連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

関東・非電化私鉄

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

 ひたちなか海浜鉄道の全線乗車は、東日本大震災発生前の平成222010〕年1224日。既に6年前のことになってしまいました。
 
 初めて茨城交通湊線を訪ね、阿字ヶ浦まで乗車したのは、昭和481973〕年220日。茨城交通→ひたちなか海浜鉄道と社名は変わり、36年ぶりに阿字ヶ浦駅へ降り立ちました。36年も経過していたのにも関わらず、阿字ヶ浦駅の雰囲気に変化がないことに驚いたのは以前記述した通りです。
 
 今回は湊線、阿字ヶ浦−磯崎間で撮影した画像を並べてみます。
 
 
 
イメージ 1
 写真1枚目、茨城交通湊線阿字ヶ浦駅を発車するステンレス気動車ケハ601後追いカット。白黒No.7992227)・昭和481973〕年220日(1010)撮影。
 
 
イメージ 2
 写真2枚目、茨城交通湊線磯崎駅を発車して阿字ヶ浦へ向かうキハ2005。写真に写る駅舎は建替えられたこともあり現存しません。白黒No.7992429)・昭和481973〕年220日撮影。
 
 
イメージ 3
 写真3枚目、2枚目写真の後追いカット。白黒No.8001941)・昭和481973〕年220日撮影。
 
 
イメージ 4
 写真4枚目、ひたちなか海浜鉄道キハ2005阿字ヶ浦行。36年ぶりに阿字ヶ浦−磯崎間で撮影した気動車は意外にも昔と同じ車両でした。今になって初めて気付きました。ND100No.47065・平成222010〕年1224日(1226)撮影。
 
 
イメージ 5
 写真5枚目、4枚目写真の後追いカット。踏切を過ぎれば阿字ヶ浦駅構内です。ND100No.47067・平成222010〕年1224日(1227)撮影。
 
 
イメージ 6
 写真6枚目、阿字ヶ浦から磯崎駅に戻って来た、ひたちなか海浜鉄道キハ2005勝田行。ND100No.47073・平成222010〕年1224日(1241)撮影。
 
ウィキペディアの一文を拝借します。
キハ2000形(20042005)→キハ2004は留萌鉄道の廃線に伴い1970年に同鉄道から湊線に移籍、キハ20051969年に同じく同鉄道から移籍した。国鉄キハ22形の類似車。キハ20051966年に東急車輛製造にて製造された車両で、ベンチレーターの形状がキハ2004と異なっている。途色はキハ2004が国鉄準急色の淡黄色地に赤帯、キハ2005は茨城交通色だったが、帯の配置が他車と違っていた(キハ3710形に近い)。キハ20052010年に国鉄急行色の肌色地に窓周りスカーレットの2色塗りに変更され、2013年に島原鉄道塗装(三本ヒゲ)となったが、水漏れのため運用から外れていた。また、キハ2004は前述のキハ11形(2代)導入に伴い20151225日を最後に運用を外れていた。その後2両とも2015年限りで正式に引退となったが、キハ2004は平成筑豊鉄道での動態保存のため、20161013日に那珂湊駅から搬出、1017日に金田駅に搬入された。
 平成222010〕年1224日、ひたちなか海浜鉄道の全線に乗車して思った事。「この様な路線だったのかなー?」。昔、茨城交通湊線を撮影した当時の記憶が全く蘇りません。以前、ブログ投稿の際、この理由を書き込んでみようと思っていたのですが、東日本大震災が発生。ひたちなか海浜鉄道の写真紹介は断念する結果となってしまいました。再トライ。記録したメモ帳を開いて、昭和481973〕年当時を思い起こしてみます。
 
 所持したフィルム。36枚撮りフジカラーR100〔カラーポジフィルム〕48本。36枚撮りフジカラーN100〔カラーネガフィルム〕5本。36枚撮りネオパンSSS〔35mm用白黒フィルム〕33本。36枚撮りトライX〔35mm用白黒フィルム〕45本。36枚撮りネオパンSS〔35mm用白黒フィルム〕77本。12枚撮りネオパンSS〔6×6版用白黒フィルム〕18本。12枚撮りネオパンSSS〔6×6版用白黒フィルム〕2本。
 
 昭和481973〕年220日、下宿出発時の所持金71600円。京浜急行雑色発537の普通電車で品川へ。通学定期券を使用。国鉄品川駅で東北均一周遊券を購入4600円。京浜東北線〔と思う〕で上野到着630。上野駅にて弁当とお茶320円。上野発700、国鉄急行「ときわ」に乗車。勝田駅で下車。勝田駅湊線ホームのキハ221845920の間で撮影。一旦改札口を出て勝田駅の一時預かり〔9時〜18時〕40円。
 茨城交通湊線の勝田→阿字ヶ浦間乗車券を購入150円。勝田駅でタバコと牛乳135円。勝田発932で阿字ヶ浦へ。阿字ヶ浦駅での撮影は10051010の間。以降は線路を歩いて那珂湊方向へ向う。磯崎にてガムとスカット105円。那珂湊でイカフライ定食250円。湊線の那珂湊→勝田間乗車券を購入90円。那珂湊発1634で勝田へ。日立の専用線列車は1730に勝田到着。勝田で菓子300円。勝田発1804の国鉄常磐線平行に乗車。平発1958仙台行〔2両編成のDC〕に乗車。原ノ町でアイスと牛乳80円。牛乳は、オバサンに1円まけて貰った。仙台でミカン130円。真夜中の仙台駅は寒い。
 221日、仙台発022の国鉄急行「八甲田」に乗車。ぐっすり寝込んで青森まで行ってしまった。青森は雪。2日目で既に予定変更。青森で弁当300円。青森発630で三沢へ。三沢は寒い。
 
 上記のような結果でした。目指したのは、東北ローカル私鉄の撮影が主目的。肩幅2倍程のリュックサックを背負い、これとは別にカメラバッグも左肩に担ぎます。リュックサック半分のスペースに薄布の寝袋。14スペースが撮影フィルム。残り14スペースが着替えであったと思います。6×62眼レフも所持していますので、三脚はリュックサックの外にくくり付けたハズです。総重量は17kg程。勝田駅到着時には雨が降っていましたので、雨具とカメラバック以外は、国鉄勝田駅の一時預かりに託したのでしょう。
 初めて訪ねた茨城交通湊線は単なる途中下車でした。本命は、この後になりますからフィルム使用も控えていたものと思います。2日目の目標が十和田観光電鉄。仙台から乗車した急行「八甲田」で三沢下車を目論んでいたようです。結果は寝過ごして青森まで。以降は東北のローカル私鉄を雪の中で撮影しております。周遊券の有効期限は15日であったと記憶していますが、新潟の長岡で周遊券有効期限が終了。長岡駅前旅館に3泊して越後交通も雪の中で撮影。この時点で足腰はガクガクでした。東京の下宿へ戻った時、茨城交通湊線の事など既に頭には無かったものと思います。「寒かったー。辛かったー」。若さと、馬鹿さで何とか戻ってまいりましたが、現在であれば2日目でリタイヤです。
 
イメージ 1
 写真1枚目、茨城交通湊線阿字ヶ浦駅のステンレス気動車ケハ601。国鉄・大手私鉄は別として、ローカル私鉄のステンレスカーでは岳南鉄道モハ1105〔→大井川鐵道で廃車〕の方が馴染みです。ローカル私鉄のステンレス気動車は、この車両以外存在しませんので超存在感満載のDCと思います。正面は湘南顔ですが、明かり窓が備えられているため、湘南顔より「おかめ顔」といった印象です。屋根へ上るための正面ステップ、使い辛そうです。勝田駅で乗車したのがキハ221。阿字ヶ浦で下車したのがケハ601。当時のメモに記載はありませんが、おそらく那珂湊で車両交換したのでは…?。白黒No.799−(25)・昭和481973〕年220日(1005)撮影。
 
イメージ 2
 写真2枚目、茨城交通湊線阿字ヶ浦駅を発車するステンレス気動車ケハ601。写真後方には広いヤードが確認出来ます。国鉄からの海水浴乗り入れ列車「あじがうら」や貨物列車が留置された場所と思っております。白黒No.799−(26)・昭和481973〕年220日(1010)撮影。
 
イメージ 3
 写真3枚目、一昨年、キハ222から下車。「阿字ヶ浦は、こんな感じの終着駅であったのだー!」。37年以上に渡る時間差を比較してみようと白黒ネガを取り込み。逆に驚いたのは、この時でした。「昔とそれ程変わっていない!!」。2枚目写真に近いアングルです。信号機が設置されたものの、給水塔、駅舎は当時のままのようです。乗車したキハ222は、昭和48年当時、那珂湊駅勝田寄りに留置されていたことが記してありました。車両の多くが羽幌炭鉱塗色。一部車両が伊豆急のような旧茨城交通塗り分けの時代です。D100No.47041・平成222010〕年1224日(1153)撮影。
 
イメージ 4
 写真
4枚目、那珂湊方向を背にして踏切から撮影。ひたちなか海浜鉄道の阿字ヶ浦駅。駅舎寄りのレールは、しっかり錆びています。D100No.47042・平成222010〕年1224日(1154)撮影。
 
イメージ 5
 写真
5枚目、4枚目写真に同じ。キハ222と駅舎を望遠気味に撮影。D100No.47044・平成222010〕年1224日(1154)撮影。
 
イメージ 6
 写真
6枚目、いまだ健在の給水塔付近から撮影したキハ222。「湊線 かつた KATSUTA」と表記された5角形は行き先表示板ではなく、験〔げん〕担ぎのヘッドマークのようです。D100No.47046・平成222010〕年1224日(1158)撮影。
 
イメージ 7
 写真
7枚目、ひたちなか海浜鉄道の阿字ヶ浦駅を発車したキハ222後追いカット。こちら側のHMには「湊線 合 GOUKAKU」と表記されています。D100No.47052・平成222010〕年1224日(1202)撮影。
 
イメージ 8
 写真
8枚目、ひたちなか海浜鉄道の阿字ヶ浦駅舎。昭和481973〕年、同様のカットは撮影してありませんでした。D100No.47055・平成222010〕年1224日(1206)撮影。
 
イメージ 9
 写真9枚目、阿字ヶ浦ホームの駅名標。駅毎に異なる、ひたちなか海浜鉄道独特の駅名標です。ホタテ・あんこう・釣り針・ワカメで構成されています。かな表記が無ければ、とても読めない象形文字です。D100No.47040・平成222010〕年1224日(1152)撮影。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

 昭和48〔1973〕年2月20日に撮影した「茨城交通湊線勝田駅」の写真と、平成22〔2010〕年12月24日に撮影した「ひたちなか海浜鉄道勝田駅」の写真を並べて、37年以上に渡る時間差を比較してみようと思っておりました。予定タイトルは「湊線勝田駅、今昔」。
 ところが、平成23〔2011〕年3月11日、東日本大震災が発生。その後、放映されるニュース映像には驚愕。「ひたちなか海浜鉄道も運行不能の模様。ひょっとしたら被災して、このまま廃線?」などと勝手な思い込みが続きます。当地で流れるニュースは、大津波で壊滅的な被害を被った沿岸部と、福島原発事故の映像ばかりです。陸前高田で、やっと見付けてお世話になった旅館が、大津波で消滅する瞬間のニュース映像はショックでした。おぼろげながら記憶に残る陸前高田駅前の光景は、震災翌日のニュース映像では激変しておりました。

 ひたちなか海浜鉄道の実情が把握出来たのは、平成23〔2011〕年4月24日に購入した“鉄道ファン誌2011−6月号〔通巻602号〕”です。『ひたちなか海浜鉄道 「廃線にはできない」復旧へ社長ら意欲』なるタイトルで、「2008年、第三セクター鉄道〔茨城交通を引き継ぎ〕として再スタート。復旧には2億円の費用と3ヶ月がかかりそうだ」と、被災状況と厳しい実情が小さな記事で報告されています。

 平成23〔2011〕年6月25日〔土〕、NHKニュース7で、ひたちなか海浜鉄道部分復旧のニュース映像が流れました。「震災からの復興への動き きょうも各地で → 3ヶ月半ぶりに3.4kmの一部区間で運行を開始。社長の吉田千秋さん自らの言葉で、7月下旬までには全線開業を目指す」といった内容でした。復旧を目指している現実を知ることになります。

 平成23〔2011〕年7月31日に購入した“レイル・マガジン誌2011−9月号〔通巻336号〕”に、『頑張っています!! 第3セクター ひたちなか海浜鉄道 営業再開へ!!』のタイトルで近況が紹介されました。4ページの内容は、NHKニュース7で放映された当日の様子などです。「溜池」地点復旧の記録として、震災前、震災直後、復旧作業中、試運転列車の写真が1ページに15カットで紹介されています。鉄道ファン誌602号で、「線路脇の池が決壊、盛り土が流されて約50mにわたって線路がつり橋のように持ち上がった」と表記された箇所を平磯−磯崎間の築堤と勘違いしておりました。RM誌でも、「残る不通区間、平磯−阿字ヶ浦間は、同鉄道によれば7月下旬に運転を再開する予定とのこと」と記されています。ネット検索したところ、7月23日より全線運転再開とありました。関係者方々のご努力により、湊線が蘇ったことは喜ばしい限りです。

 国鉄常磐線勝田駅に降り立ち、初めて茨城交通湊線の終点駅阿字ヶ浦まで全線乗車したのが、昭和48〔1973〕年2月20日。2度目の阿字ヶ浦訪問が、昨年の平成22〔2010〕年12月24日ということになります。昨年、キハ222に乗車して終点まで運転台越しの風景を眺めておりました。勝田から那珂湊までの風景は、昔とそれ程変わらない印象です。那珂湊−阿字ヶ浦間に関しては、昭和48年当時の光景が全く思い起こせません。終点でキハ222から下車し、「阿字ヶ浦は、この様な感じの駅なのだー」と思ったものです。そこで改めて、昭和48年の白黒写真を取り込み。驚いたのは、逆にこの時でした。阿字ヶ浦駅は昔とあまり変わっていませんでした。昔撮影した写真は、全くプリントしませんでした。幾枚かプリントして、時に写真を眺めていれば記憶が持続出来たと思います。当時のメモ帳を開いたことで、茨城交通湊線を訪ねた理由が少々理解出来ました。メモ帳を眺めながら昭和48年当時を振り返るつもりでおりましたところ、ひたちなか海浜鉄道を取り巻く状況が一変。止む無く断念する結果となってしまいました。昨年眺めた光景は、既に過去の風景となってしまったようです。

 写真1枚目、JR常磐線勝田駅、ひたちなか海浜鉄道キハ222。茨城交通時代、元羽幌炭礦鉄道車のキハ22形3両〔キハ221、 222、 223〕が、昭和45〔1970〕年から昭和46〔1971〕年にかけて移籍とあります。キハ221とキハ223は、既に廃車となってしまいました。No.2412−28・平成22〔2010〕年12月24日(11:20)撮影。

 写真2枚目、1枚目写真は腰を落として撮影。こちらは立って撮影。写真左手はJR常磐線の普通電車なのでしょう。発車時刻が迫っておりましたので、3カット撮影したのみで、ひたちなか海浜鉄道キハ222に乗車します。No.2412−29・平成22〔2010〕年12月24日(11:20)撮影。

 写真3枚目、国鉄常磐線勝田駅の茨城交通湊線キハ221。キハ222とは同タイプですが、この車両は引退し、その後、阿字ヶ浦駅側線に留置されていたようです。2009年に撤去されたと記されています。改めて1〜2枚目写真と見比べますと、駅の構造が全く様変わりしています。木造待合室出入口扉の上部に掲げられているのは、当時の国鉄時刻表。後に貨物ヤードが消滅。プラットホームはフェンスで仕切られてしまいました。レールの位置は、当時も今も同じなのでしょうか?。白黒No.799−(16)・昭和48〔1973〕年2月20日(8:45頃)撮影。

 写真4枚目、3枚目写真の位置より後ずさりして撮影したキハ221。リヤカーが置いてありましたか。白黒No.799−(17)・昭和48〔1973〕年2月20日(8:45頃)撮影。

 写真5枚目、国鉄常磐線勝田駅の茨城交通湊線キハ221。上野方向を眺める形です。湊線の車両から下車してホームを横切れば、即、常磐線上野行列車に乗車可能でした。白黒No.799−(19)・昭和48〔1973〕年2月20日(8:45頃)撮影。

 写真6枚目、6枚目写真より車両に近付いて撮影。雨が降っていました。こちら側の待合室出入口扉の上部に掲げられているのは、当時の湊線時刻表です。1日の運転本数は現在より少なかったようです。キハ221には「湊鉄道」、「宇都宮・富士重工・昭和35年」と表記された銘板が取り付けられています。白黒No.799−(22)・昭和48〔1973〕年2月20日(8:45頃)撮影。

 写真7枚目、平成22〔2010〕年12月24日購入、湊線1日フリー切符。那珂湊駅のスタンプが押されていますが、勝田駅ホーム脇の小さな窓口で購入したものです。再び乗車する機会に恵まれるものであれば、No.005423の数値が大きくなっていることを望みます。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

 昨年末、横浜での事務所忘年会終了後は、社長と京急蒲田へ戻りました。社長さんと別れると、スナック2軒を梯子。2軒目のスナック、先客さんとママさんを撮影して以降は記憶がありません。何時スナックを出て、ホテルまでどの道を歩いたものかが思い出せません。行動した概要は、所持しているミニノートに記録するのですが、ノートに残した文字は書いた本人が読めませんでした。
 それでも、ホテルでの目覚めは午前7時。今回の主目的である“ひたちなか海浜鉄道”の阿字ヶ浦駅を目指します。JR蒲田駅「みどりの窓口」で蒲田−勝田間往復乗車券+指定席特急券を購入。7000円也。上野10:00発の「スーパーひたち15号」に乗車することになりました。走行シーンは数回眺めているものの乗車するのは初めてです。上野を発車すると水戸までの約1時間はノンストップ。「やはり、新しい特急車両。快適な走りっぷりだ!!」などと思いながら車窓を眺めておりました。

 東京での生活は23年間。その後、当地へ戻って、そろそろ18年が経過します。品川駅の長い地下連絡通路を抜けて、品川駅港南口の客先へは何度も打ち合わせに出向きました。品川駅地下道に貼られた「スーパーひたち」デビュー直前の大きなポスターは、大層印象強いものでした。そのためか、「スーパーひたち」として活躍する651系特急電車は、今でも新車と思っています。あのポスターを眺めてから、既に21年でしたか。

 写真1枚目、上野駅特急専用16番ホームに停車中の「スーパーひたち15号」。原ノ町側は4両編成で、先頭車両はクハ651−102。DNo.469−57・平成22〔2010〕年12月24日(9:37)撮影。

 写真2枚目、同じく、上野駅特急専用16番ホームに停車中の「スーパーひたち15号」。LED表示の「スーパーひたち15」と「原ノ町ゆき」を交互に表示させながら走行するシーンは、ビデオカメラ向きですが、残念ながら撮影したことはありません。DNo.469−61・平成22〔2010〕年12月24日(9:44)撮影。

 写真3枚目、7両+4両の11両編成最後部車両が指定席。柏通過後のクハ650−7〔1号車〕車内。DNo.469−72・平成22〔2010〕年12月24日(10:20)撮影。

 写真4枚目、取手通過後のクハ650−7〔1号車〕車内。取手〜藤代間では、直流から交流に切り替わるためデッドセクションを通過します。一時、室内灯が消えた瞬間です。元旦にやって来た息子曰く、「北陸本線を走る現在の車両は、デッドセクションを通過する時、室内灯が消えない」。「フレッシュひたち」として活躍するE653系も室内灯は消えないようです。時代は様変わりしています。DNo.469−74・平成22〔2010〕年12月24日(10:27)撮影。

 写真5枚目、常磐線勝田駅で下車。乗車した「スーパーひたち15号」のクハ650−7〔1号車〕を見送ります。帰りは、E653系「フレッシュひたち」に乗車出来ればと思っていましたが、結局、651系「スーパーひたち」でした。鉄道趣味誌の最新号によれば、平成24年の秋には、上野発着の常磐線は、全てがE657系特急型交直流電車に統一とあり、完成予定イラストが紹介されています。今回が最初で最後の651系「スーパーひたち」乗車になりそうです。DNo.470−6・平成22〔2010〕年12月24日(11:12)撮影。

 写真6枚目、勝田駅ホーム横に留置されていたリゾートエクスプレス“ゆう”。写真手前は、クロ484−2。平成3〔1991〕年、183系電車などの改造により誕生と記されています。中間車も撮影したかったのですが、湊線の発車時刻が近付いておりましたので、先を急ぎます。DNo.470−11・平成22〔2010〕年12月24日(11:14)撮影。

 写真7枚目、ひたちなか海浜鉄道の終点阿字ヶ浦まで乗車したのは、このキハ222でした。DNo.470−13・平成22〔2010〕年12月24日(11:19)撮影。

 写真8枚目、元茨城交通湊線の全線に乗車して思った事。「この様な路線だったかなー?」。昔撮影した当時の思い出は何も蘇りませんでした。そこで白黒写真の取り込み。勝田駅1番ホームに到着するキハ221。写真左手貨物ヤードの奥には、貨車移動機の姿が確認できます。白黒No.799−(15)・昭和48〔1973〕年2月20日(8:45頃)撮影。

 写真9枚目、国鉄勝田駅2番ホームを発車した上野行DC急行ときわ?後追いカット。白黒No.800−(2)・昭和48〔1973〕年2月20日(9:15頃)撮影。

廃線間近の筑波鉄道

イメージ 1

イメージ 2

 昭和62〔1987〕年3月31日の運転を最後に筑波鉄道は廃線。この日は、国鉄分割民営化により、日本国有鉄道として国鉄車両が走行する最後の日でもありました。
 筑波鉄道は、常磐線の土浦駅と水戸線の岩瀬駅間を40.1kmで結んだ非電化私鉄線です。ローカル私鉄でキロ程40.1kmは長い部類の路線です。距離の長さから廃止になることの無い路線と思っていただけに、筑波鉄道の廃線はショックでした。
 写真掲載に当たって、当時の事を思い起こしてみるのですが、どの様に行動したものかが思い出せません。撮影メモ帳に細かな記録を残していませんでした。筑波山をバックに、まだ1歳にならない息子を抱いているカミサンの姿を撮影してあります。息子を抱いて鉄道を利用?。車でも借用した?。それまで、筑波鉄道を撮影したのは、筑波駅までで、筑波駅以北は未知の区間でした。
 3月1日、土浦から坂田まで乗車。区間距離は5.8kmで、運賃は210円。坂田〜常陸藤沢間1.8kmを歩いて撮影。常陸藤沢〜岩瀬間32.5kmを乗車。運賃は1030円。この時、初めて岩瀬駅を撮影しています。その後、岩瀬〜真壁間9.9kmを歩いて撮影。撮影を終えると、真壁から土浦間30.2kmを乗車。運賃は990円。これで大田区糀谷へ戻りました。
 3月21日、土浦から真壁まで乗車。区間距離は30.2kmで、運賃は990円。真壁〜筑波間10.0kmを歩いて撮影。撮影後は、筑波から品川までの乗車券を購入。通し運賃は1940円で、JNR区間運賃は1220円であったようです。品川〜糀谷間、京浜急行の運賃は記載してありませんでした。
 3月28日、息子まで抱えて、筑波鉄道の見納めに向っています。常陸小田駅周辺を撮影。「ホームの桜、満開になる前に、筑波鉄道は消滅する」などと思いつつ撮影した記憶が甦りました。この後、筑波山のケーブルカーにも乗車していました。
 筑波鉄道の廃線に当たって、何とか未撮影区間の記録を目指していたようです。当時0歳の息子が、現在23歳ですから、それ程の年月が経過したことになります。

 写真1枚目、アサヒペッタックス6×7で撮影したスライドです。デジタル化の感覚がまだつかめていません。走行するのは、キハ500形(キハ503)。日本車輌製造東京支店で、昭和34〔1959〕年に新製された片側片開き2ドア、両運転台の18m級気動車でセミクロスシート車両。それまで眺めたローカル非電化私鉄は、旧国鉄お古車両が走行する路線が多かったです。その分、キハ503は当時、モダンな印象のディーゼルカーでした。筑波鉄道は廃線にならないと思い込んでいたのは、この気動車の影響があるのかも…。紫尾〔しおい〕〜常陸桃山間にて。No.1290−4・昭和62〔1987〕年3月21日(10:37)撮影。

 写真2枚目、キハ761〔元雄別鉄道〕+キハ821〔元国鉄キハ10形〕の2連。紫尾〔しおい〕〜酒寄間にて。筑波鉄道の沿線風景は実に単調で、何処で撮影しても変わり映えしない写真になってしまいました。筑波山が近いか遠い以外、ひたすら畑地の中にレールが続いた路線で、トンネル無し、勾配無し、長い橋梁も見なかったと思います。1枚目写真で3本の木が写っていますが、写真に変化を付けるには、この様な物しかありませんでした。背中を丸くして、一生懸命麦踏するお婆ちゃんの姿に感動したものです。No.1290−9・昭和62〔1987〕年3月21日(11:27)撮影。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.
hideki_kobyakawa
hideki_kobyakawa
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

友だち(18)
  • mymy
  • えちぜんがに
  • Mr.Gray
  • きょーいち
  • すぎうら あきのり
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

衛生対策製品クレベリンの姉妹ブランド
クレベ&アンドハンドジェルが新登場
今だけ。お試しキャンペーン実施中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
10/31まで秋の行楽キャンペーン実施中

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事