連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

北陸鉄道

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 昔、友人と北陸鉄道石川総線の撮影を目指したことがあります。高岡駅前でレンタカーを借りました。レンタカーで最初に向かった先は富山五福でした。“フェニックスみつい”さんの所へ毛布を借りに行ったのです。毛布を拝借するとUターンする形で、北陸鉄道の撮影に向かっております。金名線終点、白山下駅脇で車中泊を試みたのですが、毛布に包まっても寒くて寝られたものではありません。白山下−加賀一の宮間?の道路を夜中にレンタカーで1往復走行。車内を暖めるのが目的でした。その後、車中で少しは眠ったものと思います。
 夜が明け、白山下駅横にボンネットバスの姿を見付けた時には感動したものです。白山下から鶴来に向かいつつ金名線の途中区間を数カット撮影。鶴来到着後は、能美線沿線を走行して小松へ向かっております。鶴来駅舎は、この途中で撮影したと思いますが、電気機関車まで撮影したものかは覚えておりません。毛布返却時に関しても覚えておりません。
 
訂正:北陸鉄道能美線、鶴来−新寺井間の撮影は、昭和52〔1977〕年5月2日でした。この日の夜、北陸鉄道金名線白山下へ向かったものと思います。昭和52〔1977〕年5月3日、夜明けを待って白山下−鶴来間を撮影しておりました。ピンクで表記した箇所は間違いでした。詳細までは記録したミニノートを確認しなければ判断出来ません。
 
 白山下−加賀一の宮間は、昭和621987〕年429日付けで廃線。更に、加賀一の宮−鶴来間までが廃線になるため、再び、鶴来駅を目指す結果となりました。この時は、渋っていた息子と行動を共にしています。富山五福の息子アパートを出発。北陸自動車道を走行して金沢西ICから一般道を走行。道に迷ってJR北陸本線・野々市駅付近でウロウロしたものの何とか鶴来駅へ辿り着くことが出来ました。雨降り続く中、加賀一の宮−鶴来間をそれなりに撮影。鶴来駅を発車する加賀一の宮行も撮影。この時、鶴来駅構内に留置されていた電気機関車の姿を見付け撮影したのが、今回紹介する写真です。ローカル私鉄の電気機関車を見る機会は少なくなりました。除雪装置を外した姿を眺めてみたいのですが、贅沢は言えません。撮影出来ただけでも良しとしておきましょう。比較的、近年の事と思っていましたが、既に撮影から6年近くが経過しております。
 
 
 
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 写真1枚目、除雪用ディーゼル機関車DL31に連結されていた小ぶりのタンク車。ND100No.287240・以下全て、平成212009〕年89日撮影。1358撮影。
 
 
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 写真2枚目、除雪用ディーゼル機関車DL31。ラッセルヘッドとロータリーヘッドが装着されています。ND100No.2872451405撮影。
 
 
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 写真3枚目、本線横の側線に留置されていたホム1+モハ3752+ロータリー除雪装置付軌道モーターカー。ND100No.2872491413撮影。
 
 
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 写真4枚目、本線横の側線に留置されていたホム1+モハ3752+ロータリー除雪装置付軌道モーターカー。写真右手に除雪用電気機関車の姿が確認出来ます。
 ホム1形に関して、ウィキペディアでは、『1967年に近江鉄道から譲受けたもので、書類上は1961年(昭和36年)西武所沢車両工場製とされているが、実際には1914年製の小倉鉄道セム1形を出自とする。バラスト撒布用に使用されていたが、200710月廃車となる。晩年はほとんど使われることなく鶴来駅構内に留置されていた。廃車後は金沢市在住の個人が25万円で買い取り、富山県高岡市の工場で保管されていたが、2015年に能美市立博物館へ整備の上で寄贈する方向で話し合いが進められており、能美市立博物館では隣接の公園(のみでん広場)での常設展示を計画している』。モハ3752に関しては、『当初は加南線に在籍していたモハ5000形〔モハ50015002〕電車。後年石川総線へ転属し、後に改造によりモハ3750形と改称・改番された』とありますが、加南線撮影当時の撮影メモにモハ5000形は記載されておりませんでした。ND100No.2872581419撮影。
 
 
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 写真5枚目、南海タイプの凸型電気機関車ED201。写真左手後方はED301。現在はED201が残り、ED301は廃車となってしまったようです。ND100No.2872521416撮影。
 
 
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 写真6枚目、デッキ付きのED301。かつては石川総線貨物列車運用の主力車。昭和511976〕年4月、貨物営業廃止。以降、ED201と共に大型スノープラウ装着実施の上除雪用機関車として残される。その後も改造が加えられたものの最終的には、平成222010〕年に廃車。現在は若桜鉄道隼駅で保存されているようです。「撮影翌年には廃車となってしまい、ライダー集う隼駅へ行ってしまいましたか!!」。ND100No.2872851448撮影。
 
 
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 写真7枚目、6枚目写真の反対側に移動して撮影したED301。ND100No.2872811445撮影。
 この際ですから、前回に続いて福井鉄道鯖浦〔せいほ〕線を撮影した翌々日までの行動を再チェック。雨で濡れてしまったミニノートは読み辛くなっていますので、今回は表記内容全てを書き込んでおきましょう。
 
 昭和471972〕年84日、福井の旅館“桃屋”を出立。福井駅の一時預かり40円。京福電気鉄道越前線、福井−勝山間の運賃260円也。撮影記録では745750の間、京福電鉄の福井駅構内を撮影。925には勝山駅で撮影。この間に京福電車へ乗車して福井から勝山へ移動。勝山からは乗車区間を戻る形で小舟渡まで歩きました。当時、勝山−京福大野間の路線も健在でしたが、この区間を撮影することはありませんでした。後々、後悔する結果となってしまいました。勝山で冷し中華+かき氷180円。発坂でスプライト+アイス120円。小舟渡1745発の京福電車で福井へ戻る。乗車運賃220円也。福井駅前で炒飯+餃子380円。セブンスター100円。福井駅でビール+つまみ190円。福井1914発、急行「北陸1号」に乗車。金沢でコカコーラ+みかん220円。この日も糸魚川駅で下車しておりました。84日、出費総計1710円也。
 
 昭和471972〕年85日、糸魚川駅の待合室で400まで眠っておりました。糸魚川513発の富山行に乗車。富山駅で下車すると富山地方鉄道の入場券も購入。30円也。富山駅でかき氷50円。寿司+サイダー400円。700820の間は富山駅〔地鉄含む〕構内で撮影。富山駅から小松駅まで北陸本線の列車で移動していますが、乗車時刻も下車時刻も記録無し。10401225の間は小松駅で尾小屋鉄道車両を撮影。12301240の間は小松駅で国鉄列車を撮影しておりました。小松でかき氷90円。コカコーラ等100円。この後、北陸鉄道小松線の電車に乗車して終点の鵜川遊泉寺1259頃到着。乗車運賃80円也。鵜川遊泉寺から沿線を撮影しながら歩いて小松へ戻っています。途中の加賀八幡でコカコーラ等100円。ミニノート+タバコ120円。小松へ戻ると、かき氷+サイダー110円。パチンコもしておりました。100円使ってタバコ4箱入手。更に晩飯の炒飯180+かき氷70+サロンパスリニメント200円。この日は小松で宿泊しています。旅館名称の記載はありません。85日、出費総計1630円也。
 
83日−福井鉄道鯖浦線の撮影。85日−北陸鉄道小松線の撮影。86日−尾小屋鉄道の撮影。87日−加越能鉄道加越線の撮影。810日−富山地方鉄道笹津線の撮影。昭和471972〕年8月、周遊旅行で巡ったこれら5路線は、全てが見納めでした。
 
 以前に紹介した時とは異なる鵜川遊泉寺駅での画像を並べておきます。
 
 
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 写真1枚目、北陸鉄道小松線、鵜川遊泉寺駅のモハ3004。下車直後の撮影です。No.4374・昭和471972〕年85日(1300頃)撮影。
 
 
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 写真2枚目、鵜川遊泉寺駅舎越しに撮影したモハ3004。カバンを手にした女の子が電車に乗り込みます。No.43710・昭和471972〕年85日(1315頃)撮影。
 
 
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 写真3枚目、発車間近のモハ3004と鵜川遊泉寺駅舎。終着駅ながら実に小ぶりの駅舎です。架線は路面電車に同じで直接吊架式。画像を眺め今になって気付きました。No.43711・昭和471972〕年85日(1315頃)撮影。
 
 
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 写真4枚目、鵜川遊泉寺発車直後のモハ3004後追いカット。踏切を横切れば、直ぐに梯川を鉄橋で渡ります。電車に乗車した女の子が、窓から顔を出し、手を振ってくれました。No.43713・昭和471972〕年85日(1315頃?)撮影。

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 平成21〔2009〕年10月31日限りで廃線となってしまった北陸鉄道石川線、鶴来〜中鶴来間を撮影した写真を並べてみます。
 昔、能美線の手取川鉄橋を撮影した山道に、もう一度立ってみたいと思いましたが、8月に訪れた際、この道路には進入禁止の立て看板が設置されていました。主目的は、能美線鉄橋の遺構を確認することでした。結局、何も見付かりません。自宅へ戻った後、白黒ネガを確認したことで、当時の状況が分かりましたが、既に後の祭。「出向く前に昔の写真を確認しておけば良かった」と後悔しております。

 写真1枚目、天狗山隧道を抜け、手取川のトラス橋梁を渡り終える能美線鶴来行モハ3712。写真奥の手取川対岸は、能美郡辰口町〔現在は能美市〕。撮影のために立っている場所は、石川郡鶴来町〔現在は白山市〕。写真右手の道路橋は“天狗橋”。鶴来から、能美郡方向へ“天狗橋”を渡り、左折することで山間の道路へ進入することが可能でした。白黒No.1359−(34)・昭和52〔1977〕年5月2日(17時頃)撮影。

 写真2枚目、手取川左岸、能美郡辰口町の山道から見下ろす手取川。写真左手に伸びているのが能美線。写真右手に向うのが石川線で、鶴来〜中鶴来間になります。白山下までレールが続いていた時代です。1枚目写真は、鶴来側の手取川堤防から撮影したものと思います。昭和55〔1980〕年9月13日限りで能美線は全線廃止。平成21〔2009〕年10月31日限りで、石川線鶴来〜加賀一の宮間が廃線。写真に見えるレール全てが消滅する結果となりました。昭和52〔1977〕年5月3日(8:04と思う)撮影。

 写真3枚目、鶴来を発車した能美線電車は、暫らく石川線と平行し、七ヶ用水路を渡る辺りで石川線と分かれていきます。廃線から29年、用水路の能美線橋梁は残っておりました。能美線廃線跡に立ち、手取川を背にして鶴来方向を見ています。DNo.287−4−273・平成21〔2009〕年8月9日(14:35)撮影。

 写真4枚目、鶴来を発車して石川線、七ヶ用水路の橋梁へ差し掛かったクハ7111+モハ7101加賀一の宮行。DNo.287−4−290・平成21〔2009〕年8月9日(15:05)撮影。

 写真5枚目、用水路橋梁を通過中のクハ7111+モハ7101編成。写真左手が廃線後も残る、能美線の橋梁。DNo.287−4−293・平成21〔2009〕年8月9日(15:05)撮影。

 写真6枚目、七ヶ用水路の橋梁を渡り終えたクハ7111+モハ7101加賀一の宮行後追いカット。DNo.287−4−295・平成21〔2009〕年8月9日(15:05)撮影。

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 息子が富山での生活を継続しなければ、北陸鉄道石川線の末端廃線予定区間まで出向くことはありませんでした。昭和52〔1977〕年5月、レンタカーを使用して友人と一緒に走行した道路を、今度は息子の運転で走っています。
 平成21〔2009〕年8月9日、北陸鉄道の鶴来〔つるぎ〕駅を目指して、息子のアパートを出発したのは、午前7時53分。北陸自動車道の金沢西ICまでは、私がワゴン車を運転します。アパートを出発後、金沢西ICまでの走行距離は66km。呉羽PAで腹ごしらえしていますので、所要時間は1時間50分程でした。
 高速代金を支払い、一般道へ出た所から運転は息子に任せました。座席を交替する際、携帯電話が無いと息子が騒いでいます。車内や持参したバッグの中を探したものの見付かりませんでした。古いワゴン車のため、ETC・カーナビゲーションも備えてありません。携帯電話も無し。兎に角、金沢市内を鶴来駅へ向います。天気は雨降りで、日が出ていないため方角が判断出来ません。11年前に購入した道路地図帖〔ミリオン マップ〕だけが頼りです。主要な交差点名称から居場所を確認しようと、分厚い地図帖を開いてみるのですが、丁度、地図の折り目の地点で、文字が読み取れませんでした。老眼が進んでいますので、より始末悪いです。何とか北陸本線を確認。道なりに進むと野々市駅前を通過。しばらく走ると、「ここは先程走った場所では?」 金沢西IC方向へ戻っていました。
 野々市駅横の踏切で、やっと北陸本線が越えられました。以降は国道8号線を走行するのですが、北陸本線と平行する形で松任駅方向へ向い、北鉄石川線からは離れてしまいます。何とか157号線へ左折。157号線は鶴来へ続いています。どうせ走行するのであれば、石川線のレール確認可能な道路を走りたいと考え、157号線から更に左折。再び脇道をウロウロする結果となってしまいました。幹線道路へ出て道路標識の地名を眺めても、どの方向を選択すれば良いものかが判断付きません。探すは、電車線の架線柱のみ。
 鶴来駅前を眺めた後、石川線の終点、加賀一の宮付近に到着したのは、午前10時40分。アパートからの走行距離91km。所要時間、約3時間。カーナビなど無くても、道路地図1冊あれば、日本全国何処へでも辿り着く自信を持っていたのですが、多くの市町村が合併してしまった今、自信喪失です。
 「平成17〔2005〕年2月1日、松任市及び、石川郡の美川町、鶴来町、河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村の1市2町5村が新設合併して白山市誕生」となっています。道路地図で目指した場所は、石川郡鶴来町でした。

 写真1枚目、加賀一の宮駅に停車中のモハ7102〔元東急デハ7056〕+クハ7112〔元東急デハ7055〕。列車交換可能駅であった面影は薄らいでいます。かつては写真奥へ向って白山下までレールが続いていました。電車の方向幕は進行方向側のみが表示されるようです。「普通 野町」。平成18〔2006〕年12月1日のダイヤ改正まで準急が運転されていました。DNo.287−2−167・平成21〔2009〕年8月9日(10:59)撮影。

 写真2枚目、1枚目写真のクハ7112側。方向幕は非表示に変更されています。DNo.287−2−178・平成21〔2009〕年8月9日(11:08)撮影。

 写真3枚目、湾曲したプラットホームと電車の隙間では、雑草が元気に生長しておりました。DNo.287−2−173・平成21〔2009〕年8月9日(11:05)撮影。

 写真4枚目、モハ7102越しに撮影した加賀一の宮駅のプラットホーム。東急7000系導入時にホームが嵩上げされたようです。ホームのベンチも年季が入っています。DNo.287−3−183・平成21〔2009〕年8月9日(11:11)撮影。

 写真5枚目、平成12〔2000〕年には「中部の駅100選」にも選ばれた加賀一の宮駅舎。赴きある駅舎が、間も無く使命を終えます。鉄道ファン誌2009−9月号〔No.581〕を参照。DNo.287―3―192・平成21〔2009〕年8月9日(11:34)撮影。

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 終着駅の名称、鵜川遊泉寺〔うかわゆうせんじ〕。何とも旅情をそそる駅名と思っておりました。
 1度だけ乗車した北陸鉄道小松線。小松を発車すると、ひたすら田圃の中を走行。気付けば終点の鵜川遊泉寺といった感じの鉄道線でした。鵜川遊泉寺から沿線を撮影しつつ、歩いて小松まで戻っています。鵜川遊泉寺駅手前の梯川を渡る鉄橋が、唯一の撮影スポットといった印象が残る小松線です。
 撮影当時は、モハ3000形5両が活躍していたようです。金石線で使用された電車で、同線の廃線後に小松線へ転属となっております。金石線は撮影出来なかった路線でした。小松〜鵜川遊泉寺間、5.9km。昭和61〔1986〕年5月31日の運転を最後に廃線となってしまいました。

 写真1枚目、終点、鵜川遊泉寺に停車中のモハ3004。No.437−6・昭和47〔1972〕年8月5日(13:00頃)撮影。

 写真2枚目、鵜川遊泉寺を発車して小松に向うモハ3004。No.437−12・昭和47〔1972〕年8月5日(13:00頃)撮影。

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