連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

大分交通

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 前回、別大線大分駅前を紹介しました。大分駅前を発車した電車の最初の停留所、“竹町通”付近の写真を今回お見せしようと思います。
 2枚の写真は、何れも101系列の104号です。別大線では2両連結で運転される場合もありましたが、写真の101系列8両は、直接制御方式のため単行運転しか出来ないと記されています。同タイプの151系列8両は、間接制御方式で151系列同士では連結可能であったようです。そのため、101系列は連結器無し。151系列には連結器が備えられています。写真の電車は、昭和初期のスタイルで、側面窓に2段の手摺が渡されています。どことなく重厚な印象を受ける車両でした。屋上にポコポコと4個配置されたお椀形ベンチレーター、やや大ぶりな感じです。

 写真1枚目、竹町通を発車して大分駅前へ向う104号。撮影後、同時撮影した白黒写真はプリントしたのでは?理由は、電車後方に見える建造物です。何とも風格が漂う建物です。撮影後の現状は全く知りませんので、また当時を知る方よりコメント頂けたなら幸いと思っています。TOKIWAデパート、「お中元はことしもトキハの……」と表示された垂れ幕が下がっています。早朝のため、シャッターは閉じられた状態です。No.206−18・昭和45〔1970〕年8月14日(6:45)撮影。

 写真2枚目、大分駅前〔写真後方〕から竹町通へ戻って来た104号亀川行。1枚目写真の車両なのですが、何か雰囲気が違います。理由は腰板部の広告でした。片側側面にのみ広告表記のプレートが差し込まれていたようです。別大線電車のテールランプは高い位置に配置されています。104号のテールライト、雨樋の位置に取り付けられていますが、ここにテールランプを取り付ける理由が何か有るのでしょうか? No.206−20・昭和45〔1970〕年8月14日(6:52)撮影。

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 私は人の集まる場所を嫌う性格のため、サークル・部活等に所属したことは、ほとんど有りません。中学、高校生時代は、もっぱら帰宅部でした。学業のみならず、マラソン大会は、常時最終走者の10人程前でゴールイン。同情とも受取れる、女子生徒の「頑張ってー」と言う言葉を聞く度、惨めな思いをしておりました。マラソン大会は、苦痛以外の何ものでもありませんでした。学校が終れば、早々に自宅へ戻り、模型車両を製作していた方が楽しかった。
 白黒テレビで放映された、その頃の「別府大分毎日マラソン」。こちらはしっかり眺めたものです。別大国道を駆けるランナーの姿ではなく、時々、見え隠れする“大分交通別大線”の路面電車を眺めるのが主目的でした。テレビの前に三脚を立てて、テレビ画面に映る別大線車両を撮影したこともありました。
 鹿児島市電を撮影した日、台風の接近を知ることになります。そこで、台風から逃れるため日豊本線の夜行列車で大分へ向かうこととしました。大分駅前に早朝降り立ったものの、どんよりとした曇り空。大分駅前から沿線を歩いて撮影開始。別大国道の海岸沿いに到着した頃には、雨も降り出す始末。風も強くなりました。別府湾に押し寄せた波は、別大国道岸壁にぶつかり、背丈の5倍程の高さに達します。乗車することも無く、雨カッパ着用で別府駅前まで歩いて見納めとなってしまった“大分交通別大線”。その後に乗車した国鉄車両は、台風接近のため運転見合わせとなり、40分程停車していたものと思います。

 写真1枚目、大分駅前で最初に撮影した1101B+1101A連結電車。路面電車では珍しい2両固定の永久連結車でありました。この車両塗色は、他の車両とは異なっていました。No.206−11・昭和45〔1970〕年8月14日(6:15)撮影。

 写真2枚目、大分駅前を発車する301号亀川行後追いカット。取り込んで、既に2ヶ月以上が経過。レタッチ作業に悪戦苦闘した1枚です。No.206−17・昭和45〔1970〕年8月14日(6:43)撮影。

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 大分交通耶馬溪線、中津車庫で撮影した車両の中にはクラシカルな木造客車の姿も健在でした。朝夕には、DL牽引の客車列車が設定されていましたが、この編成の中では見ることの無かった車両写真3枚を添付しておきます。耶馬溪線に在籍した客車は実に雑多で、気動車のなれの果て有り。オープンデッキの木造客車有り。中には片ボギー車も存在しました。撮影終了後乗車したのが片ボギー客車でした。片ボギー独特の走行音を体験したのは、この時のみです。

 写真1枚目、オープンデッキの木造ボギー客車ホハ1形ホハ1。省から譲受けた旧九州鉄道の客車。全長17m弱で、トラス棒が備えられています。かつてはトイレ・洗面所を備えたクロスシート車であったようですが、後に改造されています。中津車庫構内。No.217−17・昭和45〔1970〕年8月19日(6:21)撮影。

 写真2枚目、オープンデッキの木造2軸客車ハフ1形ハフ25。この車両も省から譲受のようです。中津車庫構内。No.217−20・昭和45〔1970〕年8月19日(6:27)撮影。

 写真2枚目、オープンデッキの木造2軸客車ハニフ1形ハニフ22。中津車庫構内。No.217−18・昭和45〔1970〕年8月19日(6:23)撮影。

大分交通耶馬溪線

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 大分交通には、宇佐参宮線・国東線・耶馬溪線と路面電車の別大線が存在しました。撮影出来たのは別大線・耶馬溪線一部区間のみでした。耶馬溪〔やばけい〕線は、昭和46年9月30日限りで野路−守実〔もりざね〕温泉間25.7kmが先に廃線。続いて、昭和50年9月30日、残された中津−野路間10.4kmも廃線となり、全線36.1km、62年の歴史を閉じています。

 写真1枚目、中津車庫構内。キハ50“ちどり”。北九州鉄道〔後の国鉄筑肥線〕→鉄道省キハ40331→大分交通国東線〔昭和41年4月廃止〕に譲渡→大分交通耶馬溪線に転属、といった経歴を保有する流線形気動車でした。写真後方の流線形気動車はキハ105“せせらぎ”(追記:鉄道ピクトリアル誌No.199、私鉄車両めぐり第8分冊によれば、北九州鉄道ジハ61→鉄道省キハ40655となっています)。No.217−23・昭和45〔1970〕年8月19日(6:31)撮影。

 写真2枚目、冠石野〔かぶしの〕〜羅漢寺間、山国川に沿って走行するキハ604後追いカット。耶馬溪線の廃線跡は、多くの区間がサイクリングロードとして活用されているようです。No.218−21・昭和45〔1970〕年8月19日(16:27)撮影。

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