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野良仕事へ向うお爺ちゃんの馬車に乗せられ、馬の背中越しに眺めたのが、東海道本線三島〜函南間の高い築堤でありました。母親の実家を出発。駿豆線の踏切を横切ると木製のトラス橋で大場川を渡ります。竹倉温泉前を通過。東海道本線築堤下を潜り抜け、山間のスイカ畑へ向ったものと思います。もぎ取ったスイカを山の斜面で転がしてしまい、泣いた思い出が薄っすらと残っております。東海道本線の築堤上を走行する長い列車は、遠方からでも良く見えたものでした。幼年期の思い出です。この高い築堤周辺が、鉄道ファン誌の撮影地ガイドとして紹介されます。発行号数が2桁の時代です。その後、富士山をバックに東京へ向う寝台特急の撮影場所として、何度も鉄道趣味誌の誌面を飾っています。でも、自ら思い立ち、この場所を訪ねることはありませんでした。
3月22日の法要のため、前日に三島まで出向いて、竹倉温泉“錦昌館”へ1泊することになりました。函南の叔母さん。梅名の叔父さん、叔母さん。豊橋からは私とお袋。ここに茶美さんが加わりました。総数6名。18時を過ぎた頃から、函南の叔母さんが持ち込んだ缶ビールを呑みながら雑談開始。東海道本線を走り去る貨物列車の通過音が、旅館からも良く聞こえました。旅館の食堂へ移動して、19時からは晩飯の時間となります。食事を終えて部屋へ戻ると、既に布団が敷かれた状態です。普段の生活では、これからが活動を開始する時間帯です。21時頃、出来上がって寝てしまった梅名の叔父さんは無視して、茶美さんと近場のスナックへ呑み直しに出向きました。以降の事は、断片的にしか覚えておりません。茶美さんに腕を抱えられて、千鳥足で旅館へ戻ったのは、0時頃だそうです。
午前4時には目覚めてしまいました。午前6時過ぎ、男組3人でチョコレート色の温泉に浸ります。「あーあっ。呑み過ぎた」。この後、茶美さんの道案内で、酔い覚ましのため、東海道本線の竹倉踏切までお散歩。狭くキツイ坂道を暫らく歩くと竹倉踏切に到着。「ラッキー!!」。雲ひとつ無い富士山の雄姿を眺めることが出来ました。踏切には、既に青年1人が立っています。神奈川の相模原からやって来たそうです。所持しているカメラに驚きました。アサヒペンタックスSP。使用するレンズは、SMCタクマーでなく、スーパータクマー200mmF4。お父さんが昔使用していたカメラだそうです。私にとっては、連写2眼の4号機まで、カラースライド専用機として使用したカメラで、30年程前に引退させた代物です。富士山以上に、ペンタックスSPを使用する若者に出くわしたことの方が感動です。間も無く、地元の高校生AY君が自転車で到着。キャノンのデジタル一眼を所持して、貨物列車を主体に狙っているそうです。現在であれば、ポピュラーな鉄道ファンと言った印象です。AY君が所持している様なカメラを購入したいのですが、現状では、とてもとても。その分、相模原の彼に親しみを覚えた一時でした。
写真1枚目、西富士発で熱海へ向う313系の4430M。影の部分が目立つ時間帯です。東海道本線函南〜三島間の竹倉踏切より。DNo.379−19・平成22〔2010〕年3月22日(8:08)撮影。
写真2枚目、EF66 28牽引で下るコンテナ貨物列車。東海道本線函南〜三島間の竹倉踏切より。DNo.379−20・平成22〔2010〕年3月22日(8:11)撮影。
写真3枚目、富士山バックに東京へ向う、上りE231系K−30編成の330M。これが現代版の湘南電車といったところでしょうか?。平べったい正面より、1枚目写真の313系の方が、かつての153系を思い起こします。この場所は、上り列車の正面しか撮影出来ません。東海道本線函南〜三島間の竹倉踏切より。DNo.379−27・平成22〔2010〕年3月22日(8:36)撮影。
写真4枚目、茶美さんが送ってくれた写真。東海道本線三島〜函南間、竹倉踏切で撮影中の3人。写真左がAY君。写真中央が、相模原の彼。右側が私です。8:37に通過した下り貨物列車を撮影していた頃と思います。茶美さんのデジカメ、時計が合っていないのでは?。茶美さん撮影d322・平成22〔2010〕年3月22日(8:29)撮影。
写真5枚目、竹倉温泉“錦昌館”の浴室付近から撮影した東海道本線の築堤。写真右手が函南方向です。富士山バックに、東京へ向うブルートレインが築堤を走行するシーンは、この築堤を後方の山辺りから撮影したのでは?。DNo.379−34・平成22〔2010〕年3月22日(9:19)撮影。
写真5枚目、宿泊した竹倉温泉“錦昌館”正面玄関。これから四十九法要へ向うことになります。DNo.379−35・平成22〔2010〕年3月22日(9:26)撮影。
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