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山形交通尾花沢線を撮影した翌日は盛岡駅へ移動しておりました。移動過程を記録したミニノートは所在不明です。当時の記憶も皆無のため、どのように行動したものかは思い起こせません。国鉄奥羽本線の大石田駅から山形駅まで乗車。国鉄仙山線を利用して仙台駅へ移動。仙台駅を深夜発車する夜行急行で盛岡駅へ向かったものと思います。盛岡駅から花輪線の龍ケ森駅を目指したのは、蒸機列車の撮影が目的でした。鉄道趣味誌に龍ケ森付近が好撮影地として紹介されていたからです。
撮影した列車の詳細をウィキペディアで調べてみようと思いましたが、48年前の列車となると、さっぱり分かりません。ここは当時の時刻表を開いてみることにしましょう。参照したのは、『国鉄監修 交通公社の時刻表 1/1969』です。時刻表は504ページですから、ソコソコの厚みがあります。ちなみに価格は180円でした。
写真1枚目、盛岡駅を発車する20系寝台特急“ゆうづる2号”2023レ。最後尾の電源車は、カニ21 12と記録してありました。時刻表によれば、“ゆうづる2号”2023レは、上野23:00発。常磐線を経由して仙台着発は4:18/4:24。更に盛岡の着発時刻は6:42/6:45となっております。終着駅の青森到着は9:35。10:00出航する青函連絡船に乗船すれば、函館には13:50に到着します。当時、列車で北海道を目指すには、随分時間が掛かったものです。画像を取り込んだ時は、何とも不可解な感じがしました。「盛岡駅を発車した“ゆうづる”が、このような線路を走るかな?」。時刻表を調べたことで、少々気持ちがスッキリしました。No.93−13・以下全て、昭和44〔1969〕年6月25日撮影。6:48〔少々遅れていたのでしょう〕撮影。
写真2枚目、国鉄花輪線大更〔おおぶけ〕駅。乗車した列車内から身を乗り出し撮影。キハ26 21と記録してあります。乗車した列車は、盛岡7:10発927D。大更発は7:57。終着駅の大館到着は10:33となっておりました。すれ違ったキハ26 21他の列車は、陸中花輪6:04発1924D。大更発は7:58。終着駅の盛岡到着は8:35となっております。国鉄花輪線は、当時、8620形蒸気機関車が活躍していた非電化路線です。何故か、大更駅には架線が張り巡らされています。理由は後日、別画像を紹介することにします。No.93−14・7:57撮影。
写真3枚目、国鉄花輪線龍ケ森駅。盛岡から乗車した927Dは、龍ケ森駅で下車。927Dの後部車両はキハ22 337でした。龍ケ森駅の発車は8:24です。写真右手に写るダブルルーフの客車は、宿泊施設として利用されていたものと思います。No.93−15・8:25撮影。
写真4枚目、記録のまま表記すれば、国鉄花輪線龍ケ森駅を通過する急行“みちのく”。当時の国鉄花輪線には、上下13本づつの列車が設定されておりました。内2本が急行です。調べてみると急行“みちのく”202Dの説明は少々厄介です。急行“みちのく”202Dは、弘前を8:40に発車する4連DC急行。一方、秋田を7:29に発車するのが3連急行“陸中”615D。大館駅で“みちのく”と“陸中”は連結され7連急行に。盛岡到着後は、再び切り離され3連急行“陸中”615Dは山田・釜石線経由で花巻へと向かう。花巻からは3連急行“くりこま2号”106Dと列車名を変更して仙台へ向かう。盛岡駅で4連に戻った急行“みちのく”は花巻駅で宮古発の5連急行“みちのく”2602Dと連結。更に小牛田駅では鳴子発の2連急行“みちのく”2202Dとも連結。11連DC急行となった“みちのく”は常磐線経由で上野到着21:02を目指す。ということで、この写真は、花輪線内を7連で走行する急行“みちのく”+急行“陸中”ということになると思います。スキーシーズンの冬場限定で急行“みちのく”+急行“陸中”は龍ケ森駅にも停車。発車時刻は11:40となっておりました。写真右手が龍ケ森スキー場。6月の撮影ですから7連急行は龍ケ森駅は通過してしまいました。No.93−24・11:39撮影。
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