連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

少々、国鉄〔JR〕

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 学校を卒業するためには、設計製図を仕上げなければなりません。製図は中学校の技術家庭科で少々かじった程度です。天井クレーンの製図など、どの様に作図すれば良いものか皆目分かりませんでした。そこで考えたのは、アルバイトで作図を経験する事です。結果、後々お世話になる設計事務所へ勝手に押し掛けています。この事務所と取り引きしていたのが、現在の客先。打ち合わせに出向き、1日だけ場所を借りて作図作業を終わりにするつもりでいましたが、以降、2年間客先へ通うことになってしまいました。その間には、客先親会社まで出向させられました。昼間は客先へ出向いて作図作業。夜、アパートの自室へ戻ると卒業設計の作図作業。学校卒業前には、プロの図面屋として認められました。気付けば図面屋稼業となってしまった東京での生活も、その後20年が経過しております。
 転機は父親突然の他界でした。客先へ出向いて打ち合わせ。担当者の意向に沿うように間借り部屋で作図作業を繰り返す毎日でしたので、「間借り部屋での作業が、豊橋の実家で可能なのでは…?」と考えるようになりました。半信半疑ながらも、「1年位、豊橋で東京の仕事が継続可能であれば、その間に後の事は故郷で考える」と勝手な夢物語を描いておりました。そんな時、間借り部屋の大家さんから、「家を建て直すから、次の賃貸借契約は無しにして下さい」と言われます。これで実家へ戻ることを決断。その旨を客先へ話しに出向きました。
 事務所社長さん等に手伝って頂き、東京から豊橋への引っ越しが完了したのは、平成5〔1993〕年3月27日〔土〕のことです。持ち帰った荷物で居場所も無いような状態でした。3月を選択したのは、幼稚園児であった長男を卒園させ、小学校入学を当地で行なうためでした。部屋の荷物も片付かないまま、5月の大型連休も終了。連休明には東京から作図依頼が入りました。想像だにしなかった9月まで休み無し。「故郷で新たな仕事を探さなければ…」などと考えている余裕は有りませんでした。そんなこんなで、当地での生活も17年が経過してしまいました。
 「廃止になる都電、福島交通軌道線、花巻電鉄を撮影するために東京に生活拠点が欲しい」 私が東京を目指した単純な理由です。フィルム代を稼ぐためにアルバイトをする。アルバイトの延長で仕事がくっ付いてきたような感じです。追い求めたローカル私鉄の多くは廃線と化してしまいました。37年間お世話になった客先会社部署も、ローカル私鉄同様の印象を持っていました。「何時消えてもおかしくない。ならば、最後まで見届けましょう」 その弱小組織が、ついに消滅することになりました。9月15日、東京へ出向き、今日の状態に至った経緯を聞いてまいりました。親会社の一部組織として存続するようですが、この先は全く不透明です。

 写真1枚目、新幹線品川ホームに下車。跨線橋〔北乗換通路〕から目にしたのが、この編成でした。“成田エクスプレス”E259系特急形直流電車。テールランプを灯しているのは、クロE259−6。今年10月から運用開始とありますから、乗務員習熟訓練中と思います。編成が停車中のプラットホームは思い出多きホームです。仕事打ち合わせのため、品川駅港南口へ出向く際には、何度も歩いたホームです。通常の運転では使用されないため、たまに珍しい車両が留置されていたものです。停車中の修学旅行専用電車の女学生から、「格好イイお兄さーん」と声を掛けられ、手を振り返したこともありました。「格好イイお兄さーん」と呼ばれたのは、生涯でこの時だけです。長い地下通路に代わって、跨線橋隣に新たな東西連絡通路〔自由通路〕が完成したため、現在ではホームへの立ち入りが禁止されているようです。DNo.304−11・平成21〔2009〕年9月15日(14:24)撮影。

 写真2枚目、JR大船駅を発車して、鎌倉車両センターへ回送される“成田エクスプレス”253系特急形直流電車。“成田エクスプレス”は、平成3〔1991〕年に運用開始。東京生活晩年の頃、京浜東北線新子安駅ホームから撮影した253系“成田エクスプレス”は3両編成でした。歳月の流れを実感しました。DNo.305−19・平成21〔2009〕年9月16日(10:21)撮影。

 写真3枚目、草伸び放題のレールを下り、JR大船駅へ到着する横須賀−総武線のE217系Y−19編成。東京在住の頃、東海道本線や横須賀線を走行していたのは、主に113系ばかり。後に横須賀線で眺め、「何なの? ネズミ男〔ゲゲゲの鬼太郎の〕の様な顔した電車は?」と思ったのが、E217系でした。DNo.305−29・平成21〔2009〕年9月16日(10:35)撮影。

 写真4枚目、3枚目写真に同じ。「横須賀線開業120周年 大船〜横須賀 1889.6.16 JR東日本」と表記されたヘッドマークが取り付けられています。DNo.305−31・平成21〔2009〕年9月16日(10:35)撮影。

 写真5枚目、JR東海道本線藤沢駅ホームの80系キオスク。東京での生活を始めた頃、数は減ったものの80系普通電車が東京駅を発着しておりました。青春時代の記憶が蘇る懐かしい形式です。DNo.306−2−126・平成21〔2009〕年9月16日(14:25)撮影。
平成21年9月28日追記:小田原駅新幹線ホームで購入した缶ビールのレシートには、kiosk 東海キヨスク株式会社と表記されています。写真の80系には、KIOSKと表記されています。JR東日本の駅では、2007年7月からKIOSKの読み方をキヨスクからキオスクに変更とあります。

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 昨年春頃は売り手市場であったはずの就職活動。諸々の事情で春先の就職活動を棒に振ってしまった長男。年末には世界的不況と、状況は一変してしまいました。就職が決まらないまま越年。故郷へ戻って職探しするも全て没。そこで少々、私の仕事を手伝わせてみました。これまでも時折、「無駄にはならないから、作図作業をやってみたら」と話を持ち掛けていますが、興味を示すことはありませんでした。就職先が決まらないまま、悶々とする日々が続いたためか、初めてCADを操作する気持ちになったようです。作成したCADデータをオートCADに変換するだけの作業なのですが、それなりの時間は必要となります。10数回作業することで、コツはのみ込んでくれました。
 そんな長男でしたが、今年の春、滑り込みセーフで就職先が決まっております。以来、5ヶ月。長男の仕事ぶりを眺めるために富山へ出向くことを決断しました。向かった先は、北陸本線魚津駅。富山へ出向けば、富山地鉄等の撮影が目的であった私にとって、魚津駅は全く未知の土地です。
 出発前の作図依頼。失敗すれば、富山行き計画はお流れになってしまいます。メドが付いたこともあり富山を目指して決起。それなりに目的を達成して当地へ戻ってまいりました。……が、その後、仕事の依頼は有りません。9月2日に届いたFAXと電話。これで、37年間お世話になった東京の会社部署が消滅することを知りました。客先会社は4期連続の赤字で、経営破綻と同じ状況。突然、奈落の底へ突き落とされ、上から砂を被せられた様な心境です。今後の方針を確認するため、9月15日は東京まで出向くハメとなってしまいました。そこで馴染みのビジネスホテルに電話。宿泊予約するつもりだったのですが、ホテルも廃業。経営者の奥さんは故郷へ戻ることを決断したそうです。9月15日を限りに、ホテル建物は売却となるようです。「慣れ親しんだ東京が、2つ同時期に消えてしまいます」 息子とは一転して、今では私が悶々とした日々を過ごしております。

 写真1枚目、入場券を購入して魚津駅構内へ。最初に撮影したのが、この電車でした。1番ホームに到着する普通金沢行556M。クモハ413−101+モハ412−101+クハ455−702の3連B11編成。鉄道ピクトリアル誌No.821〔2009・8月号〕は、【特集】北陸本線でした。この中に「地域輸送の国鉄形電車」として解説と編成図が掲載されています。475系〔471・457系を含む〕・413系・415系800番代・419系に分類されていますが、垣間見ただけの普通電車は見分けが付きません。DNo.287−1−18・平成21〔2009〕年8月8日(15:24)撮影。

 写真2枚目、1枚目写真のクモハ413−101側。413系100番代のようです。老朽化した473系の機器を流用して2扉両開きの近郊形車体を新製。473系を種車にしたものは100番代と記されていますが、1編成のみ。DNo.287−1−21・平成21〔2009〕年8月8日(15:25)撮影。

 写真3枚目、交直流寝台特急の581・583系を近郊化改造して登場。寝台特急電車の改造編成は、現在北陸本線でしか見られないようです。2番ホームを発車する419系普通直江津行547M。クモハ419−12+モハ418−12+クハ419−2の3連D12編成。DNo.287−1−31・平成21〔2009〕年8月8日(15:29)撮影。

 写真4枚目、3枚目写真編成の後追いカット。ボンネット形クハ419を連結した編成は4本が健在。切妻形運転台クハ418を福井側に連結した編成は9本健在のようです。3番ホームの写真左手は、貨物ヤードの名残?。その隣に富山地方鉄道の新魚津駅が存在します。DNo.287−1−31・平成21〔2009〕年8月8日(15:29)撮影。
訂正:JR魚津駅との接続駅は新魚津駅でした。新魚津駅から電鉄富山駅に向かって、電鉄魚津、西魚津の駅名が続きます。

 写真5枚目、1番ホームに停車中の475系普通金沢行560M。クモハ475−45+モハ474−45+クハ455−7の3連A18編成。国鉄急行形電車と言えば、このスタイル。トンネルでのツララ対策として方向幕を埋め込み。ホイッスル、連結器には耐雪用カバーが取り付けられています。DNo.287−2−113・平成21〔2009〕年8月8日(16:52)撮影。

 写真6枚目、JR魚津駅の改札口は、ここ一箇所のみ。2時間近く魚津駅ホーム内で撮影。考えてみたら、この日は早朝から撮影を続け何も食していませんでした。そろそろ本日の業務が終ると話す息子に、ワゴン車の運転依頼。待合室にて缶ビールを購入して1本飲み干すと、どっと疲れを感じました。DNo.287−2−123・平成21〔2009〕年8月8日(17:29)撮影。

高山本線、西富山駅

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 今年の夏も富山へ向かうことを決断しました。主要目的は4項目。内3項目は、人に関わる事です。当初の予定は、客先が夏休みになる7月末の週で計画していました。ワゴン車を車検に出す際、壊れたエアコンも一緒に修理依頼。戻って来たワゴン車、しばらくして使用するとエアコンが効きません。再度、自動車工場へ置いて代車で自宅へ戻る結果となってしまいました。これで予定を1週間程繰り下げ。エアコンが直っていなかったことで、かえって行動しやすいスケジュールが組めました。問題は仕事。「2日の平日を如何に上手く雲隠れするか」でしたが、景気が悪く暇が幸いして問題は無かったようです。
 8月7日〔金〕、19:11、ワゴン車後部を寝られる状態にして自宅を出発。豊川ICから東名高速道路を走行しますが、早々に渋滞。止まっているか、10km/h走行。名鉄特急が20分程で走行する距離を1時間以上要してしまいました。豊田JCTで、東海環状道路へ分岐。以降は交通量も少なく、スムーズに走行しています。関JCTで、東海北陸道へ合流。富山県が近付くと海抜1000m以上で、外気16℃の地点を通過します。対面通行の長いトンネルを幾つも抜け、城端PA到着が0:00。ワゴン車の窓を全開にして車中泊。暑くも無く。蚊もいませんでした。
 8月8日〔土〕、城端PA出発が6:47。小矢部JCTで、北陸自動車道へ合流。富山西ICで高速道から出ます。ワゴン車にETCが付いていませんので、高速代金は6800円也。富山市五福を目指します。五福へ向かう途中で少々撮影したのが、JR高山本線の西富山駅でした。富山駅から3.6km地点です。

 写真1枚目、西富山駅プラットホームへ進入早々、最初に撮影した普通列車は、想像もしなかった富山行き4両編成でした。キハ120−349+○+○+キハ120−318の847D。高山本線の猪谷〜富山間はJR西日本の管轄。普通列車は、キハ120形300番台車11両〔318・331・344〜352〕で運転されているようです。富山〜猪谷間、富山〜越中八尾間を行き来するのが、このディーゼルカーです。DNo.285−5・平成21〔2009〕年8月8日(7:45)撮影。

 写真2枚目、次にやって来たのは、キロ85−4+キハ84−?+キハ85−?の3両編成、特急「ワイドビューひだ6号」1026D。富山を8:00に発車して、名古屋到着が12:01の列車です。貫通扉付き車両が先頭で来ますと、「何か変」といった感じです。平成17〔2005〕年10月1日、神岡鉄道撮影のため猪谷駅へ向かいましたが、この時、猪谷以南には不通区間が存在した時期です。平成19〔2007〕年9月8日、高山本線全線復旧。やっと、JR西日本の線路を走行する特急「ワイドビューひだ」の撮影が叶いました。DNo.285−12・平成21〔2009〕年8月8日(8:05)撮影。

 写真3枚目、2枚目写真の後追いカット、キロ85−4側。特急列車とは思えない程、ゆっくりと通過しています。DNo.285−14・平成21〔2009〕年8月8日(8:06)撮影。

 写真4枚目、1枚目写真の後部車両が、2両編成で富山から戻って来ました。キハ120−349+キハ120−350の848D猪谷行。富山側の前面はオレンジ。それに対して、猪谷側は緑色です。DNo.285−18・平成21〔2009〕年8月8日(8:12)撮影。

 写真5枚目、高山本線西富山駅舎。DNo.285−23・平成21〔2009〕年8月8日(8:16)撮影。

 写真6枚目、息子がメールしてきた写真。呉羽山から撮影した冬晴れの立山連峰です。写真右手下方が、神通川に架設されたJR本線のトラス橋梁。写真中央下方で、北陸本線と高山本線が離れます。この部分をオーバークロスしていたのが、富山地方鉄道射水線。バス専用道として使用されていた元射水線の跨線橋梁が確認出来ます。富山駅を発車した高山本線の単行DC〔874D〕が、射水線橋梁下を通過して西富山へ向かっています。新幹線建設工事のため、元射水線跨線橋梁は撤去されてしまったようです。平成21〔2009〕年1月29日(15:20)撮影。

国鉄清水港線、清水駅

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 東海道本線の清水駅を利用する目的は、静岡鉄道清水市内線を撮影するためでした。国鉄清水港線の清水駅プラットホームから撮影した写真、取り出したカラースライドを眺めて写真の存在に気付きました。「この様な物が撮影してあった!」 撮影者本人が驚いています。
 改めて調べてみますと、清水港線は、清水〜三保間8.3kmを結んだ貨物線でした。昭和19〔1944〕年7月に三保までの路線が延伸され、同年12月に旅客営業が開始されています。しかし、昭和55〔1980〕年の国鉄再建法施行により第一次特定地方交通線に指定され、結局は、昭和59〔1984〕年3月31日限りで全線廃止の運命を辿っています。晩年の客車列車は、1日1往復のみ。貨物列車に客車を連結した混合列車で運転されましたが、沿線の途中区間で何枚も列車が撮影出来るような路線ではありませんでした。
 年に一度、東京での忘年会。我が家へ帰る際、東海道在来線を使用することも時にあります。以前、下り電車から眺めた清水駅構内。プラットホームの海側に側線が確認できた時代もありましたが、昨年眺めた光景は、これらの側線が全て消滅しておりました。清水駅南側の貨物ヤード跡地も再開発により道路の一部となってしまったようです。国鉄清水港線の清水駅プラットホームが存在した場所、現在では特定不能と思われる程の変貌ぶりでした。

 写真1枚目、清水港線のプラットホームから撮影。清水駅に到着するDD13 149牽引混合列車。この写真で客車は確認出来ません。No.61−17・昭和44〔1969〕年2月13日(15:44)撮影。

 写真2枚目、編成換えを済ませて発車を待つ混合列車。当時のメモより、DD13 149+スハ33 1738+オハ61 771+スハフ32 315+貨車の編成です。清水港線清水駅のプラットホーム、東海道線ホームから構内ヤードの長い踏切を渡った場所であったと記憶しています。3両の客車、2両分程がホームから外れた状態で留置かれています。No.61−18・昭和44〔1969〕年2月13日(15:55)撮影。

 写真3枚目、平成21年6月23日追記。昭和44〔1969〕年1月号、国鉄清水港線のJTB時刻表抜粋を追加しておきます。時刻表の価格は180円。勿論、消費税など存在しない時代です。運賃を調べてみますと、1−5キロが2等20円。6−8キロが2等30円。9−10キロが2等40円。1等の普通旅客運賃は、2等の倍額になっていますが、清水港線の混合列車に1等車は連結されていません。
 1〜2枚目写真を撮影した当日は、4往復の列車が健在であったようです。1枚目写真は、清水到着15:46の662レ。2枚目写真は、清水発車16:10の623レのようです。623レに乗車すれば、三保着16:29。三保17:14の624レで17:32には清水へ戻ることが可能でした。「今にして思うと、1往復乗車しておけば良かった」

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 タイトルに「白川橋梁」などと表記しますと、著名な橋梁と思われるかもしれませんが、「白川橋梁」は、ごく平凡な短い鉄道橋です。
 昨年の3月31日、日産バネットコーチ廃車手続きのため、豊橋の陸運局へ出向きました。窓口男性から「本日中に全てが完了します」と伝えられたため、必要書類全てを書き込んで窓口に提出。しかし、別の係りの方が確認したところ、車両の解体が終了していないとのことで、一時抹消登録証明書を受け取り、後日出直しとなってしまいました。持ち帰った書類を持参して、再度、廃車手続きに陸運局へ向ったのは、1年以上が経過した、つい先日の4月20日です。昨年書き込んだ書類は、そのまま使用可能とのことで、遅ればせながら廃車手続きは完了しました。
 豊橋自動車検査登録事務所は海岸に近く、自宅からはやや遠い場所になります。1ヵ月以上使用していないワゴン車を久々に走らせました。車で出向いたついでに東海道本線に撮影ポイントを探します。農道をウロウロした結果、辿り着いたのが「白川橋梁」でした。上流側には、木製欄干の「鐘鋳場橋〔かねいばばし〕」が渡されています。すっかり見掛けなくなった木の欄干、懐かしい気持ちで、しばらく周辺を撮影しています。

 写真1枚目、EF210−107牽引下り貨物が白川橋梁を渡ります。西小坂井〜愛知御津〔あいちみと〕間にて。DNo.239−13・平成21〔2009〕年4月20日(12:04)撮影。

 写真2枚目、鐘鋳場橋上から撮影したクモハ313−5005他下り6連の後部車。西小坂井〜愛知御津間にて。DNo.239−17・平成21〔2009〕年4月20日(12:11)撮影。

 写真3枚目、鐘鋳場橋欄干を入れて撮影。313系4+2の6連上り快速。西小坂井〜愛知御津間にて。DNo.239−20・平成21〔2009〕年4月20日(12:15)撮影。

 写真4枚目、白川橋梁越しの鐘鋳場橋。愛知御津〜西小坂井間にて。
橋りょう名:白川橋りょう・位置:西小坂井〜愛知御津 300k396m00・支間:12M90・塗装年月:2008年6月・塗装回数:2回塗・塗装種別:補修塗 厚膜型変性エポキシ樹脂塗料・及塗料名:中・上塗 長油性フタル酸樹脂塗料・塗料メーカ:関西ペイント株式会社・施工者:磯部塗装株式会社。以上の表記が確認出来ます。
橋梁下では、“アオサギ”が暫らく獲物を狙っていました。川面を眺めても小魚の気配がありません。“アオサギ”は、ご馳走に捕獲することなく飛び去ってしまったようです。
DNo.239−26・平成21〔2009〕年4月20日(12:51)撮影。

 写真5枚目、白川橋梁から愛知御津方向へ移動。クハ312−5011他6連下り快速。愛知御津〜西小坂井間にて。DNo.239−28・平成21〔2009〕年4月20日(13:11)撮影。

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