連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

少々、国鉄〔JR〕

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 野良仕事へ向うお爺ちゃんの馬車に乗せられ、馬の背中越しに眺めたのが、東海道本線三島〜函南間の高い築堤でありました。母親の実家を出発。駿豆線の踏切を横切ると木製のトラス橋で大場川を渡ります。竹倉温泉前を通過。東海道本線築堤下を潜り抜け、山間のスイカ畑へ向ったものと思います。もぎ取ったスイカを山の斜面で転がしてしまい、泣いた思い出が薄っすらと残っております。東海道本線の築堤上を走行する長い列車は、遠方からでも良く見えたものでした。幼年期の思い出です。この高い築堤周辺が、鉄道ファン誌の撮影地ガイドとして紹介されます。発行号数が2桁の時代です。その後、富士山をバックに東京へ向う寝台特急の撮影場所として、何度も鉄道趣味誌の誌面を飾っています。でも、自ら思い立ち、この場所を訪ねることはありませんでした。

 3月22日の法要のため、前日に三島まで出向いて、竹倉温泉“錦昌館”へ1泊することになりました。函南の叔母さん。梅名の叔父さん、叔母さん。豊橋からは私とお袋。ここに茶美さんが加わりました。総数6名。18時を過ぎた頃から、函南の叔母さんが持ち込んだ缶ビールを呑みながら雑談開始。東海道本線を走り去る貨物列車の通過音が、旅館からも良く聞こえました。旅館の食堂へ移動して、19時からは晩飯の時間となります。食事を終えて部屋へ戻ると、既に布団が敷かれた状態です。普段の生活では、これからが活動を開始する時間帯です。21時頃、出来上がって寝てしまった梅名の叔父さんは無視して、茶美さんと近場のスナックへ呑み直しに出向きました。以降の事は、断片的にしか覚えておりません。茶美さんに腕を抱えられて、千鳥足で旅館へ戻ったのは、0時頃だそうです。

 午前4時には目覚めてしまいました。午前6時過ぎ、男組3人でチョコレート色の温泉に浸ります。「あーあっ。呑み過ぎた」。この後、茶美さんの道案内で、酔い覚ましのため、東海道本線の竹倉踏切までお散歩。狭くキツイ坂道を暫らく歩くと竹倉踏切に到着。「ラッキー!!」。雲ひとつ無い富士山の雄姿を眺めることが出来ました。踏切には、既に青年1人が立っています。神奈川の相模原からやって来たそうです。所持しているカメラに驚きました。アサヒペンタックスSP。使用するレンズは、SMCタクマーでなく、スーパータクマー200mmF4。お父さんが昔使用していたカメラだそうです。私にとっては、連写2眼の4号機まで、カラースライド専用機として使用したカメラで、30年程前に引退させた代物です。富士山以上に、ペンタックスSPを使用する若者に出くわしたことの方が感動です。間も無く、地元の高校生AY君が自転車で到着。キャノンのデジタル一眼を所持して、貨物列車を主体に狙っているそうです。現在であれば、ポピュラーな鉄道ファンと言った印象です。AY君が所持している様なカメラを購入したいのですが、現状では、とてもとても。その分、相模原の彼に親しみを覚えた一時でした。

 写真1枚目、西富士発で熱海へ向う313系の4430M。影の部分が目立つ時間帯です。東海道本線函南〜三島間の竹倉踏切より。DNo.379−19・平成22〔2010〕年3月22日(8:08)撮影。

 写真2枚目、EF66 28牽引で下るコンテナ貨物列車。東海道本線函南〜三島間の竹倉踏切より。DNo.379−20・平成22〔2010〕年3月22日(8:11)撮影。

 写真3枚目、富士山バックに東京へ向う、上りE231系K−30編成の330M。これが現代版の湘南電車といったところでしょうか?。平べったい正面より、1枚目写真の313系の方が、かつての153系を思い起こします。この場所は、上り列車の正面しか撮影出来ません。東海道本線函南〜三島間の竹倉踏切より。DNo.379−27・平成22〔2010〕年3月22日(8:36)撮影。

 写真4枚目、茶美さんが送ってくれた写真。東海道本線三島〜函南間、竹倉踏切で撮影中の3人。写真左がAY君。写真中央が、相模原の彼。右側が私です。8:37に通過した下り貨物列車を撮影していた頃と思います。茶美さんのデジカメ、時計が合っていないのでは?。茶美さん撮影d322・平成22〔2010〕年3月22日(8:29)撮影。

 写真5枚目、竹倉温泉“錦昌館”の浴室付近から撮影した東海道本線の築堤。写真右手が函南方向です。富士山バックに、東京へ向うブルートレインが築堤を走行するシーンは、この築堤を後方の山辺りから撮影したのでは?。DNo.379−34・平成22〔2010〕年3月22日(9:19)撮影。

 写真5枚目、宿泊した竹倉温泉“錦昌館”正面玄関。これから四十九法要へ向うことになります。DNo.379−35・平成22〔2010〕年3月22日(9:26)撮影。

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 スキャナーを使用して取り込む古いカラースライド、昭和44〔1969〕年前後が多いのは、同時撮影した白黒写真に満足な結果が得られなかったからです。昭和44年当時、まだダイレクトプリントなるものは、世の中に存在しませんでした。カラースライドを白黒フィルムで複写することは何度もトライしています。プリントするには、この様な策しかありませんでした。
 カラーポジフィルムで撮影した写真は、現像直後に眺めるのみで、ブリキの衣装缶に収めたままです。40年前に撮影した写真などは、撮影したことすら覚えていないカットもあります。今回の写真も、そんな1枚です。10年以上前にスキャナーで取り込みましたが、取り込み失敗作のため取り込んだことも忘れておりました。

 子供の頃、母親の実家がある静岡県の三島まで、豊橋からは普通列車で4時間以上を費やしたものと思います。車窓を眺めているだけで飽きることはありませんでした。浜松・袋井・金谷・藤枝・静岡・清水・吉原・沼津・三島には、私鉄路線も健在でした。途中駅で30分程停車することもありました。こだま型の特急電車、急行列車、挙句は貨物列車にまで追い抜かれます。豊橋から浜松まで1時間掛かることもあったと思います。叔母さんのアドバイスで、初めて準急「東海」に乗車することになります。100円の準急券を購入すれば、三島までは2時間半程の所要時間でしたが、混雑していて座れなかった記憶も残っています。
 東海道新幹線が開業したのは、昭和39〔1964〕年10月1日のことで、当時、私は中学生でした。小学校に近い文房具店で、夢の超特急「いなづま号」と命名された木製キットを購入して組み立てました。これが現実の超特急として開業したことで、豊橋駅に程近い新幹線線路脇へ友人と一緒に新幹線を眺めに出向いています。フェンス越しながら、通過する「ひかり号」のスピードに驚いたものです。「ワァー!! どっぱやい!!」。体で感じた風圧には恐怖を覚えたものです。初めて新幹線「こだま」に乗車するのは、大学受験の時であったと思います。学生服にズック靴の出で立ちで上京しました。豊橋を発車すると15分程で浜松へ到着。信じ難い初体験になりました。普通列車で1時間近く、準急「東海」で30分を要した距離を、新幹線「こだま」は15分で走破。あまりに早過ぎて、特急料金を支払って損した気分でした。

 写真1枚目、EF65 504牽引上り20系寝台特急「みずほ」と、上り0系新幹線。東海道本線新居町駅にて。この頃、熊本発のブルートレイン「みずほ」4レは、名古屋駅を5:50発車すると、次の停車駅静岡には8:06に到着します。豊橋通過は6時40分頃と思います。撮影したこの日は、何らかの理由で「みずほ」が遅れ、新居町駅で運転休止になってしまいました。EF65 504のパンタグラフは畳まれた状態です。20系最後部車両はカニ21 8と記録してあります。どこかで情報を得て電車を利用して撮影に向ったものと思います。隣を走行する東海道新幹線は、開業から4年少々が経過した頃です。これから0系は、浜名湖の橋梁を渡ります。当時、東京駅を「ひかり」が発車した5分後に「こだま」が発車。基本的は20分間隔で同様の発車が繰り返されていたようです。東京〜新大阪間の所要時間は、「ひかり」が3時間10分。「こだま」は4時間でした。全編成が0系12両編成の時代です。豊橋近辺では、在来線電車特急は消滅してしまいましたが、ブルトレと新幹線は、これから更なる進化を遂げます。東海道本線からブルートレインが消えることなど想像も出来なかった時代です。No.56−28・昭和43〔1968〕年12月28日(14:14)撮影。

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 国鉄の駅舎は国鉄が建設するというスタイルを変えて誕生したのが、3代目の豊橋駅舎です。第二次世界大戦の空襲で焼失した駅舎を民間資本導入により、昭和25〔1950〕年3月完成。私が生まれた翌月のことでした。駅舎建設費用を地元が負担可能になったことから、国鉄駅に民間施設が入る日本最初の民衆駅が誕生します。後の駅ビル元祖となっています。
 木造2階建て建坪560坪〔1850m2〕で、1階には飲食店・理髪店・雑貨店・喫茶店・食堂等が入り、2階は豊栄百貨店であったと記されています。子供の頃から10代後半に渡り眺めた駅舎でしたが、駅舎内の店で何かを買って貰ったという記憶は残っていません。

 写真1枚目、丸物百貨店屋上から撮影した豊橋駅前風景。写真左手が民衆駅と呼ばれた豊橋駅舎。豊橋まつりの日です。駅前電停を発車して駅前大通へ向うのは、元名古屋市電であったモ503単車で、車両側面には「豊橋まつり」の装飾が施されています。モ503の写真後方には、ロータリーも確認出来ます。ロータリー円形の中央を市内線レールが専用軌道で抜け、そこに渡り線が存在したものと思っていましたが、記憶が曖昧で、名古屋駅前ロータリーとごちゃ混ぜになっていたようです。ロータリーの写真右手が広小路通り。ロータリーの写真奥、市民病院前へ向う電車は、元名古屋市電のモ300形です。この車両は、木造オープンデッキでダブルルーフの古参単車でした。豊橋まつりのアドカーパレード、当時は市内の広範囲を走行したものです。広小路通りをパレードの後、駅前広場を周回して市民病院方向へ向っているものと思います。父親が撮影したネガから見付けた写真です。昭和35〔1960〕〜36〔1961〕年頃撮影と推測。

 写真2枚目、豊橋駅舎入口付近の光景。“祝 豊橋駅開業80周年 昭和43年9月1日”の文字が掲げられています。No.48−15・昭和43〔1968〕年9月1日(10:52)撮影。

 写真3枚目、2枚目写真と同じ日に撮影した豊橋駅構内。6番線に停車中の電車は、クハ86013他10両編成の576M沼津行。正面窓が3枚の80系湘南電車。東海道新幹線が開業したものの、まだ長い編成の普通電車が健在でした。子供の頃、伊豆箱根鉄道駿豆線で眺めた温泉準急「いでゆ」等は、この車両にヘッドマークが付いていたものです。No.48−16・昭和43〔1968〕年9月1日(10:59)撮影。

 写真4枚目、民衆駅豊橋駅舎が、間も無く消滅します。噴水池のほとりで、アベックは何を語っていたのでしょうか?。アベックは、「一組の男女を意味する言葉。かつて日本で頻繁に用いられた和製フランス語」と記されています。写真撮影当時は、カップルとは言わなかったと思います。白黒No.61−6・昭和44〔1969〕年9月6日(14:35)撮影。

 写真5枚目、「東海道本線、上り豊橋行313系2両編成の普通電車。これなら、渥美線電車の方が長いじゃん」。豊橋〜西小坂井間〔飯田線船町駅の豊橋寄り〕。随分時代が変わったものです。DNo.149−38・平成20〔2008〕年5月8日(16:04)撮影。

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JR氷見線、雨晴

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 今年の8月、息子アパートを訪ね、北陸本線魚津駅と北陸鉄道石川線を撮影。これで今回の目的は、それなりに達成したことになります。平成21〔2009〕年8月7日〔金〕、19:11当地を車で出発。11日〔火〕の0:45に自宅へ戻っております。往復とも高速道路を夜間走行しています。夜中に自宅へ戻ると、撮影したビデオ映像を確認。失敗したのが、氷見線雨晴海岸を撮影した映像でした。
 8月10日〔月〕、息子の業務が休みのため、息子に運転を任せJR氷見線雨晴〔あまはらし〕駅へ向うことにしました。北陸地区には、かつて多くの私鉄路線が存在したため、目指すのはこれらの路線で、国鉄線をターゲットにすることはありませんでした。鉄道趣味誌で紹介される雨晴海岸、日本海越しに立山連峰が眺められる絶景ポイントです。富山へは何度も出向いていますが、立山連峰の雄姿を眺めることは中々実現しません。何はともあれ、1度、雨晴海岸を眺めてみたいと思っただけのことでした。
 息子は起きる気配無し。結局、アパートを出発したのは昼過ぎです。前日から降り続いた雨は上がりましたが、どんよりした曇り空です。アパートから40分程で雨晴到着。
 氷見線を撮影するには、「ここしか無い」と思える場所へ息子と並んで立ちます。そんな時、立山連峰が雲の合間から姿の一部を現しました。ビデオカメラを三脚へセット。列車接近時刻が近付くと、ビデオカメラのスイッチON−OFFを繰り返します。カメラで撮影するポイントもイメージします。暫らくスタンバイ状態のビデオ電源を一旦OFF。この瞬間に気動車の姿を確認。急遽、ONに切り替えましたが、ビデオは走行途中から撮影する結果となってしまいました。この影響でカメラ操作は後手後手、メロメロ。「悔しい!!」。全てのカットが狙ったポイントを外れていました。
 雨晴海岸に立った事実。幻想的な立山連峰の姿を息子と垣間見られたことは、「結果良し」としておきます。

 写真1枚目、息子が撮影した氷見行537D。No.DSCF5955・以下全て、平成21〔2009〕年8月10日撮影。(13:07)

 写真2枚目、私が撮影した氷見行537D。立山連峰の麓に雲が掛かり、稜線の一部が姿を現した状態です。13:07撮影。

 写真3枚目、2枚目写真の折り返し列車。雨晴駅を発車した高岡行536D。タイプが異なる気動車2連のようです。DC形式を読み取る余裕はありませんでした。DNo.288−2−126・13:34撮影。

 写真4枚目、高岡行536Dの後追いカット。立山連峰の稜線がくっきり姿を現したため、深追いし過ぎてしまいました。DNo.288−2−131・13:34撮影。

 写真5枚目、息子撮影写真の電柱をカット。もう少々左側に日本海を入れて、この様な感じに撮影したかったのですが、2列車共失敗してしまいました。

 写真6枚目、JR氷見線雨晴駅舎。“雨晴海岸 眺望世界一”と表記されています。DNo.288−2−134・13:42撮影。

 写真7枚目、雨晴駅ホーム横の写真看板。これが“眺望世界一”と思います。よそ者では撮影出来ない光景です。DNo.288−2−138・13:48撮影。

 写真8枚目、雨晴駅から立去る際に、ワゴン車助手席から撮影した雨晴海岸。立山連峰は姿を隠してしまいます。DNo.288−2−144・13:57撮影。

高岡のDL貨物

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 富山県の高岡へ向う目的は、加越能鉄道高岡軌道線〔万葉線〕の撮影でした。中伏木〜新湊〔現:六渡寺〕間では、貨物専用線が平行していたものです。高岡軌道線が、専用線と2ヵ所で平面交差していた時代もありました。新湊〔現:六渡寺〕に留置された電気機関車も撮影しています。電気機関車が置かれていた理由は、今でも謎のままです。専用線を走る貨物は、中々お目に掛かれませんので、撮影することはありませんでした。
 万葉線の米島口〜能町口間は、JR氷見線を跨ぐ区間です。今年8月、息子に運転を任せたワゴン車、万葉線と平行する氷見線の跨線橋を走行中、偶然眼下にDL牽引の貨物列車を見掛けました。急遽予定を変更して、この貨物列車の向った先を目指します。その時知ったのが、高岡貨物駅の存在です。
 JR氷見線の能町で分岐して小矢部川右岸に延びたレールの先が高岡貨物駅になります。本来の氷見線は、能町から小矢部川を渡り、小矢部川左岸を進んで終点氷見へ続いています。
 伏木港間近な小矢部川下流の両岸は、昔、線路が張り巡らされていた場所であったことに、今頃気付きました。昔の高岡軌道線は、米島口から伏木港まで小矢部川左岸の路線も存在しましたので…。JR高岡駅は、氷見線を走る貨物、城端線貨物、高山本線直通貨物とDL牽引貨物列車が行き来する駅であることを再認識した次第です。

 写真1枚目、高岡駅で下車。城端線プラットホームで少々DCを撮影後、跨線橋を渡っている時、ホームに進入して来たDE10 1032牽引城端線貨物列車。No.2112−34・平成17〔2005〕年9月30日(15:51)撮影。

 写真2枚目、息子が送ってきた高岡駅構内のDE10 1035牽引貨物。この貨物列車は、富山を経由して高山本線の速星へ向うようです。JR北陸本線の高岡駅構内、今までは特に気にすることもありませんでした。城端線ホームの富山側には、気動車の車庫が存在しますので、城端線も氷見線も同じホームを使用するものと、間違った思い込みをしていました。この写真左手にDC車庫と城端線ホームが存在します。写真右手に見えるのが、氷見線用のホームです。平成21〔2009〕年4月10日(8:01)撮影。

 写真3枚目、高岡貨物駅構内ヤード。コンテナ貨車の合間に、専用線で活躍したと思われるディーゼル機関車が、チラリと伺えます。DNo.288−3−157・平成21〔2009〕年8月10日(14:19)撮影。

 写真4枚目、高岡貨物駅構内のDE10 1541。ワゴン車から眺めた貨物列車を牽引していたのは、このDLでした。DNo.288−3−165・平成21〔2009〕年8月10日(14:34)撮影。

 写真5枚目、高岡貨物駅の能町側に存在する鉄橋。橋台はレンガ積みです。萩布踏切付近から撮影。貨物列車の付替え作業を終了したDE10 1541が発車するのを期待していましたが、貨物列車は来ませんでした。DNo.288−3−162・平成21〔2009〕年8月10日(14:26)撮影。

 写真6枚目、六渡寺で列車交換して高岡駅前へ向う万葉線MLRV1004−ABの後追いカット。昔、高岡貨物駅から、更に先へ続いていた貨物専用線のレールは、新湊〔現:六渡寺〕電停横まで伸びていました。写真右手の草地は、かつてレールが敷設されていた場所です。綺麗に撤去されていました。DNo.288−3−224・平成21〔2009〕年8月10日(15:43)撮影。

 写真7枚目、新湊〔現:六渡寺〕電停横の専用線から分岐したレールは、更に伏木港の埠頭へも伸びていました。道路を横切る箇所と傍らの短い鉄橋にレールが残っておりました。写真左手、小矢部川対岸は、氷見線の伏木駅。伏木駅から分岐する貨物線も地図には表記されていますが、対岸を歩いたことがありませんので、実状は分かりません。写真右手は巡視船“のと”。DNo.288−3−216・平成21〔2009〕年8月10日(15:40)撮影。

 マピオン地図に消えたレール箇所を赤線で書き込んでみました。高岡軌道線の伏木港終点が、何処に存在したものかは、何時か調べてみたいと思います。


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