にもトライ。等々の繰り返しでした。「親に出してもらった費用で東京まで出向いた以上、受験、合格しないであろうから、東京の電車くらいは撮影して帰らねば」 そんな思いの10代末期でした。

 写真1枚目、新宿駅の7008・13系統。写真後方に中央線電車が確認出来ます。No.63−27・昭和44〔1969〕年2月21日(8:49)撮影。

 写真2枚目、大久保車庫との短絡線を新宿駅に向う6262号・12系統。新宿駅と新田裏を結ぶ、この専用線。都電系統別路線図には表示がありません。近年発売された都電地図でも紹介されません。残る手段は東京九段の国土地理院に出向いて、古地図を入手するしか策はなさそうです。No.109−32・昭和44〔1969〕年8月27日(14:20)撮影。

 写真3枚目、新田裏電停の8123号・12系統と4018号・13系統。写真後方、グレーの大きな建物が大久保車庫。車庫の写真右手後方には、フジテレビ、8チャンネルが確認出来ます。カメラを構えて立つ位置が、短絡線上。新宿駅方向幕の8023号は、車庫へ戻るものと思います。大久保車庫前方向幕の4018号は、車庫から出て来た車両なのでしょう。No.109−36・昭和44〔1969〕年8月27日(14:32)撮影。

都電・魚藍坂

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 東京での生活が始まる昭和44〔1969〕年。既に都電の路線廃止が進行中でした。品川駅から銀座へ向かう路線を見ることはありませんでしたが、7系統〔四谷三丁目〜泉岳寺前〕は健在でした。この路線も撮影後まもなく廃線と化してしまいました。

 写真1枚目、高輪一丁目〜魚藍坂下間。2000形2023号が魚藍坂を下って行きます。1067mmゲージの杉並線を走った2000形。杉並線廃止後は1372mmゲージに変更して都心部を走行していました。泉岳寺からクネクネと坂を上ってきた都電、高輪一丁目の停止線でブレーキテストを試みます。坂を下る場合は、常に制動装置に異常が無いことを確認していました。No.108−10・昭和44〔1969〕年8月26日(13:44)撮影。

 写真2枚目、魚藍坂下の8000形8074号。135mmレンズ+三脚使用で撮影。魚藍坂勾配の程がお分かり頂けるものと思われます。No.108−14・昭和44〔1969〕年8月26日(14:45)撮影。

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