平成22〔2010〕年12月24日、ひたちなか海浜鉄道の全線に乗車して思った事。「この様な路線だったのかなー?」。昔、茨城交通湊線を撮影した当時の記憶が全く蘇りません。以前、ブログ投稿の際、この理由を書き込んでみようと思っていたのですが、東日本大震災が発生。ひたちなか海浜鉄道の写真紹介は断念する結果となってしまいました。再トライ。記録したメモ帳を開いて、昭和48〔1973〕年当時を思い起こしてみます。
所持したフィルム。36枚撮りフジカラーR100〔カラーポジフィルム〕48本。36枚撮りフジカラーN100〔カラーネガフィルム〕5本。36枚撮りネオパンSSS〔35mm用白黒フィルム〕33本。36枚撮りトライX〔35mm用白黒フィルム〕45本。36枚撮りネオパンSS〔35mm用白黒フィルム〕77本。12枚撮りネオパンSS〔6×6版用白黒フィルム〕18本。12枚撮りネオパンSSS〔6×6版用白黒フィルム〕2本。
昭和48〔1973〕年2月20日、下宿出発時の所持金71600円。京浜急行雑色発5:37の普通電車で品川へ。通学定期券を使用。国鉄品川駅で東北均一周遊券を購入4600円。京浜東北線〔と思う〕で上野到着6:30。上野駅にて弁当とお茶320円。上野発7:00、国鉄急行「ときわ」に乗車。勝田駅で下車。勝田駅湊線ホームのキハ221を8:45〜9:20の間で撮影。一旦改札口を出て勝田駅の一時預かり〔9時〜18時〕40円。
茨城交通湊線の勝田→阿字ヶ浦間乗車券を購入150円。勝田駅でタバコと牛乳135円。勝田発9:32で阿字ヶ浦へ。阿字ヶ浦駅での撮影は10:05〜10:10の間。以降は線路を歩いて那珂湊方向へ向う。磯崎にてガムとスカット105円。那珂湊でイカフライ定食250円。湊線の那珂湊→勝田間乗車券を購入90円。那珂湊発16:34で勝田へ。日立の専用線列車は17:30に勝田到着。勝田で菓子300円。勝田発18:04の国鉄常磐線平行に乗車。平発19:58仙台行〔2両編成のDC〕に乗車。原ノ町でアイスと牛乳80円。牛乳は、オバサンに1円まけて貰った。仙台でミカン130円。真夜中の仙台駅は寒い。
2月21日、仙台発0:22の国鉄急行「八甲田」に乗車。ぐっすり寝込んで青森まで行ってしまった。青森は雪。2日目で既に予定変更。青森で弁当300円。青森発6:30で三沢へ。三沢は寒い。
上記のような結果でした。目指したのは、東北ローカル私鉄の撮影が主目的。肩幅2倍程のリュックサックを背負い、これとは別にカメラバッグも左肩に担ぎます。リュックサック半分のスペースに薄布の寝袋。1/4スペースが撮影フィルム。残り1/4スペースが着替えであったと思います。6×6版2眼レフも所持していますので、三脚はリュックサックの外にくくり付けたハズです。総重量は17kg程。勝田駅到着時には雨が降っていましたので、雨具とカメラバック以外は、国鉄勝田駅の一時預かりに託したのでしょう。
初めて訪ねた茨城交通湊線は単なる途中下車でした。本命は、この後になりますからフィルム使用も控えていたものと思います。2日目の目標が十和田観光電鉄。仙台から乗車した急行「八甲田」で三沢下車を目論んでいたようです。結果は寝過ごして青森まで。以降は東北のローカル私鉄を雪の中で撮影しております。周遊券の有効期限は15日であったと記憶していますが、新潟の長岡で周遊券有効期限が終了。長岡駅前旅館に3泊して越後交通も雪の中で撮影。この時点で足腰はガクガクでした。東京の下宿へ戻った時、茨城交通湊線の事など既に頭には無かったものと思います。「寒かったー。辛かったー」。若さと、馬鹿さで何とか戻ってまいりましたが、現在であれば2日目でリタイヤです。
写真1枚目、茨城交通湊線阿字ヶ浦駅のステンレス気動車ケハ601。国鉄・大手私鉄は別として、ローカル私鉄のステンレスカーでは岳南鉄道モハ1105〔→大井川鐵道で廃車〕の方が馴染みです。ローカル私鉄のステンレス気動車は、この車両以外存在しませんので超存在感満載のDCと思います。正面は湘南顔ですが、明かり窓が備えられているため、湘南顔より「おかめ顔」といった印象です。屋根へ上るための正面ステップ、使い辛そうです。勝田駅で乗車したのがキハ221。阿字ヶ浦で下車したのがケハ601。当時のメモに記載はありませんが、おそらく那珂湊で車両交換したのでは…?。白黒No.799−(25)・昭和48〔1973〕年2月20日(10:05)撮影。
写真2枚目、茨城交通湊線阿字ヶ浦駅を発車するステンレス気動車ケハ601。写真後方には広いヤードが確認出来ます。国鉄からの海水浴乗り入れ列車「あじがうら」や貨物列車が留置された場所と思っております。白黒No.799−(26)・昭和48〔1973〕年2月20日(10:10)撮影。
写真3枚目、一昨年、キハ222から下車。「阿字ヶ浦は、こんな感じの終着駅であったのだー!」。37年以上に渡る時間差を比較してみようと白黒ネガを取り込み。逆に驚いたのは、この時でした。「昔とそれ程変わっていない!!」。2枚目写真に近いアングルです。信号機が設置されたものの、給水塔、駅舎は当時のままのようです。乗車したキハ222は、昭和48年当時、那珂湊駅勝田寄りに留置されていたことが記してありました。車両の多くが羽幌炭鉱塗色。一部車両が伊豆急のような旧茨城交通塗り分けの時代です。D100No.470−41・平成22〔2010〕年12月24日(11:53)撮影。
写真 4枚目、那珂湊方向を背にして踏切から撮影。ひたちなか海浜鉄道の阿字ヶ浦駅。駅舎寄りのレールは、しっかり錆びています。D100No.470−42・平成22〔2010〕年12月24日(11:54)撮影。
写真 5枚目、4枚目写真に同じ。キハ222と駅舎を望遠気味に撮影。D100No.470−44・平成22〔2010〕年12月24日(11:54)撮影。
写真 6枚目、いまだ健在の給水塔付近から撮影したキハ222。「湊線 かつた KATSUTA」と表記された5角形は行き先表示板ではなく、験〔げん〕担ぎのヘッドマークのようです。D100No.470−46・平成22〔2010〕年12月24日(11:58)撮影。
写真 7枚目、ひたちなか海浜鉄道の阿字ヶ浦駅を発車したキハ222後追いカット。こちら側のHMには「湊線 合 GOUKAKU」と表記されています。D100No.470−52・平成22〔2010〕年12月24日(12:02)撮影。
写真 8枚目、ひたちなか海浜鉄道の阿字ヶ浦駅舎。昭和48〔1973〕年、同様のカットは撮影してありませんでした。D100No.470−55・平成22〔2010〕年12月24日(12:06)撮影。
写真9枚目、阿字ヶ浦ホームの駅名標。駅毎に異なる、ひたちなか海浜鉄道独特の駅名標です。ホタテ・あんこう・釣り針・ワカメで構成されています。かな表記が無ければ、とても読めない象形文字です。D100No.470−40・平成22〔2010〕年12月24日(11:52)撮影。
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