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折角、新潟県糸魚川まで出向いたのだから、「気休めに専用線廃線跡でも眺めてみましょう」と思い、糸魚川から青海までワゴン車を走らせました。その道中で撮影したのが今回の画像です。この時点で天候は、どんよりとした曇り空。自宅方向へ台風が接近している事など「露知らず」。
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こんにちは、ゲストさん
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折角、新潟県糸魚川まで出向いたのだから、「気休めに専用線廃線跡でも眺めてみましょう」と思い、糸魚川から青海までワゴン車を走らせました。その道中で撮影したのが今回の画像です。この時点で天候は、どんよりとした曇り空。自宅方向へ台風が接近している事など「露知らず」。
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「キヤ95が飯田線を下って行ったから、明日は豊橋へ戻って来る」と知人から情報を得ました。キヤ95と聞いてもピンときません。会話している間に何となく分かりました。2度撮影しています。撮影したというより通過シーンを眺めた感じで、写真は使い物になりません。参考までにと昨年の豊橋到着時刻を教えて貰いました。
午前の運転であれば決起しませんが、豊橋到着は午後の時間帯。戻って来るキヤ95撮影のためスクーターでJR飯田線の小坂井駅へ出向きました。119系がいなくなって以降、飯田線の撮影に出ることもありませんので、213系電車も撮影しておきましょう。
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アルピコ交通〔元松本電気鉄道〕上高地線の撮影を終了として、当面の目的地は、JR東日本・大糸線の信濃大町駅に決まりました。時刻は午前9時を過ぎた頃。4時間程を費やして信濃大町駅には13:00到着予定です。
梓川に沿って走行。初めて眺める大糸線を踏切で横切ります。左方向には梓橋駅。右方向には大糸線梓川の鉄橋を確認した直後、梓橋西交差点で左折。316号〔旧147号線〕→147号線を信濃大町に向って北上します。ほぼ大糸線と平行する国道147号線なのですが、国道沿いには住宅や商店が建ち並び、大糸線の線路を確認することが出来ません。途中でガソリンスタンド〔穂高東SS (有)吉原 長野県安曇野市穂高4308−5〕を見付けましたので、ワゴン車にガソリンを補充することにします。既にこの時、9:39。GS店員さんに「大糸線沿線で周辺が開けた場所はありませんか」と質問。暫し北へ進めば周辺が開けるそうです。
やっと大糸線レールを確認しましたので、147号線から左折。列車交換可能駅の南側を踏切で横断した後、一旦車から出て周辺を確認。「ここは何駅?」。撮影には不向きなので、農道を走って松本方向へ戻ります。電車通過の時刻も近いようですから、「取り合えず、ここで撮影してみましょう」。穂高駅は過ぎたようですが、自分の居場所は判断出来ませんでした。
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小学生時の修学旅行を頑張って思い返してみようと思います。東田小学校の卒業は、昭和37〔1962〕年3月。となれば、伊勢へと向った修学旅行は、昭和36〔1961〕年の事になります。春であったのか?、秋であったのか?……。全く覚えておりません。
豊橋から名古屋までは、東海道本線を利用したものと思います。電車であったか、客車列車であったか?、こちらも記憶は残っておりません。名古屋からは関西本線のSL牽引客車列車で移動しているハズです。亀山駅が印象的でした。関西本線から紀勢本線へ入るため、列車はスイッチバックします。進行方向が変わる列車に乗車するのは初めての体験でしたから…。紀勢本線を少々走った蒸機列車は、一身田で止まってしまいました。この時、客車内から身を乗り出して眺めたのが、DF50型試運転列車でした。チョコレート色の新しい機関車であったと思います。東海道本線の全線電化は、昭和31〔1956〕年。電化完成したとは言え、当時の豊橋駅では、まだ蒸気機関車が活躍しており、初めて眺めたDF50型ディーゼル機関車には感動を覚えたものです。
理由は分かりませんが、乗車した国鉄蒸機列車は、一身田を発車しませんでした。天候は土砂降り。その後、バスに乗り換え近鉄電車の駅へ移動します。一面水浸しの水田地帯をバスで走った記憶が残っています。近鉄のモスグリーン電車へ乗車して目的地を目指します。振り替え輸送となってしまったのでしょう。伊勢市内を走るバス車内から三重交通神都線の線路も眺めましたが、電車の姿を見ることはありませんでした。改めて調べてみると、三重交通神都線は、昭和36〔1961〕年1月20日全線廃止とありました。三重交通神都線廃線後、541形3両は豊橋鉄道が昭和36〔1961〕年に譲り受けモハ600形として活躍を開始しています。2軸単車ばかりであった豊橋鉄道市内線で、初めてモハ600形を眺めた時も驚いたものです。「バカでかい電車が走って来たー!!」。廃線後の神都線レールを眺めた方が先か?、豊鉄市内線の600形を眺めた方が先か?。こちらの記憶も定かでありません。
伊勢神宮に関しては何も覚えていませんが、五十鈴川は茶色の濁流でした。雨降り続く二見浦で夫婦岩も眺めました。所持が許可された修学旅行のお小遣は300円であったと思います。趣味誌などの存在も知りませんし、我が家にテレビも無かった時代です。カメラなどは当然持っておりません。初めて眺める未知の光景にワクワクしていた昭和36〔1961〕年、小学6年生ほ組時代の思い出です。
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帰省した息子が、デジカメの試し撮りをしたいようです。飯田線は、以前一緒に出向いていますので、「二川辺りへでも出掛けてみようか」という結論に達しました。北陸本線では昼間走る貨物列車をあまり見掛けることは無いそうです。出向いた時間帯は、1時間も沿線に立っていれば、貨物列車4本が撮れそうです。結果的には、貨物列車6本を撮影しましたが、牽引機が4タイプであった点はラッキーでした。機関車の運用までは知りませんので…。
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